二十五話、花姫の迷惑な妄想。
固く閉じたあたしの瞼の裏に、花門付近で警備の騎士たちが彷徨いている光景が過った。
もしかしたらあたしを捕らえるために、髭宰相が送り込んだのかもしれない……。
「――――うっ!」
背中にばねのような弾力のある衝撃を受けて、あたしの体は、ばいんばいんと跳ねた。
あたしの三半規管が悲鳴を上げている。
ぐるぐると回る目に映し出されたのは、どこかの寝室。
あたしは寝台で仰向けになりながら、何となく花姫の寝室じゃないかなと見当をつけた。
頭の傍にはピンクの小花柄をした枕があり、足元には数着のドレスが投げ出されて、だらしなく散らかっている。
どう考えても花姫の寝室以外あり得ない気がした。
それらを横目でながめつつ、あたしはよろりと身を持ち上げた。
そして心の中で切々と訴えた。
うさぎ様……。あたしは夜空で華麗に爆ぜたりしないから……。
というか、出来れば加護の使い方を教えて欲しい……。
あたしという火薬玉の打ち上げに見事成功を収めたうさぎ様が、獣王様に向かってむくむくな前胸を張る姿が浮かんで消えた。
目眩が治まったところで、あたしは寝台を下りて花姫を捜しに隣の部屋へと顔を出した。
労することなく発見した花姫は、ドレスの長めの裾を引き摺り、そわそわと室内を歩き回っていた。
可憐な花姫に相応しい、ふわふわとした薄紅色のドレスだ。きゅっとくびれた腰からソフトチュールが重なり、まるで花が咲くように広がっている。
肩は出していないが、鎖骨から胸までざっくりと開いていて、眩い宝石たちであしらわれていた。
カクテルドレスというよりも、形的にはウエディングドレスに見える。
上品なティアラが艶を帯びた頭上で燦然と煌めき、さらには濃いめに施した化粧で、一分の隙もない完璧な姫様が出来上がっていた。
しかしそんな麗しの姫君は、寝室から出現したあたしに驚き絨毯に足を引っかけ、前のめりに転倒した。
ああ、よかった。いつもの花姫だった。
安定した不安定さだ。
花姫は悲愴な顔をむくりと起こして叫んだ。痛みより疑問が勝ったらしい。
「どこからいたしたのですか!?」
これには説明不可な、深いような浅いような事情がありまして……。
あたしは床にべったりと張り付いた花姫に手を貸して、ソファへと座らせた。
とりあえず落ち着かせないと、ろくに話しも出来やしない。
「ジエラ、深呼吸しよう。はい、吸ってー、吐いてー」
あたしの指示通りに息を吸った花姫だったが、吐き出す寸前でぴたりと停止した。
さぁぁ……、と効果音がつきそうなぐらい青ざめて、あたしの顔に穴が空きそうなぐらい見つめてくる。
震え始めた赤く濡れる唇で、何かを伝えようとしているけど、上手く言葉にならないようだ。
「めっ、じゅ、におっ……」
「な、何……?」
尋ねるために顔を寄せたあたしから、花姫は上体を反らして距離を取った。
「じゅ、獣族の臭いが……」
ああっ!獣族臭!すっかり忘れてたぁ……。
卯月が匂いをつけまくったせいで、またセリカさんの時みたく、花姫にまで心配かけてしまったのかも。
花姫は息を呑むように口元を控えめに手で覆うと、瞳をうるりとさせる。
平気だよとあたしが肩を竦めると、一粒の透明な涙が花姫の頬を滑り落ちた。
そして戦慄きながら、恐々と問い掛けてきた。
「芽生……まさか、抱擁をなさったのですか……?」
えぇと、うん?質問の意図が、全く見えないんだけど?
卯月と抱き合って匂いが移ったのかを訊いてるの?
「抱擁っていうか、のし掛かられて舐められたんだけど……」
あたしが正直に告げると、花姫はこぼれそうなくらいに目を見開いて、大粒の涙をだばだば流し始めた。
な、な、何があった!?あたしが変なこと言ったの!?刺激が強すぎた!?
