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燈幻郷奇譚  作者: 月宮永遠
3章:人と天狼の轍
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「一世さん……」

 亜沙子は深く安堵したが、男達は恐れをなしたように距離を取った。

「まほろばに住まう、偉大なる天狼主あめのおおかみぬし。この地に参り、お会いできたことを光栄に思います」

 凛と通る声で口上を述べ、暁暉は恭しくこうべを垂れた。一世は冷たく睥睨すると、神の声を発した。

「ここは人間がきていい場所ではない。即刻立ち去れ」

「無礼は承知しております。どうか、どうか、お聞きください」

「人の王よ。人間は蓬莱山への立ち入りを禁じられているはずだ。なぜ約束を破った?」

「お怒りはごもっともでございます。しかし、私にはどうしても天狼主にお会いせねばならぬ理由がございます」

 天狼達は一斉に牙を剥いたが、一世は重低音の唸り声を発して鎮めた。

「……一世さん、彼等が澄花酒を欲しがるのは事情があるんです」

 亜沙子が小声で囁くと、一世はちらと視線をよこしてから、彩国の王に冷たい一瞥を投げた。

「約束を破ったのはお前達だ。結界を破った人間に、澄花酒を渡すつもりはない。諦めて帰るがいい」

「お待ちください!」

「何をいっても無駄だ。即刻、帰れ」

「どうか……!」

 深く頭を下げる大王を見て、一世は冷たい笑みを口元に刻んだ。

「浅ましいものだな。そうまでして、生き長らえたいか?」

「死を恐れているのではありません。彩国の未来を護る為ですッ」

「未来?」

「今私が臥せば、覇を競って内乱は激化します。そうなれば、他国に攻め入る隙を与えてしまう。国が滅びかねないのですッ」

「国の滅亡か。我等天狼の祖は、彩国の人間の手にかかり、数万という命の灯を落としたのだがな」

 痛烈な嫌味を口にする一世を見て、大王は苦しげな表情を浮かべた。

「この世の全ては因果応報。彩国の窮状は、自分達が手繰り寄せたもの――私の知ったことではない」

「ですが!!」

「二度とくるな。蓬莱山は天狼の住処すみか、野裾より下は人の住処。境界を違えるな。彩国へ帰って、他の人間にも伝えるがいい」

 王は、眉間に皺を寄せて沈黙すると、激情を鎮めるように瞑目した。


 紺青の空に、樺色の夕焼けが燃えている。

 去りゆく兵士の後ろ姿を、亜沙子は複雑な心境で見送っていた。隣で一世は厳しい視線を投げている。

「――なぜ逃がした」

 音もなく、薄闇から黒狼が現れた。烈迦である。怜悧な銀眼で一世を睨めつける。

「不要な争いは避けた方がいい」

「人間は、ずる賢くて冷酷な生き物だ。澄花酒を狙ってまたやってくるぞ」

 烈迦の言葉に、一世も殺気立った。

「無益な殺しはしないが、牙を剥くのなら容赦はしない」

 フンッ、と烈迦は鼻で笑った。

「天狼主も甘くなったものだ。そこの娘のせいか?」

 鋭い視線が突き刺さり、亜沙子は肩をすくめた。一世は重低音の唸り声を漏らすと、烈迦を睨みつけた。

「亜沙子は関係ない。お前こそ、短気をどうにかしろ」

「何?」

「あれは前王を討ち取った評判の傑物だ。手を出せば臣民の怒りを買う。いらぬ戦禍せんかを招くことになる」

「フンッ、上等よ、返り討ちにしてくれる」

「連中は、蓬莱山に踏み入るほど追い詰められている。手負いの獣を侮ると、痛い目に合うぞ」

「何をいっている? 昔のお前なら、一人残らず殺していたはずだ。さァ、号令を発しろ」

「ならんッ!」

 二頭の天狼は唸り声を発し、勁烈けいれつな眼差しが火花を散らす。成りゆき見守る同胞達は、怯えたように耳を伏せた。

「――おやめなさい。同胞で争ってどうしますか」

 白靄と共に現れた白銀の天狼、紫蓮が仲裁に入ると、黒狼は興をそがれたように背を向けた。

「烈迦。人間に手を出すな」

 一世が背中に声をかけると、烈迦は僅かに顔を横向けた。視線は合わせずに、口を開く。

「群れの長に背く気はない。向こうから仕掛けてくるなら、話は別だがな……」

 烈迦は不機嫌そうに尾を揺らしながら、姿を晦ました。

 場の空気が緩み、亜沙子が肩から力を抜くと、傍に凛夜がやってきて、大きな顔で頬ずりをしてきた。

「姫様は無茶が過ぎる」

「ごめんね。でしゃばっちゃって……」

「姫様は優しすぎるんじゃ。俺は心配が尽きない」

 苛立たしげに尾を振り、大きな頭で亜沙子を小突く。他の天狼も集まってきて、亜沙子の手や顔を舐めたり、身体を擦りつけたりと、やたらと匂いを移したがった。

「わ、ごめんなさい。怒らないで」

 もみくちゃにされても、いつも優しい一世は助けてくれようとしない。亜沙子を見下ろす神秘的な双眸には、かすかな苛立ちがうかがえた。哀しみが胸を過ったが、天狼を宥める方に意識が向かう。

「わ、わ!」

 両足を踏ん張っていても、よろめいてしまう。紫蓮が止めてくれるまで、亜沙子は天狼達に構い倒された。





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