第115話 魔法少女ハゲ侍④
交換日記[筋肉神]
む!? あのヘドロとかいう緑の魔人!
……凄まじい筋肉をしているではないか!
ああ、ああ。こんなに心強いことはありません。
アデリナが、アデリナ・リオカルトが側にいてくれるのだから。
「戦えるの!? 怪我はない!?」
アデリナが隣に立つリリィさんの背中を、馴れ馴れしくポンと叩きます。
「リリィのエリクシルで復活した。足がなくて追えなかったんだが――」
「――お迎えに伺いました。完全体の黑竜を単騎で墜とせるような方を遊ばせておくわけにはいきませんから」
リリィさんが大きな胸を張って得意げに告げました。
「あ、あれ? エリクシルはもう打ち止めだったんじゃあ……」
リリィさんがうなずきます。
「一瞬で回復できるように成分を凝縮させたので、黑竜戦前にみなさんにお渡しした分しかありません。だから今わたしの血を飲んでも、ほとんど回復はしませんよ」
そう。わたしたちが受け取ったエリクシルは、小瓶一つだけです。
エリクシルは銀竜の血液。それ以上はリリィさんの動きを鈍らせるので、数日間はもう打ち止めだったはずなのです。
ですが、アデリナは事も無げに呟きます。
「あたしは配布分を飲まなかっただけだ。エリクシルを取っといた。他のやつらはあらかじめ飲んでおかないと瘴気にやられるだろうけど、あたしに瘴気は効かないからな。だから、さっき黑竜を墜としてから飲んだ」
あ、そっか……。
「何せ残してることを迂闊に話すと、あのハゲに泣いて土下座されかねない。だから黙ってたんだ。さすがに頭皮に使わせるわけにはいかんからな」
「あり得ますね」
頼む、分けてくれないかっ! とか言いそう。
「まったく、これだからハゲは」
リリィさんが同調したようにうなずきます。
ですがそのハゲは、たった一人で今も黑竜を相手に肉弾戦を繰り広げています。
瘴気の尾を引く黒い拳をかいくぐり、低空タックルから肉体をつかみ上げて、変形パワースラム。
頭から叩きつけられた黑竜によって砂の大地が大爆発しますが、けれども黑竜にダメージはほとんど見込めず。
「カアァァッ!」
すぐさま立ち上がり、なおもタックルで迫った甚五郎さんの顔面に膝を入れて。
「……ッぬぐぅ!」
ぐちゃり、と肉が弾けて甚五郎さんの上体が跳ね上がり、血液が鼻と潰れた左目から飛散しました。
ですが、それでも歯を食いしばり、踏みとどまって。もう全身ガタガタで、真っ赤に染まってしまっているのに踏みとどまって。
追撃の拳を凄まじい音を響かせながらクロスした両腕で防ぎます。威力を殺しきれずに革靴が砂をまき散らせながら砂漠を滑っても、再び前へ。ただ前へ。
「ここが砂漠であることが、あの気味悪いハゲを不利にしていますね」
リリィさんがぽつりと呟きました。
同感です。もし地面が柔らかに積み重なった砂でさえなければ、甚五郎さんのプロレス技はもっともっと威力を増していたはずです。何度叩きつけたって、いくらかは砂が衝撃を吸収してしまうのですから。
「リリィさん、どうにかなりませんか!? 古竜のあなただったら――」
「わたしには無理です。たぶんもう、あの気味悪いハゲの怪力は、わたしたち古竜種を遙かに凌駕しています。魔王様くらいの速さがあるならともかく、わたし程度ではもう飛び込んだ瞬間に両者に圧し潰されそうです」
そんなレベルなんだ……。
アデリナが顔をしかめました。
「……さっきから気味悪いってあんた……」
「ああ。わたし、ハゲ頭の方が嫌いなんです。以前に魔王様が、助けたハゲにひどい目に遭わされたものだから。それ以来ハゲ頭を見ると、なんかこう、すぱぁんってやりたくなっちゃうんですよ。こう! すぱぁん!」
辛辣! 着物美人の口から出る辛辣な言葉! 身振り手振りまで加えて!
