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第10話 店内はディラックの海

 授業も終わり帰ろうとした時、スマホに着信があることに僕は気が付いた。嫌な予感がしながら表示させると、そこには1件のメッセージが入っていた。


『放課後、カラオケの練習に付き合いなさい。駅近くのカラオケ屋に先に入って私に部屋番号を知らせること』


 思わず斜め後ろの席に座る小湊玲奈の方を振り返ると、彼女は女友達とにこやかに談笑していてこちらには目もくれない。ただし、その会話の内容の方はかなり不吉だった。


「そうなの、ごめんなさい。今日はこれから小学校時代のお友達と会うことになってて」


「やだ、初恋の人とかそんなのじゃないってば。もう、ただの腐れ縁よ」


「どうしても相談したいことがあるって言うから、ちょっと断り切れなくて」


 これはあれだろうか。僕ももう断れない流れだろうか。


(くそっ、今日は楽しみにしてた劇場版アニメDVDの発売日なのに!)


 予約済みなのでその筋のショップにこのまま直行して受け取ろうかと思っていたのだが、どうやらそれは難しいようだった。


(……仕方ない。こうなったら、こっちから先に終わらせるしかないか)


 指定されたカラオケ屋に向かうべく、僕は教室をソッと抜け出した。





「お待たせ。待った?」


「ああ待ったさ!」


 人生初のカラオケ屋に一人で入り、よく分からない受付をドキドキしながら済ませるという高難度ミッションをこなして待つこと20分。ようやく彼女がやってきた。


「ごめんごめん。友達がなかなか放してくれなくて」


 なおも僕がジト目で睨んでいると、やっと彼女はばつの悪そうな顔をした。


「わ、悪かったわよ。無理に付き合わせてるわけだし、ここのお金は私が持つからそれでいいでしょ」


 そう言い捨てると、早速なにやらテーブルの上の機械をいじりだした。




 彼女が1曲目を歌い終わった。

 部屋に静寂が戻る中、僕がどうしたものかと戸惑っていると彼女がその機先を制する。


「分かってるの! 決してうまい方じゃないことは分かってるのよ!?」


(いや、どちらかといえば下手なんじゃ……)


 カラオケが初めての僕でも分かる程度には彼女の歌は微妙だった。

 具体的に言うと、音程をかなり外していた。


「だからね、だから事前の入念な選曲と練習が欠かせないの。でも一人カラオケなんてちょっと恥ずかしいじゃない。そ、それで今日はぼっちで暇人なあんたを誘ってあげたのよ」


 必死に言い訳をする彼女を、僕は生暖かい目で見守った。なんというか、少しいい気分だった。


「まあ、歌くらい少し下手でもいいんじゃないかな。人間なにかしら欠点があった方が親しみやすいし」


「い、いいわけないでしょ!? 私の完璧なイメージが崩れちゃうじゃない!」


「そうかそうか。猫を被るのも大変だなあ」


 僕が同意したにもかかわらず、彼女の機嫌はなおらなかった。


「な、なによなによその上から目線は! そんなに言うならあんたも何か歌いなさいよ。どうせあんたのことだからカラオケなんて初めてなんでしょ。いいわよ、私が審査してあげるわよ」


 なぜかお鉢がこっちに回ってきた。とんだとばっちりというか、ほとんど八つ当たりだ。


「ぼ、僕は大して何も言ってないじゃないか!」


「う、うるさいわね。ここは私のおごりなんだから、あんたには私の命令を聞く義務があるのよ。それにほら、ドリンクにももう口を付けてるじゃない」


(な、なんたる横暴……)


 そう思ったものの、どうせ最後には暴行未遂の件をちらつかせて歌わされるに決まっていた。


(仕方ない。ここは何か適当に歌ってお茶を濁そう)


「あ、いっとくけど童謡とかで誤魔化すのはナシだからね」


(なら一体僕に何を歌えと!?)


 自慢じゃないが、流行の歌なんて僕は何も知らない。分かるのはアニソンくらいだ。


(いや、待てよ。そういえばアニメの主題歌でも最近は街で流れていたり、年末の歌番組に出場して話題になってたりする奴があるよな。ようはJ-POPが主題歌になっている奴を選択すればいいわけか)


「分かったよ、小湊さん。じゃああのグループの歌を歌いたいんだけど」


 僕は彼女の指示に従いながら機械を操作して、何とか目当ての歌の予約を完了した。


「い、意外ね。あんたがそんな流行りの歌を知ってるなんて」


「フッ、これくらい一般常識だよ」


 けれど、イントロが流れ始めたところで僕は愕然がくぜんとした。


(な、なんでアニメの画像が流れているんだ!? はかったな、DOM!)


