第16話 やらせはせんぞ
「ちょっといいかしら」
僕がそう呼び止められたのは彼女に頬を張られた次の日、下校途中で信号待ちをしている時だった。
信号は少し前に赤になったばかりで、まだしばらくは青になりそうにない。僕は仕方なく自転車に乗ったまま声の方へ振り返った。
するとそこにはショートヘアーにスラックス姿の、活動的な感じの若い女性が立っていた。手にはペンと手帳を持っている。
「例のバス事故の話なんだけど、ちょっといい?」
ニコリと笑う女性とは対照的に僕は顔をしかめた。
「……マスコミから何か聞かれても何も答えるなと、先生に言われていますから」
そう言って取材を断ろうとした。
いくらマスコミが自分という存在に気付いていなくても、追われる身としてはどんな取材だろうと願い下げだった。
それに、先生からの指示というのもウソではない。
謎のヒーローに悲劇のヒロインという組合せにマスコミの報道は加熱気味で、学校としても何らかの対策の必要に迫られたらしく今朝そう訓示があった。
生徒達の中には犯罪事件でもないのにどうしてと反発する者もいたが、
『人が一人亡くなっているんだ。興味本位で騒ぐのは慎まなければいかん』
という教師達の建前論の前に沈黙を余儀なくされる。
ただ一人、あれが事故などではなく事件だと知る僕だけは、それが正しい判断だと自嘲していた。
「じゃあどうして小湊さんと同じクラスの君が一昨日学校を休んだのか、だったら事故とは関係ない感じに聞こえるからいいかしら?」
前に向き直ろうとした僕は、記者のその言葉にピタリと動きを止める。
「それとも、学校を休む前の日はどうして帰りが遅かったか、でも私は全然構わないわよ。あなたの自転車が珍しく夜まで戻ってなかったっていうご近所の人の目撃談なんか、とても興味深いと思わない?」
既に自宅周辺の聞き込みまで終わらせていると知って僕は愕然とした。
「……何が、言いたいんですか?」
声は、かろうじて震えなかった。
記者の顔がスッと真剣になる。
「そうね。じゃあずばり聞くけど。バス事故で乗客を助けた通りがかりの学生って、君のことじゃないの?」
息が止まった。
こちらを見つめてくる記者の鋭い目が、僕の隠された罪を暴き弾劾しているように感じて僕は底知れない恐怖を覚えた。
「ち、違う!」
気付いたら、そう悲鳴のように叫んでいた。
記者が驚いたような顔をする。周囲にいた信号待ちの人たちも何事かとこちらを振り返ってくる。
僕は対応の失敗を悟った。これでは自ら疑惑を深めているも同然だ。
その時、ちょうど信号が青に変わった。
「僕は、何も知りません……」
それだけ言うと逃げるように自転車を発進させた。
「あっ、ちょっと! 君っ!?」
後ろから記者の慌てた声が聞こえたが、僕が立ち止まることはなかった。
家に帰り着くと急いで階段を駆け上がる。
バタンと部屋の戸を閉め、鍵を掛けたところでようやく少し落ち着いた。
カバンを置いて制服のままベッドに腰を下ろす。
(やはりあの日、学校を休んだのはまずかったんだ……)
僕は後悔に顔を歪めた。
恐らくあの記者は、悲劇のヒロインを助けたヒーローの謎の失踪という事象にだけ着目して、そのヒロインと同じ学校で事故の翌日に遅刻や欠席といった分かりやすい異常行動を示した男子生徒のみをピンポイントで調査したのだろう。
そうでもなければ、いくらマスコミ関係者といえどこんなに早く僕の存在を割り出せない。そしてそれならば、僕の珍しい欠席の存在が容易に浮かび上がる。
それに彼女と同じクラスのとわざわざ言及したということは、現場からの失踪やその翌日の欠席の原因を何か彼女と関連付けて考えている可能性がやはり高い。
もしあの記者が僕の暴行未遂容疑のことを嗅ぎつけでもしたら、さぞ面白い記事になるだろうことは想像に難くない。
どれも下世話な推理だし賭けのような強引な調査だ。およそまともな記者の発想とは思えない。妄想癖の強い新人記者の戯言と笑い飛ばすべき類のものだろう。
(そんなくだらない思い込みで、またしても僕は真実を暴かれるのか!?)
