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五十六話、明け方の来訪者。


 セリカさんが名残惜しみながら帰っていき、あたしはまた一人きりになった。

 少し横になって眠っていると、体を不躾に這う手の感触に気が付き、慌てて飛び起きた。


「ぎゃっ!」


「やはり、蜂らしくない」


 あたしの体を遠慮なく調べていたのは、ルーペ持参の髭宰相だった。

 壁際まで後退りをして、胸の前で腕をばってんにしてガードしているあたしを見下ろしながら、髭宰相は自慢のカイゼル髭を撫でた。


「防御体勢……にしては脇が甘い。敏捷性と悪運は強くてもこれでは……。やはり花門の不具合に耐えられる蜂がいるはずはない……」


 恐い恐い恐い!

 あたしの生態調査なんてしなくても良いでしょ!標本にする気だったじゃん!


 髭宰相はおもむろに、背後に隠し持っていたサボ剣を取り出すと、あたしの胸へと向けた。


「今一突きするだけで、標本が出来るのですがね……。公開処刑後に死骸は譲り受けるつもりですから、そう怯えずとも今は殺しはしませんよ」


 信用できません。


「それとも、処刑前に少し、楽しみましょうか?」


 髭はサボ剣であたしの顎をくいっと上げた。

 濡れていないので、毒は塗っていなさそうだ。


「結構です」


「女性を喜ばせる自信はあるのですがね」


「間に合ってます」


 そんな爛れた関係はあたしには荷が重い。というか、普通に嫌。

 セリカさんとほっこりしているくらいが好ましい。

 これでも、身持ちの固い乙女ですから。


 髭宰相の誘いをすげなく断ると、サボ剣の腹でぺしぺし頬を叩かれた。

 痛くはないが、不快ではある。


「あなたは人間だと思うのですが、どうにも物証がなくて。本当にただの蜂ならば、標本にしたいものです」


 だから、標本にされたら腐るからね?


 髭宰相がねっとりとした視線であたしを舐め回すので、あたしはおずおず訊いてみた。


「……人間だったら、何なの……?」


 髭は初めからずっと、『人間』を気にしていた。

 成人の儀であっちの世界へと行ったことがあるのなら、あたしたちを知っていて当然だ。

 だけど、妙にこだわる。

 あたしに対する嫌がらせの本質は、そこから来ているのではないだろうか。


 髭宰相は叩いていたあたしの頬を、サボ剣で撫で下ろしながら笑んだ。


「人間だったら?そうですね……。あの種には非常に興味があるので、まず、私との子を孕むか試してみたいものです」


 あたしは蜂。青蜂。ブルービー……。


 顔から人間だという事実がもれないように、自分が蜂であると念仏並みに無心で唱え続けた。


「あの種と交われば、この国はもっと栄えるでしょう。子は宝。増えれば増えるだけ、獣族との争いの際に有利に働きます」


「争わなくても仲良く出来……ませんよね」


 髭から無言の圧をかけられ、あたしは自分の身可愛さに意見を翻した。


 ここで死ぬわけにはいかない。


「獣族はこの国を脅かす存在ですよ?獣相手に、使い魔ごときでは敵いませんからね。例の狼一匹で、どれほどの命が噛み殺されることになるか。拐われたのが姫様と彼だけで済んだのは、……幸いと思わなくては」


「花姫が死んでも、何とも思わないの……?」


 正直、花姫のことを下心ありでだが、ちゃんと愛していると思っていた。

 しかし髭宰相の顔に、愛する誰かを亡くした憂いは一切ない。

 そこにあるのは憐れみのような、嫌悪だけだった。


「花姫様を味わいたかった、という心残りはありますが、あの獣が良いと言うならば仕方ありません。……なぶり殺されてから、気付けば良いのですよ。何が正しかったのかを。姫様のためを思い、二度と過ちを犯さないようお義父様へと密告したというのに、……台無しですね」


 軽薄なだけの変態だと思っていた髭宰相だが、獣族は危険だと判断した上で、安全のために花姫を遠ざけようとしていたらしい事実に、あたしは戸惑っていた。


 まぁ、変態は変態だけど。


「あの様なおぞましい獣に惹かれるなど、愚かしいにも程がある。惑わされ、食料にされて終わりだと言うのに……」


 髭はあたしに語り掛けていても、どこか遠くを見ている気がした。


 これって、もしかして……。


「あのぉ……、違ったらすみません。もしかして、誰か親しい方が、獣族に……?」


 髭宰相はサボ剣の切っ先であたしの顎をくいっと上げさせて、ふっと笑みを深くした。


「やはり蜂にしては、賢しい」


 あたし、墓穴を掘った感じですか?

