第19話 奴が盗んでいったとんでもないもの
「結局、これだけなのよね」
それは、玲奈が事故現場で手に入れたものだった。
駆けつけた救急隊員に助け起こされた時、炎上するバスの炎に照らし出されるようにそのストラップが目に入った。
朦朧とする意識の中で、玲奈は思わずストラップに手を伸ばす。
するとそれに気付いた救急隊員が、「これ、君の?」とストラップを玲奈の手に持たせてくれた。
それ以来、玲奈はそのストラップのことを誰にも言わず大切に保管していた。
玲奈はストラップを手に取り、顔の高さまで持ち上げる。
「絶対……あの人のよね?」
状況からすると、他には考えられない。
黒の布地に、銀糸で縫い取りがあるだけのシンプルなデザインのストラップだった。
どこかで見たような気もするものの、シンプルなだけにありがち過ぎて逆に思い出せない。
「この丸い模様はコインか何かかしら。文字の方は……ジュ、ジューダス……チルドレン? 何かのブランド?」
首を傾げるが思い当たるものは何もなかった。
そこで玲奈は、机の上のノートパソコンを起動させた。
ほどなくしていつものデスクトップ画面が立ち上がり、玲奈は検索エンジンのアイコンをダブルクリックする。
「まあこれで、何が分かるってものでもないんだろうけど……」
携帯ストラップのブランドが分かったぐらいで、すぐにあの人の正体が分かるなどとは玲奈も思っていない。
ただ、少しでも何も言わずに立ち去ってしまった命の恩人のことを知りたかった。そしてできれば、直接会ってお礼を言いたかった。
バスが炎上しているあの光景を思い出すと、玲奈は今でも体が震えた。
何かが少しでも違っていれば、あの炎の中で焼け死んでいたのは自分だった。その恐怖は意識が朦朧としていた事故当時よりも、むしろ今の方が強い。
それだけに命懸けで自分を助けてくれたあの人への感謝の念が、時がたつにつれて玲奈の中で募っていく。
その思いは時として白馬の王子様願望へと暴走し、我に返って赤面することすらあった。
玲奈はその恥ずかしい妄想を振り払うように首を振ると、検索エンジンに『judas children』と入力した。
すると瞬時に検索結果がズラリと表示される。その大半が同じ内容を含んでいるようだった。
「真約聖紀……ジューダス・チルドレン?」
玲奈は当惑しながらリストのトップに表示されたリンクをクリックする。
次の瞬間、息を呑んだ。
「なにこれ……、アニメじゃない」
画面には、巨大な人型ロボットを背景に少年少女たちが所在無げに立っていた。
依然当惑は治まらないものの、玲奈はそれでもサイト内のあちこちをクリックする。
どうやら聖書をモチーフにした、ロボットアニメのようだった。ユダ機関だの、黙示録だの、外典だのと、それっぽい単語が一杯出てくる。かなり膨大な設定のようだ。
ストーリーはというと、遺伝子操作を施された少年少女がジューダスという巨大ロボットに乗せられ、12聖人と呼ばれる古代人の超兵器で人類に最後の審判を下そうとする教会に立ち向かわされるというものだった。
かなり緻密に作り込まれているようで、単なる美少女アニメとは一線を画している様子がひしひしと伝わってくる。
「だけど、アニメよね。しかもそのストラップだなんて」
アニメを見るのはまあいいとしても、スマホにそのストラップを取り付けるという感覚が玲奈には引っかかった。
ややげんなりとしながらサイトチェックを続けていると、やはりあった。このストラップとまったく同じものを玲奈はサイトの中に発見した。
「イ、イベント会場限定のグッズって……。一体どんだけオタクなのよ」
とうとう玲奈は机の上につっぷした。白馬の王子様の幻想が限りなく遠のく思いだった。
しばらくしてのろのろと顔を上げた玲奈は、ふと画面の下の方に掲載されているあるアイテムに気付いて思わず声を上げた。
「こ、この腕時計って……、あいつのと同じじゃない!」
それは、パンを買ってきてもらった昼休みに美術準備室で見たものだった。
「そうよ、間違いない! パン代すらケチるあいつがなぜかちゃんとした腕時計なんてしてたからよく覚えてる!!」
そして玲奈は、あることに気付いて愕然とした。
