第26話 名もなき異邦人の記録
交換日記[筋肉神]
い、いかん! 寿司のシャリは憎き炭水化物!
タンパク質を主に摂取するのだ!
ここだけの話にしとくれよ。
そう言って女将さんは話し始めてくれました。
「主人がレアルガルドで目を覚ました場所は神竜国家セレスティ近くの山だったのさ。今から数えて……もう二十年ほど前だったかねえ」
セレスティの民だった女将さんは、山菜を採りに山へ入った際に獣道で魔物に襲われ、あわやというところでご主人に救われたそうです。
「奇妙な男だったさ。刀っていうのかい? あの反った細い剣一本で、自分の三倍はあろうかという魔物を簡単にやっつけちまう。そりゃあもう驚いたさ」
そう言って女将さんはわたしたちの前に、醤油らしき液体の入った小皿を並べます。
「つけて食べるんだよ。下の米じゃなくて、上の魚にだけだ。べったりつけるんじゃないよ。少しでいいのさ。そのほうが素材が生きる」
アデリナはどうやら躊躇っているようです。やはり生で魚を食べる習慣がない民族にとっては、かなりの冒険に思えてしまうのでしょう。
わたしはお寿司を手でつかみ、ひっくり返してお魚に醤油をつけ、お口に放り込みます。
お米の一粒一粒が楕円形ではなく、まん丸だったから、ちょっと心配していましたが、食感も味もちゃんとご飯です。そう変わりません。
お寿司全体としての形は、ちょっと歪だけれど。
お米からじんわり染み出すお酢とお砂糖と、少しのお塩。わさびはありません。さすがにあの独特の辛みの再現には至らなかったのでしょう。
けれど、けれども――。
「どうだい?」
「おいしい……」
味や食感は鰤やハマチに似ています。お口の中でとろけます。
お口の中で解けた酢飯がお魚と相まって、懐かしい気持ちがこみ上げてきました。
魔法少女たちは元気にやっているでしょうか。時々はわたしのことを思い出してくれているでしょうか。お母さんやお父さん、学校のお友達は。先生は。
まだ数日なのに、もうずいぶんと会っていない気がします。
そんなことを考えながら懐かしい味を堪能していると、ふいにぽろりと涙が零れてしまいました。
「わ」
「おや?」
「あれ……あれれ……」
ぽろぽろ、ぽろぽろ、涙が止まりません。
恥ずかしい。
「す、すみません。とってもおいしいのですが……どうして……」
「昔を思い出させちまったかい。あたしの寿司も存外に大したもんだねえ」
日本で食べた味なら、レアルガルドに来てから何度も味わってきたはずなのに。やはり日本人にとってのソウルフードは特別だったようです。
おいしい。おいしくて懐かしい。
わたしは照れ隠しに笑います。
ふと気づけば、ランドルフさんはすでにもぐもぐと口を動かしていました。無表情ですが、次のお寿司に手を伸ばして、もぐもぐ、もぐもぐ。
けれどアデリナは。
「生か……」
指でつまんだお寿司に視線を落としています。
「あ、あとでお腹が痛くなったりしないか? 生魚だぞ?」
「しませんよ。鮮度が落ちればそうなりますが、臭みもまだ出ていない状態でしたら平気です」
「そっか……」
あの顔。絶対に魔法で火を通すべきかを迷っている顔です。そうはさせません。
わたしはアデリナの手首をつかみ、力尽くで少々強引に彼女の口の中へとお寿司をねじ込みました。
「ふが……っ!? ……っむ……んぐ……んん……? ……んぁ……案外食えるな」
「でしょう?」
「ふむ……んぐ。いや、なるほど。これは……う~ん、なんかじわじわくる」
次のお寿司に手を伸ばしたアデリナを見て、女将さんが笑います。
「口に入れたやつらは大体みんなそう言うよ。口に入れるまでが長いのさ。あたしも初めてのときはそうだったけどね。あんたもそのうち癖になるよ」
「女将さん」
「なんだい?」
「話の続きを聞いてもいい?」
ああ、と女将さんはうなずきます。
「山で助けられたあと、あたしゃ迷い人だった主人をセレスティに連れ帰ったんだ。もともと武芸に秀でた主人だったから、一年も経たないうちに神竜王イグニスベル様に竜騎兵として召し抱えられた。あたしたちが結婚したのはそのときだ」
女将さんが隣のテーブルの席に腰を下ろしました。
「それからしばらくして、そうだね……ちょうど今から一年ほど前のことさ」
アデリナが呟きます。
「魔王のねぐら、北の地アラドニアを黑竜が襲った」
女将さんが目を見開きます。
「あんた、どうしてそれを知ってるんだい?」
「ちょっとね。わけあって国家間のことには詳しい」
アデリナは手についた米粒を舐めとりながら切れ長の瞳を閉じます。追及はするなという意思表示なのでしょう。
女将さんがうなずきました。
「ああ、そうさ。神竜王様は自らが先陣に立ち、魔王に竜騎兵の援軍を送った。主人はそれに志願した。なんでも、魔王が自分と同じ民族だからってのが理由だったらしい」
――っ!?
