第112話 魔法少女ハゲ侍①(挿絵あり)
交換日記[魔法神]
始まりましたな。
近づくだけで。
「~~ッ」
斬撃から生み出される鎌鼬か、吹き飛ばされてくる砂礫か。
頬に鋭い痛みが走り、つぅと血が流れます。
魔王は縦に横に袈裟懸けに刀を振るい、足を使って鋭角に地面を蹴って、長衣で風を巻き込みながら日本刀を薙ぎ払いました。
黑竜は寸前でそれを回避し、大地を揺らして深く踏み込みます。
黑竜――男性体の黑竜は、甚五郎さんのように膨れあがった筋肉ではなく、どちらかと言えば魔王の引き締まった肉体に近いものがあります。
体型は、です。体格全体を言うなら、甚五郎さんの身長をも凌駕しています。
けれど、そんなことよりも。
わたしは口もとに手をあててうなります。
「うぅ……っ」
ぞくり、としました。
黑竜には髪や服はありません。
生物であることを否定するように、性器も存在しません。以前に見た少年の身体を象っていたときにはあった口やボロの服さえもないのです。耳もただの穴。集音の必要性もないほどに聴覚が発達したということでしょうか。
怖いのは……。
目。感情のない瞳。
黒一色。どこを見ているのかわからない、黒一色。あるいは意識せずとも、前方一八〇度はすべて等しく見えているのかもしれません。
それに、なんだか不気味などす黒い剣を両手に一振りずつ持っていて。
甚五郎さんが呟きます。
「竜骨剣か」
「竜骨剣?」
「古竜種には、己の骨を剣として扱うものがいると聞く」
自分の、骨……。自分の骨を、武器にしているの……?
黒い影と魔王が打ち合い、火花を散らします。
「――ッ」
魔王が大きく後方へと飛ばされ、片足で大地を掻きながら着地しました。
ですが息つく間もなく、男性体の黑竜が竜骨剣を魔王の頭部へと振り下ろします。魔王は額を切っ先に掠めさせながらも、かろうじてバックステップで距離を取り直しました。
「厄介な。石盤遺跡同様、決して折ることも砕くこともできんらしい」
「そう……なんだ……」
アデリナがこの場にいれば、奪うことができたかも。石盤遺跡を斬ったときのように。
そんなことを考えて、頭を左右に振ります。
頼りすぎ。完全体の黑竜を墜としてくれただけでも、わたしたち全員が救われているのだから。
それに、異空の刃は動く標的にはうまくあてられないし、彼女の体力はもう限界のはずです。
黑竜はなおも魔王へと追いすがり、右の竜骨剣を魔王の首筋を狙って叩き下ろします。魔王がそれを刀で受け流した直後。
「糞がッ!」
避けきれなかった左手の竜骨剣が魔王の脇腹を浅く裂きました。
魔王は体勢を崩しながらも弧を描くように大地を疾走し、どうにか黑竜の猛攻から逃れようと足掻きます。
けれども、わたしには目で追うことさえやっとな速度で動く魔王を相手に、感情のない怪物はぴたりとついて。
「くあ――ッ」
重そうな斬撃を刀で受け止めて、魔王が大きく後方へと滑ります。
翻弄されているのです。あの魔王が。
黑竜。戦うためだけに、ただただ全身から無駄なものを省いた姿の怪物に――……。
男性体や女性体とは全然違う。不気味。生理的な嫌悪感しかわき上がらない。
嫌……近づきたくない……。
丸太のような腕が、黑竜から目を放せなくなったわたしの視界を遮ります。ぱし、ぱしっと音がして。
甚五郎さんです。どうやら斬撃か砂礫から、わたしを守ってくださったみたいです。
甚五郎さんは大きな岩の前へ歩み出ると、ぐっと拳を握りしめました。
後退し続ける魔王の追撃に出ている黑竜へと向けて、岩石を殴りつけます。
「おぅるああぁぁぁぁっ!!」
周囲一帯の空間を震動させ、粉砕された岩石の飛礫が、魔王へと襲いかかる黑竜の側面へと、放たれた大口径の散弾のように迫りました。
しかし黑竜は飛来する飛礫に顔を向けるでもなく、二振りの竜骨剣で無数の飛礫を受け、一瞬ですべてを弾きます。
その首がごぎぎと曲がって、魔王から甚五郎さんへと向けられました。
甚五郎さんの後ろに立っているだけで、わたしの全身は総毛立ちます。視線、直接見られたわけでもないのに。
「……く……、……はあ……っ……糞っ……気ぃつけろ……、……旦那ァ……。ふぅ……。そいつぁ、でけえ図体しておれより速ええ。まるで出鱈目だ」
魔王の警告に、甚五郎さんは短い返事をします。
「黙って息を戻せ」
「……かっ、すまねえ」
肩で荒い息をして、魔王は懐から取り出した軟膏のようなものを顔をしかめながら脇腹の傷に塗り込みます。
「十数えるだけでいい」
