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四十八話、小さな婚約式。


 気付くとあたしたちの抱擁の間に、もふもふうさぎが混じろうと奮闘していた。

 あたしはセリカさんと離れると、卯月が胸元の定位置にすっぽりと収まり、やっぱりこれだな、と眼を閉じ何度か頷いた。


「早速、浮気ですか……」


 セリカさんは自分にも思うところがあるので、強気には出てこれずにいじけている。


「はいはい。花姫を助けに行って、獣族の国で苺畑をやるんでしょ?」


 そう言うとセリカさんは心底嬉しそうに笑い、後から来た恥じらいのままに頬を染めて言った。


「ですが、姫様は部屋に軟禁されているらしいので、今のところ身の安全は保障されています。ですので後で構いません。その前にまず、私たちの婚約式をしましょう。今すぐ」


 さりげなく花姫に酷い。

 これが本来のセリカさんだけど。


「そんな急に……というか、今すぐ出来ることなの?」


 婚約式って結婚の約束をすることじゃないの?

 あれ……?あたし、いつの間にか婚約済み?

 雰囲気とか流れとか、恐っ!


 セリカさんはあたしの手を取り、この国の流儀を説明し始めた。


「契約で縛っても構いませんが、一般的にはお互いの手の甲に口付けを贈り合います。ちなみにどちらか一方からのみ場合は、親愛の意味になります。また、幼い異性に対しては、唾を付けておく、というような意味合いもあると聞きます」


 ……うん?何かつい最近、そんな場面を目撃したような気が……。


 あたしの目線は、つぅっと胸元へと静かに下りた。

 卯月が何も聞こえないないふりをして片耳を畳み、熱心にごしごししている。

 あたしの無言の視線に気付くと、見るな!と服の中へと、ずぼぼっと掘りながら埋もれていった。


 卯月……。ちょっと爪が痛い。


「しっぽ!出てきなさい!」


 セリカさんの許容範囲を越えたのか、夢中であたしの胸元に手を掛けて卯月を取り出そうとした。

 しかもあろうことか寝台へと押し倒された、逃げる卯月のもふ毛と、追うセリカさんの手によって、二重に擽られたような状態に陥り、必死で制止を求めた。


「待って待って!あはっ、くすぐ……ったいから!ふっ、服伸びる!」


 というか、乙女の柔肌が……!


 その段でようやく卯月が捕らえられた。

 あたしはというと、細かな引っ掻き傷と卯月の抜け毛が張り付く無残な状態で横たわっている。

 下着はあるにしても、危うく完全に晒される寸前だった。


 しかもちょっとどころか、結構触ったでしょ。


 嫌嫌している卯月をぶら下げるセリカさんは、胸元を押さえて半眼で見据えるあたしの体を、膝立ちで跨いでいる事実に気付くと、事の重大さにさぁっと効果音がつきそうなほど青ざめた。

 力の抜けた手から、寝台にぽてんと落ちた卯月は、ぷるるっと首を振って、乱れた毛並みをすぐさま整え始めた。


「あ、あの……す、すみませんっ……!」


 セリカさんは真っ赤になってあたしの上から退いた。


 付け込まれていたにしても、さっきまでミツレと折り重なり足まで絡ませ合っていたのに、何故今更純情な言動に戻るのか……。わからない。


 体を起こしたあたしの物言いたげな眼差しに気付いたセリカさんは、恥じらいなのか、懸命に毛繕いする卯月の脇に手を入れて持ち上げると、自分の顔を隠した。


「芽生さん相手だと、心臓が持たないので……」


 何か可愛いこと言われた!

 迷惑そうな卯月の目が突き刺さるけども!


