第4話 空駆ける黒の災厄
交換日記(筋肉神)
この体力なき女剣士のようになりたくなくば、崇めよ、筋肉を。
さすれば――我、汝に与えん。
樹林の隙間に、ようやく街らしきものが見えてきました。
けれどもわたしがよく知っているような形の街ではなく、まるで古代の都市国家のように高い高い城壁に囲まれた街でした。
都市国家シーレファイスです。
これでようやく、わたしはアデリナが話してくれた内容に確信を持てました。
アデリナはコスプレ騎士なんかじゃないし、ここは日本でも、ましてや海外でもありません。グリム・リーパーに導かれた異世界、わたしのいた世界とは完全に別の世界です。
覚悟は済ませたつもりでしたが、少しの間だけ途方に暮れました。
だってそうでしょう? どうやって帰ればいいのかわからないのですから。
けれど、うん。大丈夫。良いことだってあります。少なくとも、この出逢いは。
「アデリナ」
「ん?」
前を行くアデリナに声をかけると、アデリナが艶やかな青髪を揺らして振り返ります。
「あなたに素顔、見せてなかったと思って」
わたしは魔法少女の正体を隠しておくための、黒金の仮面に手を掛けました。
「ああ。疵隠しかなんかだと思っていたが、違ったか」
どうやら気遣われていたようです。
ほんとにお人好しだなあ、アデリナは。美人さんだから、悪い男の人には簡単に騙されてしまいそう。
ため息、ついて。
「大丈夫。違うのでお気遣いなく。――解呪」
わたしは黒金の仮面を外しました。
とたんに黒を基調とした白のレースが施された魔法少女装束は、キラキラ☆モーニングスターとともに光の粒子となって弾け飛び、次の瞬間には膝下まである長いフレアスカートにブラウスといった姿に戻ります。
「ただ姿を変えるだけの魔法です。わたしのいたところ、東京では魔法は一般的なものではないから、戦闘時は正体を隠していたの」
最後にカーディガンを羽織ってアデリナに視線をやると、アデリナは目を丸くして驚いた顔をしていました。
純粋。美人なのに可愛い。
「そうなのか。隠さねばならんとはもったいない。ずいぶんと可愛らしい顔をしている」
「そ……!? ……そういうことは、恥ずかしいので声に出して言わないで……?」
若干、引いてしまいます。
「気に障ったら済まない。思ったことは口に出してしまう性質でな。それにしてもすごいな、蓮華は。大した魔法使いだ」
大した魔法使いっ!
そんなことを言われたのは初めてで、わたしは容姿を褒められたことなんかよりよっぽど嬉しくなって、赤面なんかしたりして。
「あ、ありがとうございます……っ。わたしもそう思います……っ」
「世辞ではないぞ。そのような魔法はレアルガルドでもほとんどお目にかかれない。自在に姿を変じるなど古竜種くらいのものだ」
「古竜種? 竜がいるのですか?」
「日本にはいなかったのか?」
アデリナがさも当然のように聞き返してきた言葉は、存在の肯定を意味するもので。
「いませんよっ。物語の中にしかっ」
「へえ、そうなのか。古竜種はこの大陸に現存する最強の種族だ」
最強の種族……!
「どんな? どんな?」
詰め寄ると、アデリナが困ったように指先で頬を掻きながら教えてくれました。
「知能は人間よりも高く、力が並外れているのはもちろんのこと、飛翔速度はどのような鳥よりも速い。その上、魔法まで扱うことができるらしい。毒を吐く個体もいれば火や水蒸気を噴く個体もいるし、その血に秘めたる力を持つ珍しいのもいる。すべての個体が見上げるほどに雄大で、そして何より生命力に溢れ、とても美しいと聞く」
わあっ、見てみたい……!
なんだかわくわくしてきました。わたしもまだまだ子供ですね。
「どこへ行けば会えますか?」
「確実にというのであれば、シーレファイスから遙か北東に位置するところに神竜国家セレスティという国がある。そこは神竜王を名乗る火竜イグニスベルが統治している」
火竜! げぼ~って火を噴くのかしら!
