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燈幻郷奇譚  作者: 月宮永遠
4章:天狼と見る夢
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 彩国の中枢、凌雲宮りょううんきゅう

 けやきの大樹に囲まれた広大な王宮の敷地に、亜沙子の神籬ひもろぎとして建立こんりゅうされた悠陽邸ゆうひていはあった。

 ひのきの香る雅な社殿である。

 蔀戸しとみどの跳ね上がった、気の遠くなるような長い廊下を亜沙子は暁暉と並んで歩いた。

 案内された寝所は南を向いた角部屋にあり、壁の二面に大きな窓があって風通しが良かった。

 壁面には異国情緒に溢れる幾何学模様きかがくもようの綴り織がかけられ、品の良い調度が絶妙に配置されている。窓辺に置かれた雉高炉きじこうろから、爽やかな香が漂い、なんとも優雅な気分にさせてくれる。

「お気に召していただけたでしょうか?」

「はい、とても素敵なお部屋を、ありがとうございます」

 亜沙子が笑顔で礼を口にすると、暁暉は品の良い笑みを浮かべた。

「暫しお寛ぎください。一休みしたら、街巡りに繰り出しましょう。案内させていただきます」

 すぐにでも神事が始まるのかと思っていた亜沙子は、拍子抜けしつつ頷いた。


 街へ繰り出す前に、二人とも軽装に着替えた。

 官吏服に着替えた大王は、豪奢な衣装を纏っていた時よりも若く見えた。亜沙子は中流階級の令嬢の衣装に着替えている。

 一緒の輿に乗り、緊張していた亜沙子だが、窓から見る光景にたちまち心を奪われた。

「わぁ……」

 日盛りの往来の賑わっていること。歴史を感じさせる古刹こさつに、新しい建物が混じり、絶妙に調和している。歩いている人までもが瀟洒しょうしゃで、全てが洗練されて見えた。

