第61話 亡霊は語り出す
交換日記[七宝蓮華]
うふふぅ、暗闇に呑まれそうなお空がとっても綺麗……♪
アデリナは幽霊にふつうに声をかけました。
わたしは彼女の背中に貼り付いて、顔だけを覗かせます。
ぼんやりと薄緑の光を放つその幽霊は、よく見れば年老いていました。
視線は常に下向き、腐って足の折れかけた椅子に腰を下ろし、そんなものは存在しないのに、まるでテーブルに肘をつくような格好で両手を組んでいました。
「~~っ!?」
目! 目が窪んだ穴になっています! 歯も大半を失い、肌にはもう生気の欠片もありません!
――…………ァ……ァァ………………ァ……。
そうして、ぼそぼそと何かを囁いているのです。虚空へと向けて。
貫頭衣はアルタイルの大神官ラトル様のものに近い形状でしたから、おそらくは神職についていらっしゃった方なのでしょう。
――…………く……しい…………ちお…………い…………。
く、し、い、ち、お、い……くちおしい……口惜しい……朽ち惜し……い…………?
ひぃぃぃぃ!
わたしはアデリナの背中をつかんで前後に揺すります。
「か、帰りましょう! わたしたち、なんかご迷惑をおかけしている気がします!」
「何を言う。迷惑してるのはこちらのほうだ。――おい、あんた。少し静かにしてくれないか。あーあーあーあー唸られたんじゃ、ゆっくり眠ることもできん」
ちょぉぉ――!
ごくりと喉を鳴らして視線を幽霊さんに向けると、彼はわたしたちの存在などまるで見えていないかのように、やはり窪んだ穴の目を伏せたまま、ぶつぶつと同じ言葉を繰り返していました。
口惜しい……朽ち惜しい……。
ほ……、怒ってない。少なくとも、わたしたちには。
いや、全然状況的にはよくありませんが!
「アデ――ふぁぁぁぁん!?」
一瞬目を離した隙に、アデリナはわたしの手を振り切って幽霊さんに歩み寄ります。なんの警戒もなく、まるでそこらの犬に近づくみたいに堂々と。
え、ちょ……。
「こちらが喋っているときは目を見ろ。聞いているのか、あんた」
「う、うっそぉ……」
説教してます! 予告通り!
その行動、もはや理解の範疇外!
わたしはあわあわすることしかできません。今さらながら漏らしそうです。
「やれやれ。あたしは顔を上げろと言ってい――……」
アデリナは幽霊さんの肩に右手をのせ――ようとして、ホログラムのように彼の肉体をすり抜けた手に視線を落としました。
指先、つま先から、寒気と同時に鳥肌が這い上がります。
ほら! ほら! 言ったじゃないですかっ! それ見たことかですよ! 今さら後悔したって遅――?
アデリナが長い美脚を微かに持ち上げました。
「ふぅむ?」
そこから先の行動は、さらにわたしの理解を超えていました。
「………………せいっ」
アデリナが腐った椅子の脚を自らの足で払ったのです。具足で。ぱきっと音がして椅子の一脚が折れ、当然のように傾きます。
幽霊さんごと。
腐った椅子が倒れた音だけが響きました。幽霊さんの倒れ込む音はおろか、衣擦れの音さえしなかったのです。
手がすり抜けたということは、質量がないのだから当然です。
けれどもアデリナときたら、そんなことは些細なことであるとばかりにしゃがみ込み、幽霊さんの目線の先に自らの両眼を置きました。
「すまない。物体の概念はあるんだな。てっきりあんたは倒れないものと思った」
うふふぅ、わたしもです。
てゆーかっ! なんでっ! そんなことっ! したのっ!? もぉぉぉぉ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~!
「悪かったな。興味を抑えきれなかった」
わたしの心を読んだかのようにアデリナは平然と呟き、幽霊さんに謝罪します。
「だが、あんたもあたしの安眠を阻害したから、これでおあいこだ」
何言ってんのっ!?
わたしは頭を掻き毟りました。けれどもアデリナはそんなことには一向にお構いなし、幽霊さんへと語りかけます。
「あんた。あたしの声は聞こえているのか?」
――………………ァ……ァァァ……。
アデリナが悪びれた様子もなく舌打ちをします。
「だめか。蓮華、おまえの言う通り、呪う以外の意志はないのかもしれんな」
や、舌打ちしたのはこっちです。たぶん幽霊さんもでしょうけれど。
幽霊さんはアデリナとは視線を合わせず、起き上がって再び――なくなったはずの椅子がまるで存在しているかのように、闇へと腰を下ろしました。
そうして壊れたCDの音飛びのように、同じ言葉を繰り返すのです。
……口惜しい……朽ち惜しい……と。……世界ごと呪うかのような怨念を込めて。
アデリナが中腰になって、再び視線を幽霊さんに合わせました。そうして眉間に皺を寄せ、尋ねます。
「あんた、それ、足は疲れないのか? 死んでるのに筋トレか?」
だはあああぁぁぁぁぁい! なんですかこの会話は! なんて化けて出甲斐のないヒトなんでしょうか、アデリナは!
なんか散々怖がってたのが、だんだんアホらしくなってきましたよ。
ちょっと落ち着いてきたので、わたしも意を決して話しかけてみます。
「あの、ち、違ったらごめんなさい。あなたはもしかして、シャラニスの大神官ネイ・カー様でしょうか……?」
――……くち……お……………………………………………………。
ひっ、と息を呑みます。
言葉が止まったのです。幽霊さんの。そうして、空洞の瞳をわたしへと向けて。
――……ァ……ァァ……。
通じ……た……?
アデリナに視線を向けると、彼女は何事かを思案するように唇に手をあてていました。
「そうか。キーワードだ。ゆーれいが意志なき残留思念なのだとしても、恨みや呪いにかかわる当時のキーワードで情報を引き出せるかもしれん。こいつが大神官ネイ・カーなのだとしたら、当時の状況を識ることもできるはずだ。――でかしたぞ、蓮華!」
ネイ・カー。その名を口にしたアデリナへと、幽霊さん――おそらくは大神官ネイ・カー様が空洞の瞳を向けました。
アデリナが尋ねます。
「あんたはネイ・カーか?」
――……ア……ァ……ネイ・カー……私の……名……、……ネイ・カー…………。
先ほどよりも幾分聞き取りやすくなっていました。意味のない呪言の羅列ではなく、言葉に意志が通ったのかもしれません。
「あの日、シャラニスが滅んだ日、あんたが見た光景はなんだ?」
――……。
ネイ・カー様が黙しました。
「質問の仕方が悪いのかも。あなたは黑竜“世界喰い”を識っていますか?」
空洞の瞳がこれまでにない勢いで、ぐるりと首ごとわたしへと向けられました。
喉の奥に悲鳴を押し込め、わたしは彼の言葉を待ちます。
――……ア……アァ……アアアアアアァァァ……ッ!
「~~っ!?」
「――ッ」
わたしたちはとっさに両手で耳を塞ぎます。
それは悲鳴でした。
それは叫びでした。
それは恐怖でした。
そして、悲哀でもありました。
交換日記[筋肉神]
落ち着くのだ、娘よ。
それはただの天井だ。
心の筋肉をしっかり保つがいい。
交換日記[魔法神]
はて、心の筋肉……心筋のことですかな?
交換日記[アデリナ・リオカルト]
たぶんそうだろ。




