第107話 乙女はぼやく
交換日記[筋肉神]
ドラゴンブレスゥゥ?
プロテインブレスなら吐けるぞ!
アリアーナの奇跡である神の雷と、イグニスベルのドラゴンブレスは容赦なく毒竜を蹴散らし、空の闇を雷と炎の光で削り続けます。
けれども、空、晴れることはなく――。
「く……っ」
毒竜の上空からの竜撃をキラキラ☆モーニングスターで防ぐと、足場にしているナマニクさんは自然と大きく沈み込まされ、高度を下げます。
「届かない……!」
空。闇色の空。黑竜本体。遙か遠く。
アデリナがナイフを横薙ぎに振るって、上空へと巨大な光の刃を疾ばします。
「――光波一閃!」
アデリナの放つ魔法は、けれども黑竜に届くまでに毒竜たちのその身に阻まれて、虚空で霧散させられます。
「くそ、毒竜が邪魔だ! 盾になりやがる!」
毒竜の竜撃を尾に喰らい、ナマニクさんが空中でひっくり返りました。
わたしはとっさにアデリナの手をつかんで、もう片方の手でナマニクさんの鱗をつかみます。宙づりは一瞬だけ。ナマニクさんはすぐに身を翻すと、次の竜撃を避けて進行方向を阻んでいた毒竜の首へと噛みつきました。
――ガアアアアアアアァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
ナマニクさんは激しく首を振って毒竜を投げ飛ばすと、すぐさま羽ばたいて上昇します。けれどもその上空には無数の毒竜がいて、ナマニクさんは灰色の爪を頭部の兜部分に受けて再び高度を下げました。
――ガゥグッ!
そこを狙って、毒竜たちは次々と降下してきます。
突破できない……!
「――雷の弩!」
無数に放たれた雷槍よりも細かな雷の弩が、次々と迫る毒竜たちへと突き刺さります。
毒竜たちが一瞬にして筋肉を凝固させ、真っ逆さまに落下していきました。
雷槍のように貫通させることはできないし、威力も距離も足りないけれど、弩は無数に発生させられるから面での攻撃には向いているようです。
もっとも、当たり所がよければ――。
「蓮華!」
「はい!」
わたしはキラキラ☆モーニングスターを取り回し、弩を受けながらも突撃してきた毒竜の横っ面をおもいっきり引っぱたいて、強引に軌道を逸らせました。
ナマニクさんの呼吸が荒いです。身体中の鱗が割れて血を垂れ流し、それでも視線は上空へと向けられているのが救い。
だけど、もたない。
それは他の騎竜にしても同じ。古竜種であっても、この毒竜の数は。
ドラゴンブレスは極めて強力な技ですが、それを何度も繰り出し続けているイグニスベルの動きは、目に見えて陰り始めていました。あの火竜は、数えているだけですでに十二回はブレスを放っているのです。その疲労の色は他の竜とは比べるべくもありません。
ゼロムゼロムもわたしたちと同じ。背中の甚五郎さんは、頭皮以外はほとんど無傷といっても過言ではありませんが、黄金色の鱗は無惨にいくつも剥がれ落ち、噛みしめられた巨大な口からは竜人を作る猛毒エリクシルがぽたぽたと滴っていました。
いつの間にか二頭のペガサスが合流しています。
ほとんど唯一といっていいほど、黑竜に雷攻撃をあて続けているレーゼ様の周囲に群がる毒竜を、リリアン様が二振りのショートソードで斬って払っています。おそらく別々に行動するよりも効果的だとの判断でしょう。
それでも、人馬ともに疲労の色は隠せないけれど。
「ハルピア族と竜騎兵はまだなのか!?」
アデリナは指を揃えた両手を使い、次々と魔法を放ちながら叫びます。
眼下ではラドニス城から常闇の眷属たちが市街地へと飛び出し、毒竜と戦い始めていました。たぶん、魔王の影であるライラさんや、魔王の盾であるガル・ガディア、そしてアマゾネス族のファムウさん姉妹もいるのだと思います。
けれど、古竜種と同等の力を秘めた毒竜を相手に、常闇の眷属たちは次々と屠られてゆきます。それはもう、明らかなほどに。
「ああ……」
「他を心配してる余裕はないぞ、蓮華」
嫌だ、こんなの……。
「わかってます……」
首都ラドニスが死んでゆきます。男性も女性も、大人も老人も……子供だって……。
おそらくそれは、少し前にカダスが通った途。
戦って、戦って、戦って。誇りを守るために戦って、家族を守るために戦って、命尽き果てるまで戦って、人も国も死んでゆく。
ナマニクさんの翼に毒竜の竜撃が掠め、大きくバランスを崩します。アデリナはどうにか自力で踏ん張り、下方に逃れた毒竜へと雷槍を放ちました。
「この――ッ!」
直撃した毒竜は、全身を麻痺させながら地面へと吸い込まれていきます。
ナマニクさんがぐったりとしながら落下し始めます。いよいよ限界なのかもしれません。
「上がれナマニクッ!! おまえはシーレファイスの守護竜だろうッ!! おまえの母さんはおまえを守るため、たった一体で黑竜と戦った勇敢な鎧竜なんだぞッ!! おまえも男なら意地を見せろッ!!」
わずかに破れた翼で、ナマニクさんが再び羽ばたきます。
なのに、必死なのに、わたしたちの目の前には、数十体もの毒竜たちが降下してきて。竜撃が雨のように降り注いで。
「――っ」
ひやり、とした瞬間、毒竜たちの中央を銀色の疾風が目にも止まらぬ速さで駆け抜けました。
通り過ぎた後には、毒竜の首や翼、手足が雨のように地面に吸い込まれていって。
銀色の閃光を見失ったと思ったら、それはすでにナマニクさんと併走していて、わたしの耳に届いたのは魔王の声でした。
「おいおい、まだ墜ちるんじゃあねえよ。毎度のことだが、黑竜戦ってのぁこっからだ」
四枚の翼で空をつかみ、レアルガルドの空を最速で駆ける生物。魔王の騎竜、銀竜シルバースノウリリィです。その姿はとても力強く、そして美しく、気高く。
無傷。怪我どころか鱗の一枚だって剥がされてはいないのです。
「邪魔するぜ」
いつの間に乗り移ったのか、魔王がナマニクさんの背中に立っていました。風の結界を解いてもいなかったはずなのにです。
魔王は馴れ馴れしくわたしとアデリナの頭をぽんと叩いて呟きます。
「そう悲観的な顔しなさんな。見てな。もうそろそろだ」
視界の端を、黒い影のようなものが走ります。それを先頭にして、黒の翼を持つ一族が一斉に散開しました。
「魔王の剣ティルス・ノーティス率いるハルピア族だ」
ハルピア族!
