第78話 筋肉は魔法少女に微笑む
交換日記[アデリナ・リオカルト]
魔法神、この役立たずめ!
あたしじゃなくさっさと蓮華に魔法の力を与えろ!
黄金色の拳を防ぐ腕は、すでに赤黒く変色していました。
もうどれくらいこうしているでしょうか。わたしたちの周囲には、倒れた金色の竜人たちが数十体、転がっています。
血と汗に塗れて、それでも拳を振るって。
「うぐ……っ」
腫れた腕で竜人の硬い拳を防ぎ、わたしは掌底で氣を透します。鱗の隙間や口鼻、眼球の周囲から体液を撒き散らし、竜人が崩れ落ちます。
ですが、それで終わりではありません。
下段から振り抜かれた別の竜人のローキックを膝で受けて激痛に顔をしかめ、けれども顔面を蹴り抜くように足裏を返し、竜人を吹っ飛ばしました。
どうしよう、どうしよう……!
アデリナも珍しく身を翻し、全身で動き続けています。右手の人差し指と中指を揃えて炎槌を、左手の人差し指と中指を揃えて雷槍を放って。
「はっ……はっ……ッ!」
ものすごい汗と土気色の顔色。限界が迫ってます、ううん、彼女の体力の限界なんて、もうとっくの昔に過ぎ去っているのです。
「うううううぅぅぅぅ!」
歯を食いしばり、アデリナが雷槍を放ちます。
先頭の竜人が跳躍でそれを躱し、その後に連なった四体の竜人を感電させて焦がしつけますが、躱した竜人がアデリナに牙を剥きます。
――かああぁぁぁぁっ!
「アデリナ!」
わたしはとっさに滑り込み、アデリナに襲いかかった竜人の拳を掌で受け止めました。けれども別の竜人の蹴りを肩口に叩き込まれて、その場に倒れ込みます。
「蓮……! くそ! ――風刃!」
わたしへと群がった竜人たちを、アデリナが風刃で一気に吹っ飛ばして下がらせました。
鋭い風の刃。けれども、頑強な鱗を持つ竜人の肉体を傷つけることはできません。炎で溶かすか、雷で内臓から灼き払うか、わたしが氣を透すか、そのどれかじゃないと。
彼らは牙を剥き、言葉にならない声を上げて再び走り来ます。
――かふぁぁぁぁッ!!
わたしはすぐさま両足を振って跳ね起き、先頭の竜人の首に跳び乗って自ら背面へと身を倒しながら両手を地面について、両脚で竜人の首を絡めて投げ飛ばします。
首刈り投げ――!
「こ――ンのぉぉ!」
凄まじい音が鳴り響き、十数体の竜人を巻き込んで将棋倒しになったところを、アデリナが天をも焦がすほどの炎の大剣を両腕から発生させ、叩き下ろしました。
大爆発が巻き起こり、周囲にいた竜人たちが熱風で吹っ飛ばされます。
――かああぁぁぁぁ……。
悲鳴。金切り声ではなく、空気が抜けるような生気のない悲鳴を上げて、竜人たちがのたうちまわり、鱗を溶かして死んでいきました。
「……っ」
アデリナが表情を哀しげに歪めます。
だってこの竜人たちは、カダスの民なのだから。
けれど、手を弛めればあっという間にわたしたちが潰されてしまいます。
低空の蹴りを膝で受け、拳を掌で受け流し、金色の鱗の上から氣を透す。ぐちゃん、と内臓が潰れる嫌な音がして、竜人が崩れ落ちます。
「やめて、お願い! 正気に戻ってください!」
けれども、竜人たちは次々とわたしたちへと飛びかかってきます。
こんなの……もう嫌ぁ……。
アデリナがあえぐように息をしながら呟きました。
「蓮華……ッ、……はぁ……んぐ……ッ、……だめだ……ッ、……圧し切られる……ッ」
山のような竜人の群れ。その向こう側に立つ少女の姿をした黄金竜。届かない。とても。
「アデリナ、あの黄金竜を斃せば、竜人たちはもとに戻るの!?」
アデリナはこたえません。
こたえる余裕がないから? それとも、わからないから? 戻らないから?
