八話、使い魔の反抗。
「す、すみませんっ……!」
ばっと距離を取り、セリカさんが顔を俯ける。
純情セリカさんに戻ってしまった。
髭男に毅然と言い返してた時は、かっこよかったのに。
いや、まぁ、これはこれでいいんだけどね。
一度で二度楽しめるお得感で。
「それにしても、ジエラの父上殿若いね」
「若い……でしょうか?もう、二百近いのですが……」
「…………血圧が?」
「……?年齢ですが?」
わかってたよ!血圧二百でも高いから!
血圧とかないですよね。妖精さんだもんね。
あれ?と言うことは……。
「ジエラ、いくつ?」
「わたくしは十六です」
見た目通りか。
これで百です、とか言われてたら、あたしはおばあちゃんの、遅れてやって来た初恋の手伝いをすることになってたよ。
「ちなみに……セリカさんは?」
あたしは、赤い顔で俯き未だ恥じらっているセリカさんへと問い掛けた。
「……」
セリカさんは一瞬で血の気を引かせて、沈黙した。
その切り替えの早さは何ですか。
「セリカはわたくしが生まれた時にはセリカでした」
なるほど。花姫が生まれた時には、今のセリカさんのままの姿だった、と。
「年齢の差が、気になるのでしょうか……」
セリカさんが悲壮感を名一杯漂わせてつぶやいた。
……いや、そこじゃないから。
あたしの年の、何倍生きていようが関係ない。
問題なのは、それだけ長く人生経験を積んで、何故純情度数を減少させることなく、維持して来られたのかだ。
肉食系女子たちに押し倒されたりしなかったの?
「……」
うわっ。目を逸らしやがった。
何かに耐えるような、むっとした表情で、頑なにあたしと目を合わそうとしない。
くぅ、騙された。しっかり酸いも甘いも経験してるじゃないか。
そんなに可愛く拗ねても、許してあげません。
「芽生様……」
泣きそうなセリカさんを放置し、あたしは花姫へと目を移した。
彼女があの髭男と結婚したら、あたしの貞操も危機に晒される。
断固阻止せねば。
『かわたれの森』から『たそがれの森』へと変わるその間際に、花姫の恋文をロウゲツ様とやらに届ける。
そうすればあたしは、元の世界へと帰還が叶う。
森にはうさぎ様がいるし、何とかなるだろう。
「姫様、私は芽生様に愛想を尽かされたのでしょうか……」
「そんな、セリカ……。いいえ、大丈夫です。芽生は少しだけ、混乱しているのです」
えぇ、えぇ。混乱してますとも。
花姫の間違いのせいで、あたしの頭は大混乱ですよ。
花姫がセリカさんをソファへと座らせ、慰めるように肩を撫でている。
別に失恋してないからね、セリカさんは。
あたしの謎の告白で勘違いしてるだけだから。
出逢いからのこの短時間で、何がどうなったら恋が始まって終わるわけですか?
「セリカさんって、普段どうやって女の人と接してるの?大変じゃない?」
「普段ですか?普通に接していますが」
予想に反し、セリカは至極真面目な口調で答えた。
「でも、手を握っただけでも赤くなってたら、大変でしょ?」
セリカさんと花姫が、不思議そうな眼差しであたしを見つめてくる。
何が言いたいんだ。あたしに読心術を期待するな。
この二人のペースに飲まれるな、あたし。
そうだ、花姫の話に戻そう。
「セリカさんは、あの髭宰相とジエラが結婚してもいいと、まだ思ってますか?」
「それは……。ですが、すでに決定したことを覆すことは……」
花姫が、歯切れの悪いセリカさんから、あたしの隣へとすかさず回ってきてくっついた。腕にべったりと。
可愛く、むぅと唸り、セリカさんを睨む。
「わたくしがあの方と結婚するのなら、芽生も連れていきます。良いのですか、セリカ。芽生は、あの方に無体を強いられるわたくしを、身を呈してでも助けて下さるでしょう。芽生がどうなっても宜しいのですか?」
凛として、花姫がセリカさん脅した。
えぇ?助けませんよ?あたしだって、我が身が可愛いですから。
何でそんなに買い被ってるの?
セリカさんの顔面が蒼白になり、あたしに哀しくも切ない瞳で、何かを訴えてくる。
あなたの想像の中で、あたしはあの陰湿そうな髭宰相に、何されてるの?本当にやめて。現実になったら恐いから、やめて。
セリカさんは辛そうにきゅっと眉を寄せ、しばらくしてから、重たいため息とともにほどいた。
そして、しゃんと背筋を伸ばして、花姫と対峙する。
「……花姫様。私は間違っていました。愛されるならば幸せなどという愚かな考えを、今この場で改めます。愛することもまた幸せであり、愛し合うことこそがこの世の真理。異に沿わない結婚には、苦痛しか存在しませんでした」
あたしは髭に何されたんだぁー!
