第69話 第三の竜は不穏の影を落とす(第五章完)
交換日記[散打苦狼棲?]
ふぉっふぉっふぉ、ムキムキメリィ~クリスマッスル。
良い子のお嬢ちゃんには、無敵の筋肉をプレゼントしてやろうな。
/フフ ム`ヽ
/ ノ) ) ヽ
゛/ | (´^ω^`)ノ⌒(ゝ._,ノ
/ ノ⌒7⌒ヽーく \ /
丶_ ノ 。 ノ、 。|/
`ヽ `ー-'_人`ーノ
丶  ̄ _人'彡ノ
投げっぱなしにしておいたわたしのリュックサックとアデリナのナップザックのある場所まで来ても、ナマニクさんの姿はありませんでした。
まあ、残骸があるわけではないので、きっとうまく空に逃れたのでしょう。突然現れては、ふっといなくなる。ここ最近では、いつものこと。
グレたのかしら。お母さん悲しいです。
毒竜のいなくなった深夜の廃墟――。
鉱山都市シャラニスには、夜の闇と沈黙しかありません。かろうじて聞こえるのは海風と、虫の声くらいのものでした。
夜明けまでにはまだまだ時間があります。本来であれば、疲労も相まってもう一眠りしたいところです……が。
わたしたちは互いに荷物を背負って、途方に暮れました。
「どこかで泥を落としたいな。これじゃもう一休みしようにも気になって眠れんぞ」
アデリナが長い青髪に手櫛を通し、生乾きの泥を落としながら呟きました。
どろどろです。髪だけではなく、全身。泥沼を駆け回った下半身はもちろん、顔も、胸鎧も。たぶん、その内側も。
それはわたしも同じで。
「そうですね」
わたしは顔に付着した泥を擦って落とします。
服のほうは別にいいのです。どうせこれ、魔法少女装束だから。変身を解呪して一度消せば、次に変身するときにはもう自動でクリーニング済みなのです。
ですが、泥沼を走り回った足から腰まではいかんともし難く、下着の中までぐだぐだです。今解呪したって、私服まで汚れてしまうだけなのです。
「こんな闇夜じゃ、川を見つけるのも一苦労だ」
「水乙女のお漏らし系魔法で泥と水を分離ってできないんですか?」
「無理だな。あたしの枯れない不思議な木筒も、ここで使えば泥が混ざる」
あ~。アデリナの枯れない不思議な水筒って、周囲の水分を吸い込んでたんだ。ほんと、息を吐くように魔法を使ってやがりますね。うらやましい。
てか、あれシャワー代わりにも使えるんですね。おぼえとこう。
「仕方ありませんね。海にでも向かいましょう」
「塩水か。やれやれ、錆びるから胸鎧は洗えんし、髪もばさばさになるんだがな」
うんざりしたように呟く彼女に、わたしは苦笑します。
「贅沢は言えません」
そんなことを言いながらシャラニスを立ち去ろうとしたわたしたちの視界の隅に、荘厳な法衣をまとったご老人の姿が映りました。
「あ……」
瓦礫に埋もれてしまったはずの、大神官ナイ・カー様の幽霊です。
出てきたんだ、瓦礫の中から……。
彼は倒壊したシャラニス城の積み重なった瓦礫の上に立ち、空洞の瞳で雲の晴れた丸いお月様を見上げていました。
――……ァ……ァァ……ァ……。
弱々しい声を、微かに発しながら。
「ナイ・カーか。かつての一大都市の大神官だった者が、哀れなもんだ」
「……毒竜を排除しても、やっぱりあのままなんですね」
もしかしたら成仏させてあげられたかもと、淡い期待を持っていましたが、残念です。彼の無念は、毒竜への報復では晴らせないものなのでしょう。
やはり、すべての元凶である黑竜を斃さなくては。
