二十九話、悪夢へのカウントダウン。
はっと我に返ったあたしは、乙女のような行動を取ったセリカさんを追いかけるしかなかった。
絶対変な風に誤解して、妄想を拗らせてるはず。
子うさぎが増えてるぐらいで済めば良いけど……。
駆けずり回り、あたしはテラスの隅でセリカさんを発見した。傍らには花姫もいる。
セリカさんは地面に膝を突いて、何かを探す仕草をしていた。
花姫がしょぼんとしているので、彼女が何かを落としたのだと推測した。
彼女のドジのお陰で、セリカさんの涙は止まっている。
芝の中からキラキラと光る石のようなものを拾い上げたセリカさんは、お叱りと共にそれを花姫へと手渡した。
すぐに花姫がそれを耳へと付け始めたので、紛失したのはピアスかイヤリングだったのだろう。
あたしは歩み寄ると、花姫へと声を掛けた。
「……ジエラ?」
花姫はあたしの出現に驚き、顔を紅潮させるとセリカさんの肩を何度も強めにはたいた。
「セ、セリカ!芽生がここにいますよ!」
セリカさんは花姫を拗ねたように睨み上げて言った。
「存じております」
「ならば早く、綿の話をしなくては!」
綿って……。
「綿はいないそうです。……そう簡単に、子宝には恵まれないでしょうから……何度も挑」
「だから、何にもないって!未遂なの!そんなにあたしを傷物にしたいの!?」
もはや妄想が現実を超越してきている。
しかもセリカさん、ダークサイドに落ちかけて、かなり際どいことを言おうとしてたでしょ。怒るよ?いや、怒ってるけど。
あたしの割と本気なツッコミに、セリカさんは目を見張ると、真剣な面持ちですくっと立ち上がった。
「そんなつもりはありません」
どうだか。あたしを辱しめる妄想ばかりするくせに。
「芽生さんが、悪いのです」
あ、あたしが!?
「……」
セリカさんが恨みがましい非難の目を向けてくる。
あたしには、何の身に覚えもありませんが。
「他の男との話を貴女の口から直接聞かされて、私が平気とお思いですか?」
うっ……。あたしは言葉に詰まった。
セリカさんは何故かあたしのことが好きらしいし、何もなくても他の男の話をされたら、確かに嫌かもしれない。
けどね、質問してきたのそっちじゃなかった?
つい口を滑らせて本当のことを言っちゃったあたしも悪いけど。
「私のことは、もう嫌いですか?先走ったことが、いけなかったのですか?」
「いや、あの……」
「もう許可なく触れたりしません。見蕩れたりも致しません」
さっき抱き合って手を繋いだような気もするけど、あれは不可抗力でカウントされないの?
別にそんなことは求めてないんだけど……。
あの、それに……いつ見蕩れてたの?ちょっと恐いよ?
セリカさんは真摯な表情であたしを見据えて口を開いた。
「ですから、ずっと私の傍にい」
「ジエラ!何をしておるのだ!」
飛んできた父上殿の叱声が被さり、セリカさんはまた最後まで言葉を紡げなかった。
助かった……父上殿。と思いつつ、あたしは俊敏に物陰へと潜む。
セリカさんも仕事中の真面目な表情と姿勢へと早変わりを終えて、頭を下げた。
父上殿は花姫について来るよう有無を言わせぬ眼光で促し、彼女はびくつきながら、王座のある方へと肩を落としてとぼとぼと歩いていった。
彼らが見えなくなったところで、あたしは物陰から這い出て、迷ってからセリカさんの隣へと並んだ。
悩みに悩んで、手遅れにならない内にと波打つ心に区切りをつけたあたしは、セリカさんの望みを潰した。
「……あたしは、ここには住めないよ」
隣でセリカさんが息を呑んだ気配がした。
そして何かを堪えるように眉を寄せて俯く。
「……そう、ですか」
「でもね……ありがとう。あたしを……その、好きになってくれて」
セリカさんが未練を残さないように、あたしが想いを引き摺らないように、決別の意味でにっこりと笑いかけた。
胸がきゅっと締め付けられるけど、きっといつか良い思い出として懐かしめる日が来る。……はず。
そうしたら次の恋に踏み出せるのかな。
まだ次とか、全然考えられないけど。
それにセリカさん以上の人があっちの世界には存在しないと思う。
いたとしても、平々凡々なあたしは初めから対象外だもの。
「……ですね」
ごく小さな呟きがこぼれた気がして、あたしはセリカさんを仰ぎ見た。
「うん?」
この雑踏の中で、あたしの耳に拾われるとは思ってなかったのか、彼は困ったように苦笑して首を振った。
「何でもありません。……私は振られたのですね、と言っただけです」
自分で言ってて哀しくなってきたのか、セリカさんは頬を濡らし始めた。
「いや、振ったと言うか……」
口ごもるあたしに、セリカさんはやや期待の籠る潤んだ眼差しを向けた。
「ならば、振ってないのですか?」
「そういう、訳でも……」
「はっきりなさい」
う、え、えっ?何であたし、叱られてるんですかね?