神を呪い殺したい気分だった。
それとも、捜査権限もない一介の記者風情が、思い切った思考の飛躍で真犯人をあぶりだしたことをいっそ褒めてやるべきだろうか。
(いやまだだ。まだ見殺しの事実にはたどり着いていない。それに、僕が事故現場にいたという証拠だってない。今ならまだ、知らぬ存ぜぬで突っぱねられるはずだ!)
そう自分を鼓舞しつつ、僕はその考えに穴があることも知っていた。
通報が遅れたことは、お婆さんの手助けを頼んだ青年に指摘されたことで既に知られてしまっている。おかげで捜査当局に僕の番号を知られずに済んだが、強力な公的救助の初動が後手に回る第一歩であることには違いなかった。
彼女の救出に時間がかかり過ぎたことも早晩気付かれかねない。余計な動揺や行動が原因であることまでは分からないにしても、青年の通話記録と事象経過とを照合すれば不自然な救出時間のことを割り出すことは可能だろう。
更にまずいことに、僕は彼女のブラジャーを外してしまっていた。もしそのことを知られれば、いやらしいイタズラ目的で時間を浪費したために逃走を図ったと思われても疑惑の払拭は難しい。
つまり僕は、犯人の逃亡動機とそれを示唆する手掛かりを現場に十分残しているといえる。
(スマホを拾い上げただけで安心している場合じゃ、なかったんだ……)
あの記者がどこまで真相に迫れるのかは分からないが、その妄想力を生かして彼女なりのより酷い『真実』に到達する可能性は十分にある。
(そうなる前に、何か手を打たないと)
僕は、薄氷の上にたたずむ自分を嫌でも自覚せざるを得なかった。
気が付くと、そこは横転したバスの中だった。
薄暗い車内に、パンツを大胆にさらして頭から血を流す少女が無言で転がっていた。
僕は少女の傍らにしゃがむと、その背中に手を伸ばしてブラジャーのホックを外した。
(やめろ! そんなことをしてる暇があったら早くそこから逃げるんだ!)
そう叫ぼうとしても、なぜか声が出ない。
そのうちにも、ブラジャーのホックを外し終わった僕が今度は少女の胸に手を伸ばす。
(おいっ! 何してる!? いいから早く逃げろ。奥の男の人も連れて早く!!)
やはり声が出ない。そして、僕の手は止まらなかった。
意識の無い少女の、大きな胸を僕は無造作に揉み始める。
ブラウスとブラジャー越しとはいえ、拘束を解かれた双丘が僕の手の動きに合わせて大胆にその形を変えていく。
だけどその時、不意に車内が明るくなった。
それも青白い蛍光灯の明かりではなく、メラメラと燃える炎のゆらめきによってだ。
バスの奥に倒れていた男の人の姿があっという間に炎に包まれ、獣のような絶叫を上げてもがき苦しみ始める。
(あ、あああ……)
手遅れになってしまったことを僕は嘆いたが、それでもその手は少女の胸を揉むのをやめない。
やがて、男の人は声を上げなくなり、動かなくなった。
すると突然少女が目を開けた。
自分の胸を揉む僕を心底軽蔑した眼差しで見据えると、小湊玲奈は冷ややかに僕に告げた。
「あんた、最低ね……」
「ハアッ、ハアッ、ハアッ」
飛び起きてあたりを見回すと、そこは自分の部屋のベッドの上だった。
「ゆ、夢……か」
事故以来眠りが浅く、やっと寝ても悪夢を見る。
今回のはあの女性記者からの接触があったからだろう。これまでのよりも格段に酷かった。
窓の外はようやく薄明りがさした程度だったが、どうやら今日は、これ以上寝られそうにない。