 というか、髭ってこんなキャラだった?


 あたしの困惑した視線に気付いたのか、髭宰相はくすくすと愉快そうな笑い声をもらした。


「道化を演じるのは得意なのですよ」


「そうですか……」


「あなたを味見したい気持ちは本心ですが」


 やっぱり変態!


「私の物になるのなら、処刑をしたふりだけして、命を助けてあげても構いませんが?例の守り役との共有でも容認しましょう」


「遠慮します」


「……まぁ、よいでしょう。気が変わったら、言いなさい」


 髭宰相はあたしを人間だと確信を持ったのか、標本については断念してくれたらしい。危険なサボ剣は鞘へとしまってくれた。

 だけど熱視線が加速している。

 牢という密室で逃げ場のないあたしは、依然として貞操は危機に晒されている。


「妹姫様はまだいささか若すぎますし、どこかにちょうど良い娘はいないものですかね」


「あ、セリカさんが囚われていた部屋に、気を失っている下着姿の侍女がいるかもしれません」


 これまでの鬱憤を晴らすかのように、あたしは悪女ミツレを売り払った。


 あれから結構時間も経ってるし、もういないとは思うから、これくらいは良いよね?


 髭宰相はふむ、と一考の余地ありみたいな思案顔をする。


「侍女ですか。まぁ、良いでしょう」


 牢を出た髭宰相が錠を掛けられると、不思議と安堵した。


「では、また」


 髭宰相は、夜伽を丁重に断り死を選んだあたしへと、シニカルな笑みを残し、ふらりと去っていった。


「……ふぅ」


 髭宰相の手を取らずとも、きっと何とかなる。

 あたしは運が良い顔なんだし、後のことは獣王様にお任せしよう。

 これであたしの使い魔としての任務は終了した。

 残っているのは、セリカさんとの結婚の約束だけだ。

 無事生きて彼と逢えたら思う存分甘やかして貰うとして、卯月を倣い甘え術を習得しないと。


 そうやって楽しいことを考えて気を紛らわしていても、処刑の時間が刻一刻と迫っていると思うと堪らなく心細い。

 肌寒さのせいでもあるが、指先が震えて白くなっていた。

 そんなあたしの耳に、無数の羽音が聞こえてきた。


 もしかして……。


 明かり取りの窓から、あたしの予想通り……いや、予想以上の数の蜜蜂たちが、次から次へと侵入してくる。


「皆……」


 蜜蜂たちはあたしのために、収穫したての苺を運んできてくれたらしい。

 もしかしたらストベルおじさんが持たせてくれたのかもしれない。


「ありがとう……」


「「どぉいたしまして!」」


 蜜蜂たちの好意に感謝して食べた数粒の苺の果汁で、渇き切った喉が潤された。

 髭宰相との対峙に、心だけでなく体もかなり緊張していたらしい。

 優しさが、身に染み渡っていく。

 甘酸っぱい苺で水分補給をしたあたしは、気力を取り戻した。



 こんな世界に来てしまったけど、あたしはたくさんの良い出逢いをした。

 牢に閉じ込められていても、代わる代わるこうして誰かが心配して励ましに来てくれる。

 皆危険を冒してまで、あたしに――――。



 あたしは果報者だ。



 ……って良い感じ風にまとめてみたけど、空が宵の気配を払拭するようにしらみ始めて、とうとう『今日』という日が訪れてしまった。



 使い魔最後で、最大の危機。




 あたしの、公開処刑の朝が来たる――――。





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