第100話 二人で一人
交換日記[魔法神]
(こ、これは、フォローしきれませんぞ、筋肉神……)
魔王が静かに音もなく、大地を蹴りました。刀の切っ先をアデリナに向けたまま。
わたしは拳を握りしめ、ほとんど同時に駆け出していました。無我夢中で、間に合うわけがないことなんて、わかっていたのに。
いやだ、こんなの!
空気が全身にまとわりつくように重く感じ、思うように進めません。焦る心だけが、喉の奥から漏れる悲鳴のような声だけが先走って。
死んじゃう……! アデリナが……!
アデリナは落ち着いた様子で、魔王へと手にした触媒ナイフを投げます。
そんなもの、あたるわけがないのに。
「……ッ」
魔王は凄まじい速さで疾走しながら、飛来するナイフをいとも容易くサイドステップを切って躱すと、さらに身を低くしてアデリナの喉へと切っ先を照準し。
「く……!」
アデリナはふらりと背後によろけながら後退し、魔王はそれを追うように深く踏み込みます。
「じゃあな、アデリナ嬢」
「――っ!?」
アデリナが固く目を閉じます。
けれどその切っ先がアデリナの喉を貫く寸前、魔王の足もとが瓦解しました。ううん。瓦解ではありません。
大地は砕け、魔王はバランスを崩して、砕けた大地は魔王の全身を四方から覆うように壁となって呑み込みます。
罠――!?
アデリナが大地の魔法で魔王を嵌めたのです。
けれど次の瞬間、岩石の壁の中から縦横無尽に銀閃が走りました。
横に一閃、袈裟懸けに一閃、逆袈裟に一閃、縦に一閃、わたしに見えたのはそれだけ。たぶん、実際にはもっと。秒とかからぬうちに、もっと。
アデリナの造った岩石の壁は、文字通り粉々に砕けて。その中から表情一つ変えない魔王が飛び出して。
アデリ――!
なのにアデリナは口もとに笑みさえ浮かべて。
「――炎槌!」
「うお!?」
自分の至近距離で、渦巻く炎を爆発させながら。
炎と爆風に魔王が後方へと吹っ飛ばされ、同時にアデリナもまた自らの魔法に灼かれて後方へと大きく後退しました。
「……」
「……ッ」
魔王の長衣は炎を宿していますが、アデリナの全身もまた、身を焦がすように煤けています。等しく、同じダメージを受けて。
両者の距離が広がった瞬間、わたしはようやくアデリナの隣に滑り込みました。
「何しにきたッ、蓮華ッ!?」
「助太刀に決まってるでしょうっ!?」
「おまえは戦うな! この戦いが終われば、魔王はもう誰も傷つけなくなる! レアルガルドがようやく一つになれるんだ! 国境に関係なく一丸となって黑竜に挑める最後のチャンスだぞ!」
わたしは歯を食いしばって怒鳴りつけました。
「あなた一人を犠牲にしてですかッ!!」
わたしの剣幕に押されたのか、アデリナが気まずそうに視線を逸らします。
「……負けると決まったわけじゃない」
「たった一人で、どうやってあの魔王に勝つつもりだったの?」
遠隔魔法なんて、まともにやったってあたるわけがない。
あの魔王は、そんなレベルにはいないのです。
古竜であるリリィさんよりも、勇者である甚五郎さんよりも、底が見えないのです。彼の中には不気味な深淵だけが、ずっとずっと奥深くまで広がっているんです。
「腕を……犠牲にする……。足りなければ肉体のどこかだ……」
でしょうね。アデリナが狙ったのは、まともではないやり方。
今の接触。アデリナが自分の魔法で、魔王ごと自らの肉体をためらいなく炎に巻いた時点で、わたしは気づいていました。
だから尋ねます。彼女を追い詰めるように。
「それでも足りなければ?」
「……」
だってそれは、侍の戦い方。死すらも厭わない武士道。
あの魔王は、そんなことを念頭に置かずに戦う程度の輩であるはずがないのです。