薄緑のぼんやりとした光を放ち、揺らぐ彼の姿にしばらく視線を向けていたアデリナが、静かに囁きました。
「ちょうどいい。蓮華、おまえの身体のことを聞くぞ」
「え?」
アデリナがあきれたように眉根を寄せて、わたしの額を指先でつつきます。
「――あうっ」
「え、じゃないだろ。瘴気感染。おまえが忘れてどうする。まったく、おまえときたら……。こっちは気が気じゃなかったってのに……」
あ、ああ……。心配、してくれてたんだ……。
じんわりと、優しさがぬくもりとなって胸に染み込んできます。優しい人。優しいアデリナ。ありがとう。
だから、思わず笑み、こぼれて。
「笑ってる場合か」
「ふふ、ごめんなさい。でも、大丈夫ですよ。あまりにも不調がないので、すっかり忘れていたくらいですから。それに、わたしが蜥蜴になってもアデリナがちゃんと飼ってくれるのでしょう?」
アデリナが苦虫を噛み潰したような表情で吐き捨てます。
「安心しろ。朝晩きっちり虫を食わせてやる」
おいしそうに昆虫を頬張る幼いナマニクさんを思い出し、わたしはぞわっと鳥肌を立てます。
お、おおふぅ。
「……やっぱいいです。野良蜥蜴になります。自然界で健気に生きていきます」
なんて、軽口を叩いてはみたものの。
そっか……そうでした……。わたし、感染したかもしれないんだ……。
アデリナがわたしの手をつかみ、ふらふらとした足取りで瓦礫の山を登っていきます。そうして月を見上げるナイ・カー様の前で立ち止まりました。
「ナイ・カー。聞きたいことがある」
――……ァァ……ナイ・カー……私の名……。
皺の刻まれた茶色の肌。空洞の瞳が、ゆっくりとこちらに向けられます。
不思議と、初見時のような恐怖はありません。見慣れたから? 害がないとわかったからでしょうか?
アデリナは一貫して堂々と、臆することなくナイ・カー様に詰め寄りました。
「毒竜。灰色蜥蜴の瘴気に感染した場合に、肉体に及ぼす症状を教えてくれ」
――……ァ……、……皆……死んダ……。
ぞくっと背筋に寒気が走りました。
――……ァァさ日……を……浴び……、……灰ニ……なっタ……。
「朝日を浴びて灰になった、だと? それが毒竜の瘴気の効果か?」
灰になる……。吸血鬼伝説みたい……。
まるで他人事のように思えます。だってこの身体はいつもと変わらないし、なんだったら一度全開で戦ったためか、筋肉をしぼめてもいつもより体調はいいくらいです。あるのは心地良い疲れくらいのもので。
アデリナが口もとに手をあてて眉をひそめました。
「では、蜥蜴がシャラニス城跡で宴会をしていたという伝承はデタラメか。まったく、口伝も書物もあてにならんものだらけだ」
――ァァ……。
「待って、アデリナ」
わたしは唇に人差し指を立て、ナイ・カー様に視線を向けます。彼はまだ、何かを伝えようとしてくれていました。
ひび割れた青白い唇が、微かに開きます。
――ァ……オ……う……ゴン……。
おうごん。黄金?
――……竜……、……の……血……。
「黄金竜の血? それがどうかしたか?」
――……ァァ……皆……死んデ……、……王も……王妃……モ……。
「しっかりしろ、ナイ・カー! 死んだのは、黑竜や毒竜の瘴気にやられたからだろう! 話が混ざってしまっているぞ!」
アデリナが苛立たしげにナイ・カー様の胸ぐらに両手を伸ばしますが、当然のようにすり抜けて。
――……蜥蜴……ト……な……た……。……戦……士……と……ナ……た……。
どういう意味でしょうか?
