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燈幻郷奇譚  作者: 月宮永遠
1章:遠き月胡の音
7/42

5

 雅やかな広間に入ると、食事の準備がされており、上座で一世と紫蓮が寛いでいた。

「亜沙子。こちらへおいで」

 恐縮しながら上座に向かうと、一世は瞳に賞賛の色を浮かべてほほえんだ。

「よく似合っているよ」

 亜沙子は、更紗さらさ柄の二尺袖着物に錦紗きんしゃ帯を締めていた。裾は金魚のようにひらひらしており、美しい光彩を放つ羽衣を纏う姿は、絵巻に描かれた天女を思わせる。

「ありがとうございます。素敵な衣装をお借りいたしました」

 お辞儀すると、一世は無意識なのか尾を軽く揺らした。つい視線で追いかけてしまう。

 我に返って着座しようとすると、お待ちくださいまし、と灯里がやってきて、繊細な透かし刺繍の入った前掛けを着せてくれた。

「かわいいね」

 亜沙子の全身を眺めて、ふふっ、と一世は楽しそうに笑った。

「……ありがとうございます」

 小さな子供になった気分で、亜沙子は照れを堪えながら、胡坐を掻く一世の隣に座った。

「部屋は気に入った?」

「はい、とても」

 一世は満足そうに頷いた。

「良かった。部屋にあるものは、全て亜沙子のものだよ。足りないものがあれば、遠慮せずにいうといい」

「親切にしていただいて、本当にありがとうございます」

「亜沙子は礼儀正しいね」

「いえいえ、そんな……」

 顔の前で手を振る亜沙子を、一世は小さな子供に向けるような眼差しで見ている。

 視線を伏せながら言葉の接ぎ穂を探していると、湯気の立つ料理が、次から次へと運ばれてきた。瞬く間に、黒檀の座卓は大小の皿で溢れかえった。

 桜鯛の造り、山菜の和え物、若鳥の蒸し焼き、ほうれん草のおひたし、色鮮やかなお新香……どれも美味しそうで、いたく食欲を刺激される。

「美味しい!」

 口に含むと、不思議と力がみなぎる気がした。

 目を輝かせる亜沙子を見て、給仕する侍女と一世は笑みをこぼした。

「たんとお食べ。蓬莱山の作物には霊気が含まれている、食べるほどに元気になるから」

「こんなに美味しい食事、久しぶり……」

 感動しつつ、はっきり美味と感じることに、やはりこれは夢ではないのかもしれないと思った。

 贅沢な一時ひとときだ。美しい邸に招かれ、綺麗な衣装を着て、美味しい料理に舌鼓を打って……夢でなければどんなにいいだろう。

「もう食べないのですか?」

 腹が膨れて、箸を休める亜沙子を見て、紫蓮は眼を見張った。

「おなか一杯です」

「大して食べていないでしょう……貴方、顔が赤いですよ?」

「少し酔ったみたいです」

 ここへくる前に呑んだビールが効いてきた。床に手をつく亜沙子の背を、一世は気づかわしげに撫でた。

「これをお飲み」

「ありがとうございます……」

 渡された杯から、たえなる香りが漂う。喉に流しこむと、不思議と身体が軽くなったように感じられた。

「わぁ、美味しい……お酒?」

 まじまじと透明の液体を凝視する亜沙子に、一世はおもむろに手を伸ばした。ひんやりした指先が頬に触れて、亜沙子はびくっと顔を上げた。

「一世さん?」

「頬が熱いね。澄花酒を飲んだせいかな? 目がとろんとして、眠ってしまいそうだよ」

「はい……ここへくる前にお酒を飲んでいたから、酔いが回ってきたんだと思います」

「ああ、なるほど」

「飲むと眠くなっちゃう性質たちで……すみません、眠くて。休ませてもらっても良いでしょうか?」

「確かに、子供はもう眠る時間だ。部屋まで送っていこう」

「一人で戻れますから」

 そういったものの、立ち上がると少し足元がふらついた。すかさず一世に支えられる。

「あれ……すみません」

「抱っこしてあげようか?」

「平気です! 歩けないほどじゃありません」

 くすくす、と一世は微笑すると、一人で歩こうとする亜沙子の腰を攫うようにして腕を回した。

「あの、平気ですから」

「ちっとも平気そうに見えないよ。おとなしく私に送られなさい。いいね?」

「……はい」

 有無をいわさぬ口調に、亜沙子は大人しく身体から力を抜いた。おずおずと一世の腕にもたれる。

 触れあう体温の暖かさや、着物の上からでも判る力強い腕に、亜沙子の中で眠っている何かを呼び起こしそうになる。仄かな胸の高鳴りを抑えているうちに、部屋の前に着いた。

「ゆっくりお休み。着替えは灯里が用意してくれるよ」

「はい。ありがとうございます。お休みなさい」

 会釈して顔を上げると、視線が絡んだ。一世は端正な顔を下げて、亜沙子の額に優しく口づけた。

「っ!」

 扉の左右には護衛がいる。人目を気にする亜沙子と違い、一世は亜沙子だけを見つめてほほえんだ。

「また明日、亜沙子」

「はい……」

 酒のせいではなく、朱くなった頬を隠すように亜沙子は俯いた。部屋に入ると、扉を背にして額を手で抑える。心臓は、烈しく音を立てて鳴っている。

「姫様?」

「は、はい!」

 慌てて返事をすると、入ってもよろしいでしょうか? と扉の向こうから灯里に声をかけられた。

「どうぞ」

「お邪魔いたします。お仕度の手伝いに参りました」

 丁寧にお辞儀をする灯里に、亜沙子も頭を下げた。

「お世話になります。あの、ここに置いてある化粧品を使っても平気でしょうか?」

 象牙の卓に並べられた瓶を指さすと、もちろんでございます、と灯里はほほえんだ。

「お部屋にある物は、何でもご自由にお使いくださいまし。不足があれば、すぐにご用意いたします」

「ありがとうございます。何から何まですみません」

「我が主の仰せですから、ご遠慮なさらず。寝間着はこちらの衣装箪笥にしまってあります」

 そういって、灯里は薄紅色の、袖にレースのついた長襦袢ながじゅばんを取り出した。絹の手触りは滑らかで、布は驚くほど軽い。

「お着替えを手伝いましょうか?」

 亜沙子はちょっと考えて、首を振った。

「前を合わせて、帯で結べばいいんですよね? これくらいなら、一人で着れますから」

「かしこまりました。では、何かありましたら、呼鈴をお使いください」

「はい。ありがとうございます」

「お休みなさいませ、姫様」

「お休みなさい」

 灯里が部屋から出ていくと、急に部屋が静かになったように感じられた。

「ふぅ……」

 思った以上に酔っぱらっているようだ。けだるい身体を動かして、髪を解いて化粧を落とすと、薄紅の襦袢に着替えた。

 寝台に横になると、泥のように重たい疲労感に襲われた。

 思考はふわふわしていて、頭が働かない。考えるのは目が醒めてからにしよう。今夜は苦も無く、惰眠を貪らせてほしい。海の底に沈みこむように、深い眠りへと誘われていく……





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