第95話 炎の騎士は務めを果たす
交換日記[筋肉神]
お乳と大胸筋の境目に立つ胸の持ち主が、旅の仲間になった。
我が娘くらい完璧な大胸筋に仕上げてからにして欲しかったところだ。
ティルスさんのロングソードが、メルさん赤いロングソードに弾かれ、ティルスさんが大きく後退しました。
「……魔王の剣ってのは、軽いなあ」
メルさんのロングソードの刀身が、言葉と同時に炎に包まれます。
アデリナが早口で教えてくれました。
「炎の魔法剣だ。それにメルは火精サラマンダーを体内に宿している」
メルさんが炎の剣を腰溜めに引き、赤い視線を鋭くティルスさんへと向けます。けれどもティルスさんは別段気圧されるでもなく、淡々と口を開けました。
「剣に重さが必要とお思いか。剣は軽く、薄く、鋭ければそれでいい」
次の瞬間、ナマニクさんの背中を蹴ったかと思えば、ティルスさんのロングソードはメルさんの頬を浅く斬り裂いていました。
目にも止まらぬ早業――!
けれども、メルさんはちゃんと反応していました。首を素早く倒していたのです。そうしなければ、ティルスさんの刃はメルさんの脳まで達していたでしょう。
「あの魔王なら、きっとそう言うんだろうな。何せガリッガリに痩せこけていたからな」
苦い笑み、浮かべて。
気づけば、ナマニクさんの周囲からハルピア族の姿が消えていました。後方を確認しても、小さな点が追ってきているだけです。
鎧竜の飛翔速度に追いつけず、引き離し始めていたのです。
ナマニクさんはさらに速度を上げ、北西へと風を切って進みます。
「どこを見ている? 仲間がいなければ不安か?」
メルさんが炎の剣を上段にかまえ、振り下ろします。
ティルスさんはそれを背面跳びのような体勢で身をひねって躱し、後方宙返りをしながらロングソードの刃をメルさんの頭部へと叩き下ろしました。
兜割り――!
メルさんは体勢を傾けることで鎧の肩当てで防ぎ、炎の剣で空を薙ぎます。けれどそのときにはもうティルスさんはそこにいなくて。
だめ!
「メルさ――!」
「ハァ!」
平蜘蛛のように鎧竜の背を這ったティルスさんの刃が、メルさんの脚へと薙ぎ払われていました。
「~~ッ!」
けれども、視線はまだ追いついていないにもかかわらず、メルさんは鎧の足甲を持ち上げて、刃を正面から蹴り返します。
超反応!
甲高い金属音が鳴り響き、火花が大量に散りました。
ティルスさんが弾かれたように数歩後退します。
対するメルさんは、鎧竜の背を堂々とゆっくり歩きます。まるでティルスさんを、じわじわと追い詰めるかのように。
「わたしには戦いの才能がなかった。いや、それ以前に覚悟もか。女を完全に捨て去れるほど膨れあがる筋肉を受け容れる勇気はなかった」
わかります! 超わかります! ですよね! ねえ聞いてる、筋肉神? 聞いてたら今すぐ死ね!
「結果、力は二流。そして剣を振るう才能もなく、剣速などは並のままだ。なのに地位ばかりが上がる。嫌になるね、ほんと」
彼女の名誉のために言いますが、決してそんなことはありません。
このレアルガルドに来て、わたしは様々な剣を見てきました。ですがメルさんの剣閃は自虐するほどの遅さではありません。むしろ、かなり速いほうです。
手練れの冒険者よりも、海賊よりも、ごろつきよりも、聖堂騎士よりも、女系の戦闘民族よりも、ずっとずっと速いです。ずっとずっと鋭いです。
ただ、彼女の周囲には魔王を名乗る侍や、気持ち悪い筋肉をしたハゲ勇者、そして性別が倒錯してる剣聖までもがいた。
それだけのこと。それだけのことなのです。
……あらためて考えると、まともな人とかかわってないですね、この人。
「おい、七宝蓮華、アデリナ・リオカルト」
「はい」
わたしは腰を落として拳を握りしめます。
準備は万端。氣を練る時間は十分にありました。
ですが。
「手を出すんじゃないぞ。おまえらを五体満足で魔王の元へ運ぶのがわたしの騎士としての使命だ。矢面には立つな」
「え……」
意外な言葉に戸惑ったわたしへと、メルさんが視線を向けて口もとを歪めます。
「バカが。騎士に恥を掻かせるなと言っているんだ」
その言葉に、アデリナがわたしの肩に手を置きました。
「わかった」
メルさんは自分で言うほど弱くはありません。それは、わたしから見てもです。
ただ、それでも――。
ただそれでも、目で追うことさえ困難だったグラノスさんの雷の剣技や、この魔王の剣であるティルスさん、言わずもがな魔王の剣閃と比べれば……数段劣ることは、たしかなのです。
わたしには、メルさんが近い未来に膝をつく光景がすでに見えている気さえしました。
メルさんがティルスさんに向き直り、続けます。
「わたしには、魔王が使っているような無数に存在する剣の軌道を体得することはできなかった。剣技とて、リリフレイア聖鉄火騎士団のものを極めるだけで精一杯だ」
「何が言いたいのです?」
ティルスさんが肩越しにすぅっと、剣の切っ先をメルさんへと照準します。
静かに、穏やかに。ともすれば、かまえたことにさえ気づかれないほど、自然に。