「ど、どういうことですか?」
「魔王、常闇の眷属の王は、主人やあんたと同じ異邦人だ。要するに光の眷属の人間ってことさ。むろん、魔王と対立しているリリフレイアやアリアーナはそんなことをレアルガルドの民に周知させるわけにはいかない。ましてや、魔王軍は今や黑竜を追い払うほどの力を持っているんだからさ」
魔王は地球人……! それも、江戸末期を知る刀使いが魔王の正体を知っていたということは、侍である可能性が高いということ。
クラナス王の予想はあたっていたんだ……!
「けれど、主人はその戦いで逝っちまったよ。せめて古竜にのってりゃ生き延びられたかもしんないけどさ、あの人の騎竜はワイバーンだったからね。まったく、義理や人情でいちいち命まで捨ててちゃあ、切りがないってのにさ。……小さくなって、帰ってきちまって……」
少し、寂しそうに。うつむいて。
わたしは尋ねます。
「ご主人はもとの世界で魔王の知り合いだったの?」
「はっは、まさかまさか! 主人は魔王を知っていたけど、魔王は主人を知らないと言っていたよ。つまり魔王はもとの世界でも相当な有名人だったってことだろ。うちの主人は、ただの一介のブシってのに過ぎないさ」
武士なら誰もが知っているような存在が、レアルガルドの魔王ということ?
魔王、あなた一体誰なの……?
「そう……なんですね」
「みんな魔王を悪く言うけどさ、男が惚れる男に悪いやつはいないって思うんだよね」
女将さんは少し言葉を詰まらせて、ゆっくりと首を左右に振りました。
「いや、違う。そうでも思わなきゃ、あの人のやったことが無駄になっちまう。おっと、今の話は内緒にしとくれよ。魔王と対立するリリフレイア神殿やアリアーナ神権国家だって、間違いなくレアルガルドの民のために動いてくれてるんだからさ」
今の話を聞いてしまった上で、わたしとアデリナは本当にリリフレイア神殿やアリアーナ神権国家に出向いて良いのかもわからなくなってきました。
両国は間違いなく正義なのだと思います。
けれど、だったら魔王は?
もしかして、わたしたちは直接魔王のいるアラドニアに向かうべきなのかもしれません。どちらも黑竜とは対立していますが、本当に二大宗教国を味方につけることが正しいことなのか、わたしにはもうわからないのです。
ぐるぐる、ぐるぐる、こたえを出せないまま思考は回ります。
ご自分のお寿司を食べ終えたランドルフさんが、無言でわたしの寿司下駄に手を伸ばしてきたので、とりあえずペチンと叩き落としました。
アデリナがぼそりと呟きます。
「くだらないな。本当に。この危急のときに、魔王とリリフレイアやアリアーナは、本当に対立する必要があるのかと思えてくる」
それは、何気ない呟きだったに過ぎません。
けれども、わたしは。
「それだ……。アデリナ、それです! アリアーナ神権国家に辿り着いたあと、シーレファイスには戻らずにリリフレイア神殿国を経由してアラドニアへと向かいましょう!」
「ん?」
わたしたちは、やはり魔王に会う必要があるのだと思います。そしてレアルガルド大陸で最も力を持ったこの三国を、和解させるのです。
難敵である黑竜を討つためにも、わたしが魔術を会得するためにも。
この旅の最終目的地は、最北の地、常闇の国アラドニアです!
交換日記[魔法神]
酢飯に含まれる糖分は脳への栄養となり、また魚に含まれるDHAは頭の回転をよくするのですぞ。
魔法使いにはもってこいの食事ですなあ!
交換日記[七宝蓮華]
はいっ! 魔法がもりもり出そうです!




