七話、父上殿と髭婚約者。
あたしがソファで寛ぎながら、説教をされる花姫を眺めていた時だ。
コンコンとドアがノックされ、セリカさんが返事をした。
「――――はい。どなたでしょうか?」
「……セリカか?――――私だ。ジエラはおるか?」
セリカさんは説教を中断させて、恭しい動作でドアを開いた。
威風堂々と入ってきたのは恰幅のいい、艶のある紫色の髪をした強面の男と、……何だ、このやたら鼻につく男は。いや、鼻の下に髭を伸ばした男は。
ハの字に伸びた髭がくるんと上を向いている。
何て言うんだ、あの髭は。ダリ髭?……カイゼル髭だったかな?
顔立ちも整ってるし、仕立てのよい英国紳士みたいな格好をしているにも関わらず、何か……髭にしか目がいかない。
そして首筋が怖気立つこの感じは一体……?
そうか、目だ。目は口ほどに物を言うってあの諺通り。
ジエラに向けられた視線がやたらと暑苦しい。からっと乾いた夏の暑さならまだしも、湿度高めのじめじめした梅雨の暑さ。
気品漂わせても心情が駄々漏れだ!
ちょっ、あ、あたしにまで変な目を寄越さないで!
「そこにおるのは何だ?」
強面の男が猛禽類みたいに鋭い眼光であたしを見据えた。
「わ、わたくしの使い魔でございます……」
父上、と情けない声で花姫がつぶやいた。
何だって!?若すぎないか、父上。三十代くらいにしか見えないよ?
雰囲気はかなりの大御所だけども。
様、よりも殿?父上殿。
「使い魔だと?何故そのようなものを必要とするのだ」
父上殿の威厳にあたしもたじたじで、ソファでぴしりと背筋を伸ばして見栄えだけはよくしてみた。
花姫がしどろもどろなので、セリカさんが代わりに受け答えをする。
「花姫様が、間違えて召喚致しました」
さらっと暴露され、花姫は泣く一歩手前。
「間違えてだと?花姫ともあろう者が、召喚術もまともに使えぬのか。何とも嘆かわしい」
「まぁまぁ、お義父様。間違いは誰にでもあることです。花姫様は少し抜けているところが、何とも愛らしいのですから」
うーん、なんでだろう。同意はするけど、こいつだけには言われたくない。
花姫がびくついて、あたしの後ろに隠れようとしている。
可愛、可哀想なので、あたしは背凭れと背中の隙間を広くしてあげた。
埋もれてくる花姫は、とにかく必死だ。何としてもあの男の視線から逃れようと、あたしをソファから落とす勢い。
「して、この使い魔はどうするのだ」
「わ、わたくしの、……お友達にします!」
子供か!
使用人とか、もっと他に言いようがあるのに。
父上殿の眦が上がった。恐っ。ひぃぃ……。
「確かに、使い魔にしては良く出来ておる。種は何だ」
「……せ、青蜂です」
あたしは物事を円滑に進めるための必要嘘をついた。
下手に突っ込まれても、困る。
あたしは蜂。青い蜂。ブルービー。
「何とも、奇怪な表情をする蜂だ」
「お義父様。私もそう思っておりました。これは、珍しい。花姫様が許されるのならば、彼女も娶りたいところです」
嫌ーー!絶対に嫌だからねッ!!
くすり、みたいな狡猾な笑みも、生理的に無理ーー!
婚約者の前で、その友人に粉かけるな!そこの……髭男!
セリカさん助けて!
目で訴えるが、セリカさんは父上殿がいるからか、顔を伏せてしまっている。
何か……俯いた顔が、思い詰めた感じになってますけど。
も、もしかしてあたしが髭男に嫁に行くとか想像してますか?
恋人が権力者に奪われそうな使用人の青年、みたいな顔してないで、男らしく何とか言ってよ!
花姫も!あたしがいればちょっと寂しくないかも、みたいな顔してるし!
うさぎ様!助けてください!