セリカさんはいつも見慣れた赤く染まった涙顔で、キッとあたしを睨み付けた。
「このまま私と添い遂げるか、貴女が帰ってしまうその日までを大切に寄り添い合うか、二つに一つです」
「あの……選択肢が、おかしく……」
「二つに一つです」
「いや、あたしは別れを……」
「お断りします」
駄目だ。純情は拗らせ過ぎると粘着成分が増加して諦めが悪くなるらしい。
あたしが決死の覚悟で別れを切り出したというのに、セリカさんは純情と教育的指導の両極端を合わせ技にしてあたしを落とそうとしてくる。
人が柄にもなく、うじうじ悩んで決めたことなのに……。
もうどうにでもなれと口を開きかけた時、がやがやしていた会場内に突如静寂が下りた。
遠くて見えにくいが、父上殿が王座から立ち上がった様子だった。
父上殿のお言葉を拝聴するために、皆神妙な顔付きでそちらを注視している。
あたしとセリカさんの攻防も中断を余儀なくされ、父上殿の発言を周りに倣って静かに待った。
「――――皆の者、今宵は嬉しい報せを一つ、この場を借りて報告する。この国の未来と繁栄を憂いていた我らの肩の荷がようやく下ろせる時が来たのだ。宣託を受けた我が娘、ハルジエラの婚儀の日取りが決定した!」
「え……」
その愕然とした声は、あたしのものなのか、それとも花姫のものだったのか、わからないまま歓声に飲み込まれていった。
「ついては明日、婚約式を執り行う。急ではあるが、宰相たっての希望だ」
髭宰相に、皆の視線が移った。
髭は胸に片手を当てて壇上で一礼をした。
拍手が巻き起こり、あたしは父上殿の隣の椅子に掛けた花姫を窺い見た。
真っ青な顔で可哀想なくらいに震えている。
今にも逃げ出したいという気持ちが、ひしひしと伝わってきた。
その憐れな花姫の手を掬い、髭宰相が立ち上がらせて皆の前へと並び出た。
ここまで正反対な表情が同時に揃えて見られることもそうそうありはしないだろう。
皆の祝福を受けて、礼をしなくてはならないのに、蛇に睨まれた蛙……もとい、父上殿に睨まれた花姫は、すっかり石化してしまって動かない。
「ジ、ジエラ……」
あたしの足がふらりと花姫の方へと進み掛けた。
だけどセリカさんが手を掴んで、それを引き留める。
今は行ってはいけないと、彼の瞳が無謀なあたしを諭していた。
わかってるけど、こんなのあんまりだよ……。
あたしが無茶をしないとわかると、セリカさんは手を離してくれた。
あたしはその場で俯き、拳を握り締めると、ぐるぐると考えを巡らせた。
今あたしに出来ることは、気落ちした花姫を慰めることぐらいだ。
だけどあたしが百の言葉を掛けても意味がない。
あたしがやるべきは、花姫に獣王様の手紙を渡すこと。
内容がどうあれ好きな相手からの手紙なら、傷心した彼女の心を浮上させてくれるのではないか。
あたしは、花姫の恋心によってこの世界に来た。
間違いだったけど、その間違いにこそ意味があったんじゃないの?
あたしでなければいけなかった理由があるのかはわからないけど、蜂ではなくあたしだから、命令ではなく感情で動く。
このまま黙って花姫を髭宰相に嫁がせやしない!
だって!花姫と主従関係にあるあたしにも、決して無関係な話ではない!
髭に貞操を奪われてなるものか!
あたしはドレスを翻すと、花姫の私室まで全力疾走した。




