第46話 魔法少女は接触する
交換日記[アデリナ・リオカルト]
あの日の黑竜以上の魔素を感じる。
正直言って近づきたくはないが……。
音を立てぬよう、そっと図書館への扉を押します。鍵はかかっていません。
ぎぃ、と扉を開けると、古い本の香りがぷんと薫ってきました。
後ろ手に扉を閉めて、わたしたちは息を殺しながら歩き出します。
大聖堂よりもずっとずっと広くて高さのある建物の壁は、すべて本棚で覆われていました。もちろんふつうの本棚もいくつもあって、それが法則性を持たずに縦や横に並べられているものだから、通路がまるで迷路のようになってしまっています。
「本棚は倒れなかったんですね」
「ああ。これは本棚というより壁だ。壁を本棚で造っている」
「?」
「建物と本棚を一体化させる造りだ。見ろ。壁沿いだけじゃなく、並べられているように見える本棚だって押しても動かない。床と本棚が一体だからだ」
へえ、変わった建築技術です。くりぬいたのかしら。魔法や魔術のある世界ならではの建築方法ですね。
「だから先ほどのような事態に陥っても、本棚が倒れることはないんだ」
「安全性のためなんですね」
「このエルドラ大神殿で最も安全な場所と言われている」
それでも、先ほどの震動の影響でしょう。蔵書のおよそ半数は地面に散らばってしまっています。
通路の先は薄闇となっていました。
わたしとアデリナは、本棚でできた巨大な迷路のような通路を、足音を殺して歩きます。
「どこだろう……」
侵入者の姿はまだ見えません。黙っていると緊張で頭がおかしくなりそうです。
そんなことを考えていると、アデリナが本棚を人差し指でなぞりながら呟きました。
「魔導書・魔術書の本棚に石盤遺跡の写本は見あたらん。やはりあれは禁書か。ならば一般人や下級神官が閲覧できるような場所にはないな。地下か最奥か天井裏の隠し部屋といったところか」
アデリナの視線は、前方の足もとへと向けられます。どうやらここらへんの本棚を探すのは無駄のようです。
「魔素の発生源は地下なの?」
「ああ。息が詰まりそうな濃度だ。恐ろしい化け物がいる。絶対に油断はするな」
アデリナは決して嘘を言いません。そして、とても強い女性です。その彼女が何度も何度も繰り返し言うのです。
魔素の濃度が異常である、と。
これは警告なのでしょう。肝に銘じておかねば、いくらわたしたちだって死んでしまう恐れがあります。あの日、鎧竜を弔った日、黑竜と出遭ったときのように。
ごくり、と喉を鳴らして唾液を呑みます。
一度息を大きく吸って、ゆっくりと吐いて。
「……行きましょう」
わたしは先に立って歩き出します。
薄暗い図書館の本棚と本棚の間にできた通路を通って、ひたすら前へ。きっとこの先には、禁書を保管しておくための地下へと降りる階段があるはずです。
まるで迷路のように配置された本棚の道を小走りで抜けて曲がると、ふいにわたしの身体は何かにぶつかりました。
「きゃっ!」
「ん?」
わたしは尻餅をつきます。
男の方です。男性が片手に開いた本を持って立っていました。
気配もなかったのに。アデリナの警告もなかったのに。
「ご……めんなさい。……だ、誰かいるだなんて思わなくって……」
「ああ。別にかまわんぜ。怪我はねえかい?」
閲覧客がいたのでしょうか。
アデリナに視線を向けると、彼女は小さく首を左右に振ります。
別段、脅えている様子も戦闘態勢に移行する様子もありません。どうやらふつうの閲覧客のようです。
「え、ええ」
奇妙な方でした。年齢は三十路に入ったあたりでしょうか。
レアルガルドでは珍しい黒髪黒目はわたしと同じ。身長は高くはないけれど、体幹が強いのかわたしがぶつかっても微動だにしませんでした。服装は空色の長衣、髪型は肩に毛先がつく程度の長さで、セットはしていないらしくぼさぼさです。
異邦人――日本人かしら? たしかめてみたいけれど、今は危急のときです。
「そうかい。そいつぁ重畳」
そう言って、手を差し伸べてくれて。
わたしはその手につかまって立ち上がります。硬く、そして冷たい手でした。
「ありがとうございます」
「おう」
短い返事だけをして、もう本に視線を落としています。
そっと覗き込むと、彼が釘付けとなっているページには、湯気の立つおいしそうな鍋料理のイラストが載っていました。
まるでショーウィンドウのトランペットに憧れる少年のような目つきで、その方は料理のイラストを眺めています。よだれがページに落ちそうで心配です。
「いいねえ……。ああ……実にいい……。こいつぁ辛抱たまらんぜ……」
なんかぼそぼそ言ってます。
まるで女性を品定めする男性のようです。すっごい食いしん坊なのかしら。
「わたしたち、先を急ぐので」
「ん? おう。ああ、ちょい待ち」
通り過ぎようとしたわたしとアデリナは立ち止まります。
「嬢ちゃんよ、こいつぁなんて料理でどこの地域のもんだい?」
「あ……、わたし、レアルガルド文字が読めないんです」
「あれまあ。そうなのかィ。おれもだ。レアルガルド文字ってのぁややこしくていけねえや。なあ?」
あからさまに肩を落とす男性でした。
この方、やはり異邦人な気がします。
アデリナがわたしの頭の上からページを覗き込み、男性に囁くように言いました。
「ここから遙か北方東国、山岳国家アゼリアの郷土料理だ。畜産と農業が盛んな国で、魔物ではない牛と根菜を煮込んだものだな。ワインによく合う。だが、アゼリアは遠いぞ。大半の飛空挺が失われた今、騎竜がなければ到底辿り着けんだろう」
「ああ、アゼリアかい。……懐かしい響きだ」
「行ったことがあるのか?」
男性は悪びれた様子もなく呟きます。
「ないねえ。ないが、知己がいる。ちょいとわけあって、なかなか顔を出せねえんだがねえ」
「そうか」
アデリナが微笑み、うなずきます。
「くかかっ、以前に不義理をしちまったもんでねェ。合わせる顔がねえのさ」
男性もまた、少し笑って。
疲れた瞳でした。とても遠くを見ているような瞳をした、不思議な男の方でした。わたしにはその横顔が、とても印象的に思えました。
「ああ、すまねえ。急いでるってのに時間取らせたな。行ってくれ」
「あ、はい。では――」
一歩踏み出し、わたしは振り返ります。
「あの……ここ、もうすぐ危険になるかも」
「ん? そうなのかィ? アルタイルで一番安全な場所だって聞いたんだが」
「さっき揺れたでしょう?」
渋い表情で、男性が首を傾げました。
「そうだったかねえ?」
こんなに本が散らばっているのに気づかなかったなんてあるのかしら。
「とにかく、今のうちに逃げたほうがいいですよ。アルタイルの聖堂騎士たちも、もうすぐ雪崩れ込んでくると思います。戦いになると、いくら頑丈な建物でもどうなるか……」
「肝に銘じとくぜ。ありがとよ」
さっさと行けとばかりに、手をひらひらと振って。
わかってるのかしら。この人からは危機感を感じ取れません。なんだか自分だけは何があっても死なないとか考えていそうです。
わたしはアデリナとうなずき合うと、男性に背を向けて再び本棚の通路を進み始めました。
交換日記[筋肉神]
強き筋肉があれば大丈夫だ!
交換日記[七宝蓮華]
お願い、ちょっと黙ってて。