「素敵な街ですねぇ」

 しみじみ呟く亜沙子を見て、暁暉は嬉しそうにほほえんだ。

「お気に召していただけましたか?」

「はい、とても」

 さすがは大国の中心地だ。長閑のどかな郷の風景ばかり見ていたので、尚更、彩国は大都会に映る。

 飽かず眺める亜沙子を見て、暁暉は目を細めた。不意打ちの柔らかな表情に、どきりとさせられる。亜沙子は照れを誤魔化すように、ほほえんだ。

「整然と建物が並んでいて……活気もあるし、洗練された美しい街ですね」

「それは良かった。店で軽食を取ろうと思うのですが、姫は焼串はお召し上がりになれますか?」

「はい、大好きです」

「良かった。美味しいお店を知っているんです」

 空気が和んで、お互いに小さく笑った。

 彼が連れていってくれたのは、香ばしい匂いの漂う竈屋かまどやだった。

 食欲を刺激されて、亜沙子の心は浮き立った。

 草木に囲まれた瀟洒な店で、道ゆく人は、良い匂いに思わず足を止めている。なかなか繁盛しているようだ。

 大王は、当然のように亜沙子をエスコートしてくれた。歩く時は通路側に立ち、扉を前にすると必ず開けてくれる。店内でも椅子を引いて、先ず亜沙子を座らせた。

 一緒にいると、何やら面映ゆい気持ちにさせられる。彼が彩国の大王ではなく、年下の気のいい青年に見えて困ってしまう。

「天狼の郷では、どのようなものをお召しになっておられたのですか?」

「田畑でとれた野菜や山菜、山河で採れる魚や、鶏なんかです。どれも新鮮で、とってもおいしいんです」

「では、姫は舌が肥えていらっしゃるのか。お口に合うといいのですが」

「なんでも美味しく頂きますよ」

 運ばれてきた、雉鳥の焼き串を見て、亜沙子は瞳を輝かせた。

「うわぁ、美味しそう!」

 暁暉は、亜沙子が食べやすいように串を抜いて、皿に取り分けてくれた。

「ありがとうございます。気が利かなくて、すみません」

 己の女子力の低さを思い知らされる。恐縮する亜沙子を見て、暁暉は驚いたような顔をした。

「姫は謙虚でいらっしゃる。御礼をいうのはこちらです。共に食事をして頂けるなんて、私は果報者です」

「いえ、そんな……」

 照れくさくて俯くと、暁暉はおかしそうに笑った。

「私のことは下僕と思って、どうぞこき使ってください。荷物持ちでもなんでもいたしますよ」

 茶目っ気たっぷりにいわれて、亜沙子はつい笑ってしまった。大国の王が、このように気さくで明るい人柄とは知らなかった。

 食事は美味しく、楽しかった。

 巧みな話術に引きこまれ、亜沙子はいつの間にかリラックスしていた。

 この国の頂点に君臨する権威者であるはずなのに、暁暉には奢ったところがない。話してみると、親しみやすい善良な青年だった。

 非常に端正な顔立ちをしているので、遠目に秋波しゅうはを送る女性も多い。すれ違う度に、振り返る者があとを断たなかった。

 彼は街に通暁しており、往来ばかりを歩くのではなく、小店の並ぶこみちを案内してくれたりもした。

「よくご存じなんですねぇ」

 雰囲気の良い通りを見て、亜沙子は思わず感心の声を上げた。

「宮に籠って康衢通逵(こうくつうき)を学べても、往々にして雑学とは市井で学ぶものですから」

 もっともらしく暁暉は答えると、尊敬の眼差しで頷く亜沙子を見て、小さく噴き出した。

「姫はお人が良い。正直に申し上げれば、子供の頃から、じっとしていられない性分なのです」

「……なんとなく、判ります」

 亜沙子がいうと、暁暉は嬉しそうに笑った。思わず魅入ってしまいそうなほど、無垢でてらいのない笑みだった。

「……戻るのが惜しいですが、そろそろ参りましょうか」

 黄昏れる街を見て、暁暉は残念そうにいった。

 暮れなずむ西の空に、茜色の雲が浮いている。遠くから聞こえてくる羅宇屋らうやの汽笛が、一日の終わりを告げているようだった。

「とても楽しかったです。街を案内してくれて、ありがとうございました」

 帰らなければいけないことを、亜沙子も少し残念に思った。

「明日はのみの市にいきましょう。眺めるだけでも楽しいですよ」

 にこやかにいわれて、亜沙子は嬉しいと思う反面、少し戸惑った。

「それは楽しそうですが、いいのでしょうか? 神事のご予定は?」

「神事は三日目です。それまでは、事前準備として見聞を広めていただきたいのです」

「事前準備?」

「はい。この国の街、人を見て、聴いて、言葉を交わしてからの方が、祈りを捧げる際に、よりお心が入るでしょう」