苦痛って!セリカさんの想像力、恐い。
絶対あたしのこと好きじゃないじゃん。
恋に恋してる思春期の少女と一緒でしょ……。
「セリカ……わかってくれたのですね……」
花姫が涙ぐみ、指先を口元に添えて感激している。
あたしを妄想で辱しめ合った二人の、固い絆がさらに深まった。
それを横目にして、あたしが冷めた表情をしていることにも気づいていない。
ああ、帰りたい。お家に、帰りたい。
ホームシックって、突然やって来るものなの?
そろそろ、堪忍袋の緒が切れそう。
ううん。もう、切れてる。切れちゃえ、あたし。
あたしは決断の迅速さを表すかのように、すくっと立ち上がった。
「あたし、帰る。二人とも大っ嫌い!」
虚を突かれた二人に凍てつくような一瞥をくれ、あたしは大股でドアへと向かった。
そして怒りのこもったドアの開閉音を残して、花姫の部屋を後にした。
あたしが向かう先はただ一つ。――――花門だ。
これじゃあ、花姫のことを言えない。
あたしも家出先に、森を選んでいる。
花姫と違うのは、あたしはうさぎ様に、しばし癒しを頂きに行くってこと。
友達の家に遊びに行く感覚が近いかな。
今はたぶん『かわたれの森』。
獣族がどんなのか知らないけど、今ならきっと安全だ。
そもそも全て、髭宰相のせいだよね。髭が花姫の逢瀬を邪魔したから、青蜂に似たあたしが召喚されるという迷惑を被ったんだ。
城外に出ると、俄か雨は上がったのか、空に七色の輝く虹が、二本並んで弧を描いていた。
写真撮りたかったなぁ。何で身一つで召喚されたんだろう。
ノートとか、出しっぱなしなのかな?
鞄もどうなってることやら。
財布に大した金額を入れてなくて助かった。
白樺の間を歩きながら、雨上がりの木々の匂いに、気分が大分凪いできた。
心が洗われる。
妄想で汚された、あたしの心が。
湖畔に辿り着くと、あたしは花門の前に立った。
奥深くへと続く暗闇に、早くも怖じ気づいた。
あたし、暗がりが恐いんだった。
少しでも明かりがあれば平気だけど、真っ暗闇は今でも足が竦む。
小さい頃の話だ。山で猪に追いかけ回されて、浅瀬の川に転落したことがあった。足首を捻り、川からはなんとか這い上がったものの、歩くことは出来ず、あっという間に日が暮れた。
深い闇の中であたしは動けず、襲い来る猪の脅威と闘った。
がさりと動く茂み。光る二つの瞳。
猪はすぐそばにいた。
川縁の草を踏み荒らし、あたし目掛けて猪が突進してくる。
花が咲きそうな草まで無惨に踏みつけ倒そうとする猪と、あたしは闘った。
火事場の馬鹿力というやつだ。
死を覚悟しかけた幼きあたしに、勝利の女神が加勢した。
猪の母親がひょっこりと現れたのだ。
え、あれ?帰っちゃうの?
あたしは猪に見捨てられ、暗い森に取り残された。
足を捻挫したあたしは、暗い森でたった一人。心細かったことを覚えている。
川のせせらぎや、穏やかな風、揺れる白い花が慰めてくれたが、新月の寂しい森の恐怖の前には何も意味をなさなかった。
あたしは暗いのが恐い。暗闇が、恐い。
「――――花姫様の使い魔ではありませんか」
その声で、あたしの哀愁が跡形もなく吹き飛んだ。
振り返ると、背後に髭宰相がにこやかに立っていた。
ひぃ……。
「そちらで何をなさっているのです?花門は不具合で調整中ですのに」
忘れてたぁー。父上殿が呼ばれて出ていったじゃないか。
「花姫様の傍を離れて、何を?悪巧みでも?」
「あ、あなたには、か、関係ありません」
ずいっと髭宰相があたしに顔を近付けてきた。
髭が近い!何か暑苦しい!
上に向かってカールした髭にしか目がいかず、あたしはじりじり後退りをした。
髭が一歩前へ。あたしが一歩後ろへ。
何歩下がった時だろうか、踏みつける地面がそこには存在しておらず、あたしは踵から花門の中へとゆっくりと落下していった。
髭宰相の薄笑いに、あたしは闇より一層鳥肌を立てた。
猪は、瓜坊でした。