あたしが慰めるために伸ばした手を、花姫はさっと避ける。
そしてソファの背凭れに、よよよっとしなだれ掛かり、弱々しい声音で滔滔と語り出した。
「なんて惨い仕打ち……。わたくしの心は、届いていなかったのでしょうか。それとも逢うことも叶わないわたくしのことなど、もうお忘れになるおつもりなのですか……。いいえ、これはわたくしへの戒めなのですね……」
戒め……?誰が、誰を?獣王様が花姫を?
何この子、どうしちゃったの?恐いんだけど。
困惑するあたしの前で、花姫はさらに泣き崩れた。
「芽生も芽生です。そのような、胸の開いた服で森へと出掛けるだなんて……」
これは卯月に掘られて伸びたせいで……。
いや、そもそもこの服、花姫がくれた物なんだけど?
「その武器で籠絡なさったのですね、ええ、きっとそう……。間違えて召喚してしまったわたくしへの当て付けなのですね……酷い、酷いです……」
恐い恐い恐いっ!目が据わってる。やめてっ!恐いからこっち見ないで!
花姫は大袈裟なくらい苦しげに胸を押さえて、何もない宙へと瞳を彷徨わせた。
「ロウゲツ様……。今後は森で肌を合わせ帰った芽生を見て、張り裂けそうなこのささやかな胸を焦がせと仰るですね……」
……はい?獣王様とあたしが……って、ちょっと待たんかぁい!何を言い出すんだ、この娘は!
悲劇のヒロインか!……いや、悲劇のヒロインか。
花姫は、あたしに付着した獣族臭が獣王様のものだと誤解しているらしい。
とんだ勘違い姫のせいで、あたしの寿命が縮みかけた。
大体、あたしと獣王様の間にそんな色っぽい展開、ある訳がないでしょ。
この子、本当に獣王様のこと慕ってるのか疑わしくなってきたんだけど。
あたしに関しては、嫌われてるんじゃないかという疑惑の種が芽吹いた。
とはいえ、早急に訂正しなくては。
花姫の嫉妬で早死にしてしまう。
「あのね、これはうさぎの匂いだから。ロウゲツ様とは、指一本触れ合ってないの」
「うさぎの……?」
「そう。オレンジ色のうさぎの」
卯月の容姿を含め言動まで詳細に伝え、言い含めると、花姫はめくるめく愛憎妄想世界を手放し、あたしにかけた迷惑な疑惑を払拭してくれた。
いつものおっとりとした表情へと早変わりし、ふわりと両手で色付く頬を包み込んだ。
「わたくしったら、少し勘違いをしてしまいました。ただのうさぎなら良いのです」
あのぉ……可愛らしく照れてますけど、うさぎに襲われたあたしへの心配は皆無ですか。
やっぱりあたしのこと、嫌ってない?
「セリカには秘密にしておきますね」
花姫は無邪気に人差し指を立てた。
いや、そういうことじゃなくて……。
「それで、ロウゲツ様からのお返事は――――」
本題に入った花姫の声に被せて、ノックの音が室内に響いた。
どうしよう!あたし、獣族臭つけたままだよ!
おたおたしたあたしを、吹っ切れたような顔をした花姫が寝室へと引っ張り、情け無用で押し込んだ。
背中をどんっと突き飛ばされて、顔面から突っ込んだあたしは、咄嗟に絨毯に両手をついた。
だけど勢いを殺せず、そのまま流れに任せて三回前転して緩やかに停止した。
飛び込み前転の美しさを競う大会があったら、今のは間違いなく入賞してた。
どうせならリリアちゃんの前で披露して喜ばせたかった……。
無念に沈むあたしの背後で、労り一つなくドアが思い切り叩き付けられた。
しんと静まり返った寝室で、足を抱えたあたしは、項垂れて膝頭に額をつけながら確信した。
絶対あたしのこと嫌いでしょ!?
妄想が暴走した花姫でした。




