第105話 七英雄は空に挑む
交換日記[筋肉神]
よさないかぁぁ!
それ以上のハゲいじりはやめてさしあげろ!
わたしとアデリナは、ラドニス城の礼拝堂跡へと走ります。
魔王と甚五郎さんが激突した三日前、ハルピア族の攪乱に飛び立ったわたしたちの鎧竜ナマニクさんは、銀竜シルバースノウリリィに追い回され、空中で散々こねくり回された挙げ句、リリィさんに捕まってラドニス城へと連行され、礼拝堂跡に繋がれたのです。
倒壊しているこの礼拝堂は今でこそほとんど使われてはいませんが、先代王ラヴロフ・サイルスはここでよく祈りを捧げていたのだとか。
おそらくそれは、魔素供給装置に対する懺悔だったのだろうと、魔王は言います。
ちなみに魔王がラヴロフを暗殺したときに倒壊したらしく、偶像も残っていないため、なんの神が祀られていたのかは知らないそうです。リリフレイアやアリアーナといった現神ではなく、古神の一種だったのではないかと、リリィさんが仰っていました。
――グアァ?
わたしたちが礼拝堂のある中段中庭に辿り着くと、そこにはのしのしと歩き回っているナマニクさんがいました。
どうやら無事だったようです。
ナマニクさんは嬉しそうに駆け寄ってきます。
ずしずし鳴っていますが、ラドニス城は崩れたりしないでしょうか。ラヴロフ暗殺の際に、一度はリリィさんの竜撃によって倒壊したらしいですが。
古竜の力は凄まじいものです。
――ガアガァ?
「何言ってるのかわかりませんが、無事のようですね」
「まあ、黑竜が男性体を取っていたなら、さすがにラドニス城までは入り込めんだろうからな」
「ですね」
だとするなら、やはり街に出てしまっているリリィさんやイグニスベルさん、ゼロムゼロムが心配です。
「何事もなければいいが」
アデリナがラドニスの街を見下ろしながら呟きます。
「魔素の流れは見える?」
「……いや。今のところは古竜三体だけだ」
アデリナが切れ長の瞳をわずかに細めます。風が吹いて、彼女の青髪を静かに流しました。
「アデリナ?」
「シルバースノウリリィが魔王と合流したようだ」
「わかるの?」
いくら目を凝らしても、わたしには見えません。
「魔素に変化があった。うまくは説明できんし正確には違うんだが、色のようなものだ」
「色?」
「ああ。幸せを感じている。そんな色が見える」
アデリナは別の方角に視線を向けます。
「他はまだ合流できていないようだ。銀竜の盟約は特殊だから、発見しやすかったんだろうな」
「どういうこと?」
わたしは首を傾げます。
意味がわかっているのかは不明ですが、同じようにナマニクさんも首を傾げました。
「銀竜の盟約は、銀竜の血を飲むことなんだ。銀竜の肉体の一部を体内に保管することによって、心が強く結ばれると聞く。距離に関係なくな」
携帯電話や無線で、常時繋がったままに近い状態ということでしょうか。
「会話もできるらしいぞ。正しくは念話だが」
「へえ。便利ですね」
「だが他の竜。たとえば火竜イグニスベルの血なんかを飲んだら、一巻の終わりだ。内臓から灼け爛れ、人間など一瞬で消し炭となる」
そう言えば。
「ああ、黄金竜の血の摂取も、竜人にされてしまうんでしたね」
死者でさえも。
「そうだ。地竜の血を飲めば肉体は石化し、青竜の血を飲めば血液が凍りつく。だから古竜種との盟約の中で、最も絆が深まるのが銀竜だと言われている。エリクシルを人間に与えるのだから」
アデリナが風に流れる髪を押さえて呟きます。
「ただ、逆に言えば人間側がむりやり銀竜の血を飲むことで、強引に従えることもできる。銀竜が一体を残して絶滅した大きな理由の一つがそれだ。飼い慣らせばエリクシルを何度でも取り出せるからな。絞れるだけ絞って殺されるなんて話が珍しくない時代もあった」
「ああ……」
「その点で言えばシルバースノウリリィは運がよかったんだろう」
「いい旦那様に巡り会えたんですね」
アデリナが微笑みます。
同性から見てもドキドキするくらい綺麗です。
「そういうこと」