銀髪を揺らして、にっこり微笑んで。
「というわけで、わたしも空の七英雄に加勢してきます。魔王様の負担を少しでも減らさないと。あのハゲが負けたらもう、魔王様以外にはいませんからね」
魔王は空の七英雄や大地の騎士団の隙間を縫って迫り来る毒竜を、甚五郎さんや黑竜には近づけまいとして、単身で刀を振っています。
周囲三六〇度から迫る毒竜を、走って走って斬って払い、それでも追いつかない間合いから迫る毒竜には斬撃疾ばしを放ち、着地と同時にまた走って、走って。
「はぁ……はぁ……っ、……げぁ……」
限界、近そう。
魔王は足をもつれさせながらも、その動きを止めません。時折、膝が折れても、手で大地を叩いてまた走って、斬撃を繰り出すのです。
「それではご武運を」
リリィさんが光の粒子を飛ばして銀竜化し、四枚の翼を持つ銀竜シルバースノウリリィとなって空へと舞い上がります。けれどそれを確認した瞬間にはもう、遙か高所にいる毒竜に凄まじい威力の竜撃を加えて吹っ飛ばしていました。
速い……。
甚五郎さんと黑竜の戦いはなおも激しさを増し、もはや怪獣同士の様相になりつつあります。なまじ、黑竜の男性体も甚五郎さんも、並外れて肉体が大きいから。
血と汗と鱗、時には肉片や歯まで飛び散らせ、一人の傑物と一体の怪物は打ち合います。
アデリナが空と周囲を見回してから、わたしに背中を向けました。
「こういうタイプの戦いは苦手だ。できることが少ない。あたしも毒竜の迎撃に回る」
「完全体の黑竜を墜としてくれただけでも十分です。アデリナがいなければ、こうして黑竜の核を剥き出しにすることさえできませんでした」
あなたがいなければ、ここまで戦えなかったのだから。
「うん。でも、まだあたしにも置き土産くらいはできそうだ」
アデリナが地面に両手をつきます。
「――鉄魔人の吐息」
ざぁと砂漠の砂が小さく波打ち、流れます。傑物と怪物が一騎打ちをしている砂漠の一角へと。黄色い砂の大地を、鉄色の砂で覆い隠すように。
跳躍し、空で打ち合っていた甚五郎さんと黑竜が、同時に着地した瞬間、こぉん、と金属音が響きました。
汗を飛ばしながら走り続ける魔王のブーツの足音も、いつしか変わって。
「……ぬ!」
瞬間、甚五郎さんが血塗れの腕を黑竜の頸へと回します。そのまま黑竜の巨体を天高くに持ち上げて跳躍し、自ら背中から倒れて。
「そぅりゃあああ!」
垂直落下式ブレーンバスター!
黑竜の頭部が砂漠にできた金属の大地へと叩きつけられます。凄まじい震動と、そして交通事故のような金属音。
額を守る黒の鱗が割れて弾けます。液状化した瘴気や、黒い肉片とともに。
「ガ……ッ……ギィィィッ」
その瞬間、わたしは目にしました。初めて。
「カ、カカ……カ……ッ」
黑竜が苦悶の表情を浮かべ、ぶるりと肉体を震わせたのを。
効いた……!
甚五郎さんは跳ね上がり、距離を取ってレスラーの構えを取ります。片目は破裂し、全身の血管は弾け、膝を震わせながらも。
ぞく、ぞく。背筋を何かが這い回ります。悪寒ではありません。武者震い。熱い何かが血管を伝って駆け巡るの。全身を。あの人の光に、あてられて。
命を燃やして戦え、と。
「蓮華」
砂漠の大地の一角を鉄の大地へと変えたアデリナが、立ち上がって胸鎧の裡側に手を入れます。ぱちんと音がした後、彼女の背中から特大剣ドラゴンスレイヤーが、鞘ごとどさりと砂上に落ちました。
「アデリナ……?」
「貸してやる。剣士の魂だ。絶対に返せ」
わたしはぽかんと口を開けて呆けてしまいました。
あれほど剣士にこだわっていた彼女が、あんなにも大切にしていた剣を、わたしに託すなんて。よほどの覚悟なのでしょう。
「……キラキラ☆モーニングスターみたいに折れちゃうかもしれませんよ?」
「あたしのドラスレを、あんな貧弱な魔法のワンドなんかと一緒にするなよ」
いや、あれ、ドラスレの三倍は重いんですけどね……。
「気が変わらないうちに拾え」
「ありがとう、アデリナ。大切にへし折りますね」
「折るなよ! というか、早速気が変わるようなことを言うなっ!」
「えっへっへ」
わたしはアデリナの身長ほどもある長さのドラゴンスレイヤーの柄を軽く蹴り上げて回転させ、空中でつかみます。
右手で持ち上げて、左手で鞘から抜いて。
曇り一つない真っ白で綺麗な刀身。未だ血の味を知らず。
軽いですね。やはり重量およそ十キロといったところでしょう。
