十九話、使い魔の躊躇い。
侍女たちが上がるまで粘ったせいか、逆上せてきたあたしは、ぐらぐらする頭で体を洗い切り、脱衣場の長椅子で倒れるように気を失った。
次に目を覚ました時、あたしは何故か自室の寝台にいて、ボタンが掛け違いだらけのネグリジェ風ワンピースを着ていた。
髪もまだ湿気っているので、何時間も寝ていた訳ではなさそうだ。
それにしても、どうやって戻って来たのかな。
先に上がったミツレたちが、わざわざ気を効かせてくれるはずないし。
蜜蜂たちは人を呼ぶことしか出来ないだろう。
え。ストベルおじさんが?
だったらあたし、迷惑掛けすぎだよね。
天蓋を捲って、床に揃えて置かれた内履きの靴を突っ掛けた。
ボタンを直して寝室のドアを薄く開き、顔を覗かせると、セリカさんがソファで――――死にかけていた。
某伝説的スポーツ漫画の主人公並みに、燃え尽きていた。
え?何?強敵とでも戦ってきたの?直後?
「セ、セリカさん……?」
躊躇いがちに声を掛けると、今度は全身を真っ赤に染めてあたしに平謝りしだした。
「すみません!あまりに遅いので、手近にいた下働きの女性に湯殿を覗いて頂き、芽生さんが倒れていると報告を受け、混乱して……女湯へと駆け込んでしまいました。それで、その、芽生さんの――――」
言わなくてもわかるから、泣かないで。
つまり……見ちゃったってことだよね。
でも、緊急時だから仕方ないよ。下心を持って突入したんじゃないんだし。
「疚しい気持ちは露ほどもありませんでした」
「わ、わかってるから」
「……駆け込んだ時までは、間違いなく」
待てーぃ!正直だったら全て許される訳じゃないからね!時には嘘も必要だから!
「申し訳ございません。服を着せる際も、目を閉じていてはどうにもならず、赤く色付いたしなやかな肢体へと触れ、絹のような滑らかな肌へと手探りで」
「いっ、言わなくていいから!」
純情のくせに何てことをしてくれたんだ。
表現が妙に艶かしいし……。
「嫌われても仕方のないことを致しました……」
きゅっとまぶたを閉じたセリカさんは、決定的な一言が来ないことを祈っているように見えた。
そこまであたしも狭量じゃない。許しますよ。
「嫌いじゃないよ。不測の事態だったし……。あたしが逆上せたせいだから」
いや、ミツレたちのせいか。
くぅ、何て卑劣な手を……。
悔やむあたしの手をそっと包み込んだセリカさんは、ある意味正しい方向へと純情を暴発させた。
「責任を取らせて下さい。――――芽生さん、」
そ、そんな真剣な眼差し、いらないから!
覚悟を決めた男の顔とかしないでー!
あたしの心の悲鳴は届くことなく、セリカさんは口を開き、取り返しのつかない言葉を告げようとした。
「結こ――――」
「――――芽生!お体の具合はいかがですか!」
絶妙なタイミングで、花姫があたしの部屋に飛び込んできた。
ナイス花姫!ぎりセーフ!
最悪の事態を免れたぁ。……ふぅ。
セリカさんは早まり過ぎだよ。一端冷静になるべきだから。
あたしに抱きつく花姫を、セリカさんがむっとした涙目で睨んでいる。
一応お仕えしてる姫様でしょ?いいの?
「姫様。就寝時刻はとうに過ぎていますよ。寝坊などされましたら、朝食は抜きにさせて頂きます」
手厳しい……。
プロポーズを邪魔された男の執念、恐い。
「わ、わたくしは芽生が……」
「折角ですので、朝食の席にお父上様をお招き致しましょうか?」
花姫はがたがた震えて、あたしの背中に身を潜めた。
味をしめたな、この子。あたしを盾にすれば怒られないと思って……。
「姫様はお部屋にお戻り下さい。私は芽生さんに大切な話が」
「ジ、ジエラ!今日は一緒に寝よう!」
あたしはセリカさんの話を遮り、花姫を押して寝室へと避難した。
危ない危ない。
純情は思いがけないところで爆ぜるから油断ならない。
セリカさんはついてこないようで、あたしは脱力し、寝台に仰向けに倒れた。
花姫が真似して隣へと、ぱたんと倒れる。
また怒られるよ?はしたないって。
「……明日が楽しみで、眠れないのです」
花姫はぽつりとつぶやき、あたしにはにかんだ笑顔を向けた。
そっか……。獣王様からの返事を心待ちにしてるのか。
「きちんと、受け取って来るから」
あたしが志を立てて告げると、花姫の笑みが深まった。
自分の恋よりも、花姫の恋を何とかしないと。
あたしは花姫と獣王様の使い魔なんだから!
