第104話 黑竜は身を潜める
交換日記[筋肉神]
く……、未熟者め……。
毛根を筋肉で締め付けていれば、マリアンヌも救えただろうに……。
魔王と勇者の一騎打ちがあった日から三日後――。
常闇の国アラドニアの首都ラドニス中心地に位置するラドニス城には、そうそうたる方々が集まり、円卓を囲んでいました
魔王と呼ばれた人斬り侍はもちろんのこと、彼の心を救った甚五郎さん。
シーレファイスの魔法使いアデリナに、魔法少女のわたし。
そして交戦国からの招聘に護衛もつけずに応じてくださったリリフレイアの剣聖リリアン様に、アリアーナの聖女レーゼ様。
最後残った席に着いたのは、巨大な斧を二振り背負った初お目見えのオジサマでした。
「よう、ラド。よく来てくれたな。イグニスベルの野郎は元気かい?」
ラド? ラド・カイシス?
かつての七英雄、神竜国家セレスティの騎竜王イギル・カイシスの血を引く、現・騎竜王の名です。
この方が……。
アラドニアに続く勢力を持ちながら、どこの国の要請にも応じず、ただただ黑竜のみを追い続ける神竜国家セレスティの真の王。
ひとたび戦となればワイバーンに騎乗する多くの竜騎兵を率い、火竜イグニスベルを駆って先陣を切る。とても勇猛果敢な方だと聞いています。
「ああ。会議は性に合わんそうだ。まったく、古竜というのは自由で困る」
短髪大柄な男性は、そう言って魔王と笑い合います。
どうやら二人は知り合いのようです。
「違えねえ。うちの銀竜も食い歩きが優先だそうだ。イグニスベルなんぞツラも見たくねえってよ」
「はっはっは! うちの火竜もずいぶんと嫌われたものだ」
ドレス姿の女装をした剣聖リリアン様が、騎竜王ラドさんを睨み上げます。
「おいこらてめえ、ラド・カイシス」
「なんだ? おまえはリリフレイアの聖女だか剣聖だかのリリアンか。ずいぶんと若いな」
「ガキ扱いしてんじゃねえぞ。そんなことより、なんでてめえ、ボクらの要請に応じなかった? レアルガルドの平和を守る戦いだぞ!」
おそらく魔王率いるアラドニアと、リリフレイア・アリアーナの連合軍との戦争のことでしょう。
ラドさんが肩をすくめます。
「我らは古竜信仰だ。人間同士の戦いには興味がない。そんな無駄なことは、神々の忠実なる僕にでもまかせるさ」
「てめ――」
「リリアン。よしなさい」
レーゼ様が静かにたしなめると、リリアン様が押し黙ります。
「今はレアルガルド全土の危機よ。魔王よりも黑竜のことを優先しましょう。人間同士の言い争いは不毛だわ」
「うぬっ!? 不毛だとぉ!? 私の頭のことかぁぁぁぁ!!」
甚五郎さんの哀しい叫びに、レーゼ様はあっさりと返されます。
「違わないけれど、違うわ」
「ならばよし!」
いいんだ……。
それにしても、この勇者よ……。ほんとにぶれませんね……。かっこいいんだか、かっこ悪いんだか……。
てゆーかこの人、ふだんから裸ネクタイなのかしら。
甚五郎さんは裸体にネクタイを締めて、スーツのジャケットをまとっています。ファンタジックな世界観の集団に、一人だけ現代の変態ビジネスマンが迷い込んだみたいになってます。
何はともあれ、これで生存している七英雄のうち、六人までがそろいました。
七人目となる予定だったセイラムの魔女亡き今、わたしたちがどこまで因果の渦に抗えるかはわかりませんが、もうやるしかありません。
わたしは手を挙げて問いかけます。
「みなさん、ちょっといいですか? わたしたちの話を聞いて欲しいのですが」
こうしてわたしとアデリナは、交互に謎の都市インガノカで体験したことを彼らの前で語りました。
かつての七英雄に八人目となる異邦人がいたことも、ここに集う方々が新たな七英雄であることも、七人目セイラムの魔女はすでに黑竜に喰い殺されていたこともです。
「いいんじゃねえか? 黑竜を討つ。できなきゃいずれ仲良く全滅。実にシンプル、ムカつくぜ」
お人形さんのようなドレス姿のリリアン様が口汚く吐き捨てると、ラドさんが呟きます。
「因果とやらがどれほどの強制力かは知らんが、本当に剣聖嬢ちゃんの言った通り全滅するほどの被害が出るのか?」
