第5話 森林の大海亭
交換日記(筋肉神)
大陸を覆う不穏なる黒き影も、筋肉さえあれば吹っ飛ばせるであろう。
都市国家シーレファイス――。
膨大な量の大理石を積み上げて作られた城壁はとても美しく、その光沢で陽光を反射させて輝いていました。
開きっぱなしの城壁門は青銅製です。まるでぴかぴかに磨いた十円玉みたいな色。けれども、とても大きくて。
「綺麗な街……」
「まあな」
感動して立ち止まるわたしを尻目に、アデリナは慣れた様子で門番に話しかけます。
「アデリナ・リオカルトだ。戻ったぞ」
「ハッ」
槍と革製の鎧で武装した門番は、なぜかアデリナにへりくだって。頭を下げて、青銅製の城壁門への道を彼女へと譲りました。
「行くぞ、蓮華」
「あ、はい」
わたしは門番に会釈だけをして、アデリナの後に続いてシーレファイスへと足を踏み入れました。そうして目を見開きます。
大きく、とても大きく。
「……っ」
驚きました。
建造物のすべてが白を基調とした正六面体のもので統一され、わたしの知らない物質で固められたストリートにはマーブル模様のメノウが埋め込まれています。
空の青さも相まって、その美しいことと言ったら!
「まるで夢の国みたい……」
「ははっ、父が聞いたら喜ぶだろうな」
「……アデリナのお父様?」
「あたしの父はシーレファイスの王、クラナス・リオカルトだよ。この国を建国した張本人さ」
少し考えて、わたしは訝しげに尋ねました。
「アデリナってお姫様なの?」
「ま、そういうことになるな」
事も無げに呟いたりして。
放蕩だ。放蕩娘だ。それもお姫様の。こんなの織田信長さん以外は物語の中にしか存在しないと思っていたのに。
わたしたちはメノウの埋め込まれた美しいストリートを歩いて行きます。人通りはそれなりにありますが、あまり多くはありません。正六面体で統一されたお家も、よくよく見れば空き家が多いようです。
「シーレファイスはまだ歴史の浅い国なんだ」
「でしょうね。アデリナ……様のお父様が建国されたのなら、数十年くらい?」
「アデリナでいい。だが、この十年で人口は増え続けている。各地から流入するんだ」
少し考えて、わたしは尋ねます。
「黑竜被害から逃げて?」
「それもある。あとは北の大国に突如現れた魔王に土地を追われて、とかな」
「魔……王?」
ゲームみたい。モンスターがいて、魔王がいて。勇者なんてのもいるのかしら。
アデリナは露店通りを歩きながら、楽しげに走っている子供らに視線を細めます。
「すまんが、魔王に関してはあたしも詳しくは知らないんだ。ここ数年の話だから。あたしが知っているのは、大国を滅ぼした常闇の眷属の王がいて、そいつが北の地を支配したってことくらいだ」
「常闇の眷属というのはなんですか?」
わたしが首を傾げると、アデリナはまるで子供にするように、あたしの頭を一撫でしてから口を開けました。
「世界の闇に潜む亜人種だ。羽根持つ人のハルピア族や、蜥蜴人間のリザードマン族、精霊を使役するダークエルフ族、並外れた肉体性能を持つ魔人族や女だらけのアマゾネス族なんてのもいる。そいつらが結託して、光の眷属である人間を北の地から追いやったというわけだ」
ゲーム的な知識ではありますが、どの種族も聞き覚えがあります。
黑竜“世界喰い”だけでも大変なのに、同じ地に生きるもの同士でそんな争いまで。どこの世界も変わりませんね。こういう悲しいことは。
「だから今、北の地にはレアルガルド全土に散っていた常闇の眷属が集結しつつある。アリアーナ神権国家とリリフレイア神殿国が魔王の討伐に乗り出してはいるが、戦況は思わしくない」
「どちらも聞き覚えがありません。宗教ですか?」
「天秤の神アリアーナは罪を裁く神で、戦女神リリフレイアは炎と騎士の女神だ。どちらもレアルガルドでは非常に強い影響力を持つ、一国家として存在している」
