第106話 首都は蹂躙される
交換日記[筋肉神]
いよいよ最後の戦いよのう。
いつになったら娘は筋肉の加護を受け容れてくれるのか。
鎧竜は瘴気の渦へと飛び込み、その流れにのって稲妻轟く暗黒の空へと急上昇してゆきます。
「……ッ毒竜、来るぞ!」
「はいっ!」
暗黒の空から――ううん、黑竜の肉体から産み落とされた灰色の肉片がその形状を変化させ、無数の毒竜となってわたしたちの行く手を阻みます。
その数、七体。
わたしたちが苦労して苦労してようやく倒せた毒竜が、七体です。
アデリナの張った風の結界を破り、長い首を突っ込んできた毒竜の顎を、キラキラ☆モーニングスターで跳ね上げます。
ずどん、と重い手応えがして、足場にしていたナマニクさんが大きく沈み込みました。
――グウゥゥ!
毒竜は大きく吹っ飛ぶも、空中ですぐさま体勢を立て直し、再びわたしたちへと牙を剥きます。
あいかわらず硬い……!
キラキラ☆モーニングスターを持つ両手が、びりびりと痺れています。
「――闇乙女の牙!」
その毒竜の翼を、アデリナが放った闇の斬撃が斬り裂きます。
空中で体勢を崩した毒竜が、錐揉み状態で墜落していきました。わたしは別の毒竜の噛みつき攻撃をキラキラ☆モーニングスターの先っちょで殴りつけて弾き、ナマニクさんに命じます。
「止まらないで! 上昇しなさい!」
――ガアアアアアアアァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
一度は上昇を止められたナマニクさんが、獰猛な咆吼を上げて再び翼で空をつかみます。
ぐんと、肉体が強く押さえつけられるような感覚がした後、ナマニクさんは上空の毒竜の群れへと向かって鼻先から突っ込んでゆきます。
「アデリナ、つかまって!」
わたしは闇乙女の刃を毒竜の翼へと向けて放ち続けているアデリナの手を取って、ナマニクさんの背中の鱗へと押さえつけました。
――グガアアアアアアアァァァァァァーーーーーーッ!!
ナマニクさんが兜のような形状をした頭から、毒竜の胸部へと体当たりをします。
衝撃に吹っ飛ばされそうになるアデリナの手を強くつかみ、わたしは叫びました。
「吹っ飛ばせーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!!」
鎧竜の飛翔速度は古竜には遠く及びません。体液だってエリクシルや毒じゃないし、言葉だって使えない。知能も低いし、魔法的な人化もできません。成体になっても、肉体は一回り小さいです。
でも――!
――ガアアアアアアアァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
たった一つ。負けないもの。
重さ。頑丈さ。怪力。これらを総合した突撃――すなわち竜撃だけは、古竜にだって負けません。
鎧竜の兜は毒竜の胸部の鱗を大きくへこませ、雷轟を凌ぐほどの凄まじい音を響かせながら毒竜を跳ね飛ばします。
正面突破――!
意識を失った毒竜は砕けた鱗と灰色の体液を飛散させながら、超高度から落下していきます。
いかに頑丈な毒竜とはいえ、この高度から落下したのでは到底助からないでしょう。だからこそ、アデリナだって翼を狙って闇乙女の刃を放っていたのですから。
「行け行け行け行け!」
上昇し続けるナマニクさんの背後から、無数の毒竜が追いすがってきます。
噛みつかれても頑丈な鱗で防いで、暴れて振り払って。
アデリナが毒竜の追撃を迎撃し、わたしは側面から襲いくる個体を何度も何度もキラキラ☆モーニングスターで叩きつけます。
けれど上昇すればするほどに、毒竜の数は増すばかり。
だって暗黒の空――黑竜本体から次々と産み出されているのだから。
こ、このままじゃ――!
『――シルバースノウリリィからみなさまへ』
ふいに、頭の中でリリィさんの声が響きました。
「~~っ!?」
「落ち着け蓮華。念話だ」
「これが……? でも、どうしてわたしたちに……?」
魔王にしか念話はできないのではなかったの?
