表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
燈幻郷奇譚  作者: 月宮永遠
3章:人と天狼の轍
32/42

30

 剣呑な眼差しで見つめられて、亜沙子は狼狽えた。

 泣いたせいで瞳は潤み、頬は朱く染まっている。肩で息をする亜沙子の背を、紫蓮はいたわるように腕で支えている。

 色っぽい事態は何一つなかったはずなのに、この誤解を招く空気はどうしたことか。

「亜沙子の元気がないようでしたので、あやしておりました」

 紫蓮は不本意そうに答えた。一世は眼を眇めると、不機嫌そうな眼差しを、そのまま亜沙子に向けた。

「――きなさい」

「うわっ」

 問答無用で手を引かれ、一世の部屋に連れていかれた。二人きりになった途端に、彼は嫉妬まじりのため息をついた。

「……妬けるね。亜沙子は、いつの間に紫蓮と仲良くなったのかな?」

 艶めいた流し目を送られて、亜沙子は肩を縮こまらせた。涼しげな眼差しは、更に細められる。

「そう……私からは逃げるように離れたくせに、紫蓮の傍にはいるんだね?」

「そんな、逃げるなんて」

「悪かった機嫌も、紫蓮の傍で直ったのかな?」

 美しい微笑に艶が増す。交わす視線が濃密さを増した。

 ひたと亜沙子を見据える瞳の奥に、暴力的な剣呑な光が宿る。

 俯くと、顎に指をかけられて上向かされた。獰猛な瞳。今にも噛みつかれそうだ。

「こんなに赤い唇をして……」

「やだ」

 顔を背けても、頬を手に挟まれて逃げられない。形の良い指が、亜沙子の唇に触れて、端から端までゆっくり輪郭をかたどっていく。

「やめて……」

 開いた唇の隙間に、一世は指を挿れた。亜沙子が暴れると手は離したが、目は離さない。亜沙子を見つめたまま、唾液に濡れた指を口に含んだ。

「……甘い」

 真っ赤になる亜沙子を見て、一世は嫣然えんぜんと微笑んだ。目の錯覚ではなく、青と金色の瞳の奥に嫉妬の焔が揺れている。

 背筋がぞくっと震えた。

 端正な顔がゆっくり降りてきて、慌てて二人の顔の間に手を挟みこむ。顎に指先を添えて遠ざけようとすると、逆に手を掴まれた。

「亜沙子を最初に見つけたのは、私だよ。小さな手も、かわらいしい頬も、唇も……」

 視線を伏せると、顎をしゃくられた。

「簡単に触れさせてはいけないよ」

 震える亜沙子を見て、一世はわずかに語調を弛めて続けた。

「でないと、妬けてしまう。亜沙子を邸に閉じこめて、独り占めしたくなってしまう――それは、嫌なのだろう?」

「勝手に抜け出して……ごめんなさい」

 悄然と呟く亜沙子の頭に、暖かくて、大きな手が乗せられた。烈迦を相手に暴れていたとは思えぬ優しい手つきで、亜沙子の黒髪を梳く。

「そうだね……でも、私もいささか強引過ぎたと反省している――」

ふと指の動きがとまり、亜沙子は不思議に思って顔を上げた。

 一世は、亜沙子の首筋を凝視していた。

 烈迦につけられた痕だ。一世の纏う空気が冷たく張り詰めて、亜沙子は慄いた。

「……怒らないで」

 上目遣いに請うと、一世は器用に片眉を寄せた。かぶりを振る亜沙子を、たまらないといったように胸にかき抱く。

「亜沙子、緋桜邸を出ていきたい?」

「いいえ! ……でも、彩国はいくべきだと思っています」

「なぜ?」

「……いろんな人に迷惑がかかるから」

「誰が迷惑といった?」

 一世は怒気を孕んだ声で被せてきた。俯く亜沙子の顎を手ですくい、燃える金と青の瞳で射抜く。

「答えよ。誰がいけないといった?」

「……誰も、いっていません」

「ならばいくな。万が一、そのようなことを吹き込む輩がいれば、私が制裁をくだしてやる」

「あッ」

 うなじに歯を立てられて、亜沙子はおののいた。一世は顔をあげたが、亜沙子を離そうとはしない。夜闇でも光彩を放つ金と青の瞳に、ぎらっとした炎が灯っていた。

「烈迦に何をされた?」

「……何もされていません」

「本当に? この痕は?」

「んっ」

 肩を縮める亜沙子の首筋に、一世は再び顔をうずめた。

「こんな風に、不埒な真似をされたのではないの?」

 他の男につけられた痕を叱るように、首筋を吸われた。

「や、いっせ……んぅ」

 抗議は唇の中へ消えた。

 子供にするような優しい口づけとは違う。艶めかしい水音を立てて、甘く、淫らに貪られる。

 官能的な唇に、身体から力が抜け落ちる。一世は力強い腕で亜沙子をかき抱くと、後頭部をしっかりと手で支え、もう片方の手で身体の線を撫でながら口づけを続けた。

「ま、待って……」

 ようやく唇が離れると、二人の間に、つと銀糸が垂れた。それを舌でからめ捕りながら、一世は情欲の滲んだ眼差しで亜沙子を射抜いた。