「遠いの?」
「そうだな。馬を飲まず食わず眠らせずに走らせて五十日くらいだと言われている」
馬の時速が四十キロとして………………ちょっと待って。
簡単に計算をして、わたしは愕然としました。
だって、ちょうど地球一周分くらいだったから。
「レアルガルド大陸ってそんなに広いの?」
にわかには信じられません。
「ああ。……と言いたいが、実際にそんなことが可能な馬はいない。だから正確なところは不明だ。未だこの大陸に正確な地図は存在しないと言われている」
多少の誤差があったにしても、絶望的な距離です。
けれど、その話が真実なのだとしたら、この異世界は地球の過去や未来ではない、まったく別の惑星ということになります。何気にものすごい発見かも。
竜を見られそうにないのはとても残念ですが。
「イグニスベルさんの他には、いない? 古竜種」
「すまんが、古竜種に関してはちょっとわからないな。運が良ければ空を見上げてりゃ、何十年に一度かはお目にかかれると言われているが」
そう言ってアデリナは肩をすくめました。
そんな仕草がとてもよく似合うのは、わたしの目から見ても彼女が異国の美人さんだからなのでしょう。
「あはっ、どっちも現実的ではないですね」
残念。
再び歩き出そうとしたアデリナが、ふいに振り返りました。
「ああ、忘れていた。あれも古竜種だと言われていたか」
「あれ?」
「黑竜“世界喰い”だ」
世界喰い。なんだか不穏な渾名……というか、嫌な響きです。
「やつはすべての生物に等しく死を振りまく死神なんだ」
死神……! グリム・リーパー……?
ぴりりと皮膚が張ったような気がしました。
「詳しく聞かせて?」
アデリナが小さくうなずきました。
「巨大な、見上げた空をすべて覆ってしまうほどに巨大な黒色の竜だ。やつに襲われて滅んだ国は山ほどある。生存者はいない」
「いないって……。戦わないまでも、隠れてやり過ごすことはできないの?」
「無駄なんだ。黑竜は瘴気を振りまく。そして黑竜の瘴気にあてられた生物は、黑竜病という肺病に罹患するんだ。根治不能の死に至る病だ。やつが上空を通過するだけでも、黑竜病患者は大量に発生する。ましてや襲われた国であれば、罹患しない人間はいない」
「治療法は?」
「ない。見つかっていない」
わたしは少し考えて、尋ねます。
「これまで立ち向かう人はいなかったのですか?」
アデリナが苦々しい表情で頭を掻きました。
「二〇〇年ほど前に古竜や人間はもちろんのこと、エルフやドワーフ、魔人といった亜人種までもが連合を組んで黑竜を倒そうとしたんだが、だめだった。深傷を負わせたらしいが、異種族連合はそれ以上の被害を被ったんだ。たった一体の黑竜にな」
一度大きなため息をついて、アデリナは吐き捨てるように言いました。
「そして連合は解散。以降、黑竜を討とうってやつは二〇〇年間出ていない。そして今も数年から数十年に一度、国レベルの被害が出続けている」
嫌だな、そういうの。嫌いです。気持ち悪い。
むしゃくしゃします。殴らせろ。もちろん黑竜をです。
「アデリナは平気なの?」
わたしがそう尋ねると、アデリナは特大剣の柄に手をやって、ステキに不敵な笑みを浮かべました。
「そんなわけない。シーレファイスだっていつ襲われるかわかったものじゃない」
熱帯雨林の湿った風が、アデリナの青髪をふわりと広げます。そうして彼女は、得意げに言ってのけます。
「それでなくとも、そのような無体がゆるされるものか。だからわたしは竜を討つ剣士になったのだ」
まるで夢を語る子供のような瞳で。無邪気に、けれども力強く。体力まったくないヘナチョコのくせに。
「このグレートソードはドワーフの名匠クウ・カッコワライに打たせたドラゴンスレイヤー・カッコワライ。すなわち竜殺しだ。――わたしはいつか、この剣で黑竜を討つ!」
自信に満ちた顔で。
わたしは思います。
ドラゴンスレイヤー・カッコワライ。
こりゃだめっぽい響きだなあ~、と。
交換日記(七宝蓮華)
いらない。