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霜ばしら

作者: 長坂 美由紀

 乾いた寒さが鼻の奥に、きん、と痛みを感じさせるようになると、僕は決まってあの甘さを思い出す。


 僕は鬱を患っていた。

 実家の自分の部屋から、むしろ布団の中から一歩も出なかったあの頃、僕を訪ねて来たのは彼女だけだった。

「ハロー」

 能天気なほどの明るさで、彼女は度々やって来た。

「ご機嫌いかが?」

 良いわけないのに毎回聞く。同じ調子で、何度でも。

「今日のお土産はねー」

 鞄から取り出している姿を、布団の端から少しだけ覗く。薄暗い電気の下、つやつやした黒いポニーテールが揺れている。

「辛子蓮根チップスだよ!」

 にんまり笑って威勢よく袋を開けた。微かに刺激臭がする。

 薄く揚げられた蓮根を口元に寄せられて、仕方なく頬張ってみせる。

「……なにコレ、辛……」

「でしょ?刺激が欲しいかと思って!」

僕はむせているのに、彼女はあっけらかんと笑う。

 彼女と出会ったのは高校の時。僕の所属する日本地図部と、彼女の土産部の合併が最初だ。部員は合わせても二人きり。

「また来るねー」

 大学に入ってすぐ鬱になった僕の噂を、どこから聞きつけたのか知らない。ある日、彼女はここへやって来た。いつも、どこかの名産品を持参して。


「ハロー」

 冬の、特別に寒い日。彼女はやってきて

「ご機嫌いかが?」

いつものようにお土産を広げた。

 丸い缶の蓋を丁寧に開ける。布団から見ていた僕は、思わず声を上げた。

「なに、それ?」

 僕の問いに、彼女はいつもより得意そうだ。

「霜ばしら、っていうの。綺麗でしょ?」

 缶の中には、雪のようなさらりとした白い粉が満たされている。

 彼女はその粉を、そっと蓋にあけた。

 すると、立てて敷き詰められている小さな板が現れた。

 彼女の指が丁寧にその一枚を引き抜く。

 粉の中から現れたそれは、白く濁った薄い層が重なっている、一枚の飴細工だった。

「はい」

 口元に持ってこられ、思わず従順に口を開いた。

 舌にのせると、静かに音を立てて溶けていく。微かに甘い。

「霜柱はね、飴よりも粉の存在が一番重要なの。モノゴトって、守られてる方が良い味だすのよ」

 口の中で霜が割れるように飴が溶けていく。

 僕は急に、泣いてしまった。 

 ――守られているのは、分かっているんだ。

 彼女の冷たい手が、僕の髪を撫でる。

 楽しい話も出来ず、ろくに風呂にも入れず、彼女も当然家族も、不快な思いをしているに違いない。

 それでも、守ろうとしてくれていること。

 良くわかっているんだ。

 僕は泣いた。

 声を出して、泣いた。


 気が付いたらカーテンの外が白んでいて、寝てしまったようだった。

 彼女の姿はもうない。机の上に、丸い缶が見えた。

 僕はゆっくり布団から出て、缶の蓋を開ける。

 白い粉で満たされた隙間から、飴が覗いていた。

 カーテンを開く。

 久しぶりにあけた光に目がくらみ、それでももう一度目を開けると、外は一面の雪模様だった。

 窓を開ける。

 冷たくて澄んだ空気が、鼻の奥につん、と痛みを呼んだ。

 僕はそっと、霜ばしらを引き抜く。

 舌の上で静かな音をたて、僅かな甘さを残して溶けていった。


 僕は今、働いている。彼女と合同で、ツアーを組む会社を経営している。小さいながらも、珍しいお土産やツアー内容で、最近では申し込みが後を絶たない。彼女が大事に守ってきたプランだ。

 そう、大事に守れば守るほど、きっとそれは、輝く。

 だから今度は、僕が彼女を守っていきたいと思う。

 霜柱の、あの、雪に似た白い粉のように。



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