「てめ、騎竜王! 誰が嬢ちゃんだと!? ボクはこれでも男だ! なんなら今すぐにここで脱いで証拠を見せやろうかッ? おおっ?」
魔王が面倒臭そうに耳をかっぽじって、部屋の隅を指さしました。
「あーうるせーうるせー。見せたきゃ好きにしろィ。ただし、邪魔だから部屋の隅でやってろ。な、お嬢ちゃん」
リリアン様が怒りに頭を掻き毟ります。
すかさず甚五郎さんがその手をつかんで口を開けました。
「よさないか! そのように頭皮を痛めつけるのはよくない! 私のいた国では、毟るという字は少ない毛と書く。髪を掻き毟るなど愚の骨頂なのだよ」
ええっと……。
「うるせえ、クソ筋肉! 毟る毛もねえやつがボクに命令すんな!」
「ぬぁんだと貴様!? 子供だと思って優しく接していれば――ッ」
あの……。
「こら、本当のことを言ってはだめよ、リリアン。そのように他人の欠点を口に出すべきではないわ」
「レーゼェ……。虫も殺さぬ顔して、おまえさんもひどいこと言うねェ……。見なよ、甚五郎の旦那が泣きそうな顔してんじゃねえかィ……」
ああ……ううん……。
「こいつら、なんでこんなに仲良いんだ? 昨日まで戦争してた国のトップが大半なのに」
円卓に片肘をついてぼーっと聞いていたアデリナが、あきれたような顔でぼそりと呟きました。
「国に執着のないあたしには、よくわからないな」
「約一名だけ、毛に執着してますけどね」
「……そいつが一番わかりやすいな」
アデリナはくすくすと笑いながら、涙ぐんでいる甚五郎さんに視線を向けます。
「ですねえ」
やいやい言い合う各国首脳陣をしばらく眺めてから、わたしはパチンと手を叩きます。
「はーい、みなさんそろそろいいですか~?」
ぴたりと雑談が止まります。
学校の先生になった気分です。
「じゃあ、アラドニアとリリフレイア、アリアーナは不可侵条約を締結ということでよろしいでしょうか」
「あいよ。アラドニアは承諾する」
「リリフレイアもだ。国境線から聖鉄火騎士団を引き上げさせる」
「アリアーナも問題ないわ。本件はわたくしが神殿から一任されているから」
ラドさんが書類を三枚、魔王と二人の聖女に渡します。
「調印しろ。セレスティのラド・カイシスが見届け人になってやる」
三人が署名します。
わあ、すっごい達筆ですけど日本語がありますね。久しぶりだ……な……あ?
……。
「どうした、蓮華?」
わたしは魔王の署名と彼の顔で、何度も視線を往来させます。同じように、甚五郎さんもまた。
「ええ、魔王、あなたって……!」
「なんと! おまえは彼の剣豪だったのか……道理で……」
「あん?」
そうだったんだ……。
そこには、新撰組一番隊組長の名が書かれていました。
「なんでえ、おまえさんたちはおれのことを知ってんのかい。だがもう捨てた名だ。おれは魔王でいい。そのほうが気楽だ」
「そうなんだ……」
ラドさんが書類を集め、懐にしまいます。
「たしかに預かった。この調停を破りしものは、我ら神竜国家セレスティの名にかけて、火竜の炎で浄化する。いいな?」
「あいよ」
「へいへい」
「お好きに」
レアルガルドの四強は、黑竜戦後もしばらくの間はにらみ合いが続くかもしれません。
けれどもう、表立って戦争を起こすような国はないような気がします。だってそんな戦争は、本当は誰も望んでなんていなかったのだから。
ん。よかった。ほんとに。
「では、次に黑竜戦のお話ですが」
わたしがそう切り出すと、みなの視線が一斉にわたしたちに集まりました。
「黑竜は現在、カダスを呑み込み力を増しています」
「カダスだけではない。ここより西南西に位置する港湾国家メルティアが先日新たに滅亡した」
ラドさんの何気ない追加情報に、全員が息を呑みます。
「メルティア近郊の小国家も軒並み全滅だ。我らの竜騎兵が向かった際には、すでに手遅れとなっていた」
アデリナがラドさんに尋ねます。
「カダスの悲劇以降、アラドニア西の国境線付近を境にして、黑竜が動いているということか?」
