第71話 女剣士は男前
交換日記[魔法神]
我が娘もまだまだ未熟。
この程度の現象すら一目で看破できぬとは、やれやれですぞ。
東京の景色が見えた瞬間、わたしはアデリナの両足がそろったところを足払いで蹴り上げ、両腕で細く柔らかな身体を抱え上げて全速力で駆け出しました。
「のわっ、蓮――お、おいっ!?」
じたばたと、アデリナが暴れ出します。
何せお姫様抱っこですからね。彼女も照れることでしょう。それ以前に、やり方に問題があったかもしれませんが。でも。
あの景色、消すわけにはいきません!
ヘリポートのある超高層ビルは、海岸に広がる濃霧の向こう側に見えています。
砂浜の砂を爆発させるように蹴りながら、走って、走って。夢中で走って。
「蓮華、蓮華、おい、下ろせ! おまえ、剣士に対してこんな辱め――!」
「ちょっと我慢してください!」
「いったいどうしたんだっ?」
アデリナが何かを話しかけてくれているのがわかっていたのに、こたえる余裕なんてなくて。
ただ走りました。ビルのある方角へ。一寸先も見えなくなった霧の中を。
そうして気づけば、砂浜を駆けていたはずのわたしは、アスファルトの上に靴音を響かせていました。
霧、ゆっくりと晴れて。
どくん、どくん、心臓が高鳴っていました。
呼吸が荒いのは、体力を使ったからではありません。極度の緊張に、大きな期待にさらされていたからです。
「蓮華?」
「あ、ええ……」
わたしはアデリナをそっとその場に下ろします。
「ここは? インガノカなのか?」
アデリナの質問に言葉を返すだけの、精神的な余裕はありませんでした。
ビルは消えた。けれど……。
わたしの目の前には、大きな日本家屋があります。漆喰塀に囲まれていて、正面の門は木造で。その奥には、白い玉砂利の敷き詰められた庭園が広がっていて。
わたしは――。
心臓を高鳴らせたまま、門をくぐります。
コォン、と、鹿威しの音が響きました。
玄関まで続く飛び石を歩き、横開きの扉に手を掛けます。
「蓮華?」
屋内は、しんと静まりかえっていました。
靴や雪駄はあるのに、気配、なくて。電気もついていなくて。
「……わたしの家……なんです……」
「なんだって?」
アデリナが端正な眉を歪めて、尋ね返してきました。
「異空の世界なのか?」
「……わかりません。偽物なのかも」
魔法少女の裏名家である七宝家が無人である瞬間なんて、一瞬たりともありません。ないはずなのです。
かつて七宝家の魔法少女として戦っていた母は、今は身体が弱く、内臓の多くを患っています。だからいつもお部屋にいるのです。お買い物はお手伝いさんに頼んでいますし、お医者様も訪問してくださいます。
けれど。
お屋敷、しんと静まりかえっていて。
わたしは靴を脱ぐべきか少し迷い、……そのまま屋敷に上がりました。
「ちょっと中を見てきます」
「待て。危険だ。あたしも行く」
いつもとは違う足音。いつもとは違う、板張りの廊下の感触。足早に、歩いて。
アデリナが具足のまま、あわててわたしの後を追ってくれました。
わたしたちは二人して廊下を歩き、庭園を見渡せる位置にある障子を静かに開けました。
畳のお部屋には、お布団が一式。いつも母が寝ていた……けれども、わたしが障子を開けると、上体を起こして「どうしたの?」って。
「誰も、いないな」
「……はい」
なんだか、寂しい気持ちになってきてしまいます。もしもこれが幻ではなく、本物の世界で現実だとするなら……。
不安な気持ちになった瞬間、暖かい手がわたしの頭にぽんとのせられました。
「心配するな。インガノカはこういう場だ。景色は次々と入れ替わる」
「さっきからずっと固定されたままじゃないですかっ」
そう。わたしたちが七宝家の屋敷を目にしてからは、景色は変わらなかったのです。先ほどまでは数十秒おきにめまぐるしく入れ替わっていたというのに。
言葉にした瞬間、不安が涙になって溢れ出してしまいました。
「蓮華……」
二人同時に都合良く、まったく同じ幻覚を見ているなんてこと、あり得るでしょうか。もしもこれが幻覚ではなく現実なのだとしたら。
わたしのいた世界は、グリム・リーパーに、滅ぼされてしまったの……?
アデリナがわたしの背中にそっと手を添えます。
「今はあまり深く考えるな。きっと大丈夫だ。不自然な点はいくつもある」
予感は不安になり、不安は苛立ちになり。そして、わたしは。
「簡単に言わないで! アデリナは他人事だから、そんなふうに言えるんです! もしもこれがわたしの世界なのだとしたら、みんなもう……っ」
そうしてわたしは、アデリナにあたってしまったのです。振り向き様に、拳を振ってしまって。みっともなく喚いて、加減を忘れて。
彼女の胸鎧を、どん、と叩いて。
拳の感触で、べこり、と胸鎧がへこんだのがわかりました。
「……ッ……」
アデリナの足がもつれて母の部屋から背後に倒れ込み、転がって廊下の柱に背中を打ちつけて止まります。アデリナの整った表情が、痛みに歪められます。
「ぐ……っう……!」
「ア、アデリ――」
駆け寄ろうとしたわたしをキッと強い視線で睨みアデリナが、人差し指と中指を揃えて持ち上げます。
あ……。
わたしが両手を交叉して瞳を閉じた瞬間、アデリナの右手が横薙ぎに振るわれました。
「――光波一閃!」
初めて見る魔法。彼女の指先から放たれた光の刃が飛来して――。
「……っ」
腰砕けになったわたしの頭部を掠め、母の部屋の壁へとすぅっと吸い込まれるように消えます。
瞬間、部屋の土壁が揺らいで消滅しました。その向こう側に見えるのは濃霧の空です。
「!?」
幻――。
熱と光の魔法で蜃気楼を消した? 屋敷に触れた感覚はたしかにあったのに?