でもその話、なんか魔王の同郷としては嬉しくなる話ですね。時代はかなり違いますけど。
イグニスベルやゼロムゼロムにしたって、強制力なしに自分から従ってもいいと思える仲間ができたのは、とても幸せなことだったと思います。
「あ、でも、だったら甚五郎さんやラドさんは念話は使えない?」
「ああ。古竜の血肉を体内に取り込んでいないはずだから」
「……合流、難しそうですね」
アデリナのように魔素の流れが読めれば大丈夫だとは思うのですが、ラドさんはいざ知らず、甚五郎さんは特に難しいかも。魔素を読むのは視覚らしいですが、氣を読むのは触覚に近いものがあるから。
「いや、そうでもない。今、シルバースノウリリィと魔王がイグニスベルと合流した。ラドはいない。シルバースノウリリィがイグニスベルの魔素を感知したんだろ。これならゼロムゼロムも時間の問題――……」
アデリナが微かに眉をひそめます。その後、目を見開いて言いました。
「ゼロムゼロムの魔素が爆発的に増大した」
直後のことです。アデリナの視線の先、ラドニスの街の一角が爆発し、土煙と瓦礫が舞い上がったのは。
咆吼――!
ゼロムゼロムが竜化しました。わたしにも視認できます。
ゼロムゼロムは何者かと戦うように、黄金の爪を何度も振り回しています。その一角からは、非戦闘員の常闇の眷属たちが、命からがら逃げているのが見えます。
予感。予感だけ。氣でも魔素でもない。ただの予感。
ぞわっと全身が粟立ちました。どろりと粘液質の汗が浮きました。
動悸が激しくなり、筋肉が強張ります。
いる……。
「来たか……!」
「行きましょう、アデリナ! ――ナマニクさん!」
――ガアアアアアアアァァァァァァァーーーーーーーーーーーーーーーッ!!
己を鼓舞するかのように咆吼したナマニクさんの背中に、わたしはアデリナを抱えて跳び乗ります。
「行きなさい!」
ナマニクさんが大きな翼を広げた瞬間です。
ラドニス西部からは銀竜シルバースノウリリィが魔王をのせて飛び立ち、それより少し遅れて火竜イグニスベルがラドさんをのせて空へと舞い上がりました。
ナマニクさんが空をつかみます。
ぐんと身体が押さえつけられたと思った瞬間、ラドニス城、中段中庭から飛び立ったわたしたちは、すでに空の中にいました。
その左右に、二頭の羽馬がつきます。
「反応早ええな。さすがは鎧竜。腐っても竜種だ」
「ナマニクさんはまだ腐ってませんよ!」
「はっは! 腐りやすそうな名前つけてるからだろ!」
栗色のペガサスにはドレス姿の剣聖リリアン様が、白のペガサスには聖女レーゼ様が跨がっています。
リリアン様はどこから取り出したのか、左右の手に直剣を握っていました。どちらも不穏な光を放っており、魔力を帯びているのはわたしの目にも明らかです。
「黙って。エリクシルを飲みなさい」
レーゼ様が懐から取り出したエリクシルの小瓶の栓を指先ではね除け、一気に煽ります。
続いてリリアン様も。
わたしたちもですが、前もってリリィさんからエリクシルの小瓶を渡されているのです。これを飲んでからでなければ、戦うことはおろか、近づくことさえできないから。死に至る肺病、黑竜病をもたらす瘴気を排出し続ける黑竜には。
わたしはポケットに入れておいたエリクシルの小瓶を取り出して、栓を抜きます。中には赤い液体が揺れていました。
血……。これが古竜の血。魔王が生きている限り、体内に摂取しても盟約主にはならないそうですが……。
「蓮華、抵抗があるかもしれんが、飲んでおけ。黑竜病に罹ると動きが制限される」
アデリナの言葉にうなずき、わたしは意を決してリリィさんの血を飲みます。
鉄の臭いは人間のものと同じ。わずかな塩分も。
けれど飲み下した瞬間、自分の中で細胞の一欠片までもが活性化してゆくのを感じました。身体が軽く感じられるのです。
「わ……すご……」
子供の頃にできた痣や、グリム・リーパーとの戦いでついた古傷や、レアルガルドに来てからの傷までもが、次々と消えてゆきます。
これが――エリクシル!
