第86話 聖女は告げる、残酷に
交換日記[筋肉神]
娘よ、もはやおまえは立派な筋肉聖女だ。
アリアーナ羽馬騎士団の方々が空から次々と降下してきて、ナマニクさんごと、背中に立つわたしとアデリナ、そして宝石の剣を持ったとても美しい女性をも取り囲みます。
大地をぐるりと数百騎、上空に数千騎待機して。
「……ッ」
「詰みましたね」
これではもう逃げることはできないでしょう。肉体の重い鎧竜が飛び立つには、どうしても助走が必要なのです。むりやり踏み潰して助走をつければ飛び立てるかもしれませんが、あちらもこちらも無傷でというわけにはいかないでしょう。
それに、アリアーナ神権国家には喧嘩を売りに来たのではありません。黑竜戦に於ける助力を仰ぎに来たのですから。
「やれやれ。統率の取れた軍だな」
アデリナがため息をついて両手を挙げました。わたしもそれに倣います。
さすがにこの状況でなら、問答無用で串刺しにされることはないでしょう。連行くらいでしたら甘んじて受け容れましょう。
というか、各国でしょっちゅう連行されてますからね、わたしたち。逮捕されることに慣れました。悲しいことに。刑務所常連ですよ、ほんと。こんちくしょう。
すぐにでも騎士様たちが捕らえに来るかと思いきや、彼らはわたしたち――というよりナマニクさんを包囲したまま、身動き一つ取りません。
怖じ気づいているわけではないようですが……。
「あなたたちはなんという神に仕えているのかしら」
わたしは視線を目の前に立った綺麗な女性へと戻し、頭を振ります。
「わたし、聖女じゃないです。魔法少女だから」
「あたしも剣士だしな。認めんぞ、断じて」
「あら?」
女性はしなりと首を傾げました。
「でも、神の声は聞こえて――」
「でももへったくれもありません! あんなゴリゴリマッチョの気色の悪い生物――生物? ……ええっと、物体は、きっと疲労が生み出した悪夢か幻覚かに決まってますっ! 神様であられるはずがありません! 絶対! 物体じゃなかったら怪物ですよ、怪物!」
アデリナが深くうなずきます。
「ああ、あれはたしかに少々行きすぎだな。あの筋肉では鎧すらまとえん。もっとも、あの偉大なお方に言わせれば、己が肉体こそが最強の鎧であるッ、とか言い出すのだろうけどな」
それ言いそう! てか、たぶん言ってた! いつも適当に聞き流すからおぼえてないけど!
どうやら不思議と、わたしとアデリナは同じ夢だか妄想だか幻覚だかを共有できてしまっているようです。ですがここは不思議の国のレアルガルド。何が起こったって不自然ではないのです。きっと、たぶん、だったらいいな。
「アデリナのところだって、出汁がらか骨みたいなおじさんじゃないですか。顔色はいっつも血の気の失せた土気色ですし。けれど、あの方のすっごい魔法には憧れますね。できないことって、ないのかな」
「いや、まったく憧れない。あんなものは胡散臭い手品に過ぎん」
この激しい落差よ……。せめてわたしとアデリナの幻覚が逆だったなら、まだ救いもあったでしょうに……。
わたしとアデリナが同時に深いため息をついた後、目の前の女性へと向き直ります。
「というわけで、わたしたちは聖女ではありません。認めません」
「そういうことだ。あたしは剣士。魔法など使えんからな」
なんだか苦笑いで口をぽか~んと開けていらっしゃいました。
「で、だ」
アデリナが両手を腰にあてて尋ねます。
「話の流れから推測するに、あんたがアリアーナの聖女レーゼだな?」
聖女レーゼ様は、気を取り直したようにふぅと息を吐いてこたえます。
「ええ、そうよ」
ですよね。他の騎士様たちとは、醸し出される雰囲気がまるで違っていました。清浄なのです。まるで超高性能空気清浄機のように、周囲一体を浄化してしまうのです。
その姿が、この声が、すべての仕草が。
とても綺麗。アデリナもとんでもない美人ですが、レーゼ様はさらに熟成された彼女の十年後のような柔らかな雰囲気を醸し出しています。それはたぶん、仕草の違いなのでしょう。
アデリナは容姿に反して、と~っても男前ですからね。
「紹介が遅れた。あたしは南方ドリイル地方、都市国家シーレファイスの第一王位継承者アデリナ・リオカルトだ。ゆえあって剣士をやっている。こっちは流れの怪力少女、七宝蓮華だ」
わあっ、心ゆくまでぶん殴りたぁ~い! あなたが泣くまで殴るのをやめなぁ~い!