「……え? ちょ、ちょっと待って。じゃあどういうこと? それじゃあ……、まさかあいつがこのストラップの持ち主だっていうわけ?」
だけど、すぐにぎこちない笑みを浮かべてその考えを否定した。
「ううん。そんなわけない。だってあいつ、バスが横倒しだったことすらうろ覚えだったのよ?」
そして動揺を誤魔化すようにカチカチとクリックを繰り返す。
すると突然、事故の日付がその目に飛び込んできた。
「え?」
思いがけない発見に玲奈の手が止まる。それは、とあるDVDの発売日だった。
劇場版アニメのDVD化で、テレビ版とも劇場版とも異なるラストが収録された究極の最終話という煽りが付いている。
ファンならば、何をおいても発売日に手に入れようとすることが容易に想像されるシロモノだった。そう、たとえその日にどんな理不尽な用事があったとしても。
玲奈の中で、何かが繋がった。
「だからあいつは……、あの日強引にカラオケを打ち切ったんだ」
考えてみれば、一昨日美術準備室に呼び出した時の反応もおかしかった。
「ヘラヘラとふざけながらあんなこと言うなんて、全然あいつらしく……ない」
玲奈の知る日下部遼一は、偏屈で独善的な勘違い発言も多かったが、少なくとも人の成功に便乗して得意気に何かを要求するような人間ではなかった。
いやそれどころか、自分の成功すらあらゆる手段を用いて隠蔽しかねない。
だとすればあの時の発言は全て計算ずくであり、自分の功績を手酷く否定されても反論などするはずがなかった。
「あれは私を騙すための、ペテンだったのね……」
今日の放課後、目立つ校門前で自分を待ち伏せていたのも不自然だった。
そっちはおそらく、女性記者がまだ一人しつこく残っていたからだろう。固まったようにこちらを凝視する彼女と擦れ違ったことを玲奈は覚えていた。
「教室で変なことを口走って窓の外を見ていたのは、多分その記者から揺さぶりを受けていたからだわ。だからあれで、記者からの疑惑を振り切ろうとした」
思い当たることはそれだけではない。
「ブラジャーが外れていたのも、よく考えてみればおかしかったのよ」
玲奈はずっと事故の衝撃で外れたのかと思っていたが、あれはそう簡単に外れてなどくれない。それにブラウスのボタンが外されていたことを考えると、自分の呼吸を楽にするために誰かが一緒に外したと考える方が自然だった。
だけど、このブラジャーがコルセット並みに体を圧迫するシロモノだと普通の人間が気付くはずがない。救急隊員でも混乱した夜の現場でそんなことには気付かないだろう。
ところがそのことを、あらかじめ知っている人間がいたとしたらどうだろうか。おまけにその人間は、きついホックを実際に付けることまで過去に強要されている。
「じゃあやっぱり……、あいつが私を?」
そう考えた瞬間、急に心臓の鼓動が早まって玲奈は胸に苦しみを覚えた。
「えっ、やだ! 何なの!?」
玲奈は鼓動を静めようと必死に胸に手を当てるが、心臓は全然言うことを聞いてくれない。それどころか今度は頬まで熱くなってきた。
「な、何で? どうして私があんな奴相手にドキドキしなくちゃいけないのよ!」
思い通りにならない自分の体に玲奈はあせるが、ドキドキは一向に治まる気配を見せない。
たまらずベッドに横になろうと椅子から立ち上がるが、玲奈はそこである事に気付いて今度は一気に青ざめた。
「ど、どうしよう……。私、あいつをひっぱたいてる」
よろめく体を支えるように両手を机につくと、玲奈は虚ろな声で続けた。
「ううん、それだけじゃない。最低だとか、二度と話しかけないでとか。私……、酷い事をイロイロ言ってる」
事故以来、自分が彼にしてきたことを思い出して玲奈は愕然とした。
それどころか小学校での気まずい出来事に始まり、高校での再会はつい悪ノリして暴行未遂容疑まででっちあげたあげく、嫌がる相手を便利にこき使ってきた。
そのどれもが好印象を残していないことだけは想像に難くない。
思い出せば出すほど、玲奈の心は絶望に塗り込められていく。
そして、どれほど時間が経っただろうか。玲奈は硬い声でつぶやいた。
「もう一度あいつに……、確かめなきゃ」