ああ……ああ……。
これがあれば、あるいは病床の母も。
ふと、エリクシルを配布した際の甚五郎さんの様子が思い起こされます。
あのハゲったら、渡されてすぐに頭皮に塗ろうとするものだから、全員がかりで止めるのに精一杯でした。
だって「うおおぉぉぉ、マリアンヌ-、マリアンヌー」って泣き叫びながら、必死で抵抗するんですもん、あの人。まったく、何が「ハゲはエリクシルを必要とする不治の病なのだぁぁぁ」ですか。
筋肉もりもりのラドさんがいればもう少し楽に止められたと思うのですが、ラドさんが来たのは今日ですからね。
わたしとアデリナとレーゼ様とリリアン様と魔王とリリィさんの、四人プラス一体がかりでどうにか阻止できましたが、どんだけバカ力を発揮してやがるんですか、ほんと。リリィさんなんて竜化しかけてましたからね。
ゼロムゼロムは知らん顔で手伝ってもくれませんでしたし。
結局、黑竜を斃した後にもう一瓶あげるから、ということで事なきを得ましたが――。
「ふふ……」
なんだか、こんなときなのに彼の必死な顔を思い出すと笑えてしまいます。
たぶんそれはみんな同じだったようで、アデリナもレーゼ様もリリアン様も、にやけていたり、苦笑していたり。
リリアン様が呟きます。
「さ~て、正念場だ。遅れんなよ、レーゼ」
「いよいよね。あなたたち、死んではだめよ?」
レーゼ様が腰から宝石のように輝く刀身を持つロングソードを引き抜きました。
ナマニクさんを追い抜いて、二頭のペガサスが瘴気の渦へと飛び込んでゆきます。
わたしはエリクシルで染まった唇を袖で拭いて、軽い深呼吸をしてから呟きました。
「変身」
全身から散る光の粒子。
再びそれを身にまとったとき、光の粒子は黒を基調とした白いレースのあしらわれた魔法少女装束となってわたしの身を守ります。
空高くにまで広がり始めた黒の瘴気の竜巻を見据えながら、右手に顕現したキラキラ☆モーニングスターを取り回して。
竜巻は大地から瘴気を吸い上げるように空に広がって陽光を完全に遮断し、暗黒に覆われた空からは次々と毒竜たちが出現します。
十体や二十体ではありません。何百と、もしかしたら何千と、灰色の竜たちが翼を広げ、レアルガルド各地へとでたらめに放たれてゆくのです。
ただ破壊の限りを尽くすためだけに。
暗黒に包まれた空間を、レーゼ様の起こす奇跡、神の雷が幾重にも走ります。けれども、いかに雷といえど膨大な容積の暗黒を払うことはできません。
ああ、それはまるで、世界の終わりのような光景――。
ラドニスの滅亡は、もはや疑いようのないものとなってしまったでしょう。今日この日にどれだけの犠牲が出るのか、想像もできません。
地表から、甚五郎さんをのせたゼロムゼロムが飛び立ちます。合流はどうにか間に合ったようです。
ナマニクさんの背中に張った風の結界の中で、アデリナが穏やかな声で囁きました。
「蓮華。いよいよだな。長い旅の終わりだ」
「うん。最後は笑って迎えようね、アデリナ」
拳をこつんとあてて、わたしたちは同時に空を見上げます。
空――。
光の消えた空。どこまでも広がる暗黒の雲。瘴気。いいえ、違う。
瘴気ではありません。もちろん雷雲でも、黒雲でもありません。
上空。
数百万の民の暮らす首都ラドニス全土を覆ってしまえるほどの、そのあまりに大きな姿こそが、わたしたちが斃すべき相手、完全体の黑竜なのでした。
交換日記[魔法神]
ここまで来たら、逆にもういじってあげなければ気の毒ですぞ……。