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燈幻郷奇譚  作者: 月宮永遠
3章:人と天狼の轍
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22

 長閑のどかな山に轟く筒音つつおとに、鳥達は一斉に木々から飛び立った。

 これほどの鳥がいたのかと思うほど、鳥の陰で空は埋め尽くされた。異様な光景に背筋を慄わせながら、亜沙子は凛夜達の顔色をうかがった。

「……今の聞いた?」

「誰かが発砲したんじゃ。火薬は法度はっとなのに」

「えっ」

 この世界にも銃があることに、亜沙子は衝撃を受けた。剣や弓、槍なら郷でも目にしてきたが、銃は見たことがなかった。

「……何を撃ったんだろう?」

 亜沙子が訊ねても、天狼達は前を見据えたまま視線を動かさない。ピンと三角の耳をそばたて、常人には聞き取れない音を注意深く拾っているようだ。

「大勢の気配がする……訓練された者の足音だ」

「どれくらい?」

「百……いや、もっと」

「そんなに?」

「うん。空気が糸みたいにぴんと張っとる。酷い殺気じゃ」

「……何しにきたんだろう?」

 不穏な言葉に亜沙子の不安は掻き立てられた。凛夜達の見据える茂みの向こうから、今にも恐ろしい何かがやってくる気がしてしまう。

「様子を見てくる。姫様はここにいて」

「私もいく」

「いかん。すぐ戻るから、和葉と待っとって」

「独りでいっちゃ駄目! 一度戻って、皆に知らせた方がいいよ」

 亜沙子が縋りつくと、凛夜は困ったように首を傾げた。どうする? といいたげに和葉を見る。

「姫様のいう通りだよ。判れて行動しない方がいい。一緒にいこう。偵察だけして戻ろう。姫様、僕の背に乗って」

「うん」

 身体を伏せる和葉の背に、亜沙子は慎重に跨った。

 忍び足でやぶの中を進んでいくと、遠くから、せせらぎの音が聞こえてきた。

 清かな水音は、たちまち猛る飛沫しぶき轟音ごうおんに変わり、鬱蒼うっそうとした茂みの奥に一条の白い光が覗いた。

 蒼く苔むす絶壁から流れ落ちる、霊験灼あらたかな滝だ。

 威風堂々たる滝の威容に圧倒されていた亜沙子は、凛夜の唸り声に我に返った。

「やっぱり、大王の遣わした兵隊だ。蓬莱山には入れないはずなのに……結界を壊したのか?」

 凛夜は忌々しそうに舌打ちをした。ぐるる、と他の天狼も唸り声を発する。

「シィ、静かに」

 和葉がいうと、一同はしんとなり、物音を立てぬよう下流の様子を睥睨へいげいした。亜沙子も和葉の背中越しに、下を覗きこんだ。

 桜の花をす光の向こうで、きらりと何かが光った。鉄兜てつかぶとが陽を弾いているのだ。

 背中に長銃ちょうじゅうを背負った甲冑かっちゅう集団を見下ろして、亜沙子は喉を鳴らした。

「見て……銃を持ってる」

「戦争ばかりしている物騒な国じゃからな」

 総勢百あまり、隊伍たいごの先頭は緋色の旗を掲げている。亜沙子が訊ねると、彩国の旗じゃ、と凛夜が答えた。

「何しにきたんだろう……」

「澄花酒を狙っとるんじゃ」

「え……」

 ふと強い風が吹いて、亜沙子の肩にかけていた薄絹が舞い上がった。

「あっ」

 慌てて手を伸ばすが、高く舞い上がった衣は、そのまま滝の下へと落ちていった。

 衣を追いかけて、凛夜の背中から滑り降りた亜沙子を、凛夜は焦って押しとどめようとした。

「いかん!」

「きゃっ」

 天狼の鼻頭に弾かれ、亜沙子の身体は絶壁へ押し出された。枝を掴もうとした手は空をき、身体が浮いた。

「姫様!」

 絶壁へ放り出された亜沙子を、凛夜が必死の形相で追いかけてくる。少年の姿に変わり、幼い容貌に反する強い力で、落下する亜沙子をしっかと抱き留めた。

(わあぁ――ッ! 凛夜、ごめん! ごめん――ッ!)

 心の中で絶叫と謝罪をしながら、亜沙子は固く目を瞑った。 だが、恐れていた衝撃はいつまでたってもやってこない。

「――姫様、大丈夫?」

 耳元で凛夜の声がする。恐る恐る瞳を開けると、心配そうに亜沙子を覗き込む金色の瞳と視線がぶつかった。幼い容貌ながら、確かな腕の中で亜沙子は護られていた。

「……平気。凛夜は?」

 凛夜は、ほぅっと安堵の息をついた。忽ち天狼の姿に変わり、亜沙子を背に庇っていわおのように身構えた。

 いつの間に降りてきたのか、和葉や、他の天狼も亜沙子を護るように取り囲んだ。

 辺りは、水を打ったような静けさに包まれた。

 武装した兵士たちは、畏れをなしたように、固唾を飲んでこちらを見ている。

 彼等の中心には、美々しい戦装束いくさしょうぞくを纏った男がいて、亜沙子の落とした衣を手にしていた。

「あ……」

 見覚えのある顔だった。夏祭りの夜、輿に乗ってやってきた彩国の大王だ。

 彼も、亜沙子をじっと見つめている。

 束の間、静寂が流れた。

 動けずにいる亜沙子の背を、和葉は鼻頭で軽く突いた。振り向くと、和葉は身体を伏せて、乗って、と亜沙子に目で訴えてくる。

「いこう、姫様」

 迷う素振りの亜沙子を見て、焦れたように和葉がいった。着物は気がかりだが、仕方がない。亜沙子は和葉の背に乗ろうとした。

「――お待ちください」

 男が声をかけた。亜沙子はびくっとし、思わず動きを止める。

 天狼たちは姿勢を引くし、唸り声を発した。

 臨戦態勢を見て、兵士も長銃を構える。ガシャッと槓桿こうかんを引く音を聞いて、亜沙子は考えるよりも先に、銃口の前に飛び出した。





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