だって彼は、誰がどう見たって究極形ともいえる侍なのだから。
「ねえ、アデリナの思惑に、彼が気づいていないとでも思った? あの魔王は同じ世界の人だから、わたしは知っているんです。命を犠牲にして敵を討つことを躊躇いもせずやってのける、それが日本の侍なんですよ!」
浅はかとしか言いようがありません。侍を相手に。
ましてや炎槌での自爆に巻き込むことに一度失敗してしまったなら、彼は二度と同じ轍を踏まないでしょう。警戒されては、勝つことはもちろん道連れにすることさえできなくなります。それほどまでに、アデリナと魔王には力の差があるのです。
そんなこと、アデリナにだってわかってるはずです。
アデリナがうつむきます。
「あたしが死んでも……魔王は黑竜戦でおまえを助ける……。あたしの代わりに……」
「この――ッばかぁぁぁぁっ!!」
その言葉にわけがわからなくなって、気づけばわたしは絶叫していました。
もしわたしがふつうの女の子だったら、きっとアデリナの頬を力一杯、叩いていたと思います。
手が出せない代わりに、わたしの両眼からは大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちていきました。
悔しい。ただただ悔しい。
どうして頼ってくれないの? もっと迷惑をかけてよ! わたしを巻き込んで!
「いやだよ……そんなの……。……ねえ……、……アデリナがいなくなったら……わたしもう……黑竜となんて……戦えない……」
そんなわたしの様子に、アデリナはぎょっとしたように目を見開きます。
そして、慌てて言うのです。
「わ、わかった。わかったよ。あたしが悪かった。頼むから泣くのはやめてくれ……」
「ほんと……?」
子供のようにぐずぐずと鼻を鳴らして、わたしはアデリナを見上げます。彼女は指先で頬を掻きながら、どこか嬉しそうに、照れ臭そうに呟きました。
わたしにだけ、聞こえるような小さな声で。
「あたしだって別に死にたいわけじゃない。ただ……ただ、な? ……あの魔王にだけ多くの重荷を背負わせたまま、黑竜戦に巻き込むわけにはいかないと思ったんだ。……そんなのはあんまりだ。……あんまりすぎるだろ……」
ああ、ああ……。いつものアデリナです……。
「その欠片だけでも……持って行ってやりたいと……そう思った……」
潰れてしまいそうなくらいにレアルガルドの悪意を背負って戦い続けてきた、可哀想な魔王。アデリナは彼を救ってあげようとしていたのです。
でも、だからこそ。
「手伝わせて? アデリナが死んじゃったら、魔王はまた一つ背負うことになるんだから」
わたしたちは、二人で一人だから。
わたしは涙を袖で拭って、背の高いアデリナを見上げました。
「……うん。頼む」
アデリナはばつの悪そうな顔から屈託のない笑顔に戻って、そう言って。
わたしたちは笑顔になりました。死の間際で。
「話は済んだかい?」
わたしがアデリナの笑顔に気を取られた瞬間、魔王はすでにわたしたちの斜め上空で、刀を振りかぶっていました。
「はい。お待たせしました」
わたしはとっさに下段後ろ回し蹴りでアデリナの足を払って転ばせ、自らも頭を下げて銀閃をかいくぐります。
刀を振り切った体勢で、魔王が歪んだ仄暗い笑みを浮かべました。
「……イイんだな?」
「はい!」
振り切った勢いを利用して、魔王がわたしへと回し蹴りを放ちます。わたしはそれを腕で受け止めます。
肉の弾ける音が響き、凄まじい衝撃に腕が痺れました。
「……ッ」
見た目よりずっと重い。かつては痩せ男だったと聞きましたが、とんでもない威力です。
でも――!