 思わず「初心者だからさ」と自分にツッコミかけたが、そうこうするうちにも曲がどんどん始まっていく。僕は動揺を押し殺しながらあわてて歌った。

 そうしてなんとか歌い終わった僕は、ドッとソファに崩れ落ちる。真っ白に燃え尽きていた。

 僕は、放心しながら彼女の審判を待った。


「ふ、ふ~ん。ま、まあまあじゃないかしらね」


 彼女の声は、なぜか少し悔しそうだった。

 僕がよろよろと顔を上げると、彼女の頬がピクピクとひくついていた。


「で、でもこの歌、前によく流れてたけどあのアニメのだったのね。もしかしてあんた、まだアニメとか見てるの?」


 その言葉に僕はかすかな希望を見た。これならまだ誤魔化せるかもしれない。


「い、いやあ。この歌があのアニメの第三期オープニングだなんて、僕も全然知らなかったなあ」


「第三期とか……、そこまで知らないわよ」


 彼女がちょっと引いていた。


「ま、まあいいんじゃない。私もマンガくらい読むし、あのアニメも確か原作は人気マンガでしょ」


「そうなんだよ! 昔から読んでたから、や、やめられなくて」


(よし、何とか誤魔化せた!)


「だけど、まさか怪しいフィギュアとかまで持ってないでしょうね。ガチオタだとさすがの私もドン引くわよ」


「ま、まさか。そ、そそそそんなことあるわけないじゃないか」


 僕はあらぬ方向へ視線をさまよわせる。


「ふんっ。どうだか」


 だが彼女は、それ以上追求することもなく次の曲を選び始める。

 そしてその合間に、「どうしてあいつがあんなにうまいのよ。不公平だわ」とか、「絶対私と同じかもっと下手だと思ったのに。これじゃバカにできないじゃない」という悔し気なつぶやきが聞こえてきた。

 どうやら彼女は、僕の歌が自分よりうまかったことの方がよほどショックだったようだ。


(た、助かった……)




 彼女は同じ曲を何度も歌ったり、振り付けをスマホで確認してはそのとおりに踊ったりしていた。そしてその合間に、思い出したように僕に歌うことを強要してくる。

 仕方ないので僕は同じアニメの違う期の主題歌を歌った。その方が別の地雷を踏んで傷口を広げなくて済む。

 そしてそのたびに彼女は「日下部のくせに……」と不穏な様子でつぶやいていたが、僕は聞こえないフリをした。

 しまいには何か他にレパートリーはないのかなどといちゃもんを付けてきたが、「テレビはあまり見ないんだ(ただしアニメは除く)」と誤魔化した。

 そうこうするうちに壁の電話が鳴った。


「はい、もしもし」


 近くにいる僕が取ると、フロントから延長の確認だった。

 実は既に2回延長しており、テーブルには(主に彼女がぶつくさ言いながら食べ散らかした)ポテトフライやピザの皿まで転がっていた。

 これ以上の延長はもう日もとっぷりと暮れていろいろと危険だった。そう、特にアニメDVDを予約したショップの閉店時間的に……。


「延長は結構です。もう帰りますから」


「ちょっ、あんた、何勝手に決めてるのよ!」


「いや、もう遅くなるし。さすがにそろそろ帰らないとマズいだろ」


(それに、今ならまだ店に間に合うんだよ!)


 心の中でそう叫びながら僕は彼女に聞き返す。


「そっちこそ、バスの時間とか大丈夫なのか?」


 すると彼女はカバンを何やらゴソゴソとし出した。そして何かを確認する。


「あと、20分くらいで出る」


「ならちょうどいいじゃないか」


「う~ん。まあ、そうね。じゃあ、今日はこれでおひらきにするとしましょうか」


 仕方なく、という感じで彼女はうなずいた。

 それを確認すると僕はテーブルの上に千円札を置いた。


「僕の分はここに置いておくよ。ドリンク代くらいにはなると思うから」


 無理矢理付き合わされたとはいえ、完全におごられるのは何だかしゃくに障る。

 僕はカバンを取って立ち上がった。


「あ、まだあと10分あるでしょ!? まさかこの私を置いてく気? この薄情者!」


 出口へ向かって歩き出す僕に、わがまま娘が何か勝手なことを言っていた。

 僕はうんざりとした顔で振り返る。


「一緒に店を出るところを誰かに見られたらどうするんだよ……」


 彼女がアッという顔をした。

 どうやら前に自分が言ったことをすっかり忘れていたようだ。油断大敵というか、気を抜き過ぎである。

 というか本当に早くしないと、アニメDVDが閉店時間の海に飲み込まれてサルベージ不能になってしまう。ここは彼女の都合に強引に干渉してでも行動を急ぐ必要があった。


「それじゃ」


 そうして僕は、ようやく彼女の支配する絶対的な領域から脱したのだった。







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