「エリクシルが体内に残っている間だけだろ、たぶんな」
アデリナは雷槍で毒竜の翼を貫き、それでも噛みついてきた牙を、わたしがキラキラ☆モーニングスターで殴りつけてはね除けます。
キラキラ☆モーニングスターの欠片が、毒竜の牙の欠片と一緒に空へと吸い込まれます。
『毒竜には可能な限りかまわず、黑竜本体を徹底して狙い、とにかくその身を削り続けてください』
「そうは言っても……!」
ナマニクさんの脇腹に噛みついた毒竜の眼球を叩いて突き放すと、アデリナがすぐさまその翼を狙って魔法を放ちます。
頑丈だけが取り柄のナマニクさんは、それでも羽ばたいて。けれど、羽ばたくほどに割れた鱗と血が散っているのです。
これでは、ナマニクさんだっていつまでもつか。
『毒竜が増えるということは、黑竜がそれだけ自身の血肉を削っているということです。本体を叩き、毒竜を排出させ続ければいずれ黑竜の身は縮み始めます』
アデリナが人差し指と中指を揃えて、雷槍を放ちます。感電し、筋肉を強張らせた毒竜が墜落していきました。
『ある程度まで縮んだら、魔王様が黑竜の頸部を落とします。そうしたら、みなさんは全力で黑竜の首を追ってください』
ナマニクさんは噛みつかれた首を強引に振って前方の毒竜を弾き飛ばし、なおも上昇してゆきます。
もう首の鱗はぼろぼろです。
頑張って……! お願い……!
『おそらくはそれが黑竜の核、本体です』
「なるほど。アラドニアとセレスティの連合軍が黑竜を討ち払ったときは、落ちた首を追わなかったことで、黑竜に逃げられたってことか」
アデリナの呟きは、どうやらリリィさんには届いていないようでした。彼女とわたしたちの念話は、たぶん一方通行のようです。
『各地へ散った毒竜はリリフレイアの聖鉄火騎士団とアリアーナの羽馬騎士団にまかせます。この空域に留まって交戦している毒竜は、アラドニアのハルピア族とセレスティの竜騎兵に押しつけてもかまいません。とにかく、ああもう――ッ』
念話が一度途切れました。
おそらくリリィさんと魔王もまた、交戦中なのでしょう。
正面から襲い来た毒竜の鼻先を、瘴気の闇から栗色のペガサスで飛び出してきたリリアン様が、炎色の軌跡を残しながら駆け抜けていきました。
「クソが! 黑竜狙えったって、この様じゃ進めやしねえだろうがよッ!」
鼻先をショートソードで撫でられた毒竜は、一瞬にして消えない炎に包まれ、身を焦がし、全身をよじりながら落下してゆきます。
リリアン様すごい! 毒竜を一太刀だなんて! あれがリリフレイアの剣聖!?
念話が再開されます。
『とにかく本体! 本体を狙って! ハルピア族と竜騎兵が到着するまで、あとほんの少しですから! それまで耐え――』
また途切れます。
みんなまだ毒竜に阻まれて、黑竜のいる高度にまで辿り着けていないようです。
戦況はあまりよくありません。
上昇。けれども視界の先にはもう、数えるのもバカバカしいほどの数の毒竜。正面突破なんて、到底望める数じゃなくて。
そのときです。
レーゼ様の起こす雷轟すらも覆い被すほどに、凄まじく野太い雄々しき声が空に響いたのは。
「――下がれっ!! 七宝! リリアン!」
わたしたちは背後、ううん、直下に視線を向けます。
直下の空には、二斧を左右の手に持って毒竜の首を力任せに叩き斬る、騎竜王ラドさんの姿がありました。もちろん、溶岩のような体色をした火竜イグニスベルに騎乗して。
イグニスベルが、その大口をガパリと限界まで開き、喉の奥から炎色の輝きを徐々に大きくしてゆきます。
――カアアアアァァァァーーーーーーーーー………………。
「ド、ドラゴンブレスッ!?」
アデリナが叫び、あわててナマニクさんの首を叩きました。
「降下しろ、ナマニク! 急げ早くッ!!」
ざわっ、と全身が粟立ちます。
気温が、上がって――。
ナマニクさんが首を下げ、落下するかのような勢いで高度を下げた直後、ナマニクさんとわたしたちを掠めるように、火竜イグニスベルの大口から轟炎が溢れ出しました。
黑竜の作り出す暗黒を斬り裂き、炎色の大渦を巻き起こして、大気中の可燃物質を黒の瘴気ごと灼き払って、数十、ううん、一〇〇体近くもの毒竜を一瞬にして呑み込み、イグニスベルのドラゴンブレスは空を穿ちます。
五感が狂うような衝撃――!
