第29話 深淵の海底
交換日記[筋肉神]
なぬぅ? 船が沈められそうだと?
ならば鍛えるがいい! 筋肉を!
わたしが迷っている間に、海賊さんたちは野太い声で歌い出してしまいました。
雄々しく、激しく、抜いた剣を空へと掲げて。
それは自由の歌でした。それは海の歌でした。それは男の歌でした。
海軍を相手に大立ち回り、他の海賊たちを蹴散らして、伝説の宝島を目指す歌でした。
誰も彼もあらん限りの大声で、音程なんて二の次です。
ダーグアオンたちが足のような二本の尾ヒレで船上へと上がってきた瞬間、わたしはそれを蹴り飛ばすべく駆け出そうとして――。
「あ……え、きゃっ!」
海賊さん二人に抱えられ、海へと放り投げられてしまいました。
高く、高く、宙を描いて。
着水と同時に両足で海面を蹴り、水柱を立てます。沈まないように。
「じゃあなァ、可愛い魔法使いちゃん!」
「あばよ!」
海中のダーグアオンの姿がまばらになっています。どうやらほとんどが海賊船の甲板へと跳び乗ってしまったようです。
それでも寄ってくる影に、わたしは走り出します。
沈まぬよう一歩一歩を大きく、そして力強く水を蹴って。速度がのってくるほどに力を抜き、足の回転を上げていきます。安定するまで要する時間は数秒。
海藻のようなものがまとわりついた無数の手が海面からわたしの足をつかみに来る頃には、すでにわたしは海面を走り出していました。
どう……しよう……?
わたしは海賊船に戻るべき? それともリナリス運輸の船へと向かうべき?
雄々しい歌はまだまだ続いています。
傾いた甲板で足を踏み鳴らしてリズムを刻み、剣を振るって。けれども船の縁から血塗れとなった海賊さんが海中へと落下すると、声は揺らぎました。
悲鳴。
けれど、それでも。数秒後にはまた歌い出して。
海中へ落ちた海賊さんの姿は、もう見えません。海の一角が薄い赤色に覆われ、すぐに透明へと戻っていきます。
ランドルフさんの安否も依然として不明のまま。
わたしはわたしの背後から海中を追ってくる影を振り切るように走り続けます。海賊船の周囲を回って。
「てめえこら、何してやがるッ! とっとと行っちまえ馬鹿野郎!」
五十体ほどのダーグアオンの群れに囲まれ、沈みかけの海賊船の中央に追い詰められて剣を振るっていたお頭さんがわたしに叫びます。
甲板にはすでに倒れ伏している海賊さんの姿もあります。
船上の敵は五十体。海中は不明。船という足場が沈むまでどれくらいの時間があるか。
わたしの力が及ぶかどうか――!
こうして迷っている間にも、ダーグアオンの死体と海賊さんたちが、交互に海へと転がり落ちてゆきます。
ああもう、もう考えてる暇もありません!
わたしは足をフル回転させて海賊船から大きく離脱し、そうして弧を描くように海面を走り、海賊船を真正面に捉えて海面を力一杯蹴りました。
「ふなぁ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」
跳躍の間も空を蹴って走り続け、傾いた海賊船の縁に片足を付け。
「に――っ!!」
「なん――っ!?」
驚くお頭さんの頭上を跳び越えて、その背後から鋭い爪を振り上げていたダーグアオンの顔面に、両足を揃えた蹴りをお見舞いしました。
「にゃあああああっ!!」
どぱっと魚の頭部が破裂する奇妙な音が響き、目玉が脳髄のようなものを伴って飛び散ります。
爆砕――!
これはもうわたしの爆発魔法と言っても過言ではないでしょうか!