けれども、鳥のかぎ爪が鎧竜の背を強くつかみ、膝が曲げられた瞬間。
「平正眼の構え、一本突きだな。やめておけ。わたしには効かない」
「……ッ!?」
あからさまにティルスさんの顔色が変化しました。
「おまえと同じだ。わたしも以前、ほんのわずかな期間だが魔王に剣を教わったことがある。神技すぎて、結局何も得ることはできなかったが、それでも知識にはなった。何年も何年も頭で考えて編み出したんだ」
メルさんが左足を前に、両手でつかんだ炎の剣を、斜め上段でぐぐっと引き絞ります。
「――魔王の神技に、対抗する術を」
「……できるわけがない。魔王様の剣が、貴女の剣や鎧などで防げるものか!」
メルさんが大きく目を剥いて、口もとに禍々しい笑みを浮かべました。
「ならば試してみるか?」
動揺。ティルスさんに動揺が見えた瞬間、メルさんが剣を袈裟懸けに薙ぎ払いながら飛びかかります。
炎の――炎色の軌跡が鎧竜の背で閃きました。
ティルスさんはそれをかいくぐってからバックステップで距離を取り、踏み込みと同時に一本突きを繰り出します。
メルさんの喉を狙って。
「ハァァ!」
肝を冷やしました。だって、どう考えたってもう回避は間に合わない。横から彼女を救うことだってできない。そういうタイミングだったから。
なのに、メルさんは。
なのにメルさんは、さらに踏み込むのです。一本突きの切っ先が十分にのびきらないうちに距離を詰め、切っ先の軌道が決まらぬうちに、戦乙女隊の紋様の入った鎧の左胸でそれを受け止めるため。
ギンッ、と鋭い音が響きました。
必殺の刃は、鎧の左胸で止められていました。
ティルスさんの瞳が見開かれます。
「く……ッ!?」
あるいはティルスさんの一本突きを繰り出した腕が最後まで伸びた状態でならば、メルさんの鎧を突き破る威力だったかもしれません。
けれどメルさんは、その威力が発揮される前に自ら切っ先へと踏み込むことで、あえて心臓を差し出すことで防いだのです。
彼女は正気とは思えないやり方で、魔王の必殺剣を防いだのです。
「魔王に教わらなかったか? やつのような侍ってのは、死中に活を見出すんだそうだ。そうして戦い続けりゃ、いずれ痛みも快楽へと変わっていく……ってな」
そう呟いた直後のことでした。
メルさんはティルスさんの片方にだけ残った白い羽根をつかみ、鎧竜の背を蹴ったのです。遙か眼下の地面へと向けて。
これにはわたしもアデリナも反応できませんでした。
「お――ッ!?」
「待――っ」
手を伸ばす余裕もなく、メルさんがティルスさんの羽根をつかんだまま落下していきます。風の結界に、空へと弾き出されて。
「行けッ、七宝蓮華ッ!! 一度だけ目を瞑ってやるッ!!」
そんな短い言葉を、わたしたちへと残して。
ティルスさんの羽根をつかみ、自由落下しながらも、一体の眷属と一人の騎士は互いの剣で打ち合います。
地面に辿り着くまでの間に何度も何度も火花を散らし、魂の限りに叫び、命を懸けて。
その姿はあっという間に遙か後方の眼下へと吸い込まれるように消えていって……。
「戻って、ナマニクさんッ!! 戻りなさいッ!!」
――グアアァ!
ナマニクさんが下半身を前方へと振り上げ、翼を大きく広げて空中で減速します。
「だめだもう間に合わんッ! 進め、ナマニク! ハルピア族を振り切るのは今しかない!」
――グウゥゥ……?
「アデリナッ!」
「落ち着け、蓮華! メルの言葉を聞かなかったのか!? あいつは一度だけと言った! 次があるんだッ!」
「で、でも、どうやって……?」
こんな高度から落ちたら、わたしだって助かりません。それにティルスさんは片羽根。彼に飛行能力が残っているとも思えないのです。
「知らん! だが、とにかく今はメルを信じろ! あいつは決してヤケになったわけじゃない! 間違いなく冷静だった! ――リリフレイア神殿を裏切ることなく、あたしたちに黒の石盤遺跡へと近づくチャンスをくれたんだからな」
あ……。
目を瞑るって、そういうこと……?
「今戻れば、すべて台無しだ。無策ならあいつはとっくに手遅れだし、策があるならそれをあたしたちが自分の手で壊すことになってしまう。進むしかないんだ」
「……わかり……ました……」
アデリナがわたしを元気づけるように、肩へと腕を回してくれました。
「大丈夫。あたしは信じてる。メル・ヤルハナは嫌なやつだが、頑固者で筋は通す。あの魔王の剣ティルスを相手にあたしたちの助力を拒絶したのも、最初からおまえに石盤遺跡の真実を教えるためだったんだ」
「はい」
わたしは喉を鳴らして唾液を飲みます。そうして、いつの間にかうつむいていた顔を上げて。
「行きましょう! 黒の石盤遺跡へ!」
「進め、ナマニク」
ナマニクさんが再び大きな翼で空をつかみ、長い首を大きく下げてから一気に加速していきます。
もう、後方からはハルピア族の気配も完全に消えていました。
こうしてわたしたちは魔王の剣の追撃を躱し、どうにか辿り着くことができたのです。
――黒の……石盤遺跡に……。
交換日記[魔法神]
だがもういなくなったですぞ?




