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燈幻郷奇譚  作者: 月宮永遠
2章:桜降る蓬莱山
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11

 蓬莱山の緋桜邸。

 小春日和の午下ひるさがり、雲雀ひばりが歌い、空には桜の花びらが旋回ピルエットを踊っている。

 亜沙子は庭に面した勾欄こうらん風の欄干らんかんで、月胡をつま弾いていた。

 最近、午前中はいつもここで月胡を奏でている。

 目の前には藤の棚、すぐ下は池になっており、水辺の風雅な光景を楽しめるのだ。

 独りで練習していると、みやびやかな衣擦れの音をさせて、紅桔梗べにききょう色の紋羽二重(もんはぶたえ)を羽織った一世がやってきた。

「あれ、今日はお出かけしないのですか?」

 月胡を構えたまま訊ねる亜沙子を見て、一世は優しくほほえんだ。

「するよ。少し時間が空いたから、亜沙子の様子を見にきたんだ」

「あら。じゃあ、お茶でも煎れましょうか」

 亜沙子が楽器を置こうとすると、よい、と一世は手で制した。侍女を呼びつけて茶を持ってくるよう命じると、亜沙子の隣に腰を下ろす。

「月胡の音が聴こえてきて、思わず誘われてきてしまった。いい音を出すようになったね」

「本当ですか?」

「うん。上達したと紫蓮も褒めていたよ」

「ありがとうございます」

 亜沙子がはにかむと、一世は優しげに瞳を細めた。

「この時間、欄干の傍をうろつく者が増えたと灯里が零していたよ」

「え?」

「亜沙子がここで弾いていることを知って、耳をそばだてているのだろう」

「あら」

「弾いてごらん。見てあげる」

「いいんですか?」

「もちろん」

 天狼は音楽を好むという。実際、郷には歌舞音曲に通暁つうぎょうしている者が多く、手の空いている侍女や、時には、今日のように一世に亜沙子は師事していた。

 亜沙子は月胡を構え直すと、一呼吸してから弦を弾いた。ギターに似た楽器は、つま弾くと素敵な音色を響かせる。高音は水晶を転がしたような、低音は身体を震わせるような響き。

「うん、本当にいい音を出すようになったね」

「ありがとうございます!」

「譜面のここ、少し音が走りすぎているかな。指を見せてごらん」

 一世は亜沙子の背に回り、後ろから抱きしめるようにして、亜沙子の指に触れた。

「ほら、指はここに」

「……こうですか?」

 平静を装っているが、亜沙子は内心で悶えていた。基本となる手の形を教えてくれているのだが、意識がおかしな方に逸れてしまう。

「弦を押さえる指は、基本的に決まっているものだよ。もちろん、曲によって変化はするけれど」

 首を傾げる亜沙子を見て、一世は手本を見せてくれた。同じ楽器で、同じ曲を弾いているとは思えぬほど、深みのある音が響く。

「やってごらん」

「はい」

 見た通りに弦を弾くが、何かが違う。何度か繰り返し、亜沙子は肩を落とした。

「……永遠に、一世さんに追いつけない気がする」

「そんなことはない。亜沙子は、良い耳をしているよ」

「耳?」

「私の音を聞いただけで、再現しようとする。音を聞き分ける才能があるんだ」

「……そうでしょうか」

「技巧を凝らした演奏や指遣いよりも、天性の音感は尊い。学ぼうと思って、学べるようなものではないからね。亜沙子は、良い弾き手になるよ」

「……ありがとうございます」

「ほら、弾いてごらん」

「はい」

 音を紡ぐと、一世は演奏する亜沙子の指を注視した。その視線の強さは、亜沙子の胸を甘く震わせる。

 彼は、微に入り細に穿ったような指導はしない。それよりも、弾くことの楽しさを教えてくれる。

 教わる度に、もっと、もっと弾けるようになりたい――自然とそう思わせられるのだ。

「疲れた?」

 亜沙子は手を休めた。少し、と答えて楽器を置いた。つい夢中になってしまい、指も肩も、腰まで痛くなっている。

「頑張ったね。休憩にしようか」

「はい」

 見計らったように、灯里がたっぷりの湯でてたお茶を盆で運んできた。筒茶碗を手に持ち、息を吹きかけていると、一世に髪を撫でられた。

「本当に上達したね、亜沙子。この先が楽しみだな」

「えへ……」

 子供の頃にピアノを習っていた時はすぐに飽きてしまったが、月胡は毎日弾いていても飽きることがない。

 音に魅了されることもあるが、上達する度に、一世が褒めてくれるからかもしれない。





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