甲板を滑るように着地すると同時、わたしは頭部を失ったダーグアオンの背ビレをつかんでその生臭い全身を片手で振り上げ、五体のダーグアオンが固まっていたところへ力一杯ぶつけてやります。
「ふんがららったったーぃっ!!」
どがん、と、とんでもない音がして、海賊船の甲板の一部と爆砕したダーグアオンたちがばらばらの死骸となって海に落ちていきました。
あ、船壊しちゃった……。
まあいいでしょう。どうせ沈むんですし。
「お、おま――」
海賊さんたちの歌が完全に止まったのは、この瞬間です。
十五名ほどまで減らされた海賊さんたちの視線と、なんの感情も映し出さない海産物たちの視線が一斉にわたしへと注がれます。
は、恥ずかしい……。
わたしは両手を広げて呟きました。
「よ、よ、よくわかりませんが、今のが魔法の力ですっ。――こぉぉぉぉ……魔法パゥアー!」
「そういうアレじゃねえよ……」
船上にはダーグアオンの死体しかありません。海賊さんたちの数が減っているのは、おそらく海に引きずり込まれたからでしょう。
食料か、卵の苗床にするために――。
戦場が止まっていたのはこの瞬間だけ。数秒後にはもうぶつかり合います。剣と、怪物の爪が。
お頭さんがダーグアオンの爪を剣で防ぎ、その腹部を蹴って突き放します。
「てめっ、なんで戻ってきやがったんだコラァ!」
「わたしだったらダーグアオンたちを全滅させられるからですっ」
わたしは震脚で甲板を踏み抜き、足を取られながらもダーグアオンの腹部へと崩拳を叩き込みました。
「――ほあっ!」
ぎゅるり、と腹部をへこませたダーグアオンの背中が破れ、内臓や背骨が爆砕して飛び出します。
「そういうことじゃねえ! 船が沈んじまったらどっちみち終わりだろうがッ! ダーグアオンどもは船上にいるのがすべてじゃねえんだぞ! つーか甲板を抜くな! 沈没が早まるだろうがっ!」
「だったらもう少し頑丈な船にのっててくださ~いっ!」
甲板から足を引っこ抜き、ダーグアオンの爪を屈んで躱し、右の足払いで転ばせてから左の回し蹴りを叩き込みます。
ずむ、と嫌な感触がして、上半身と下半身に別れたダーグアオンが吹っ飛んで海の藻屑になりました。
「アホかてめぇ! これで十分頑丈なはずなんだよ! 海賊船なめんな!」
わたしは襲い来たダーグアオンの顔面へと、跳躍後ろ回し蹴りを繰り出します。
ヒレの腕三本でそれを防ごうとしたダーグアオンでしたが、わたしの踵は三本の腕をへし折ってエラにめり込み、ダーグアオンの首を三回転させてねじ切りました。
ぶしゃあと血液が噴水のように溢れ出した肉体を蹴って、その背後にいたダーグアオンごと船の縁を割って海中へと突き落とします。
「ほらあ! また壊れたじゃないですかっ!」
「ぶっ壊しながら言うんじゃねえよ! おめえが異常なんだよ! つーかそれほんとに魔法かよ!」
「ど、ど、どうでもいいじゃないですか……そのへんは……」
お頭さんがわたしに詰め寄り、顔を激しく歪めました。
「いいか? よく聞け、ガキ! おれたちが生きてる間なら歌でてめえを逃がしてやれるが、数が減りゃあそれもできなくなる! ダーグアオンはおめえが海面を走る速度よか速ええ速度で泳ぐんだ! あとで逃げりゃいいって考えでいると、てめえはリナリス運輸の船までやつらを誘導して行くことになるんだぞ!」
ああ……。今、わたしは心の底から思います。
海賊船に戻ってきて、本当によかった……。
「何安心した面してやがるッ! 話ィ聞いてんのかてめえ!」
この方々は世間的には相当な悪人なのでしょう。これまで物資を奪うために、人を殺してきたのかもしれません。海賊なのですから。
けれども、それを裁くのはわたしの役目ではありません。海上はシーレファイスの領地でもありませんから、クラナス王でもありません。たぶんそれは、彼ら海賊の被害に遭った方々や、そのご遺族であるべきなのです。
「お願いがあります」
背後から襲いかかってきたダーグアオンに裏拳を叩き込み、わたしは血塗れの拳を胸の前でぎゅっと握りしめ、上目遣いで視線を上げます。
男性はこういうポーズに弱いと聞きます。おねだりをするなら上目遣いで。瞳を濡らしながら。
「お頭さん、もしも助かったなら海賊をやめてくれませんか?」
「あ? ああ?」
戸惑った表情で、お頭さんがダーグアオンの腕を斬り飛ばしました。海賊さんたちの数は、もう十三名になってしまっています。
わたしもお頭さんも奮闘してはいますが、倒す側から半漁人たちは次々と這い上がってくるのです。
このままでは時間の問題。だからここは手っ取り早く、女の子としての特権をフルに生かすことも辞さない構えです。
今こそ輝け、わたしの女子力!
