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第11話 メガネなオタクがクライマーとは限らない

(よかった。何とか間に合った)


 無事にアニメDVDを手に入れられたことにホッとしながら、僕は夜の山道で自転車を必死にこいでいた。


「それにしても……。行きは……ハアッ……遅刻しなくて……助かるんだけど。帰りは……ハアッ……何とかならない……ものかな」


 台地の上にある郊外の住宅地と、駅前を含む中心街とを結ぶ長い坂道は自転車通学にとって鬼門だった。

 だけどバス代を浮かせて趣味に費やすためには、耐えねばならない苦行と受け入れるしかなった。

 そんな僕の横を、ブロロロッと排気音を響かせながらバスが追い抜いていく。


(うぐっ)


 バスが段々と小さくなってカーブの向こうへと消えていくのを僕はうらめしげな目で見送った。

 するとしばらくして、不意にキキーッという激しい音に続いてガシャッという大きな音が前方から響いてきた。


「な、なんだ? 何が起こった!?」


 不穏な気配に、僕はこれまでの疲労も忘れて懸命に自転車を飛ばす。

 カーブを曲がり傾斜のゆるやかな直線に差し掛かったところで僕は思わず立ち止まった。


「なんだよ……これは」


 そこにはさっき僕を追い抜いていったバスが、横倒しで道をふさぐようにして転がっていた。




 街灯の薄明かりに照らされたバスは、普段なら決してお目に掛かることがないはずの黒い底部をこちらにさらしていた。バスの後部は、左手の山側斜面の木々の中に半ば埋もれるように突っ込んでいる。

 その非現実的な光景をの当たりにした僕は、誘われるようにしてバスに近づいた。

 右側の反対車線のガードレールとバスとの間を抜けて前方に回り込む。

 そこで自転車を止めて振り向くと、ひび割れ半ば崩れ落ちたフロントガラス越しに、シートベルトで宙吊りになった運転手の姿が間近に見えた。


「だ、大丈夫ですか!?」


 自転車をその場で乗り捨て、僕はあわててバスに近づいた。残っているフロントガラスを足で踏み倒し、ワイパーをくぐってバスの中に潜り込む。

 運転手はシートベルトで座席に縛り付けられるような形でちゅうに浮いていた。事故の衝撃でベルトが変に締まったのか、どうやら気絶しているようで僕が近づいても何の反応も見せない。


(まずいな。何とかして降ろさないと)


 それにはシートベルトを外すしかなかった。

 僕は上方に手を伸ばしてイジェクトボタンを押したが、ベルトに体重が掛かっているせいか何かに引っかかったように外れてくれない。

 仕方ないので運転手の体を左手で押しのけるように支え、そのすきに思い切りボタンを押すことでようやくベルトを外すことに成功した。


「うわっ」


 シートベルトという支えを失い、ドサッと落ちてきた運転手の体を僕はあわてて受け止めた。

 だけどこのままでは横に寝かせられるだけの空間もない。僕は運転手の体を引きずるようにして外へ引っ張り出した。

 そうしてアスファルトの上に運転手を寝かせ、顔の上に手をかざしてみると吐く息が手に当たる。


「よかった。生きてる」


 それでようやく一息ついた。

 僕は改めて横倒しになったバスを見た。暗く沈んだ車内の奥から、かすかに助けを呼ぶ声が聞こえてくる。


「まだ中に……人がいるってことか」


 ゴクリとツバを飲み込むと、僕は再びバスへと足を向けた。




「た、立てますか?」


 車内に戻った僕は、運転席から少し入った所に倒れていた大学生風の青年を助け起こしながらそうたずねた。


「あ、ああ……」


 青年はふらつきながらも、横倒しになった座席の間を自分の足で立ち上がった。


「痛ッ!」


 今や足元だけでなく、頭の高さにも横から設置されることになった座席に頭をぶつけて青年がうめく。


「気を付けて下さい。バスが横倒しになっています」


 僕が注意すると、青年は痛みをこらえながら了解という風に片手を上げた。


「動けそうですか」


「……ん? ああ、それは何とか」


「ではすみませんが、そこのおばあさんと一緒に脱出してもらえますか? この状況ではお一人で外に出るのが難しいみたいなんです」


 僕が座席の間にぐったりと座っている老女を示すと青年は頷いた。


「分かった。そうするよ」


「ありがとうございます。では、僕はもっと奥を見てきます」


 そう言ってその場を離れようすると、僕は不意に青年に呼び止められた。


「と、ところで君。警察や救急は、まだ時間がかかりそうだったかい?」


 青年の何気ない問いに、僕は頭を殴られたような衝撃を感じた。あまりのことにその場にへたり込みそうになる。

 だけどすぐにそんな場合ではないと思い直した。


「す、すみません……。そのことに……気付いてませんでした。すぐに、連絡します」


 搾り出すように言うと、僕はスマホを取り出そうと上着の内ポケットに手を入れた。

 だけど動揺していたからか、取り出そうとしたスマホはスルリと僕の手から滑り落ち、足元でカツンと跳ねて転がっていった。


(な、何をやってるんだ僕は!)


 度重なる不手際に僕は自分を呪い殺したくなった。急いで今や床となったバスの側面にしゃがみ込む。

 暗がりに目を凝らすと、スマホは近くに転がっていた。

 あわてて伸ばした手がスマホをつかんだ時、再び青年の声がした。


「い、いやいいんだ。それなら、通報は僕からしておくよ。だから君は、まだ奥にいる人を見てやってくれないか」


 気遣うようなその声に、僕はスマホを強く握り締めながら悄然しょうぜんと立ち上がる。


「……分かり、ました」


「ああ。じゃあ悪いけど、後は頼んだよ」


 青年は気まずそうに言うと老女を背負い、片手で自分のスマホを操作しながらバスの前方に向かってゆっくりと歩いていった。

 そんな彼の背中を見ていたくなくて僕はうつむいた。

 すると、スマホを握る右手に何かヌルつくものがしたたっていることに気が付いた。どうやらあせって拾おうとした時に、今や床となって広がる窓の割れたガラス片で手を切ったようだ。

 スマホケースに取りつけたストラップの先端からポタポタと赤い雫が垂れるのを眺めながら、僕は自嘲するようにつぶやいた。


「有明の……、イベント会場限定のストラップだから。多分、もう二度と手に入らないんだろうな」


 僕は無事な左手で台無しになったストラップを掴むと、一気に根元から引きちぎった。それでようやく少し気が晴れた。

 それをスマホと一緒に胸ポケットに押し込み、バスの奥を振り返って僕はうつろに笑った。


「フフッ。さあ、あと何人いるんだ?」







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