宗教国家と魔王の戦争、そして不気味な黑竜の動き。三つ巴。
思っていた以上に物騒な世界に来てしまったようです。
「……と、ここだ。ついたぞ」
風に揺れる回転看板には、わたしの知らない文字が書かれていました。なんだか小麦の焼ける、とても良い匂いが漂っています。
「アデリナ、これはなんて読むの?」
「森林の大海亭。宿屋を兼ねた食堂だ。店は小さいが、焼きたてパンがうまい」
おもしろい名前です。日本で言えば樹海ですね。
「蓮華は言葉は流暢なのに、レアルガルド文字は読めないのだな」
「ごめんなさい、質問ばかりしてしまって。他の大陸から来たばかりで、レアルガルドの文化はまだ何もわからないの」
邪気のない顔で、アデリナがまたわたしの頭に手を置いて一撫でしました。
先ほどもだったのですが、隙を見せたつもりはなかったのに。とてもナチュラルに子供扱いされてしまいます。少し悔しい。
「はは、別に謝ることじゃないさ。最初から文字を読める人間なんてどこにもいない。気になるなら好きなだけ尋ねてもかまわないぞ。あたしはいくらでも付き合う。ただし、楽しく飲み食いしながらだ」
そう言って、悪戯な顔で笑って。
もし彼女が男性だったら、わたしはちょっと惹かれていたかもしれません。
スイングドアをくぐると、すぐにウェイトレスさんが近づいてきます。
二十歳前後のおねえさんでしょうか。アデリナほどではないけれど、青みがかった黒髪の女性です。メイドさんのようなエプロンドレスは、少しわたしの魔法装束に似ていました。
「いらっしゃいませ、アデリナ様」
「アデリナでいいって言ったろ、アリッサ。まったく。いつまで経ってもなれないな」
アリッサと呼ばれたウェイトレスさんが苦笑いを浮かべて。なんだか二人、とても仲が良さそうです。
「こんにちは、アリッサさん。わたしは七宝蓮華と申します」
「あ、はい。こんにちは。アデリナ様のご友人ですか?」
「そうだ。あたしが森で拾って友達になった」
アデリナが事も無げにこたえると、アリッサさんが口に手をあてて目を見開きました。
「まあ! 本当に? それは大変だったでしょう?」
「はい、少し。おかげで命拾いです」
アリッサさんがにんまり笑って、わたしに顔を近づけます。
「実はわたしもなのですよ。アデリナ様に森で拾われちゃいました。四年ほど前に」
「そうなの?」
「そうなのです」
なぜか、得意げで。可愛い人。
ふと思い立ち、わたしは尋ねます。
「アリッサさん、あなたは地球やアースと呼ばれる星をご存じですか?」
「……? ごめんなさい。聞き覚えがありません」
迷い人ならば、もしや……と思いましたが、どうやらグリム・リーパー被害の転移者ではないようです。残念。
「そうですか。では、どこからいらしたのですか?」
「それは……」
ふいにアリッサさんの表情が曇りました。
アデリナがすかさず呟きます。
「蓮華、アリッサは魔王被害に遭った難民だ」
「あ……」
魔王に滅ぼされた国の生存者……。
わたしは大あわてで頭を下げました。
「ぶしつけな質問をしてしまい、申し訳ありませんっ」
「いえいえ、そんな。大丈夫ですよ。……それに、わたしのいた名前すらなかった小さな国は、魔王に直接滅ぼされたというわけではありませんから」
言葉の後半は気になったのだけれど、これ以上尋ねることは躊躇われて。
アデリナが雰囲気を変えようとしたのか、ぱん、と両手を打ちました。
「そんなことより腹が減った。アリッサ、席に案内してくれ」
「はい。コースはいつものでいいですか?」
「ああ、頼む。二人分だ」
こうしてわたしは、アデリナとともに木製の円卓に腰を下ろしました。
交換日記(七宝蓮華)
ちょっと脳筋は黙ってて?




