第67話 女剣士は竜狩りの剣を振るう㊤
交換日記[筋肉神]
ぬぅ、娘よ! 小賢しき気功などに頼るな!
森羅万象、絶大なる筋力で圧し潰せばいいのだッ!!
泥水を跳ね飛ばしながら、わたしはアデリナの手を引いて走ります。
逃げなきゃ、早く!
一刻も早くこの廃墟シャラニスから離脱しなければなりません。ようやく、わたしはあれの正体に思い至ったのです。
ばしゃばしゃと、二人分の水音が響きます。
「蓮華、いったいどうしたんだ? あそこまでやれば、どんな生物だってもう……」
わたしの想像が正しいのであれば、アデリナの秘策、雷電の弩で内臓を灼き、わたしの気功・発勁で物理の衝撃を入れても、あまり効果はないはずです。
「立ち上がりますっ、すぐにっ」
その言葉を体現するかのように、わたしたちの遙か後方から怪物の咆吼が響きました。
――ガギャアアアァァァーーーーーーーーーーッ!!
音波が泥沼に沈むシャラニスの水面を波打たせました。
「な――っ!? ば、ばかな……」
わたしはアデリナの手を引き、倒壊しかけた民家へと飛び込みます。とにかく、毒竜の視線を切らなければいけません。
あまり距離は取れませんでした。わたしが毒竜を転ばせてから咆吼まで、わずか十秒程度の間しかありませんでしたから。一人ならばそれでも数百メートルは距離を取れますが、機動力に難ありのアデリナが一緒です。
後方、わずか一〇〇メートルほどの距離。
翼ある生物にとっては、目と鼻の先。夜の闇も、大して味方にはならないでしょう。
身を隠して声をひそめ、わたしたちは呼吸を整えます。
「どういうことだ……。弱ってさえいないじゃないか……」
「生きてないんです。最初から」
わたしは深呼吸で酸素を取り込みながら、早口で呟きました。
「どういう意味だ?」
「そのままの」
毒竜接近時、アデリナは言いました。凄まじい濃度の魔素を感じる、と。
ところがわたしには気の動きが感知できませんでした。毒竜が牙を剥いて襲いかかってきても、殺気も闘気もなかったのです。
魔素を発生させているのに、殺意を持った攻撃時に殺気も闘気も発さない。
そんな生物は存在しません。
あるいはわたしや魔王といった異邦人が相手ならば、魔素を感じ取れないこともあるかもしれません。けれど、明確な殺意を持った瞬間に、必ず気は発生するのです。
毒竜にはそれがない。まるっきりないのです。
「こたえを渋るな、蓮華。時間がない」
「毒竜は生物ではありません」
わたしたちを捜しているのでしょう。毒竜は長い首を左右にめぐらせ、数歩歩いては戻りを繰り返しています。
「バカな、あれが死骸だとでも言うつもりか?」
「それはわかりません。ですが、七英雄の時代から、もともとそういう生物――ううん、そういう存在だった可能性があります」
生きていない。生命体ではない。だから内臓を灼こうとも、自らがどれだけ傷つこうとも、死を恐れることなく全力で向かい来る。与えられた古竜の力を以て。
ただただ、人間を駆逐するために。
「少なくとも崩拳を通じて勁を通したとき、生命活動らしき息吹や鼓動は伝わってきませんでした。あれは生物の肉体というより――」
わたしは自らの拳に視線を落として呟きます。
「――そう、人形。黑竜“世界喰い”の切り離された肉片から生み出された、竜の形を持つ有機物の人形のように思えました」
「……くそったれ、不死の古竜か。だとするなら二〇〇年前、魔人族や亜人族といった瘴気の効きづらい種族までいた異種族連合の大半が、毒竜の群れに壊滅状態にされたというのも納得できる」
毒竜の脅威は瘴気だけではなかったということです。
民家の壁から毒竜の様子を覗いていたアデリナが、ため息をついて額に手をあて、壁に背中を預けました。
「……逃げましょう、アデリナ。今のわたしたちでは分が悪いです」
「つってもおまえ、これじゃあな。動けば見つかるぞ」
毒竜は未だわたしたちを捜索しています。鼻を夜空に持ち上げて、その場から動こうとはしません。感覚器官を使用して周囲を探っているのだと、遠目にもわかります。
「それに、あたしたちはこれからあれを何十、何百と倒していかなきゃならない」
「方法がありません」
たとえば、そう。
魔王の日本刀のような斬れ味の刀があれば、形なくなるまで斬り刻むという方法もあったでしょう。
わたしたちが毒竜の翼を破ったように、脚を切り離せば走れませんし、首を斬り落とせば瘴気は吐けません。腕を斬り飛ばせば鋭いかぎ爪は存在意義を失い、いつかは魔素も大地に吸収されて消滅させることができるでしょう。
けれど、キラキラ☆モーニングスターは鈍器です。よく言っても、先っちょの尖った部分で突き刺せる刺突武器に過ぎません。
斬撃武器……となると……、…………あ。