あたしの切なる願いが届いたのか、幾つもの足音がこの部屋へと駆け込んできた。
「グラジオス様!大変です!花門に不具合がっ……!」
「何だと。すぐ戻る」
父上殿があたしたちを一瞥してから部屋を後にした。
出来れば髭男も連れていって欲しかったよ。なんで置いてくかな。
それにしても、うさぎ様ありがとうございます。
助けてくれたんだよね?……たぶん、そうだよね。
よし、勝手にそう思うことにしよう。
うさぎ様は偉大なり。
うさぎ様は正義!うさぎ様は神!
「実に多彩な表情。ますます欲しい」
災難は去っていなかったぁーー!!
「あのですね、あたしは蜂なんで、ほら……色々と問題やら障害やらありましてね」
「気にしなくてもよろしい。蜂との交わりもまた一興」
髭男が自慢の髭を撫で、意味深な笑みを浮かべた。
嫌ーー!!変態!もうやだ!!
あたしは堪らずセリカさんの腕に飛び付いた。
セリカさんは髭男のセクハラ発言で青白くなっていたけど、今はその顔に赤みがさしている。
あたしと髭男で変な想像してないよね?
そこのソファで赤らんだ顔を伏せてる花姫も!
「あたしにはこの人がいるから無理です」
セリカさんの体がびくっと震えた。
構うか。あの変態髭を牽制するまでは堪えて下さい。
「花姫様の、守り役と?」
髭男が訝しげに眉を顰めている。
バ、バレた?
「そ、そうですけど……」
「ならば、それでも構いません。私は妻に寛容なのですよ」
しまったぁ!この国の制度はおかしかったんだったぁ。浮気もありなのかぁ……。
頭を抱えたあたしを、セリカさんがかなり無理して抱き寄せた。
突然の頭痛だと思ったのかな。
もうツッコミ許容量上限オーバーです、あたし。
「私は妻が他の男性と、など考えられません」
セリカさんが真面目な口調で髭男に対抗した。
教育的指導中のセリカさんだ。
この国の婚姻制度についての意見陳述、ってことかな。
「いくら花姫様の使用人でも、この私に対して意見を述べるなど不敬な」
どの立場の人なの?お偉方?髭総理とか?
あたしのセリカさん苛めないでよ。
セリカさんと花姫を苛めていいのはあたしだけなんだからね!
「セリカを悪く言う方は嫌いです」
花姫がつんとしてセリカさんを庇った。
兄と妹並みに仲いいよね。このお二人さん。
「姫様……」
セリカさんが感動していらっしゃる。
でもね。そういう時にこそ泣こうよ?
何で、姫様が立派に成長なさった、みたいな誇らしげな顔なの?
花姫の不興を買い、髭男が薄暗い表情を作った。
こ、こわっ。花姫もびくびくしている。
「花姫様がお嫌いでも、私は愛しています。望むのならば、他の女性とは今後一切関わらないことを誓いましょう」
そういう、重たいところですよ?怯えられる理由は。
セリカさん。髭男を見直さないで。
あれって裏を返せば、恋人が山のようにいますよ、その皆と手を切りますよ、ってことだからね?
最低のクズ野郎の台詞だから、感心しちゃ駄目。
「わたくしは、結婚などいたしません。お帰り下さい」
「もう決まったことですよ。――――ですが、これ以上嫌われたくはないので、この辺りで失礼をします」
髭男が踵を返してドアへと歩いていき、ノブに手を掛け、わずかに振り返った。
あたしに対して物欲に満ちた眼差しを残して、髭男は優雅に去っていった。
珍しい物コレクターなのか。あの髭は。
……しかし。あたしはセリカさんに抱き締められたままだ。この状況をいつ言うべきかを悩み続けて、結局何も言えないでいる。
「芽生……。わたくしの気持ちが、理解出来まして……?」
「あれはない。精神衛生上よくない類の危険な変態だよ。何様なの?」
「この国の宰相様です」
セリカさんがあたしの頭上で、律儀に答えた。
またあたしの勘が当たったし。宰相って総理大臣みたいな役職でしょ?
冴えてるなぁ、あたし。
宰相にしては若いし変態だから……、うん。この国終わったな。
「それでセリカは、いつまで芽生を抱き締めているのですか?」
花姫のきょとんとした指摘に、セリカさんが遅まきながら慌てふためいた。
二重婚姻契約はだめです。
セリカさんは愛人ということですね。