わたしは両腕を交叉して拳を受け止め、軋む骨に顔をしかめます。
「あぅっ!?」
けれども、何度も何度も竜人の硬い拳を受け止めてきた腕は、痛みで弾かれてしまって。次の瞬間には竜人はわたしの眼前に踏み込み、硬い拳を腹部へと突き刺していました。
「げお……っ」
わたしは胃酸を逆流させながら、壁へと叩きつけられます。ぐちゃり、と背中の肉が拉げ、弾けるのがわかりました。
視界、歪んで――。
「蓮華!」
あ、だめ……。
アデリナ、後ろ……。
言葉は声になりませんでした。アデリナの背後から跳躍した竜人が、こっちに走り寄ろうとした彼女の背中へと拳を突き刺します。
「……かッ」
ばきん、と胸鎧の割れる音が響き、アデリナが床を激しく転がってわたしの足もとで仰向けに倒れ込みました。
その彼女を中心として、赤い液体が急速に広がります。
「うぐ……あ……っ……か……」
しばらく苦しげにうめいていたアデリナでしたが、ふっと目を閉じると、そのまま動かなくなってしまいました。
え……嘘……。
「アデリナ! アデリナ!」
返事はありません。ただ静かに目を閉じたままで。
ざわ、と全身の皮膚に冷たい何かが這います。
「生きてるよねぇっ!? 返事して! ……嘘だよ……こんなの……っ」
火事場の馬鹿力というやつでしょうか。自分でも驚くくらいに、すぅっと痛みが引いていくのがわかりました。
怒りに身をまかせ、わたしは向かい来た竜人の首を右手でつかみ、アデリナの肉体に噛みつこうとしている竜人三体へと力任せに投げつけます。
まるで岩石同士をぶつけ合ったかのような音が響き、四体の竜人はもつれ合って奇妙な方向に手足や首を曲げ、転がります。
わたしは吼えました。野獣のように吼えました。
「あああああああぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
その場のすべての竜人の注目を集めるため、腹の底から、臓腑の底から、魂の奥底から吼えました。
とたんに竜人は倒れたアデリナではなく、わたしへと襲いかかります。
襲い来た竜人の眼球を拳で破砕し、蹴り足を絡めて強引に首を折り、横っ腹を貫いた拳に血を吐きながら、わたしは肘を打ち下ろして竜人の鱗ごと頭部を爆砕します。
「フゥーーーッ、フゥーーーッ」
まるで自分の口から出たものとは思えない、野獣のような息づかい。
右頬を打ち抜いた金色の拳を両手でつかんでその肘を膝蹴りでへし折り、横から来た一体の側頭部を氣を透した掌底で内部から壊し、背中を蹴ってきた個体の首へと肘を突き入れて折り、数体溜まっていた場に震脚で踏み込んで鉄山靠で吹っ飛ばします。
痛みはありません。ただただ、哀しかったのをおぼえています。
鳩尾を貫いた竜人の拳を肩ごと手刀で破壊し、こめかみを蹴られて血の玉を飛ばしながら竜人の足をつかみ、石の地面へと叩きつけます。
わたしは残るすべての力を、攻撃にだけ注ぎました。相手を殺すことだけ考えました。それがカダスの民であると知りながら、友の命を奪おうとする彼らをひたすら叩き潰しました。
痛みはありませんが、肉体のあらゆる部分が徐々に動かなくなってきます。それでも氣を練り、殴り、蹴り、へし折り、殺し続けました。
どれくらい、そんなことを続けていたでしょうか。
ほとんど意識がありませんでしたが、気がつけばわたしと倒れたままのアデリナの周囲には、血溜まりと、竜人の死体が三桁にのぼるくらい転がっていました。
「はー……はー……」
ふと気づくと、左腕が持ち上がらず、だらりと垂れ下がっています。痛みはないけれど、これでは使い物になりません。
息、呼吸を整えて、氣を練って。
「はー……はー……」
鋭い牙を持つ竜人の顎を、感覚のない足で蹴り上げながら。それでもあきらめきれないのは、大切な人がいるから。わたしには大切な仲間が、友だちがいるから。
わたしが死ねば、遠からず確実にアデリナの命も尽きるでしょう。
「んぐっ!?」
顎を拳で打ち上げられ、視界が真上に上がって気づきます。汗の玉、血の玉と一緒に、涙が高く舞って。
嫌だ……そんなの嫌だぁ……。
わたしはずっと叫んでいたのです。ずっと、ずっと、意識がない間も、ずっと。
助けて、誰か、助けて。友だちが死にそうなの。誰か助けて、助けて。
吹っ飛ばされそうな意識を頬の内側を噛み潰して引き戻し、血塗れとなって拳を振るいながら、ずっと叫んでいたのです。
助けてください。お願いします。なんでもします。だから、誰か、誰か助けて。
意識なんて、取り戻したってすぐに朦朧として、靄がかかって。
だから、気づかなかったのです。カダス城の壁を叩き潰しながら進み、竜人ひしめく廊下を歩くこともなく、わたしが叩きつけられた壁を突き崩して背後から現れた、その人に。
「……アデ……リナを……、……助……け……て……」
全開の氣を込めた拳を、後ろからつかまれて。
踏み込みと同時に全力で放ったはずの拳を、ぐっと引き戻されて。
それは、とても熱い、とんでもなく熱い、とても大きな、とんでもなく大きな掌でした。
その人はわたしをまるでふつうの女の子のように、ひょい、と軽々と自らの背中に導くと、無数に蠢く三〇〇万体を超える竜人の前に立ちはだかります。
身一つで。
僧帽筋の膨れあがった巨大な背中を向け、異常なくらいに発達した大胸筋の前で、掌を合わせてぐるぐると拳を回しながら、骨を鳴らして。
「…………だ……れ……? ……どう……し…………て……?」
助け? 助けに来てくれたの? どうして?
その方は、ぼっこりと出っ張った胸鎖乳突筋の首を左右に倒して骨の音を鳴らします。ごきり、ごきりと。すっかりハゲ上がった後頭部が左右に倒れ、謁見の間に残った炎槌の火でテラテラと輝いていました。
そうしてその人は、あまりに埒外のことを呟いたのです。
「――絹を引き裂く、乙女の悲鳴が聞こえた」
と、ただ一言。
ハゲているくせに、格好をつけて、たった一言。
けれどもそれは、低く、深く、力強く。不思議と心に響く、穏やかで優しい声でした。
わたしは理由もわからないまま、不思議と……涙が溢れて……。
「フ、私が来る理由など、それで十分だろう?」
得体の知れないハゲ一人。決して事態が好転したわけではありません。なのに判断力が欠如していたこのときのわたしは、安堵のあまりぺたりと床に腰を落としてしまっていました。
薄れそうになる意識をどうにか留めながら、わたしは思います。
このハゲの人の筋肉、超グロい、と。
交換日記[魔法神]
適性も才もないゆえ、筋肉魔法少女に私の高貴な魔法は使えませんぞ。
そのようなことより筋肉神よ、あれはあなたの親戚か何かですかな?
交換日記[筋肉神]
……うぬぅ? なんだ、あのハゲは……?
人間の分際、否、ハゲの分際でえッぐい筋肉をしているな。




