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二十六話、守り役の本音。



 向こう側から聞こえてきたのは、セリカさんの声だった。

 あたしはドアに張り付き、鍵穴から二人の様子窺った。

 セリカさんはいつもきちんとした格好をしているけど、今日は黒のスーツで正装している。

 

「支度が済んだと報告を受けましたが、その顔は何なのですか。折角侍女たちが努力をして作り上げた顔を、夜会に出席なさる前に崩してどうするのです」


 泣いたせいで化粧が落ちた花姫にも、セリカさんは甘い顔はせず、普段通りの厳しい態度だ。

 

「これは芽生が……」


 花姫がしれっとあたしに責任を転嫁させた。

 ここまで来ると、花姫の妄想上のあたしはどんな悪女だったのか気になってくる。


「芽生さんが、いらしたのですか?」


 セリカさんは辺りをきょろきょろと見回し出した。


 見つかったらまずい。花姫、何とか誤魔化して!


「め、芽生は…………セリカと、顔を合わせたくないと、先程出ていきました」


 空気を、読めぇぇぇーーーー!!

 あたしとセリカさんがぎくしゃくしているのを知っててやってるの!?


 他人の感情の機微を読み取ってとまでは言わないから、余計な文言を足さないで……。


 セリカさんが、花姫の言葉にざっくりと傷付いた顔をした。

 瞳が潤みかけたが、今は花姫の指導中。私情を挟まないよう、涙を引っ込めるその姿がいじらしい。


「……そうですか」


 ぽつりと呟いたセリカさんは、化粧道具を持ってくると、花姫の化粧直しを始めた。

 手先が器用なのか、花姫がよく泣くせいで化粧直しが得意になったのか、元より美しく仕上げたセリカさんは、目を落としたまま終了を告げた。

 花姫はソファに掛けたまま、気落ちするセリカさんの肩に、そっと慈悲深い手のひらを置いた。

 純粋なセリカさんは、罪悪感を中和させようと慰めるその手にころりと騙され、小さく本音を吐露した。


「……私も、合わせる顔がないのです」


 それを聞いて、今度はあたしが傷を負う番だった。

 避けてるってわかってたけど、こうして改めて言われるときつい。


「私は、獣族以下の男です……」


 あれほど毛嫌いする獣族よりも自らを貶める発言をしたセリカさんに、花姫は動揺してあたしの方へと目を向けた。

 だけどセリカさんは俯いているのでそのことには気付かず、あたしはほっと胸を撫で下ろした。


「セリカが、そんなことを言うだなんて……」


「姫様。私は、貴女には感謝をしているのです」


「感謝!?セリカが、わたくしに感謝を!?か、感謝……?」


 あまりの衝撃に花姫が激しく狼狽して、またあたしの方に視線を移した。


 だから駄目だって!あっちを見てて!


「姫様の起こされた奇跡だけで満足すべきだったのに、私は欲を出しました。芽生さんの心が私にないと、薄々気付いてはいたのです。ですが都合の良い表面だけを見つめて、他には目を瞑っていました」


 あたしは、……どう思えばいいの?

 気付いてたの?それとも、薄々しか気付いてなかったの?

 もしかして、あの時セリカさんを拒んだから?

 傷付けないつもりで、あたしはセリカさんを傷付けていたの?


「私は自分勝手な男です。帰ってしまうその日までと言いながら、帰らないと言ってくれることを望んでいるのですから……」


 切なげに眉を寄せているセリカさんに、あたしの胸が、きゅうと締め付けられて、その場に力なくへたり込んだ。


 あたしの気持ちが嘘だとわかってて、それでも想ってくれていた、の……?本気で、あたしのことを……?

 あの理想は高すぎて、手近なところで妥協した……とかじゃなくて……?


