二十三話、使い魔と煩悩うさぎ。
首筋を湿った小さな何かが這い回り、あたしは身を捩った。
真っ先に目に映ったのは薄闇色の木の葉が切り取った、きらきら瞬く星空だ。
浮遊感の残滓があたしの思考を邪魔し、寝転がったまま起きられないでいた。
それに、胸の上にちょっと重みを感じるし……。
億劫だけど、顔を持ち上げ、目で見て確認した。
あー……やっぱり。
淡いオレンジ色のもふもふうさぎが、あたしに乗っかり恍惚としている。
最近野菜食だから、体臭が青臭いのかな……。
すん、と自分の匂いを嗅いでいると、うさぎが鎖骨に首の下の匂いを擦りつけてきた。
もふもふな毛並みが、肌をダイレクトに擽る。
「く、くすぐった……」
あたしが堪らず声をもらすと、もふもふうさぎは目の色を変えた。胸の谷間へと顔を突っ込もうと、服を掘って奮闘する。
め、目が真剣だ!ちょ、服が伸びる……!
ひぃ……前足で掘らないでぇ!
あたしはうさぎを退けようと、そのもふもふな両脇へと手を入れた。
穴堀を邪魔されたうさぎは暴れて、ふんふん言っている。
「掘るなら地面を掘ってよ。ね?」
「断る!」
うん?……んん?今の声は……。
あたしはとりあえず、冷静になるために一旦うさぎを胸へと置いた。
その瞬間、好機とばかりにまた服の中へと突入してくる。
言葉が通じるのに、気持ちが通じない!
手のひらでガードすると、うさぎが鼻先をぐいぐいぶつけて押し退けようと躍起になった。
これはちょっと、可愛いかもしれない。
頭を撫でてやると、意外なことにうさぎはぴたりと動くのを止めた。
もっと撫でてと、あたしの手に頭を摺り寄せてくる。
か、可愛い……!
毛並みはもふもふのふかふかだ。あたしは無心で背中までを何度も往復した。
うさぎはあたしの手のひらに、完全に参ったらしい。
全身が弛緩し、あたしに覆い被さるように、へたりと大の字で伸びた。
そして気持ち良さそうに目を閉じ――――、
「――――ぐぇっ!?」
急にあたしの胸に負荷が掛かった。
何が起こったのか理解出来ないまま、ずしりとした重みで、肺が潰される。
生理的に流れた涙で、ぼやけたうさぎが人の形に見えてきた……。
いや、人だ。髪こそあの淡いオレンジ色だけど、うさぎじゃない。
しまったぁ、みたいな顔で頭を掻き、あたしの胸に跨がっている。
着ているのは何故か甚平で、前はほとんどはだけてしまっていた。
え、うさぎは?あのもふもふうさぎは!?
周りを見渡しても、あのうさぎはいない。
いるのは獲物を狩るように目を光らせている、軽薄そうな青年だけだ。
くっきりとした二重で、甘さのある端正な顔立ちをしているのに、表情が台無しにしていた。
「ま、まさか……」
あのうさぎがこの青年で……もしや彼は、獣族ってこと!?
「ご明察。堪能しきれなかったが、その内此方の姿に戻るつもりだっからいいか……」
青年は下唇をちろりと舐め、あたしの胸元に顔を埋めようとしてきたので、咄嗟に撃退呪文を叫んだ。
「獣王様が待ってるの!」
その効果は抜群で、絶大なる威力を発揮した。
青年は不埒な行為を止め、慌ててがばっと体を起こした。
そしてだらだらと冷や汗を流し、引き攣った口で途切れ途切れに言葉をもらした。
「王が、待ってる、と……?」
「ま、待ち合わせてるから、待ってると思う」
「そういえば、昨日も……」
青年は昨夜、獣王様に水を差されたことを思い出したらしい。
そうだ。確かその時、獣王様はうさぎの名前を呼んでたはず。えーと……。
「……卯月?」
青年は、やっべぇ名前知られた、みたいな顔であたしを見下ろした。
これまでの所業を、獣王さまに言いつけられると思ってるのかもしれない。
だけどね。獣王様には何もかも、一切合切全てお見通しだと思う。
「王のお手付きだったとは……。くっ、致したかった……!」
はっきりと口にするな!
あたしに懐いてたあの可愛いうさぎが、まさか変態行為に勤しんでたなんて!
ショックで立ち直れないじゃないか!