おもいっきり振り回すと、風が巻き起こって砂漠の砂が軽く転がります。これはもう、わたしの風属性魔法といっても過言ではないのじゃないかしら。
ちょっと欲しくなっちゃいました。
魔王の斬撃をすり抜けた毒竜を目掛けて、アデリナが人差し指と中指を向けます。
「――雷電の弩!」
雷轟。アデリナの指先から発生した黄金色の雷電に貫かれた毒竜が、全身を焦がしつけながら遙か遠方へと吹っ飛んでいきます。
「抜けてくる数が増えているな」
グラノスさん率いるアルタイル聖堂騎士団、メルさん率いるリリフレイア聖鉄火騎士団戦乙女隊、アリアーナ羽馬騎士団、セレスティ竜騎兵、それに魔王軍。集った各軍から、少なくはない犠牲者が出ているからでしょう。
空は未だ、灰色に埋め尽くされているというのに。
総力戦では勝てません。なんとかして黑竜を討たなければ、わたしたちに勝ち目などないのです。
「黑竜に回復されたら終わりだ。――覚悟はいいか、蓮華?」
「はいっ!」
手を挙げて。アデリナの手甲に包まれた手とハイタッチを交わして。
乾いた音が砂漠に鳴り響きます。
「武運を祈る」
「ご武運を」
アデリナが次の雷電の弩を引いた瞬間には、わたしはもう駆け出していました。魔王の斬撃を縫って、自ら主である黑竜の食餌となろうとしてた毒竜の頸へと、わたしはドラゴンスレイヤーの刃を、全力で叩き下ろします。
キラキラ☆モーニングスターを叩き折るつもりで振るっていたときのように、全身の筋肉に力を込めて。
「はあああぁぁぁっ!」
けれど、なんの抵抗もなく刃はすぅっと毒竜の頸を抜けて、勢い余ったわたしは派手に背中から鋼鉄の大地に転がっていました。
「わ、きゃっ!?」
あ、あれ?
遅れてわたしの背後に毒竜の首が、どさりと落ちて転がります。
斬れ……ちゃった……。
キラキラ☆モーニングスターであれだけぶっ叩いても、傷一つ負わせることができなかった毒竜が、なんの抵抗もなくすっぱりと。
いける。この武器なら。毒竜は脅威でもなんでもない。
今さらながらですが――。
「この剣、ほんとにすごかったんだ……」
穢れなき白の刃を持つ特大剣を見上げて。
邪魔だ錘だと邪険に思ってきましたが、ここまでの業物だったなんて。アデリナったら、ほんとに宝の持ち腐れしてたんだなあ。
そんなことを考えて少し苦い気持ちで笑って。
そんなわたしの側へと、バックステップで魔王が着地します。
「……すまねえ、はぁ……助かったぜ……、嬢」
怪我こそほとんどありませんが、とんでもない量の汗です。顔色も青白く、唇なんてチアノーゼで紫に染まっていました。
「手伝います! 半分はまかせて?」
「……頼む」
わたしは跳ね起きて、魔王を追ってきた毒竜の正面に巨大な刃を叩き下ろしました。
「やあっ!」
刃はやはりなんの抵抗もなく毒竜の頭部を両断し、まるで鰺の開きのようにしてしまいます。
すっごいすっごい! 毒竜なんかに苦戦してたのがバカみたい! 活け作りとか三枚おろしにだってできそうです! まずそうだけど!
魔王が懐から取り出した革袋の水を煽ってから、「おお~」と感嘆の声を上げました。
「そいつがみすりる鉱の剣ってやつかィ」
「ミスリル?」
ゲームとかに出てくるあのミスリル鉱のことかしら?
「なんでえ。おまえさんも知らねえのかい」
革袋を投げ捨て、長衣の袖で口もとを拭って。
「お互い異邦人ですからね」
「違えねえ。なんでもミスリルってのァ、どわあふ族にしか加工できねえ稀少金属だそうだ。聖なる鉱石だかそうでもねえ石ころだかなんだかで、何やらやたらと硬えらしいぜ」
わあ、頭悪そうな説明です。雑すぎて。
ですが、とにかく珍しくて硬いものだということだけはわかりました。
「あなたの刀もそうなの?」
「いやいや。おれのぁただの日本刀だ。下手にぶつけりゃすぐに折れちまう」
いや、いやいやいや、信じられませんよ、そんなこと言われても。
「嬢!」
「――ッ」
空から落ちた影に、わたしたちは同時に横へと躱します。
上空で翼をもがれた毒竜が落下してきたのです。大地に墜ちてなお、毒竜は立ち上がり、咆吼を上げながら走り出します。
「こンのぉ――!」
ですが、わたしがドラスレを持ち上げた瞬間には、魔王はすでに疾風のごとき速さで毒竜の首を落としていました。自称、ただの日本刀で。
絶対嘘だ……。
こぉかんにきぃ[へどりうぬす]
だれがへどろだこらあ?
ひゃつはー!
交換日記[魔法神]
筋肉はさておき、知性の欠如が哀れなレベルですぞ……。