 ということは、あたし限定の純情だったってことなのだろうか。

 でもそれ、逆を言えば、あたし以外には割り切った大人の関係が出来るって訳で……。

 いくつかわからないけど年上らしいし、他の誰かと付き合っていた過去があっても仕方ないけど。


 ――――それに。


「心に決めた相手って、誰だったの?」


 あたしはだらんと伸びた卯月越しに、セリカさんへと問い掛けた。


 何か、シュールな光景だ。卯月がパペットに見えてきた。

 すでに非現実的の境が曖昧になっているあたしは、一周回って訳がわからなくなっている。


「――――もう、十数年前のことです……」


 語り始めたセリカさんに合わせて、卯月が遠い目をして表情を作った。


 頭に入ってこなくなるから、余計な小細工は止めて下さい。


「私にとっては命の恩人なので、心に思うだけにしていた方がおりました。二度と、お目にかかることは叶わない方です。健やかな成長と多彩な幸福をお祈りすることぐらいしか、私には許されませんでした……」


「……健やかな、成長……って」


 ま、まさかね……。


 引き攣るあたしの顔は卯月で見えないのか、セリカさんは真面目に質問に答えた。


「正確にはわかりませんが……当時七つか、八つくらいだと」


 ロ、ロリコン……!?

 知りたくなかった真実!

 あたし……童顔でも小柄でもないし。


「……覚えてなど、いないでしょうが」


 セリカさんは拗ねたように呟いて、卯月を膝に置いた。

 男の膝は好かないとばかりに、卯月はまさに脱兎のごとく逃げ出して、あたしの膝へと収まった。

 手慰みに撫でてマッサージをしながら、俯き気味でこめかみ辺りに触れているセリカさんへと向く。


「覚えてるかもしれないよ?」


 七、八歳じゃ微妙だけど、恩人ってことは何かをしたんだろうし。

 というか、そんな小さな子供に助けられるセリカさんって……。


「芽生さんは、幼い日々の些細な出来事の一つ一つを、記憶していますか?」


 うっ、覚えていません。


「そうでしょう。普通は忘れてしまうものです。ですが、消えてなくなるものではありません。感謝だけをして、求めてしまうことのないよう、自制して参りました」


「……そう、なんだ」


 少女にそれ以上の感情を持たれていたら、いくらあたしでも、婚約うんぬんの話は白紙に戻させてとお願いする。

 今も、若干引いてはいるが。


「姫様との縁談を断るために利用してしまい、申し訳なく思っております」


 そこは別にいいんじゃないかな。

 それよりも、何であたしに頭を下げるのか。

 本人には会えないから、代役?

 それともあたしとの間にいさかいを生じさせた謝罪?


「気にしてないよ、きっと」


 肩をぽんと叩くと、その手を優しく取られた。

 あ、と思った時には、甲に柔らかな感触が一瞬触れて、離れた。

 照れた様子のセリカさんと視線が絡み、あたしもかぁっと顔に熱が集まってきた。

 手の甲に、キスなんてしたことがない。


 普通に、平常心で……。


 卯月を模倣し、ぎこちなく、たすっとセリカさんの手を取った。

 これをしたら、あたしは帰るという選択を完全に放棄したことになる。

 動悸が激しい。そのせいで呼吸が乱れる。


 本当にこのまま、流されても良いのか――――。


「……無理は、しないで下さい」


 躊躇うあたしに、セリカさんは気持ちを押さえつけてそう言った。

 泣くのを堪える姿も可愛いのだが――――。


「無理なんてしてないよ」


 ちょんと唇を落とすと、セリカさんは真っ赤になって、それでも花が咲いたように顔をほころばせた。


 うん。やっぱり笑顔が……ていうか花!は、花が!

 壁や床から、何かわらわら花が!咲き誇って、咲き乱れまくってる!!


 簡素な室内が彩色豊かな花園へと変貌し、甘い芳香で満たされた。

 セリカさんはこの光景を眺め、平然としている。


「婚約成立の証です」


「ふ、普通のことなの……?壁から花って、咲くものなの?」


「至って普通の、良くある光景です。こういう事態になるので、室内で婚約式をすることはあまりありませんが」


 じゃあ普通は、庭園とかでやるんだ。

 昼でも綺麗だし、夜でもロマンチックだ……って、待てよ。


 あたしの背筋に、一筋の冷や汗が流れた。


「……城の周りに、やたらと花が咲いていたのって、まさか……」


 青ざめるあたしの言葉に、セリカさんは息を呑んでからそっと目を伏せた。


「私はすぐにここへ閉じ込められていたので知りませんが、そこまでの大規模な開花は恐らく――――姫様の婚約成立の証でしょう」



 どうやら、一足遅かったらしい。



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