「お願い。海賊なんてやめましょう?」
「……なんだそりゃ? 返り血だらけの拳なんざ握り込んで睨んでんじゃあねえよ! それで脅してるつもりかあ? ああン?」
あ、そう見えます? 目ぇ腐ってやがるんですか、このチンピラは。
仕方がありません。方針を変更します。
わたしは瞳をかっ開いて、唇をねじ曲げてやりました。
「そうです。脅してるんです。海賊をやめてくれないなら、ここで運良く生き残れたとしてもわたしがあなた方を全滅させます」
お頭さんの背後に立ったダーグアオンの脳天を拳で爆砕して、わたしは彼を睨みました。
お頭さんは部下の海賊さんの首をつかんだダーグアオンの腕を曲剣で斬り飛ばし、その胸部へと短剣を突き入れます。
「かっ!」
「あなたは本当の悪人には見えません。わたしを救おうとしたり、リナリス運輸の船の心配をしたり――」
「――故郷のお袋がよぉ」
爪をかいくぐり、お頭さんはダーグアオンの首を斬ります。
海賊船が大きく傾いたのは、この瞬間でした。
わたしたちは甲板に手をつき、背中合わせとなってなおも襲い来るダーグアオンを迎撃します。海賊さんたちが三名、転がって海へと落ちていきました。
わたしたちがとっさに伸ばした手は、とても届かず……。
浮いていたのはほんの一秒ほど。次の瞬間には海中へと引きずり込まれていきます。
「く……ぐ……ッ」
伸ばした手を拳にして、お頭さんは歯がみします。
彼へと襲いかかったダーグアオンを手刀で真っ二つにして、わたしは視線をお頭さんへと戻しました。
「お袋は、天秤の神アリアーナの敬虔な信者ってやつだったのさ。……俺ぁ、これまで散々好き勝手やってきた。だが、最後の最後に善行でも働きゃあ、死後も少しはましかもしんねえなって、そう思っただけのことだ。期待させて悪ィが、打算だ」
天秤の神アリアーナは、日本で言うところの閻魔様のような神だそうです。生前の善行と悪行を天秤にかけ、行き先を天国と地獄に振り分ける。そんな神様だそうです。
舌打ちをして頭を掻いたお頭さんへと走り込んできたダーグアオンが爪を振り下ろします。わたしは防ごうとして甲板を蹴りましたが、いかんせん斜めになってしまっていて、足を滑らせてしまって。
「――!」
怪物の爪はお頭さんの頭部から顎へと抜けました。
どろりと流れ出した血をものともせず、彼は怪物の脚部を剣で払って、傾いた甲板から海へと蹴り落としました。彼はダーグアオンが海中へ潜って逃げる前に剣を投げて、その背中を貫きます。
武器を捨てた彼は、大きなため息をつきました。
「そんなわけでな。てめえが命をかけてまで救う価値があるとは到底思えねえ」
爪に擦られた片目が、完全に潰れていました。
他の海賊さんたちもすでに武器を手放し、両手でかろうじて甲板にしがみついています。もはや人間が立っていられる角度ではなくなりつつあります。
もうこうなってはダーグアオンたちですら、海賊船には近づいてきません。だって危険な白兵戦を挑むより、沈むのを待ってから海に落ちた彼らをゆっくり殺すほうが安全なのですから。
「つってももうこの有様じゃあ、逃がしてやることもできそうにねえ。悪かったな、巻き込んじまってよ。アリアーナに口利きくらいはしてやるよ。おまえだけは仲間じゃねえってな」
ほぼ垂直にまで傾いた海賊船は、ぎしぎしと不気味な軋み音を立てながら徐々に沈み始めていました。船尾から海に引きずり込まれるように、ゆっくりと。
けれども、わたしはこれっぽっちもあきらめてなんていません。
交換日記[七宝蓮華]
?(´゜ω゜`)??
交換日記[アデリナ・リオカルト]
(´゜ω゜`)?
交換日記[魔法神]
たぶん筋肉さえあれば船が沈んでも泳いでいける的なことを言っていると思うのですぞ?