「……し、心臓が壊れそう」

 真っ赤な顔で亜沙子がいうと、一世は意地の悪い笑みを浮かべた。

「亜沙子に何かあったら、こんな仕置きでは済まなかったよ」

 一世は手を伸ばすと、少し乱暴に亜沙子の頬を撫でた。

 胸が痛くなるほどの、美しい瞳がすぐ傍にあり、亜沙子を映して煌めいている。

 どうしようもないほど切ない気持ちが溢れて、視界が潤んだ。眼淵まぶちに涙が盛り上がり、雫となって頬を滑る。次から次へと、ぽろぽろと……

「亜沙子?」

 一世は驚いた顔をした。突然泣き出したから、心配させてしまっている。

 涙を止められない。

 どうにか誤魔化そうと、亜沙子は泣き笑いを浮かべた。

「一世さんの傍に、ずっといたいな」

「傍にいよ。なぜ泣く? ……泣くな。亜沙子が泣いていると、私も哀しくなる」

 一世は少し身体を離して亜沙子の顔を覗きこむと、左右の瞼に、優しく唇を押し当てた。硝子細工を抱くように、亜沙子を優しく胸の中に抱き直す。

 静謐せいひつな月明かりを浴びて、青銀の髪が煌く様を、亜沙子は一世の胸に頬を寄せて見つめた。

「私、郷が好きです。一世さんがいいってくれるなら、ずっと緋桜邸にいたい。でも、でも……」

 力なく呟くと、一世は涙に濡れた頬を撫でた。

「……でも?」

「私のせいで、一世さんや、郷の皆が悪く思われるのは嫌なんです」

「いればいい。誰も悪くいう者などいないよ」

「少なくとも、烈迦さんと笹良さんは違うでしょう? きちんとお役目を果たして、胸を張ってここにいたい」

 同族同士で番わせてやった方がいい――烈迦の言葉が耳朶に蘇る。ねがわくば、一世だけでなく、彼が大切に護っている郷にも受け入れられたかった。

「亜沙子が心配する必要はないよ。文句をいうやからは、私が許さぬ」

「一世さんばかりを、矢面やおもてに立たせたくない。私にできることがあるなら、させてください……お願いします」

「亜沙子……」

「三日したら、必ず帰ってきます。お帰り、っていってもらえますか?」

「……」

「一世さん、お願い」

 上目遣いに仰ぐと、一世は半分瞑目して、長いため息をついた。

「そんな瞳で見られては、無下に跳ねのけるのも難しいな……」

 期待に瞳を輝かせる亜沙子を見て、一世は仕方なさそうに苦笑を浮かべた。

「……私の元に帰ってきてくれなければ、彩国を滅ぼしてしまうからね」

「じゃあ、じゃあ……」

「いいよ、三日だけ許そう。それ以上は待てぬ」

「! ありがとう、一世さん!」

 首に腕を回して抱き着くと、ぽんぽん、と宥めるように背中を軽く撫でられた。

「私の元を離れるというのに、そのように喜ばれては複雑だな」

 亜沙子は一世の肩に手をつくと、目を合わせてにっこりした。

「一世さんが待っていてくれると思うから、いけるんです」

「亜沙子の帰りを、一日千秋の想いで待っているよ」

「ありがとう、一世さん。絶対に帰ってきますから……っ」

 ほろほろと涙が零れる。両手に顔を沈めると、頬を舐められた。顔を上げると、天狼の姿をした一世が亜沙子を見つめていた。

「……」

 いつの間に姿を変えたのだろう? 不思議に思っていると、もう一度、涙に濡れた頬を舐められた。顔を背けても、首を伸ばして追いかけてくる。

「一世さん……」

 ふわふわした頬を撫でると、青と金の相貌を、すぅと三日月のように細めた。

 亜沙子が動かずにいると、一世は立派な体躯を、亜沙子の傍に横たえた。長いしっぽで、亜沙子の足を優しくたたく。

 慰められていると知り、亜沙子は肩から力を抜いた。おずおずと体重を預けると、一世は首をめぐらして、亜沙子の腹に顔をうずめた。

 つややかな毛並みを撫でると、心は凪いでいった。

 大人しく従順に、亜沙子の傍で寝そべっている。毛並みに指をもぐらせても、怒ったりしない。眉間を伸ばすように親指でこすると、うっすら青い方の片目を開けた。

 そっと近付いて眉間にキスをすると、ぱちっと両方の目が開いた。びっくりしたように亜沙子を見ている。

「一世さん、大好き」

 ほほえみながら、亜沙子はわざと軽くいってみた。一世は嬉しそうに尾を揺らして、目を細めている。

「私もそなたが愛おしいよ」

 青と金の双眸が、優しい三日月のように細くなる。幸せな気持ちで、亜沙子はそっと瞳を閉じた。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
cont_access.php?citi_cont_id=691078197&s
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