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第15話 恩人の名は

「どうして昨日、学校を休んだの」


 彼女の第一声は、僕の予想とは違っていた。

 てっきりカラオケの勝手な打ち切りやバス事故への遭遇を手酷くなじられると思っていた僕は、彼女の質問に虚を突かれる。


「ちょ、ちょっと……、風邪気味だったんだ」


 なんとかそう誤魔化したが、彼女はなぜか食い下がる。


「あんた、いつもは余計な注目を集めないようにって無遅刻無欠席で通してるじゃない。それが風邪気味くらいで休むだなんて、一体どういう風の吹き回し?」


 僕は返答に窮する。彼女の指摘は痛いところを突いていた。

 黙り込む僕に、彼女は質問の矛先を変えてくる。


「じゃあ、右手のその絆創膏は何?」


 スマホを拾った際にガラスで切った右手の傷を僕は咄嗟に左手で隠した。


「これは、その……。じ、自転車で、こけたんだよ」


「いつ? どこで? どうしてこけたの? 昨日は風邪で学校を休んでたわけだし、今朝のことでもないわよね」


 残るはあの日の帰り道しかなかったが、今の彼女に対してそう答えるのは酷く危険な気がしてならない。

 またしても沈黙を余儀なくされる僕に彼女は構わず話を進める。


「あんた、自転車通学よね。あの事故現場も自転車で通ってるはずだけど、事故を起こしたバスは見なかったの?」


 一つ一つは何でもない質問のはずなのだが、次々と外堀を埋められる感覚に異様な緊張が僕を包んでいく。


(というか叱責しっせきするために僕を呼んだんじゃないのか!?)


 事前の想定とは全く違う展開に僕は動揺を隠せない。


「そ、その少し前に通り過ぎたから、見てない……」


 言葉少なにそう答えるのがやっとだった。


「ふーん」


 彼女は素っ気なく頷くと、そっと爆弾を放ってきた。


「知ってる? 事故で私や他の乗客を助けた男子学生って、ここの生徒じゃないかって言われてるらしいわよ」


 僕はギクリとした。

 だけど幸い、その情報は既に耳にしている。


「へ、へえ……。そうなんだ」


 なんとかそう相槌を打つことができた。


「でもおかしいわよね。どうしてその生徒は未だに名乗り出ないのかしら? テレビだってあんなに騒いでるんだから、名乗り出れば絶対ヒーローになれるのに」


「さ、さあ。どうして、かな」


 彼女が意味ありげに笑った。


「じゃあもしその人が、そんな風に騒がれたくないと思ってるような人間だったらどうかしら」


 嫌な予感がした。


「これはあくまで例えばなんだけど、地味で平凡を装うために成績や外見まで徹底して隠そうとするような人間だったら、名乗り出なくてもおかしくないと思わない?」


 僕はそうきたかと歯噛みした。

 彼女の推理は肝心な動機の部分において決定的に間違えているのだが、厄介なことにそれでも結論だけは正解にたどりついていた。


(まさかこんな形で日頃のツケが返ってくるなんて……)


 こめかみがピクピクとひくつくのが分かった。

 彼女はそんな僕を悠然と見つめる。


「私、偶然にもそういう人間を一人知ってるんだけど。しかもそいつはやっぱり自転車通学で、事故のあった前後にそこを通ってて、その翌日には何故か珍しく学校を休んだ。そして通学してきたと思ったら手には絆創膏を張ってるの。

 ねえ、私はそれをどう考えればいいと思う?」


 もう間違いはない。彼女は確信をもって僕を追及していた。

 ましてや彼女は事故の当事者で、バスの乗客や警察にまで接触できる有利な立場にある。

 僕がまともに乗客と顔を合わせたのは混乱したバスの中の暗がりだけだったから、たとえ面通めんどおしされても断言は難しいはずだが、ここまでの状況証拠と動機がこの魔女の中で揃えばいずれにせよ僕は逃げきれない。


「ほら。黙ってないで、何とか言ったらどうなの。日下部遼一君」


 反論できるものならしてみなさいよと言わんばかりの笑みを浮かべる彼女に、僕は覚悟を決めるしかなかった。

 小さく息を吐き、仕方なく彼女に告げる。


「……そうだ。僕が君を、助けた」


 彼女が大きく目を見開いた。


「や、やっぱり……」


 そう言ったきり、ショックを受けたように彼女はその場に立ち尽くす。

 僕はゆっくりと頷いた。


「ああ、大変だったんだ。逆さまに引っくり返ったバスから、君を助け出すのは」


 それからニヤリといやらしく頬を歪める。


「君ももう少し痩せたらどうなんだい? その胸のおかげで、酷く重かったよ」


 そしていかにも軽薄そうにハハハハッと笑ってやった。

 そんな僕に、彼女が呆然とつぶやいた。


「逆……さま?」


 彼女の口からこぼれ出たその言葉に、僕は心の中で快哉かいさいを叫んだ。

 その喜びを懸命に押し隠しながら、シマッタと言わんばかりに顔をしかめていかにも気まずそうに彼女から視線を逸らしてみせる。


「あーっと……。逆さま、じゃなくて。よ、横倒し……だったかな?」


 そしてその失敗を誤魔化すように今度は早口でまくしたてた。


「ま、まあそんなのどっちでも同じじゃないか。そ、そんなことより今まで痴漢だ暴行魔だと好き勝手に脅してくれたけど。これからは僕のことは命の恩人として…」


 だけど、僕はそのセリフを最後まで言うことができなかった。

 僕の頬には、パシンッという音と共に彼女の平手打ちが叩きつけられていた。


「同じなわけ…………ないでしょ」


 彼女の声は、震えていた。


「バスが横倒しだったせいで……、脱出も救出も難しくなって。後ろの席に座ってたおじさんは死んだのよ。

 そんなことも知らずにヘラヘラとあの人を名乗って私に恩を売りつけようとするだなんて……」


 彼女がこごえるような目で僕をねめつける。


「あんた、最低ね。少しは名前も告げずに立ち去ったあの人を見習ったらどうなの?」


 そう言い捨てると、ツカツカと美術準備室から出て行った。

 シーンとなった部屋の中で、横転と逆さま、命の恩人と卑劣な偽装犯との入れ替わりにまんまと成功した僕の体が小刻みに震え出す。


「フフッ……。フフフフフッ」


 押し殺した笑いが思わず漏れた。


「最低……か」


 よく味わうように彼女の言葉を繰り返すと、僕はゆっくりとそれを肯定した。


「ああ、そうだ。僕は、最低の人間だ。人間の…………屑だ」


 そして震える右手をベタリと自分の顔に押し当てる。


「てっきり僕は、君がずっと気を失っているものだとばかり、思っていたけど。なんだ、よく分かってるじゃないか。

 アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!」


 背をのけぞらせ、大きく見開いた目で天井をあおぎながら、僕は狂ったように笑い続けた。




 しばらくして、ようやく笑い止んだ僕は疲れたようにつぶやいた。


「だけど君は、一つだけ間違えている。あの人って……、そんなにいい奴じゃあないんだぞ。後で文句を言ってきたって、僕は知らないからな」







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