「全力でいきます!」
「ああ、そうしてくれ」
わたしは持ち前の怪力で魔王の蹴りを強引に押し返し、地を蹴ります。
「――風刃!」
わたしの追撃を躱して後退した魔王の足もとへと、次々とアデリナの放った風の刃が刺さります。地面を抉り、石盤遺跡の欠片を弾き、魔王を環状列石の中央へと誘導するように。
魔王は刀を片手で持ったまま、曲芸のようにバック転で風刃を躱し続けます。身体能力もまともではありません。
筋力こそ勝りますが、自分の肉体を扱う知識に関して、わたしは彼に遠く及びません。
けれども――。
風刃が石盤遺跡の黒い破片に直撃し、飛礫となって土煙とともに舞い上がります。
アデリナの視界ジャック。
意味するところがわかるのは、わたしだけ。魔王ではなく、このわたしだけなんです。
わたしは飛礫の中へと、目を守るために両腕を交叉して飛び込みました。環状列石の中央。石盤遺跡の建っていた場所を目掛けて。
そこかしこで風刃が魔王を追って地面を抉る音が鳴り響きます。
目を閉じたまま。無数の飛礫の中、到底、開けてなどいられないから。
でも、そこにいるでしょう? あなたは。
アデリナの魔法に、知らず知らずのうちに誘導されて。
チャンスはおそらく、虚を衝けるこの一度きり。
環状列石の中央。
飛礫と化した黒の石盤遺跡の建っていた場所で、瞼の裏、暗黒を見つめたまま、わたしは拳を全力で突き出して。
「――そこッ!」
ずん、と右拳に重い感触がして、鈍い音が響きます。
入った――!
「――崩拳!」
ありったけの氣を流し込んで。なおも強引に拳をねじり込みます。全身全霊を込めて。
「ご……ぶっ」
「ああああぁぁぁぁぁっ!!」
どぱっ、と肉の破裂する音が響いた直後、彼は石盤遺跡の瓦礫をその背で吹っ飛ばし、土を巻き上げ、環状列石の一つを倒し、跳ね上がり、大地に沈みます。
目を、開けて。
はぁ……はぁ……っ。
や……った……?
「屈め蓮華!」
反射的に首をすくめたわたしの頭髪を数本斬り飛ばし、銀閃が通過しました。
「いい仲間を持ったな、おまえさん」
え……?
「だが、知ってるかい、蓮華嬢? 魔王にも優秀な盾がいるんだ」
声――!
魔王は、すぐ目の前に無傷で立っていて。
その遙か後方には、血を吐き倒れ伏しているガル・ガディアの姿がありました。
外し……た……。
わたしが状況を理解すると同時でした。
「あばよ」
「……ッ」
心臓を狙って突き出された切っ先を、左の掌を貫通させることで防げたのは一度目の奇跡。
「~~ッ」
けれど目にも止まらぬ速さで引き抜かれた魔王の刃は、さらにわたしの首を狙って――。
「やめろ魔王!」
アデリナの放った土の刃が、魔王の二度目の突きの軌道を変えてくれたのが二度目の奇跡。
二連突き――ではありませんでした。
彼はやはり目にも止まらぬ速度で刃を引くと、三度目の突きを繰り出します。人間ではあり得ないような速度で。
一度目の突きから三度目に至るまで、ほとんど同時でした。まるで魔王の刀が、三振り存在しているかのような錯覚をおぼえるほどに。
「~~ッ」
どうにか身体を傾けたわたしの右肩口に、刃がずぶりと食い込みます。皮膚を破り、肉を貫き、骨を砕いた刃は、やはり目にも止まらぬ速度で引き抜かれました。
「あ……」
右肩から広がる身を焦がすような痛みに、わたしは両腕の機能を失って、その場に膝をつきます。わたしの全身を呑みこんだ影の主を見上げて。
汗が額から頬を伝い、ぽたり、ぽたりと、地面を染めます。
貫かれた右肩口から、穴の空いた左の掌から流れる血は、もっと勢いよく。
……わたし、死ぬんだ…………。
魔王は罪人の首を刎ねる執行者のように、刀をすでに高く持ち上げていました。
交換日記[筋肉神]
そら、そ~ら、元気を出さねば我が筋肉はどんどん育つぞー!
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