十八話、守り役の反省とお風呂パニック。
「お疲れですか?もうお休みになって下さい」
目がとろんとしてきたあたしに、花姫がそう言った。
眠気がひたひたと足元から迫ってきている。
自分の部屋まで歩いていけるかなぁ……。
「うん。……お休み」
「お休みなさい」
幸せオーラで光輝く花姫は、今のあたしには眩しすぎる。
さっさと寝てしまおうとドアを開けて、一時停止した。むしろ急停止だ。
何故なら部屋の前に、はた迷惑な障害物が……。
「お許しください。芽生さん」
正座をしたセリカさんがそこにいた。
あのね、邪魔だから。出られないじゃん。
あたしの怒りって長持ちしないから、すっかりセリカさんのこと忘れてたよ?
「今後は決して権力に屈しないと誓います」
あれって権力じゃなくて、言葉巧みに言いくるめられただけだよね。
いいのかな、って顔してたじゃん。
一旦下がって、助走をつけたら飛び越えられないかな。
いけそうな気もするけど、この長いスカートがネックだ。
セリカさんの頭を支点にして手をつけば、かなりの確率的で成功すると思う。
あたし、ガードレールでやったことあるし。
「お許し頂けるまで、こうして反省する所存です」
何て面倒くさい。いや、邪魔くさい。
あたしの呆れが伝わったのか、セリカさんは涙を堪えて唇を結んで俯いてしまった。
可愛、可哀想だけど、ころころ気を移すのも情緒不安定みたいで嫌だなぁ。
絶縁状を叩き付けてきた訳でもあるまいし、しばらく放置しておけばすぐ機嫌を直したのに。
しかしこの展開、多くない?あたしたち合わないんじゃないの?
本格的に付き合ったら、毎日口喧嘩かも。
「――――芽生?」
あたしが全然動かないものだから、花姫が様子を窺いにきてしまった。
「セ、セリカ……?」
セリカさんの正座姿に、花姫は激しく狼狽した。
怒られる専門の花姫からしたら、あり得ない光景なのだろう。
だけど、口元は緩んでいるし、ほんのり頬も上気している。
誤魔化しなのか、指を揃えて唇に当て、「まぁ!」みたいな振りをしているけど、その下でたぶんにやけている。
密かに楽しんでるな、この子。
やれやれとしたあたしはふと、廊下の隅から突き刺さるような視線を感じた。
蜂の針なら、ひゅんひゅん皮膚を貫通してだろう。
恐る恐る顔をそちらへと向けると、侍女たちがあたしに本気の殺気をぶつけていた。
眼差しであたしを殺めようとしてる!?
ま、待って、これには訳が……。
「芽生さん……すみません。全て私が悪いのです……」
セリカさんが遂に、謝罪の究極、土下座をしようと床に手をつき始めた。
いやいやいやいや!駄目駄目駄目!
ミツレが恐いから止めて!凄まじい剣幕だから!
「わ、わかったから。立って……」
あたしがひきつった声を掛けると、セリカさんは、はっとして腰を上げた。
あたしの正面に立ち、従順な犬のように神妙な顔を繕っている。
だけどあたしには、尻尾だけは嬉々としてためかせている幻覚が見えていた。
精神誠意謝れば許して貰えるって、躾てしまったらしい。
花姫は面白い寸劇だったと、ほくほく顔を手のひらで包み込んでいる。
何で皆こんなに元気なの?
疲れてるのはあたしだけみたいだ。
セリカさんはすでにぴしりと姿勢を正して、生真面目な表情へと早変わりしてるし。
「芽生さん。お部屋までお送りします。――――それと、姫様。くれぐれも夜更かしはなさらないように。夜中に出歩いているところをお見掛けしたら、無期限の謹慎を言い渡しますので覚悟なさい」
セリカさん、相変わらず花姫には厳しい。
いつにも増して言葉の端々に棘を感じる。
さっきまでの花姫の様子に、実は腹を立ててたのかも。
しゅんとした花姫に送り出され、あたしは未だにひりつく視線たちに脅かされ、びくびくしながら部屋へと急いだ。
自室のドアをセリカさんが開けてくれたので、あたしは寝台まで一直線に向かい、ばふんっと倒れた。
「芽生さん!寝台には静かに上がりなさい。まさか、湯殿でも同じことをされていませんよね」
そんな子供じみたことしないよ。あたしをいくつだと思ってるの?