「そうだ。やつは魔王率いるアラドニア勢力と我ら竜騎兵との連合軍に、アラドニア上空で一度撃退されている。ゆえにアラドニアという土地そのものを警戒しているのだ。おそらくアラドニアの魔王軍を確実に殲滅できる力を手に入れるまでは、周辺各国を襲い続けることだろう」
リリアン様が眉根をひそめます。
「やつにそんなことを考えるだけの知能があるのか? あいつは災厄みたいなもんだろ?」
「あります。わたしとアデリナは、シーレファイス近郊で実際に黑竜と会話を交わしましたから」
「なんだと……?」
アデリナが言葉を付け加えます。
「魔王に敗北し、逃走した黑竜は、男性型幼体となってあたしたちの魔素を奪うべく襲いかかってきた。あたしと蓮華が力を合わせてどうにか撃退できたが、そのときに言った言葉が“割に合わない”だ。おそらくは、あたしたちを殺して得られる魔素の量と、あたしたちを殺す際に自らが使用する魔素の量を比してのことだろう」
そう。異邦人に魔素は存在しない。
つまり、わたしを殺しても、黑竜にはなんのメリットもないのです。アデリナ一人分の魔素を得るためには、わたしをも殺さなければならない。差し引きマイナス。だからあのとき、黑竜はわたしたちの前から去ったのです。
レーゼ様が口もとを手で覆って呟きます。
「知能が生じたらしきことはシーレファイスのクラナス王からの書状で知っていたけれど、今回の襲撃箇所が実際に計算しての行動となると、相当知恵をつけているわね」
「カダスの次にメルティアがやられたってこたぁ、次はどこだィ?」
魔王が円卓を指先で叩くと、アデリナが胸鎧の裡側からレアルガルドの大きな地図を取り出しました。
それを広げて、しなやかな指先でなぞります。
「レアルガルドの北西を喰らい尽くしたなら、次は中央に位置するアリアーナ神権国家、リリフレイア神殿国あたりか、東方に移動して神竜国家セレスティ、もしくは最終目標である北方常闇の国アラドニア。カダス並に多くの魔素を得られる国は、もうそれくらいだ」
リリアン様がリリフレイアを指さして言います。
「リリフレイアには術師三〇〇人で強力な結界が張ってある。強引に破ろうとすれば時間がかかる上に、魔素も大いに使う。たぶん、リリフレイアは後回しだ」
「アリアーナにも結界を張ってきたわ。セレスティは?」
レーゼ様の言葉に、ラドさんが首を左右に振ります。
「必要ない。セレスティはイギル・カイシス王の時代より、黑竜と戦う準備を一瞬たりとも怠ったことはない。やつがのこのことやってくるのであれば、数千の竜騎兵がすぐさま迎え撃つ」
「アラドニアも同じだ。つーか、こちとら常闇のならず者国家だ。結界なんつう器用なもんを張れるやつぁいねえ。ライラ一人じゃ、アラドニア支配域どころかラドニスだって覆えやしねえや」
わたしはうなずきます。
「だとするなら、アラドニアかセレスティが次の目標になる可能性が高いですね」
アデリナが顎に手をあて、静かに呟きます。
「……いや、もしも今日明日に何かが起こるとするなら、アラドニアだ」
全員の視線が彼女に向けられました。
「レアルガルドの空を百年間見上げ続けて、ようやく一体を見ることができると言われている上質の魔素を大量に持つ生物が、今この都市に三体も集まっている。黑竜がこの機を逃す手はない」
全員の目が見開かれます。
わたしは呟きます。
「銀竜シルバースノウリリィ、火竜イグニスベル、黄金竜ゼロムゼロム……」
「おいおい……そいつぁちょいと拙ィだろうよ……」
ぐでっと椅子の背にその身を預けていた魔王が、立ち上がって突然大声で叫びました。
「甚五郎! ラド! 今すぐ騎竜を連れ戻せッ! 蓮華嬢、アデリナ嬢、おまえさんたちは念のために鎧竜の様子を見てこい!」
甚五郎さんとラドさん、そして魔王が弾かれたように円卓の置かれた客間から飛び出してゆきました。おそらく、騎竜を連れ戻しにです。
だって黑竜は、男性体に変化できるのだから。すでに首都ラドニスに侵入していたって不思議ではないのだから。
交換日記[魔法神]
それができるのであれば、そもそもあそこまでハゲなかったのではないですかな?