ハルピア族はペガサス並の小回りで毒竜の攻撃を躱すと、防御力のない翼だけを適切に狙って剣を振るいます。
翼を破られた毒竜は為す術もなく暴れながら、大地へと吸い込まれていきました。
「もっとも、ティルスのやつぁ羽根を半分失っちまってるから、下だがね」
視線を眼下のラドニスに向けると、こちらも勢力にわずかばかりの変化が見られました。それまで押され続けていた常闇の眷属たちを助けるように、黄金色の竜人たちが毒竜へと勇猛果敢に襲いかかっています。
むろん、一体同士の戦いで竜人に勝ち目などありません。ですが、その数。カダスで黑竜や毒竜に殺された人の数だけ。
ゼロムゼロムの手勢……!
押されていたはずの戦況が、拮抗し始めていました。
「おれたちゃ二度目だ。黑竜や毒竜を相手にどうすりゃいいのか、このレアルガルドの誰よりも知ってる」
びゅうと風が吹きます。
魔王の長衣、揺れて。
「……と、言いてえところだが、何百年も前から黑竜だけを追っかけ回してたやつらもいやがる」
併走するナマニクさんとリリィさんの斜め下方から、一斉にワイバーンにのった騎士たちが空へと浮上してゆきます。
セレスティの竜騎兵!
彼らもまた毒竜の翼だけを狙って、槍を突き出します。勇猛果敢に恐れることなく。翼を貫き、斬り裂き、毒竜を墜として。
もちろんワイバーンの飛翔速度など、毒竜はおろか鎧竜にもかないません。竜騎兵らは次々と毒竜たちに墜とされてゆきます。けれど、それでも、誰一人として臆すものはいないのです。
これが最後だから。今が踏ん張りどころだから。今日の敗北は種の滅亡だから。
誰かのために、自分のために、命を丸めて屑籠に投げ捨ててでも。
戦うことを、選ぶ――。
竜騎兵たちは次々と毒竜に突撃してゆきます。
『魔王様、今が好機かと』
「あいよ」
リリィさんからの念話に、魔王はふつうに言葉で返します。そうして、ナマニクさんの背中を蹴ってリリィさんの背中に戻って。人差し指を、暗黒の空に向けて。
「蓮華嬢、アデリナ嬢。……先に行って待ってるぜ」
まっすぐな顔で、笑って。
そう言った瞬間、銀竜シルバースノウリリィは毒竜を躱しながら、凄まじい速度で上昇してゆくのでした。
わたしたちは、ただ呆然として。たったの一言も、魔王に返せなくって。
でも、なんだか少し。
「ふ、はは。なんだ、ありゃあ? 魔王ってのは、ああいうもんなのかねえ?」
「ふふ。もしかしたら元気づけられたのかもしれませんね」
でも、なんだか少し、さっきまでよりは気持ちが楽になっていました。
わたしたちの周囲にはハルピア族が数体と、竜騎兵が五体、護衛のように付き従ってくれています。たぶん、魔王かラドさんの命令でしょう。
彼らはわたしたちへと近づく毒竜を牽制し、墜とし、わたしたちに上昇の隙をくれます。
わたしはナマニクさんの首を軽く叩きました。
「行けますか?」
――ガゥグ!
ナマニクさんが鼻先を空へと向けます。そして、破れた翼を大きく開いて空をつかみ。
ぐん、と上昇しました。
『シルバースノウリリィより、蓮華ちゃんとアデリナちゃんへ。一つ言い忘れていました』
「へ?」
「ん?」
『その鎧竜ちゃん。さっきアデリナに男の子扱いされた~って、ショック受けてへこんでましたよ』
併走して飛んでる間に、どうやら竜同士で会話をしていたみたいで。
……え? ちょっと? え? 待って?
数秒考えて、わたしとアデリナが白目を剥きます。
ナマニクさん!? あなた、女の子だったんですかっ!?
交換日記[魔法神]
ふつうに吐けるし目や鼻からも出せますぞ?