「心得た」
とんでもない量の汗。それに、あの魔王がこんなにあっさりと傷を負うなんて。
わずか十数秒の戦いで、こんな有様……。甚五郎さんじゃ、絶対に無理……。だってこの人、魔王の速さにさえついていけてなかったんだから……。
心臓の鼓動がずっと収まりません。
震えるな、足。折れるな、心。
わたしは戦いにきたのだから! ああ、でも……。
怖い……。怖いのです……。
甚五郎さんが風に裸ネクタイを揺らしながら、両腕を前に突き出してレスラーのかまえを取った瞬間でした。
黑竜が二振りの竜骨剣を大きく振り上げて、巨大な殺気とともに甚五郎さんへと襲いかかります。ほんの瞬きをする間に。
冷水を被ったかのような寒気でした。
「甚――ッ」
白い刀身が甚五郎さんの左右の肩へと食い込む――と思ったら、すぅっと音もなく、竜骨剣は甚五郎さんの肉体を避けるように、左右の空間を斬って。
ゆらり、ゆらり。
その傲慢ともいえる筋肉からは想像できない動きを、甚五郎さんは繰り出します。どこを見るともなく、ぼんやりと正面に向けられた視線はそのままに、次々と繰り出される斬撃のことごとくを、掌で押して逸らすのです。
それで追いつかないときは、足をふらり、ふらりと動かして。舞い落ちる木の葉のように、つかみどころなく。
黑竜の振るう竜骨剣は、何度も何度も空を斬ります。
なにあれ……。流水みたいな動き……。
すごい……でもなんか……ハゲ頭もあって軟体動物みたい……。
あの方でなければ、完全に武道の達人にしか見えない動きなんでしょうけど……。
「よう、自称魔法少女」
ふと気づくと、魔王がわたしの横に立っていました。それどころか、馴れ馴れしく肩に肘を置いてきたりして。
「えっこらせっと」
「自称じゃありません」
振り払おうかと思った瞬間、わたしは気づきます。魔王の全身が小刻みに震えているのを。おそらく恐怖からではなく、純粋な肉体疲労です。
そっか。この人、さっき斬撃疾ばしを六回も放って、その上で黑竜と剣戟を繰り広げたのだから、本当はもう立ってるだけで限界なんだ。
魔王は長い息を吐くと、歪んだ笑みを貼り付けて黑竜とレスラーの異種にも程がある格闘戦を指さします。
「……そう心配しなさんな。おまえさんが思ってるよりゃあ、あの旦那はとんでもねえ野郎だ。強かろうが重かろうが速かろうが、武を知らねえ動物相手なら十秒程度、掠らせもしねえだろうよ」
やっぱり、甚五郎さんってもう達人の域にいるんだ……。
その言葉通り、甚五郎さんはふにふにと薄気味悪い動きで、黑竜の攻撃を逸らし、躱してゆきます。
黑竜はあまり感情なさそうだからいいけど、あんな筋肉であんな避け方、相手が人間だったら絶対に小馬鹿にされてると勘違いして憤慨しますよ。
「ふ……。――これぞ羽毛田式回避術のひとつ、ちゅうちゅうタコ回避ぃぃあ痛ぁい――ッ!」
あ、頭に掠った。
魔王が渋い表情のまま白目を剥きました。
「まじめにやってんのかやってねえのかわかんねえのが玉に瑕だな」
「ですね……」
右手の竜骨剣で頭皮を傷つけ、黑竜が左手の竜骨剣でとどめを刺すべく甚五郎さんの首に放ちます。
瞬間、甚五郎さんの表情が激変しました。先ほどまでのハゲ仏の表情から、悪鬼羅刹のそれへと。
「ぬがあッ!!」
無造作に右腕を立て、振り抜かれた竜骨剣を肘で受け止めて。ずぶり、と刃が肉にめり込みます。
なのに、痛いはずなのに、そんなことさえ忘れているかのように。憤慨して。
「貴様――ッ」
この場の気温が一気に引き上げられます。直後、甚五郎さんの肥大しまくった全身の筋肉から、ぶしゅうと湯気のようなものが噴出します。
「……」
魔王ですら、目を丸くして。
「……」
味方のわたしでさえ、寒気がするほどに。
濃い、とんでもない濃度の――殺気!
一点の曇りもない闘気しか放たなかった甚五郎さんが、魔王のような恐ろしく濃度の高い殺気を放ち始めたのです。
ですが、感情のない黑竜は意にも介しません。
右手の竜骨剣を、甚五郎さんへと薙ぎ払って。
「危――ッ」
なのに彼は。それすらも。くたびれた革靴の靴裏で蹴り止めるのです。
そうして血走った目を、眼球が転がり落ちてしまいそうなほどにひん剥いて。
「……貴様……今……私の頭皮を……攻撃したな……?」
静かに、低く。感情を抑えた震える声で。そう囁いて。
「……ああ~……。……抜けたな……抜けた……抜けたぞ、今……確実になァ?」
何がっ!? あなたの頭に抜けるものなんてありましたっけ!?