わたしはアデリナの背中に視線を向けます。アデリナが鋭敏にそれを察知し、ぶんぶんと首を左右に振りました。
「だ、だめだぞ。これは貸せん」
「毒竜をやっつけるんでしょう?」
「だめだだめだ。あんな硬い鱗を斬って、万が一折れたらどうする! こいつはあたしの魂だぞ!」
本物の魂を失うよりはずっといいと思いますが。
「たぶん平気ですよ。だってそれ、竜を狩るための武器ですもん。ドラゴンスレイヤーなんでしょう?」
「め、目を泳がせながら、わけのわからんことを言うんじゃあない! 剣は剣士の宝物なのだぞ!」
わけわからんって……今のは至って正論だと思うのですが……。
「そう……ですか……。……だめ……ですか……」
「そうだぞ」
「え? 嬉しい。ありがとう。じゃあ借りますね」
「なんでそうなるんだ! 文脈を読め! 子供か!」
瞬間、内陸から流れた突風が、わたしとアデリナの髪を巻き上げました。
風向きが変わったのです。内陸から、海へ。ほんの一瞬だけれど。
「あ……」
直後に水を跳ね上げる音と地響きが、高速で近づいてきます。どうやら毒竜の鼻は、そうとうに利くようです。
視線を向けると、翼を持った灰色の恐竜が嬉々として跳躍し、わたしたちの上空から落下してくるところでした。
「貸して!」
「嫌だ!」
わたしはアデリナの胸鎧の襟のような部分をつかんで引きずり、横っ飛びにそれを躱します。
この世の終わりのような震動と、砕けて捲れ上がった泥沼の大地に、火山噴火のように泥水が高く高く跳ね上がります。
再び逃走を始めたわたしたちの背後から、狂った咆吼を上げながら毒竜が迫ります。
「お願いっ、アデリナっ! それ以上拒否するなら、分捕るしかありません!」
「ヒェ!? わ、わかった! わかったから――」
「ありが――」
アデリナの背中のグレートソードの柄へと伸ばしたわたしの手をペシっと叩き落として、アデリナが男前な表情で言い捨てます。
「あたしがやるってことに決まってるだろっ」
「え~……」
ゴッ、と音がして、毒竜が家屋を蹴飛ばします。巨大な建造物の壁が背後から迫って。
「こんちき――ッ」
わたしはとっさにアデリナを前に振って泥沼の大地に投げ捨て、飛来した壁を後ろ回し蹴りで破壊しました。
「――しょぉぉぉいっ!」
粉々に砕けた壁面が泥沼に投げ出されたアデリナの周囲に散って、けれども彼女はその中央で臆することなく立って叫ぶのです。
「蓮華! 一瞬でいいッ、やつの動きを止めろッ!」
ちょっと! 本気でやるつもりなのっ!? ドラスレ振り下ろすどころか抜くだけの筋力もないくせに!
蹴った壁のすぐ向こう側、狂った竜の鋭い牙が迫って。赤黒い舌が覗いていました。
「~~ッ」
避けきれな――っ!
がぎぃ、と奥歯を噛みしめます。
とっさの判断。わたしは左右への回避をあきらめ、身を屈めて毒竜の下顎をくぐります。躱しきれなかった長い黒髪が数本、上顎と下顎に挟まれて切れ、喰われました。
わたしはスライディングタックルの要領で毒竜の股を抜け様に、やつの片足を右手でつかみます。もちろん、固定もされていない状況でそんなことをしたって、毒竜の突進を止めることはできません。
「この――っ」
このままでは毒竜は、一秒と経たないうちにアデリナの身体をばらばらに引き裂くでしょう。それでも避けないのです。アデリナ・リオカルトという女性は。
恐怖に引き攣った表情で「のわーっ」とお決まりの悲鳴を上げながらでも、決して回避をしない。できないからというのもあるでしょう。
けれども、その目は鋭く見開かれており、反撃の期を伺うのです。
わたしを、バカみたいに信じているから。この毒竜の突進は、必ず止まると思い込んでいるから。
だから――ッ! 応えましょう、その期待ッ!!
わたしは右手で毒竜の片足をつかんだまま、左手を拳にして浅い泥沼に全力パンチを叩き込みました。
ずどん、と汚れた水柱が上がり、わたしは顔の半分まで泥水に浸けた状態で、左腕を杭のように水底に突き刺します。
――……ッ!
三倍の太さにまで膨れあがらせた両腕に、ありったけの筋力を込めて。上半身を引き裂かれそうな痛みにさらしながら。
「くンのぉぉぉ――!」
毒竜がつんのめりました。そうしてアデリナの目と鼻の先、一呼吸もない距離で毒竜の頭部が泥水を派手に跳ね上げて、倒れ込みます。
転ばせた――!
「アデリ――ッ!!」
わたしは目を剥きました。
あれほど斬撃じゃないとだめと言ったのに、アデリナったらドラゴンスレイヤーの柄ではなく、人差し指と中指を揃えて空高くに持ち上げていましたから。
ばかああぁぁぁぁぁ!
交換日記[七宝蓮華]
……できるなら真っ先に筋肉神をぺたんこにしますが?
交換日記[魔法神]
ぷぷ、ぷぶふぉぉ~~! 反抗期ですなあ!
※
㊦は本日20時に投稿します。