ですが今、口を挟むのはよくないでしょう。
わたしは人知れず拳をギリィと握りしめました。野生の本能でしょうか。なぜかレーゼ様の白のペガサスとナマニクさんがぶるり、と身を震わせます。
落ち着け、動物ども。
一睨みすると、二体はきゅっと身を縮めます。
「わたくしはアリアーナ様にお仕えさせていただいている、レーゼ・ルシフォルよ」
強い風が、わたしたちの髪を舞上げます。
レーゼ様が自らの髪を片手で押さえながら、それまで穏やかだった瞳を鋭く変化させました。
「単刀直入に聞くわ。あなたたち、常闇の眷属との関係は?」
「ないな」
「ありません。むしろ今は敵対中です。ですが、これから作りに伺う予定ではあります」
羽馬騎士団の騎士たちがどよめきます。
当然でしょう。アリアーナ神権国家と常闇の国アラドニアは、戦争の真っ最中なのですから。
レーゼ様が訝しげな声色で尋ねます。
「……どういうことかしら?」
「どうもこうもない。あたしたちは貴国にも用がある。いや、貴国というよりは、あんた自身だ、聖女レーゼ・ルシフォル。同様に、正確には常闇の国アラドニアにも用はない。用があるのは魔王とその騎竜だ」
レーゼ様は唇に手をあてて視線を下げ、すぐさま上げて呟きます。
「黑竜の件かしら?」
聡明。驚きました。
彼女は一瞬で、わたしたちの意図に気づいたのです。
「そうだ。父――シーレファイスのクラナス王から、アリアーナ神殿に書状を預かっている」
「書状……?」
「魔導機関電話が魔王によって使えなくされてしまったからな。こうして遠路はるばる出向いたってわけだ」
アデリナが胸鎧の内側に手を入れて、水を通さぬ革袋から書状を取り出しました。
クラナス王がわたしたちに預けた、アリアーナ神権国家とリリフレイア神殿へと向けた書状です。内容はもちろん黑竜の復活と、レアルガルド全土の危機を示すものです。
レーゼ様は受け取るなり書状に目を通し、眉根を寄せました。
「……黑竜の復活に、人型への変化……。信じるしかないわね。カダスが滅んだのだから。人型への変化にしても、かつての七英雄や魔王が討ち取る直前で黑竜の姿を見失ったという話に納得ができる……」
「それと、あたしたちの他に二組、同じ書状を持ってアリアーナを目指している冒険者がいるはずだ」
そう言えばそうでした。
クラナス王はわたしたちを含め、三組の冒険者にアリアーナとリリフレイアへの書状を託したのです。
「来てないわ」
「死んだか、もしくは無事に辿り着けるとするなら、それはまだ数ヶ月先の話になる。ワイバーンでも捕まえて騎竜化できれば別の話だろうが、並の冒険者には難しいだろう」
レーゼ様の視線が、自らの足もとにいる鎧竜ナマニクさんへと向けられます。
「そうね。驚いたわ。鎧竜だったなんて。黒い竜は、今や世界に恐れられる存在になりつつあるのだから」
そっか。それで羽馬騎士団は最初から攻撃をしかけてきたんだ。
むう、ナマニクさんめ、なんで黒く産まれてきたんですか。
「こいつは見ての通り鎧竜、シーレファイスの守護竜だ。黑竜じゃない。だが、今はそんなことはどうだっていい。もしもあたしたちの他にシーレファイスを発った冒険者が到着したら、すでに事態はその先に進んでいることを伝え、すぐにシーレファイスの父に話しに戻れと言って欲しい。いや、それじゃ遅いな。アリアーナの使者をすぐにシーレファイスに送ってくれると助かる」
この国にはペガサスがいますからね。
アリアーナの使者はワイバーン並に足が速いです。
「先とは?」
「書状にしたためられた状況からは、事態は何もかもが変わりつつある。このことはシーレファイスの王である父も知らないんだ」
わたしはアデリナの説明に補足を入れます。
「わたしたちはインガノカで、旅の間に黑竜に関するとてつもなく大きな因果を知ってしまったのです」
「驚いたわ。あなたたち、インガノカに入国できたの?」
レーゼ様が素っ頓狂な声を上げました。
「はい。そこで知ったことは、今後レーゼ様にも大きくかかわってくる話なのです」
新たなる七英雄の話。八人目の英雄の話。わたしたちはインガノカで知った因果の渦のことを、レーゼ様に話しました。わたし自身が死の運命にあることも、レーゼ様や甚五郎さん、アデリナが七英雄であることも。
そして、レアルガルドを乱世へと導いた渦中の彼もまた――。
「魔王……」