「折角、獣族以外の良い女を見付けたと言うのに……!」
卯月が両手で顔を覆い、包み隠すことのない絶望感を漂わせて、がっくりと大袈裟に項垂れた。
もういいから、早く退いてよ。
背は高そうだし、痩せて見えるけど、筋肉質なのか重いんだから。
「俺の子を、孕ませたかった……!」
言うな馬鹿!口を塞げ!
本能で生きてるのか!それとも煩悩だらけなのか!
あたしの可愛いもふもふうさぎを返せ!
「ちっ、仕方がない。王の元へ案内する……。――――くそっ!この柔肌から退けというのか。拷問としか言いようがないな」
いいから早く退け!
◇
卯月が諦めるまでに時間を浪費し、気付けばすっかり月が上り始めていた。
森は結構暗くて恐いけど、正直煩悩うさぎがいてくれて助かった。
歩きながらセクハラしてくることさえなければ……!うぅ……。
「――――花族の使い魔?変身出来るなんて珍しいな。虫には戻れないのか?」
戻れませんよ。って、……お願いだから、さりげなくお尻を触らないで!
煩悩まみれか!
あたしのお尻をさわっと撫でたわりには、真面目な顔で卯月は話を続ける。
「使い魔という考えはなかったな。花族の女にしては、妙に恐がらないとは思っていたが。獣族の女だと抵抗力が凄まじくて、押し倒すのにも一苦労でな?」
聞いてない!そんな情報いらないから!
「嫉妬深い種族で、危うく去勢されそうになったこともあったな……」
卯月は腕を組んで、自分の過去をしみじみと語る。
されておけば良かったのに。と、あたしは小声で返したが、卯月は基本、人の話を聞いてない。
「花族に良い女はいないか?」
去勢されそうになった男の発言なのか、それは。
あのね。いても紹介しないから。
素っ気ないあたしの態度に、卯月は気落ちしたのか歩みを遅めた。今はあたしの後ろでしょんぼりしている。
煩悩うさぎも悪気がある訳じゃないらしい。尚更たちが悪いと言えばそれまでなんだけども。
たぶん理性がないんじゃないかなぁ。九十九パーセント本能で出来てると思う。もしくは、煩悩で。
道はこっちでいいのかな。
あたしが振り返ると、卯月は神妙な顔で呟いた。
「お前、好みなのに。今の俺の一番。後ろから押さえ付けたくなって困る」
こっちが困るだ!
何て危険なことを言い出すんだ!この煩悩うさぎは!
もう絶対前には出ないから。横並びか後ろにしかつかないから。
あたしは卯月の歩調に合わせて、森を進んだ。
花族側の花門の距離と、必ずしも一致しないようで、歩けど歩けど見知った場所に辿り着かない。
「まだかかるの?」
「獣姿なら早いが……」
お前は変身出来ないから、と暗に非難する目を向けられて、あたしは押し黙った。
ほんのり卯月のことを疑っていたが、まさかあたしが原因だったなんて。
「王の、麗しき乙女はお前なのか?」
「まさかっ、違うよ!あたしの主だよ」
変な誤解のないように、すぐ否定した。
あたしは姫って柄じゃない。
綺麗に着飾るよりも、苺畑で汗を流すのがお似合いの使い魔だ。
すると卯月がふと足を止めて、あたしの腕を掴んだ。
「ならば、王のお手付きではない……?」
あ。しまった……。
今の今まで落胆していたはずの卯月が、気力を復活させて迫ってきた。
あたしの胸を掘っていた時のもふもふうさぎと同じ真剣な眼差しだけど、やっぱり人の姿だと圧が違い過ぎる。
熱量であたしを蒸発させる気か、このうさぎは。
後退りしたあたしは木にぶつかり、卯月の腕に囲い込まれた。
「王のお手付きでないのなら、良いな?」
良くなーい!!今はうさぎ姿じゃないから頬を舐めるな!!
うさぎ様ぁ……獣王様を呼んで下さいぃ……。
願いは瞬時に聞き届けられ、嬉々としてあたしを舐め倒す卯月に制裁が下った。
『――――卯月。私を待たせることの意味を、理解しておるのであろうな?』
穏やかでは決してない、上下関係をまざまざと見せつける声音だった。
卯月は飛び跳ねんばかりにあたしから離れ、右へ左へ、さらにぐるりと一周して獣王様のお姿を捜した。
今回もまた、お声だけみたい。
卯月はまた、だらだらと冷や汗を垂らして、口の端を痙攣させていた。
さて。獣王様をこれ以上待たせる訳にはいかないと思ったようだ。
煩悩うさぎはあたしをひょいっと抱えて、獣王様の元へと急いだ。
もふもふ煩悩うさぎの卯月は、ネザーランド・ドワーフです。