あ。ストベルおじさんも入れないと。
「そう言えば、セリカの大切な話というのはよろしかったのですか?」
「よろしかったのです。純情が色々見失いかけてただけだから」
花姫は寝ながら首を傾げている。
あたしは手をお腹の上で組み、天蓋を見つめた。
「あたしは、いつかは帰らないといけないから……。ただの思い違いでも、あれ以上は言わせたら駄目なんだよ……」
「ずっといらしても構いませんよ……?」
「そういうわけには……」
あたしにだって家があるし、家族も待ってる……と思う。思いたい。
ま、待ってるよね……?
能天気に、「あら、いなかったの?」とか言われたらどうしよう。
「芽生のお陰で、セリカは毎日嬉しそうです」
「嬉しそう……?」
セリカさんって、花姫には割と辛辣な様子じゃなかったっけ?
花姫って、実は打たれ強いよね。
「セリカは芽生のことをお慕いしているのです。芽生は、あまり信じておられないようですが……」
花姫が言うべきか迷いながらも、哀しげな声色であたしに言った。
気持ちを否定されるのは辛いって、わかってる。
あたしは結局、自分が傷付きたくないだけの弱虫なんだよ。
魔法が解けるように、いつかセリカさんだって冷静になる日が来るでしょ。これは違うな、って。
その時あたしはどうすればいいの?凄く好きになってたら?
今だって、本当は気持ちが揺らいでる。
決定的な言葉を告げられたら、あたしは――――。
だから、恋人ごっこくらいがちょうど良いんだよ。
……ずるいな、あたし。逃げてるくせに、手放したくはないと思ってる。
「わたくしはセリカのことならば、セリカ以上に知っています。成人の儀以外は、ずっと傍にいてくれたのですから」
「……成人の儀って、セリカさんが死にかけたっていう、あの?」
「どなたかから、お訊きになられたのですね。成人の儀はとても危険な試練なのです」
「一体、何をするの?」
「芽生がいらした世界へ、種として飛ばされるのです」
「た……ね?」
花姫はむくりと体を起こしたので、あたしも向き合うように座った。
真面目な話なのだと、感じたからだ。
「そうです。種が落ちた場所で芽吹き、花を咲かせ、植物としての一生を終わらせることが、成人の儀なのです」
あたしは驚き、目を瞬いた。あの世界には綺麗なところもあるけど、同じくらい汚い面もある。
植物だけでなく、動物だって生きられない土地がざらにあるというのに。
それに環境だけじゃない、あの世界には、あたしたち人間がいる。
「終わらせられなかったら……?」
花姫が沈痛な面持ちで目を伏せた。
それが、答えだった。
ストベルおじさんも言っていたはずだ。命を落とすこともあるって。
あたしはそんな儀式があるなんて知らないから、道端の花を平気で摘んだりしていた。
あたしが奪ってしまった命があったのかもしれない……。
青ざめたあたしに気を使ってか、花姫は緩く首を振った。
「人里にはあまり良い土壌がないと聞きます。種は育ちやすい肥沃や環境を選びますので、芽生が胸を痛める必要はありません」
そうは言っても……。
あたし小さい頃とか、野山を駆けずり回ってたし……。
「セリカさんは……何があったの?」
「……セリカは、獣に襲われたそうです」
ああ……。だから、獣族を毛嫌いしてるんだ。
命懸けの儀式中に襲われたら、嫌いになるのもうなずける。
下手したら死んでたんだから……。
あ!もしかしてあのこめかみの傷は、その時についたんじゃ……。
植物の姿じゃ、逃げられもしない。
もう過去のことなのに、あたしは背筋が寒くなった。
「成人の儀は、悪いことばかりではないのです。こことは違う世界を見て触れて、新しい文化を取り入れ、この国を発展させるために貢献される方も多いのです。湯殿などもその一つです。セリカも命を落としかけましたが、良いこともあったと常々言っていましたので」
気にしなくていい、と花姫は穏やかに微笑する。
うん……。だけどあたしはもう、野の花は摘めない。
たぶん話掛けてしまうだろう。関係ない草花にも。
成人の儀、がんばってねって。
今回花姫が割とまともです。