「はい。彼もまた七英雄である上、現状ではもっとも黑竜に有効と思われる力を持っています。多大な犠牲を払いながらも、一度は黑竜を追い詰めたくらいですから。是が非でも、力を貸していただかなければなりません」
レーゼ様は痛みを堪えるような表情で、静かにため息をつきました。
「それは、難しいわね」
「今はレアルガルド全土の危機だ! 国同士で争っている場合じゃないだろ! アリアーナの面子など知ったことか! あたしたちはそんなことのために動いているわけじゃない!」
アデリナの痛烈な言葉に、けれどもレーゼ様は首を左右に振りました。そうして羽馬騎士団の方々には聞こえない小声で、わたしたちに囁いたのです。
「……国の面子の話ではないわ。魔王の性格の問題よ……。とても頑固……。……彼は、自分の首を真綿で絞めるような生き方しかできない、バカな人だから……」
憂い。
レーゼ様は魔王のことを語るとき、たしかに憂いを秘めた表情をしました。それはまるで、彼を心配しているかのような。敵であるはずなのに、身を案じているかのような、そんな表情でした。
「……あの人はね、ずっと泣いているのよ。人間の悪意を垣間見てしまったせいで、悪に染まるしかなかった。人間を殺す立場になるしかなかったのよ……」
そうして彼女は、吐き捨てるように言います。
「……いっそのこと、人の心や矜持なんて捨ててしまえれば楽になるのに……それすらできない弱さを抱えて、今も苦しんでる……。……これまで誰が手を差し伸べたって、あの人はその手をつかもうとはしなかった……」
刀を握るためにある手だから、と、ひどく沈痛な表情で付け加えて。
人間の……悪意……。なんなの……。
魔王や、アルタイルの大神官ラトル様がひた隠しにしなければならなかった真実。
クラナス王は言いました。魔王は人間をひどく毛嫌いしている、と。
「あの、それってもしかして、黒の石盤遺跡に関わりあることでしょうか? 魔王が魔導文明を崩壊させたことに関係が、ある?」
わたしの質問に、レーゼ様が目を見開きます。
しばらく、そうして。
「……わたくしの口からは語れないわ。いずれ彼と遭うつもりなら、本人から聞いてちょうだい……」
表情と言葉が物語っていました。黒の石盤遺跡は、やはり在ってはいけないものだったのかもしれません。
けれども、わたしは――。
わたしにとって石盤遺跡は、魔法少女になるための最後の頼みの綱だから。
「わたしは真実を知りたいんです」
「……悪いけれど語れない。これは黑竜被害同様、レアルガルド全土の人々の存在そのものにかかわってくることなの。……それに話が広がれば、第二の魔王が生まれることだってあるかもしれない……」
第二の魔王が生まれる? 国を乗っとること? それとも、人類に牙を剥かざるを得なくなるような真実が隠されているということ?
ハゲおじさ――ん、んんぅ! 甚五郎さんは、そのことを知っているのかしら。魔王の長く苦しい旅を終わらせてやるため、黄金竜の件が片付き次第アラドニアへ向かうと言っていたけれど。
いずれにせよ、これ以上は聞き出せそうにありません。
「わかりました。ありがとうございます」
「いいえ。さて、と」
レーゼ様が笑顔を取り戻して、胸の前でパンと手を合わせました。
不思議、それだけで緊迫していた状況が、ふわりと形を変えるのです。これが聖女の持つ奇跡の力というものなのでしょうか。
意味もなく、安堵してしまいます。
「あなたたち、今日はアリアーナ神殿で休むといいわ。書状の件は一度神殿の評議会に持ち帰ります。アリアーナ様の啓示も仰いでみたいから、数日滞在してくれると嬉しいのだけれど」
「悪いが長居はできない。あたしたちはアラドニアに向かう前に、リリフレイアの聖女にも同じ話をしなければならない」
アデリナがにべもなく告げます。
「それに、未だ居所の判明しないセイラムの魔女も捜さねばならんのでな」
七英雄最後の一人です。
「セイラムの魔女?」
自らの羽馬の手綱をつかみ、ナマニクさんの背中に引き下ろしたレーゼ様が、怪訝な表情で振り返りました。
「彼女も七英雄の一人かしら?」
「そうだ。だが居場所がわからん。アリアーナでも捜してもらえると助かる」
笑顔がみるみる消えて、その顔色が蒼白に染まります。
「そんな……」
「あんた、セイラムの魔女を知っているのか?」
レーゼ様の長い黒髪を、風が微かに揺らします。
そうして彼女は掠れるような声で、小さく囁いたのです。
セイラムの魔女は、死んだ、と。
交換日記[七宝蓮華]
ぐぬぬ、認めぬ!