「蓮華、立て。こっちへ来い」
アデリナがわたしの手をつかんで引き上げ、濃霧の空へと叫びます。
「出てこい! 他人の過去をほじくり返して鑑賞とは、ずいぶんと趣味が悪いな!」
凛々しく、青髪を揺らして。
わたしに気配は感知できません。けれど、アデリナは魔素を感知しているのです。
そうしてしばらく――。
幻の土壁をすぅっと通り抜けて、黒のフードと外套をまとった何者かが姿を現しました。
「ほう、おまえがインガノカ人か」
アデリナがそう呟いた瞬間、どぐっ、とわたしの心臓が奇妙な形で跳ねました。知っていた。わたしはこいつを、知っていたのです。
――こいつ、こいつ、こいつこいつこいつッ!!
「グリム・リィィーパァァァーーーーーーーーーーーッ!!」
大鎌を持つ死神、グリム・リーパー。
日本にいた頃。ううん、もっともっとずっとずっと前の時代から。何百、何千年も前の時代から。
わたしたち歴代の魔法少女を散々苦しめてきた難敵。罪なき人々を異空へと連れ去り、世界から消してしまう死神。
そして、魔法少女の仲間たちを助けるため、わたしが道連れにした怪物の一体。
母を、あんな身体にした、憎むべき種族。
ほとんど条件反射でした。
全身から溢れ出した闘気に身をまかせ、わたしはとっさにかまえを取って口を開きます。
「変し――」
けれど、そのグリム・リーパーは、抵抗の意志はないとばかりに手にした大鎌を足もとに落としたのです。母の布団の上へと、あっさりと。
だから、わたしも戸惑ってしまって。
「……戦う意志は、ない。あなたと、話がしたい。地球の魔法少女、七宝蓮華」
そう言って。
地球の、と。そう言って。
わたしは憎しみを込めた瞳で、グリム・リーパーを睨みます。
絶対に油断などしません。母はグリム・リーパーの一族の鎌を何度も肉体に受け、その毒が全身に回って身体を壊してしまったのですから。
わたしを庇うように前に立ち、アデリナが人差し指と中指を揃えてグリム・リーパーへと向けました。
「よくわからんが、どうやら貴様はあたしの相棒の敵らしい。――名乗れ」
「アデリナ・リオカルト。異邦の半身を持つシーレファイスの姫君よ。我々に個体を識別する名など存在しない」
自分の出生を知られていたことでさえアデリナは鼻で笑い飛ばして、高圧的に言い放ちます。
「名前に興味などない。あたしは正体を尋ねている」
「アデリナ・リオカルトよ。我らはあなたにとってのインガノカ人で、七宝蓮華にとってのグリム・リーパーに過ぎぬ存在。地球に悲哀をもたらし、レアルガルドに希望をもたらすもの」
アデリナが眉をひそめると同時に、わたしは叫びます。
「ふざけないで! 意味わかんないっ!」
「……場を、移そう。ここは、よくない。あなたの冷静さを欠く」
グリム・リーパーがそう言った瞬間、七宝家の屋敷が大きく歪みました。地面がなくなるような感覚をおぼえた直後、わたしたちは見たこともない金属製の床に片膝をついた形で着地します。
こん、と、およそ足音とは思えないような音を響かせて。
わたしたちが見せられていたのは、幻覚や蜃気楼ではなかったようです。たぶん、ホログラム。もしくは、それに近しい技術なのでしょう。
科学か、魔法かは知りませんが、五感まで再現されていたなんて……。
「アデリナ!」
「あたしなら心配はいらん」
そうして、視線を上げて。
わたしとアデリナがほとんど同時にかまえました。
「そんなことより、頭はもう冷えたんだろうな?」
「……ごめんなさい」
彼女が胸鎧をつけていなかったらと考えると、自分の未熟さに泣きたくなります。白銀の胸鎧は、べっこりとわたしの裏拳の形にへこんでいました。
「責めるつもりはない。だが、一つだけ言わせてもらう」
なぜならわたしたちを囲むような位置に、グリム・リーパー、すなわち十三体ものインガノカ人が立っていたからです。
大鎌を持ち、フードと外套をまとった忌々しい死神たちが――。
ぎゅっと、心臓をつかみ上げられたような気分でした。
それなのにアデリナは、わざわざ彼らから視線を外してまで、わたしを見つめるのです。
「他人事なんて言うなよ。そんなふうにはもう思えない。哀しくなる」
「……ごめんなさい」
「へこんだ鎧などどうでもいいが、その謝罪だけは受け取っておこう」
微笑むアデリナに釣られて、わたしも照れたように少しだけ笑います。
けれども、二人ともすぐに表情を引き締めて。
「蓮華、こいつら強いのか?」
「たった一体のグリム・リーパーを相手に四人の魔法少女たちと共闘して、わたしが命を投げ出して道連れにしなければ倒せなかった程度には強いです」
いわんや十三体。
毒竜戦どころのピンチではありません。
「………………オ~ゥ……」
アデリナから、これまで聞いたこともないような変な声が出ました……。
交換日記[筋肉神]
くだらんな。
まやかしの類など、目を閉じ耳を塞ぎ己の筋肉だけを頼りに突き進めばそれで済む。