「懸命に生きようとしていたッ……白く柔らかな優しき産毛たちの悲鳴が……ッ、聞こえた……ッ。…………気がする……」
気のせいではっ!? 言いがかりではっ!? よしんば本当でも産毛ならいいのではっ!?
食いしばった歯の隙間から、血が流れて。筋肉の上に浮き出す血管が、びくんびくんと蛇のように蠢き始めます。グロイです。
黑竜ですら、震えて。
もちろん恐怖にではなく、力の拮抗にでしょう。甚五郎さんの腕に埋まった刃は筋肉に挟まれ引き抜けず、左手の竜骨剣は何度振るえども、革靴の裏で蹴り止められるのですから。
「……貴様は死を以て償うがいい」
言うや否や、甚五郎さんは自分の体躯よりも大きな黑竜の股ぐらに左腕を差し込み、肩に担ぐどころか上空高くへと放り投げます。
「すりゃあっ!!」
魔王もわたしも、あんぐりと口を開けてそれを見上げて。
甚五郎さんは自らも大地を蹴って空に舞い上がると、空中で逆さになった黑竜の頭部を両足で挟み込んで固定し、黑竜の胴体に両腕を回して拘束します。
「――羽毛田式殺人禁術、こいつに毛はないけど毛根死滅スクリュウパァァァイル、ドライバァァァァァァッ!!」
空中でぐるんぐるんと横回転を加えながら、男性体の黑竜を頭部から砂漠の大地へと凄まじい勢いで叩きつけます。
ズゥン、と重く鈍い音がした瞬間に凄まじい勢いで砂漠の大地が上下して、甚五郎さんと黑竜を中心として大地はすり鉢状に変化し、その周囲に立っていたわたしと魔王を巻き込んで砂が爆発しました。
「うおっ!?」
「きゃあ!」
降り注ぐ砂の雨を両腕で避けて、わたしたちはその光景を見るのです。
あんぐりと口を開けるわたしたちを尻目に、甚五郎さんは黑竜の上半身を砂漠に埋め込んだ状態で跳ね上がり、スタン、と大地に両足をつけた、そのドヤ顔を。
ス、ス、ス、スクリューパイルドライバーです! この人、アホです! アホだけどすごいです! すごいアホです! アホの極み! 異界の神を相手に何やってんの!?
「フ……」
格好をつけて、背中を向けて。
けれど次の瞬間、黑竜は砂を巻き上げて跳躍し、背後から甚五郎さんへと向けて竜骨剣を振り下ろします。
「――っ」
ああ、もう。ああもう。
わざとなの? ねえ? さっきのはお芝居? わたしが怖がっていたから、緊張を取ろうとしてくれたんでしょう?
あなたが筋肉ハゲの分際で、おモテになる理由が少しわかってしまいました。わかりたくはなかったけれども。
甚五郎さんは襲い来る黑竜に背を向けたまま、にやりと笑って。
そのときにはすでに跳躍していたわたしは、甚五郎さんの肩を蹴ってさらに高く跳躍し、スカートを翻しながら黑竜の竜骨剣を蹴って逸らして。
そうして叫びます。
「今っ!」
黑竜の背後を取った魔王へと――。
「十秒、たしかに受け取ったァ」
きん、と音がして、目にも止まらぬ速度で抜刀と納刀が為されます。
魔王の刃は黑竜の胸部を背後から逆袈裟に通過していました。その切っ先は黑竜の胸部からも見えていました。
わたしと魔王、そして黑竜がそれぞれ着地します。
視線、黑竜に向けて。
醜く黒い胴体部が、ずるりと斜めにずれます。
けれども黑竜はずれた胴体部を自らの腕で強引に戻し、瘴気を斜めに斬られた脇腹に巻きつけて。何事もなかったかのように立ち上がりました。
魔王が舌打ちをします。
「……ッ」
なんの前触れも脈絡もなく、めき、めき、音を立て、黑竜の顔がひび割れて、口らしきものが作り出されました。
ぽっかり空いた空洞の口。
なんのため? 食べるため? ううん、違う。
「……ア、アア、アァァァ……ァアア……ァ……ッ」
嗤うため。この程度のこと、なんでもないと示すため。すなわち、威嚇。
不気味な声だけが、風の止んだ砂漠に広がってゆきます。
誰もが死を連想する声でした。誰もが絶望する声でした。誰もが発狂させられるような嗤いでした。
でも――。
甚五郎さんは口もとに笑みを貼り付けたまま立ち上がります。そうして、嗤う黑竜に向き直ってレスラーのかまえを取って。
「なかなかのタフガイだ。だが、私から産毛を奪った貴様をゆるすことはできんな」
魔王も歪んだ笑みを浮かべて、再び刀の柄に右手を置きます。左足を前に出し、右足を引きながら体勢を低くして。
「ま、その程度じゃあ終わらねえよなァ? ええ、おい」
だから、わたしも。
「威嚇したって無駄。だって――」
笑って、拳を握って、腰溜めにかまえて。
「――あなたもう、怖くもなんともないんだからっ!」




