四十六話、またねのキス。
あたしは静かに、軍靴を横へと置いた。
まずは王座から、あのもふもふうさぎを引きずり下さねば。
あたしは卯月の脇に手を入れて、リリアちゃんの膝から、ひょいっと抱き上げた。
だらんとした卯月があたしの腕に収まるその様子を茫然と見つめていたリリアちゃんは、大きくこぼれそうに開かれた瞳から、じわりと涙を潤ませた。
端から見ればあたしは悪者で、子供の玩具を取り上げて苛めているよう。
きりきりと胸が痛む。卯月の爪が食い込んでるせいもあるけど。
「うさぎ……」
リリアちゃんの声があまりに切なすぎて、危うく絆されて卯月を返却してしまいそうになった。
それでもあたしも卯月に力を貸して貰いたいし、この国で変な問題を起こす前にあちらで丁重に引き取って貰わないと。
しかし当の卯月はと言えば、リリアちゃんの死角で、あたしの胸の感触を確かめながら、これこれ、と瞑目して頷いている。
無害なぬいぐるみのふりをして、侍女たちに触りまくってたくせに。
何かフローラルな良い香りまでさせて……。
それに以前にも増して、もふ毛の質が上がっている。
獣族臭を消すために、薔薇風呂にでも入ったのだろうか。
子を成せる伴侶を求める卯月なので、リリアちゃんは守備範囲外だろうが……。
お風呂で変なことしてないよね?
あたしの疑惑の眼差しを目を閉じて躱し、やたら達観した顔付きをしている卯月へと、リリアちゃんが問い掛けた。
「うさぎは、帰るのか……?もう、逢えないのか……?」
遂に涙を決壊させてしまったリリアちゃん。
実の姉との別れよりも哀しむとは、憐れ花姫。
まさか泣くほどだとは思っていなかったので、あたしはなす術なくおろおろとした。
そんなあたしに焦れた卯月が、仕方がないとばかりに自らが率先して動いた。
あたしの腕から身を乗り出すと、リリアちゃんの頬を流れる滴を、優しくぺろっと舐めてあげる。
素晴らしく感動の名場面なのに、卯月がセクハラでなく、ただただ純粋に慰めていることが、あたしにとってはかなりの衝撃過ぎて、ぽかんとしてしまった。
あたしがいない間に、何らかの情が芽生えていた……とか?
友情?それとも……。
卯月に慰められたリリアちゃんは涙を止めると、赤くなってしまった目を擦り、涙声で尋ねた。
「うさぎ、また逢えるか?」
卯月は妙にうさぎらしくないため息を一つついてから、あたしの腕をするりと抜け出して、リリアちゃんの膝に舞い戻った。
そして力なく垂れていた彼女の手を両前足でたすっと掴むと、甲にちゅっとキスを落とす。
そして無言のまま素早くあたしの腕へと戻って来きた。
あの、卯月さん。今のは……。
卯月は、しれっとした顔をしているが、どことなく照れている。
照れを誤魔化して、一心不乱に顔をごしごししている。
あたしと目が合うと、見るな!と胸の間に突入してきた。
いや、だから……あのぉ?今のキスは、何?何なの?誰か教えて……。
そして何であたしは、照れ隠しにセクハラを受けているのですかね?
顔があたしの胸元に埋もれた卯月をじっと見入っていたリリアちゃんは、ぽつりと小さく呟いた。
「……胸が大きくなれば、帰って来るのか?」
リ、リリアちゃん!?
卯月相手に何て危険な発言を!
外に出ていた長い耳で捉えたその発言に、卯月はずぽっと顔を出して、やれやれと首を横に振った。
お前はそのままで良い、みたいなことを身ぶり手振りで彼女へと伝える。
あの卯月が常識的なことを!
「うさぎ……」
卯月は格好をつけてあたしの肩に駆け上がると、さらば!みたいな感じの顔をするものだから、口も挟めず流されて、黙って去り行く乗り物役に徹しかなくなった。
あたしの脳裏に浮かぶのは、良くある電車での別れのシーン。
初めて電車側の気持ちを知った……。
「うさぎ……!」
「(リリア!)」
あたしは勝手に卯月の台詞をあて、軍靴を忘れずにそろりと手にしてから、リリアちゃんの部屋を程良いスピードを保ち退室した。
無情な別れ。閉まりゆくドアの音。
あたしの肩では、モテる男は辛いな……、と遠目でたそがれるうさぎ。
……いやいや、だから、何なのこれ!?
あたしが死にかけて花姫が囚われている裏で、秘かに恋物語を展開しないでよ!
最終回だけ間違えて見ちゃったあたしは、それまでの過程を想像しろと言うことなのか!?
というか、卯月。そろそろしゃべりなよ。
お前もな、と卯月が目で言う。
あたしたちは基本、顔と仕草で雄弁に語る似た者同志。
だからこそわかる。
リリアちゃんが卯月を可愛がったのと同じだけ、卯月もリリアちゃんのことを可愛がっていただろうことが。
たぶん甘えつつも、ちょっとお兄さん気分で接したんだと思う。
「さっきのは、何だったの?」
「……」
卯月は結局何も答えずに、あたしの胸元に潜り込むと、カンガルーの赤ちゃんのように上半身をにゅっと出した。
しかしいつもの元気はなく、どこかしんみりとした吐息をつく。
下心よりも別れの余韻が卯月の中に占められているので、あたしは怒ることも出来ず、落とさないように気を付けて靴を履いた。
とんとんと、爪先で床を打ち、あたしの方は準備万端。
卯月に関しても、フローラルな匂いを纏う精巧なぬいぐるみにしか見えないらしいし、カンガルーの赤ちゃん状態でも動かなければ平気だろう。
「さてと、卯月。周囲の警戒、よろしくね」
ぴこんと立った耳が音を拾い始めたので、それを了承と受け取り、あたしは廊下の窓からひらりと飛び、離宮の庭を疾駆した。
無論、花姫を救出するために。
◇
例え城の警備がいかに堅牢であろうと、今どこにどれだけの数の騎士が配置されているかさえ事前に把握していれば隙を突くのも容易い。
卯月がいれば、間違えて誰かと鉢合わせることもなく、すいすいと城内を徘徊することが出来た。
しかも周囲の会話を拾っては、逐一あたしへと報告してくれる。
何てお利口うさぎ!
そこのドアを開けと指示されて覗き込むと、カーテンが閉まり薄暗い部屋の奥で、天蓋付の寝台から絡まる足が四本見えた。
……まっ昼間から。
あたしが無言のまま静かにドアを閉ざすと、卯月が、ここからが良いところなのに、と不服そうな眼差しを投げて寄越した。
時々どうでも良い情報をくれるのが玉に瑕だ。
「花姫は部屋だろうけど、ガードがきつそうだし。先にセリカさんを回収するか……」
卯月は、あのしっぽに大敗を喫した花族の男か?と首を捻って尋ねてくる。
「うん。セリカさんの居場所、わかる?」
卯月は大して思案することもなく、可愛い前足で、今閉めたばかりのドアをちょんと差す。
「だから邪魔したら駄目で……え?」
卯月は、冗談を言っている雰囲気ではない。
そもそも卯月は煩悩まみれではあるが、嘘をついて人を騙す悪い子うさぎではない。
つまり――――。
「セ、セリカさん……?」
あたしは後先考えず、勢いよくドアを蹴倒した。




