第1話 ガチオタ自室に立つ
「日下部君は少し言い方が厳しすぎじゃないかな。みんなはどう思う?」
まだ成長期前で、少年のようにも見える女の子が突然そう言いだしたのが全ての始まりだった。
その言葉で、教室の空気が一気に変わるのを僕は感じた。
「そ、そうだぞ日下部! お前は厳しすぎるんだよ!」
「そうよね。いつもとっても偉そうだし」
「自分が頭良いからって俺らを馬鹿にしてるんだろ!」
自習中にもかかわらず騒いでいた連中を注意して、やっと静かになった教室が前にもまして騒然となる。
(静かに自習しなさいっていう先生の言いつけを守らないお前らが悪いんだろ! 僕は委員長の役目を果たしているだけだ!)
込み上げてくる怒りを押し殺しながら僕は彼らに向かって反論する。
「い、今は遊びの時間じゃないんだ。だから静かに先生の配ったプリントしなきゃいけないと僕は言ってるんだ。勝手なことを言ってないでさっさと自習に戻らないか」
だけど、教室は一向に静まらない。最初の女の子が更に周囲を煽ったからだ。
「その一方的で上からな言い方が良くないって私は言ってるの。ねえ、みんな」
その言葉で僕に対する非難の声は一層激しくなっていく。
「委員長横暴~」
「この冷血人間!」
「ヤな感じ」
もはや制御不能となっていくクラスの喧噪の中で、僕は一人孤立するしかなかった。
そんな僕にできたのは、クラスの連中を必死に睨み返すことだけだった。
やがて僕は、この狂騒に染まっていない子が一人だけいることにふと気付く。それは僕に対して最初に声を上げ、更に周囲を煽ってみせたあの女の子だった。
(お前が勝手なことを言ってみんなを煽動するから!)
くやしさを込めて睨みつけると、すぐにその子も僕の視線に気付いた。キョロキョロとあたりを見回していたのをピタリとやめ、僕の目をのぞき込むように見つめる。
そして次の瞬間、その子はわざとらしい作り笑いを僕に向かって浮かべて見せた。
それで僕は悟った。僕はこの女の子にハメられたのだと。
その子は男女問わず活発に遊んでいて、人気があることは僕も知っていた。顔立ちも明るく整って、いかにも人を惹きつける魅力にあふれている。
だけど成績の方は僕ほどいいわけではなかった。だから委員長はクラスでダントツに成績が良かった僕に決まった。
(それが目障りだったということか。正攻法では勝てないからって、こんな卑怯な手に打って出るなんて!)
結局、嫌気がさした僕がこんな連中の委員長なんかしてられないと先生に言い放ってその座を投げ出すと、後釜にはその女の子が据わった。
しかしその途端、勝気な性格は鳴りを潜めて今度は静かに、そして巧妙にクラスを支配しようとし始める。
時に少年のように見えた外見も、それにつられるように髪を伸ばし始め徐々に女らしく成長していった。
卑劣なやり方で権力を奪取した彼女が、それを偽りの平穏で覆い隠しながらうら若き女王として君臨していく様を、すっかりクラスで孤立した僕は苦々しい思いで傍観するしかなかった。
そして彼女は、そんな僕を憐れみを込めた目で時折見つめた。
その度に僕は屈辱と敗残の無念さに胸を焦がすのだが、もはや勝敗は決している。ここで感情的になってわめいたところで状況は悪化しかしない。
僕にできたのは、ただ彼女を無視することだけだった。
そうするうちに次の学年では別のクラスになり、中学は違ったため、もう僕の人生にあの子が登場することはないだろう。おそらく永遠に。
「……また、あの夢か」
あの出来事を夢に見るのは久しぶりだった。おかげで寝起きの気分は最悪といえた。
「思い出したくないものだな。自分自身の、若さゆえの敗北というものを」
(というより、あの魔女の存在をか)
重いため息をつくと、僕は少し離れた本棚に置いてある目覚まし時計を見た。いつもより少し早かったけれど、もう起きていておかしくない時間だった。
仕方なく上体を起こすと、そばの机の上に置いてある黒縁のダサいメガネを掛ける。
だけど、僕の視界は少しもクリアにならなかった。
当然だった。僕が掛けたのはただの伊達メガネだからだ。
小学校時代のあの一件は、まだ幼く傍若無人だった僕に幾つかの教訓を残していた。
其の一 出る杭は打たれる。
其の二 大衆は愚かで扇動されやすく、残酷な娯楽に飢えている。
其の三 女には裏の顔がある。
小学生の身で骨身にしみるのはどうかと思われるこれらの教訓の結果、それまでトップだった僕の成績はみるみる急降下した。他人にねたまれたり悪目立ちするために高得点を叩き出すのが馬鹿らしくなって、手を抜くようにしたからだ。
もちろん手を抜き過ぎて赤点を取ってしまうのはマズいので、さじ加減にはそれなりの注意が必要だった。
いやむしろ、平均点を瞬時に予想していかにそれを正確に仕留めるか、ということだけが僕のテストでの楽しみになっていく。
ただ、難しい文章題を完璧に解いて序盤のサービス問題をわざと間違えて調節した時は、さすがに先生が妙な顔をしたのでやり過ぎは禁物だった。
クラスで目立つ発言や行動など一切するはずもなく、面倒な人間関係や新たな優劣が発生する部活になんか入るわけがない。
目つきが悪く冷たいと見られがちで無用な反感をあおりかねない顔は、ダサい伊達メガネとボサボサに伸ばした前髪で隠した。
そうして若者らしい活発さとはまったく無縁の、陰気な高校2年生に僕はなっていた。
いや、影響はそれだけに留まらない。
現実世界に深く絶望した僕は、その代償を小説を始めとした仮想世界に求めるようになっていく。
元より児童文学を片っ端から読破していた傾向には更に磨きが掛かることになり、いつしか僕の部屋にはSFやミステリ小説だの、マンガだの、ゲームだの、ラノベだの、アニメのDVDだの、美少女フィギュアだので溢れかえるようになっていた。
そうして何か目を見張る虚構に出会えた瞬間だけ、虚無と諦観に満ちた僕の心は震えた。
「まあ、あまりここでこうしていても仕方ないか」
苦い回想を打ち切って本棚の目覚まし時計に再び目をやると、もうかなりいい時間になっていた。
「まずいな。こいつ……動くぞ!」
僕は慌ててベッドから部屋に降り立ち、目覚まし時計の停止ボタンを素早く押すことでその起動を阻止する。
安堵した僕は、ついでに隣に飾ってあったお気に入りのフィギュアに向かって「おはよう」と声をかけてから、この6年間ですっかり変貌した部屋を後にした。