黑竜、毒竜に引き続き、第三の竜が出てきました。
「アデリナ、黄金竜というのは?」
「伝説の古竜だ。銀竜よりも稀少で、レアルガルド大陸中の人々をくまなくあたっても、過去の目撃例は一〇〇年に一度あるかないかだ」
わたしは長い黒髪を揺らして首を傾げます。
「エリクシルを持っているの?」
「さてな。エリクシルと一口に言っても、万能薬たり得るものは銀竜のものだけだ。火竜の血を飲めば全身発火で命を落とし、青竜の血を飲めば肉体は凍りついて命を落とす。地竜も似たようなものだ。黄金竜のエリクシルに関しては、どんな効果があるのかはあたしも知らん」
エリクシルって万能薬だけじゃないんだ。古竜の種族の数だけ存在して、けれどもそのほとんどが猛毒ってことかしら。
だとするなら――。
頭を整理します。
異種族連合ができた二〇〇年前。
シャラニスは七英雄と、謎の八人目の英雄、剣姫ナスターシャとともに黑竜・毒竜に挑み、敗北。生き残った人々もみんな黑竜・毒竜の瘴気に冒され、国家としての体を成さないほどに壊滅。
ここまでは合っているはずです。
そこに第三の竜、黄金竜が現れた。そして自らの血、効果不明のエリクシルを使用。わずかな生存者、もしかしたら死に至ったものさえも、蜥蜴の姿に変えてしまった。
のちの旅人はその光景を目撃し、シャラニス城宴会広間の蜥蜴が伝承となった。
アデリナが顔をしかめて、がしがしと頭を掻き毟ります。
「人を蜥蜴にしてしまう邪竜がいるということか」
「黑竜どころか毒竜でさえ手一杯なのに……」
ますます気が遠くなります。
黑竜と毒竜、魔王、それに加えて黄金竜の不穏な影。旅は困難を極めます。ましてや、わたしの身体が朝日によって灰となるならば、なおさらのこと。
アデリナはうつむき、下唇を噛みしめていました。
「……アデリナ、ごめんね」
「あ、ああ。いや、謝るな。感染はあたしのミスだ。もっと気を張っていれば防げたはずだった。……こちらこそ、すまない」
アデリナが首を左右に振ってから、頭を下げます。
「頭なんて下げないで? まだ感染したと決まったわけではないのだから」
「そうか。そうだな。――とにかく今は進むか、蓮華。もしもおまえの身体が毒竜の瘴気に感染しているのなら、夜にしか進めないことになる。あまり猶予はない」
「そうですね」
いずれにしても、朝は遠からず必ずやってきます。そのときにこたえが出るはずです。
先に瓦礫の上を歩き出したアデリナの背中を見送って、わたしは大神官ナイ・カー様の幽霊に視線を戻しました。
「色々とありがとうございました。けれど、ご安心ください。どのような状態に陥ろうとも、わたしたちは必ず黑竜を討ちますから。だから――」
あなたはもう眠ってもいいんですよ。そう、言いたかったのだけれど。
空洞の瞳は再び天の月を見上げます。わたしはその寂々とした姿に首を左右に振って、彼に背中を向けました。
そうして、アデリナを追って歩き出します。数歩、歩いて。
――……………………。
風の音に足を止めて。
「今……」
振り返っても、彼は空洞の瞳で月を見上げたままです。
祈りの言葉が聞こえた気がしたのです。短い、とても短い、祈りの言葉です。嗄れたご老人の優しい声で。
――旅立つものに、太陽の加護在らんことを……。
ああ、そうかと、わたしは理解しました。
たぶん、感染していないんだ、わたし。だから、太陽の加護。ナイ・カー様は、それを教えてくれたのだと、なぜかそう感じました。
わたしはもう一度だけ口を開けて。
「……ありがとう、さようなら……」
そう呟いたときには、もう大神官ナイ・カー様の姿はそこにはありませんでした。
かつては稀少鉱物の採掘で賑わった都市。今は命なき廃墟。そんな鉱山都市シャラニスで起こった、不思議な一夜のお話でした。
交換日記[七宝蓮華]
ぎゃっ!? おまわりさん! あいつですっ!!