歪む。世界が。まるで大火山の噴火のように。
火竜はさらに首を自在に回し、自分たちの周囲に群がっていた毒竜を灼き払うと、静かに口を閉ざします。
目も耳も何も感じられず、肺すらも灼けつくような熱波に叩かれながら、わたしたちはかろうじて空中で体勢を整えます。
は……あ……?
魔王の斬撃疾ばしを経験したときのように、あとから震えがきました。
空の暗黒は赤く染まり、マグマのように溶けた毒竜の残骸がぼろぼろと地表に向けて落下していきます。
こ、怖い……。味方なのに……怖い……。
ほんの一息で、わたしたちを散々苦しめたあの毒竜を一〇〇体近くも……。
アデリナが安堵の息を吐いて呟きます。
「……助けられたな。火竜のドラゴンブレスだ。火竜は古竜種の中で、最も高い攻撃力を持つ種だ。あたしの轟炎の大剣などとは比べものにならん火力と熱を精製し、ブレスとして吐き出す。魔法と違ってチャージが必要だから、連発はできんらしいが……それにしても、凄まじい威力だったな」
あ、あれが騎竜王ラド・カイシスと、神竜王イグニスベル……。
なのに、毒竜たちの間でたった一人だけ、炎に呑まれても無事だった人がいて。
裾の焦げたドレスを見せつけながら、顔いっぱいに青筋を浮かせて。
「てンめえラド・カイシスゥゥ! ボクごと殺す気か!」
「忠告はしただろ? お嬢ちゃん?」
え、え? ……リリアン様、直撃コースにいません?
「お嬢ちゃんなら耐えるってこともわかってたからゆるせ。信頼あってのことだ」
「ぐ、く、クソが! 何度も何度も! てめえ、終わったらおぼえてやがれ! 絶対にボクの●んこを拝ませてやるからなッ!」
そっち!? 性別ってそんなに大事なのっ!?
リリアン様が栗色のペガサスを翻し、空へと向かって走り出します。その行く手にも、毒竜は次々と現れて。
アデリナが事も無げに言いました。
「リリフレイアは炎の加護を持つ戦女神だから、もともと炎の耐性が高い。さらにリリアンの左手の剣を見てみろ。氷雪の魔法剣だ」
リリアン様が左手の剣で毒竜を斬ると、灰色の竜は霜柱が降りるように白く変色し、やがて翼まで凍らせて落下し始めます。
「あれを触媒にして氷雪結界でも張ったんだろ」
「どういう力の持ち主ですか……」
これが七英雄というものなのでしょうか。何から何まで桁外れです。わたしはもちろんのこと、アデリナでさえ見劣りしてしまうほどの方々ばかり。
とはいえ、周囲の毒竜がいなくなったことで、わたしはようやく息をつけます。
「蓮華、落ち着いたら周りを見てみろ。七英雄は黑竜にも負けていない」
南の空。
まるでハエでも叩き落とすかのように、黄金竜にのった甚五郎さんが豪快に笑いながら毒竜たちを墜としてゆきます。
殴りつけ、鱗を割って、腹に穴を穿ち。
めちゃくちゃです、あの人。わかってるんですか? あなた素手ですよ? この非常識ハゲ。
北の空。
こっちは甚五郎さん以上のペースで、手足、首、翼とばらばらになった毒竜の肉片が雨のように降り続けています。日本刀一振りを煌めかせて。
でたらめ具合では勇者と良い勝負ですよ、この魔王。
西の空。
襲いかかる毒竜を純白のペガサスを操ってひらりひらりと躱し、黑竜本体へと唯一雷撃を浴びせ続けている聖女もいます。
東の空にはリリアン様が毒竜を縫うように駆け、ドラゴンブレスのチャージを終えたイグニスベルは、無数の毒竜たちを呑み込みながら黑竜本体をも灼きます。
なのに、それでも――。
「だめだな……このままじゃ……」
呟くのです。アデリナは。
空、暗く、重く。のしかかってきて。
毒竜、次々と降下されて。その勢いは衰えることなく。
遙か眼下を見下ろすと、アラドニアの首都ラドニスは、すでに毒竜の蹂躙によって死の都と化していました。
まるで、そう。あの日、カダスで見た街の廃墟のように。
交換日記[魔法神]
や、もう無理ではありませんかな?