 確かにそうかもしれない。亜沙子は納得して、小さく会釈をした。

「では……よろしくお願いいたします」

「こちらこそ、よろしくお願いいたします。明日もご一緒できて、嬉しいですよ」

 素直に笑う暁暉を見て、亜沙子もほほえんだ。

 昏れかかる廂間ひあわいから、芥子けし色の落ち葉を巻き上げて、冷たいこがらしが吹き抜けてきた。両腕を摩る亜沙子の首に、暁暉は毛編みの襟巻を撒いた。

「わ、すみません」

「いいえ。風邪をひく前に、戻りましょうか」

 目と目が合った。茜に照らされて、暁暉の銀色の瞳は、黄金色に見える。亜沙子はそっと視線を伏せた。


 篝火かがりびの焚かれた悠陽邸ゆうひていに戻ると、亜沙子は風呂で汗を流し、綺麗な衣装に着替えた。

 夜は、盛大に宴が催された。

 高く織り上げた格天井ごうてんじょうの下、金箔を貼りめぐらせた床の間で、美味や珍味、酒が振る舞われた。

 舞台では、楽師の音に合わせて、美しい巫女が舞を披露している。典雅な所作で、大王の息災祈願の祝詞をそらんじた。

 亜沙子がほほえみながら相槌を打つと、それだけで周囲の面々は、ほっとしたような安堵の表情を浮かべた。

 天帝の御使いである笹良の先触れで、彼等は亜沙子を丁重にもてなせば、大王の病を治してもらえる――そう信じているのである。

 亜沙子は暁暉の傍で歓待を受けながら、彼と雑談に興じていた。

「――姫はどのようにして、人神になられたのでしょうか?」

「……なんといえばいいか……夜那川の悪戯でしょうか。私が飲んだ酒に、本当に偶々、澄花酒が混じってしまったのです。気がつけば蓬莱山にいました」

「生前はさぞ得の高い魂であったのに違いない」

 穏やかな眼差しで見つめられて、亜沙子は意を決した。今こそ謝罪する時だろう。

「一年前、本当なら貴方が飲むはずだった澄花酒を、偶然とはいえ、私が飲んでしまいました。申し訳ありませんでした」

 神妙な顔つきで謝罪する亜沙子を見て、暁暉はほほえんだ。

「それも、天帝の思し召しでしょう。姫に出会うことができたのですから、待った甲斐があったというものです」

 優しく笑みかけられ、亜沙子も淡くほほえんだ。

「……そういっていただけると、救われます」

「救われたのは私の方です。蓬莱山は天地開闢てんちかいびゃくの初めからあった霊峰です。知っていながら、私は結界を傷つけてしまった」

「でも、それは――」

「神罰をくだされてもおかしくはありませんでした。姫の温情がなければ、私は今この場にいなかったでしょう」

「……あの時は、肝が冷えました。ここへきて、銃を見るのは初めてでしたから」

 暁暉はあらたまって、深く頭を下げた。

「大変な不敬をいたしました。どうかご寛恕かんじょください」

「いえ、そんな……お互い様ということで」

 目と目が合った。ほほえみあい、盃を軽くあげる。

 和やかな空気は、暁暉が軽くしわぶいて破られた。口に当てた麻布に血が滲んでいるのを見て、亜沙子はぎょっとした。

「大丈夫ですか!? 誰か……」

 酔いは一遍に吹き飛んだ。腰を浮かしかける亜沙子の手を暁暉は素早く掴んだ。その大きな手も、強い肩もおこりのように震えている。

「……平気です。お見苦しいところをお見せしてすみません。政敵は、私を天に見放された病臥びょうがの王と侮ってくれるので、得な面もあるのですよ」

 空気を軽くしようとする暁暉に、亜沙子は深い同情を覚えた。頑健がんけんに見せていても、彼は間違いなく病におかされているのだ。

 盆を手に持った侍女が、しずしずと歩いてくる。暁暉は湯呑を受け取ると、丸薬を白湯で流しこんだ。

「申し訳ありませんが、今夜はこれで失礼させていただきます」

「はい、ご無理なさらず」

「お優しい方だ。私は下がりますが、姫はまだ飲み足りなければ、酒を運ばせますよ」

「いえいえ、もう十分です。私もお暇させていただきます」

 暁暉は頷くと、侍女を呼びつけて亜沙子を部屋へ送るよう申しつけた。恐縮しながら去る亜沙子を、暁暉は背を伸ばして見守っていた。

(……いつから具合が悪かったのだろう?)

 少しも気取らせなかった。おもねるでもなく、亜沙子をもてなし、謝罪を受けれていくれた。彼が賢王と評されるのも頷ける。

 部屋に戻ると、化粧を落として襦袢に着替え、柔らかな寝台に横になる。

 深海に沈みこむように眠りに落ちながら、彼の為にできる限りのことをしよう――そう思った。





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