 だけどあたしは、セリカさんの望みを叶えられない。先伸ばしにしていても、いつかは帰らないと。

 一時の恋心に浮かされてここに残る決断をしたら、あたしはいつか後悔をするかもしれない。

 その時はきっと、セリカさんのせいにして責任を押し付けてしまう。


 どちらにしても、あたしは帰る。早いか遅いかの違いだ。だって、住む世界が違う。


 臆病者のあたしは、言い訳ばかりを並べているだけだと、気付かない振りをしてため息をついた。

 何で恋愛は、こうも難しいものなのだろう。

 あたしたちが同じ世界に住む同じ種族だったなら、何も問題はなかったのに。

 セリカさんの気持ちが本気と知っていたら、あたしはあの時どうしていただろうか。

 そう考えたが、やはり拒絶していたはずだと結論付けた。

 決定的な別れがあると知りながら、あたしに一線は越えられない。


 気落ちするセリカさんの心情を理解をしきれなかったのか、花姫は真剣な口調で、全く見当違いな激励をした。

 むしろこの場において、最悪の選択をした。


「セリカ。帰るまでまでなどと悠長なことを言っている間に、芽生をオレンジ色のうさぎに連れ去られてしまいますよ?」


 それを聞いたあたしは、音もなく床へと突っ伏した。


 くぅ……。花姫の「秘密にしておきますね」は二度と信用しない。


 花姫が何を言っているのかわかってない雰囲気のセリカさんの声が、あたしの耳へと届いた。

 

「オレンジ色の、うさぎですか……?」


「獣族の方です!芽生を気に入って、孕ませたいと仰ったようです」


 あぁぁ……。事細かに説明するんじゃなかった……。


 床に額をつけて悔やむあたしの壁一つ向こう側で、長い沈黙が下りた。


 今の内に耳を塞いでおくべきか。これ以上、花姫の空気を読まない発言を聞いていたら身がもたない。

 だけど、あたしは羞恥心を堪えて聞き耳を立てた。


「獣族が、芽生さんを……」


 その涙声に、あたしは違うと叫んでしまいたかった。

 でも今見つかったら、この身に染み付いた獣族臭が妙な説得力を発揮して、誤解が加速しそうな気がする。


 耐えろ、あたし。誤解を解くなら、お風呂に入ってからでも遅くない。


「芽生さんは……」


 あ、あたしは……?


「すでに、子を成して……?」


 いやいやいやいや!急に話があらぬ方向へふっ飛んだ!?

 そういえば、セリカさんも想像力……いや、妄想力が酷いんだった。

 何をどうしたらそういう発想になるの?


 妄想が飛躍し過ぎたセリカさんは思い詰めた結果、あたしを避けていたことなどすっかり忘れて、突拍子もない未来へと帰結してしまった。


「私は……っ、オレンジ色の子うさぎを抱えた芽生さんでも、受け入れる覚悟があります」


 そんな無駄な覚悟はいらないから!その可能性は万に一つもない!

 何であたしが子うさぎを産んでて、しかも路頭に迷ってる風なの!?

 

「うさぎぐらいならば、周囲を誤魔化してでも立派に育ててみせます。うさぎなんて……綿みたいなものです」


 綿……。もふもふ植物だけども。


「ですけど芹の精であるセリカから、綿の精が生まれるのは無理がありませんか?」


「突然変異ということにしておきます」


 あ、あたしの子に、何てことを……。って駄目だ!あたしも妄想に引き摺られてる!?

 

「ですが周囲に勘づかれると困りますので、芽生さんと子うさぎを連れ、安住の地を求めて旅立つつもりです。ですので、花姫様。守り役は、今日限りで辞めさせて頂きたいと思います」


「そんなっ……!セリカがいなくては、わたくしは生きていけません!」


「自立を」


「芽生と子うさぎはわたくしが匿います!だから……!」


 もう誰でも良い!この不毛な会話を止めさせてくれ!!


 恥ずかしいやら呆れやらで、あたしの頭はすでに許容範囲を振り切っている。


 あなたたち。本当にあたしのこと、好きなのか?

 妄想であたしを辱しめ過ぎじゃない?怒るよ?


 もう怒鳴り付けに行こうかと思っていた矢先に、廊下からノックの音がして、出鼻を挫かれた。

 ここは一先ず様子見だ。

 

 あたしは息を潜めて、鍵穴を再び覗いた。

 セリカさんがドアの方へと向かっていくのが見える。

 そしてドアの開かれた気配と同時に、花姫の顔色が悪い方向へと一変した。

 たぶんこの部屋の気温も、数度下がった。

 その姿を目にして、ドアノブを握るあたしの手にもじわりと汗がにじむ。


 この部屋の空気を一気に引き締めたのは、世にも恐ろしい顔をしたこの国の王、父上殿の登場だった。



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