「危険ですので、くれぐれも姫様の真似だけはしませんように」
花姫。お風呂に飛び込むのはだめでしょ。
……いや、毎回転んで湯船にダイブしてるんじゃ……。
可愛、可哀想なことになってるのかも。
これはもう、今度一緒に入って確かめないと。
そういえばあたし、ここに来てからお風呂に入ってなくない?
後で場所を聞いて体洗わないと、女としてよりも人間としてまずい。
まぁ、今は蜂だけど……。
ん?……ていうか、何でセリカさんが花姫のお風呂事情にまで精通して……。
あたしが非難の目で見遣ると、セリカさんは怪訝そうに小首を傾げた。
「幼い姫様を入浴させていたのは私ですが、現在は侍女の仕事です。私は報告を受けて叱るだけなので、昔よりは楽になったと言えますね」
手のかかる妹か娘の認識だな、これは。
花姫が裸で迫っても、どきどきするどころか平気で説教すると思う。
ありえないシュチュエーション過ぎて、上手く想像が出来ないけど。
「芽生さん。お着替えになって下さい。寝台に汚れが」
言われてみれば、あたしは畑にいたときの格好だった。
仕方ないので一度起き上がり、服に手を掛けたところでセリカさんが慌てて寝室を飛び出していった。
それにしても、お風呂の話をしてたせいで、お湯に浸かりたくなってきた。
でも湯船で寝ちゃうかな……。
さっと体を洗うだけなら平気かも。
あたしは寝室から顔を出して、赤面中のセリカに尋ねた。
「やっぱり、お風呂に入ってから寝るよ」
その方がいいと思っていたのか、セリカさんはすぐに湯殿へとあたしを案内してくれた。
替えの服やらタオルやらを携え、荘厳な女湯のドアの手前で立ち止まり、セリカさんは言った。
「それではゆっくりなさって下さい」
「はーい」
「返事は、はっきりと!」
「は、はい!」
細かい。特に言葉遣いと礼儀作法にうるさい。
あたしはげんなりしながら脱衣場へと足を踏み入れた。
内装は古き良き温泉宿みたい。脱衣用の籠が整然と並べられていて、ガラス戸の向こうに湯気が立ち込めている。
あたし以外、誰もいないのか籠はどれも空っぽだ。
これなら気兼ねなくお風呂に浸かれる。
いそいそと脱衣をして、一応タオルで体を隠し、ガラス戸をスライドさせた。
「わぁ……!温泉!?」
岩で囲われた広大な湯船からは、硫黄の臭気が漂っている。
つるつるとした石敷きへと爪先をつけて進み、導かれるように天を仰いだ。
きらびやかな星屑たちが闇夜を彩り、あたしは目を奪われた。
満天の星空を楽しめる露天風呂だなんて……素敵すぎる!
「あ!流れ星!」
何これ、何これ!何のご褒美!?
跳び跳ねんばかりのあたしは、注意力散漫で石敷きで滑り、縁の岩に躓き、最後に湯の中へとダイブした。
−−−−バッシャンッ……!……ぶくぶくぶく。
「−−−−ぷはっ!……ごほっ、は、鼻にお湯がぁ……」
水面から顔を出したあたしは、縁まで泳ぎ、岩へとしがみついた。
これか!?花姫が毎回飛び込む理由は!
鼻の奥が痛いぃ……。うぅ、涙が……。
ただでさえ悲惨なあたしに、さらに泣きっ面に蜂な状況が襲い掛かる。
カラカラと戸の音がして、数人のぼんやりとした影が……。
「まぁ!使い魔の分際で私たちと同じ湯につかるなんて!」
お団子少女を筆頭に、花姫の侍女たちがタイミング悪く入浴してきた。
いや、これはわざとかも。あたしを狙ってきたな!
「ラベンデル様、いかがまさいますか?」
侍女の一人がお団子少女にひそひそ尋ねた。
響いてるから。漏れに漏れてるから。
それにしても、名前が判明したのは大きい。
ラベンデルか……。何か言いにくいなぁ。
慣れるまで、お団子少女でもいいか。
「湯殿ではじゃぐなんて……。これだから使い魔は」
ミツレがこれ見よがしに吐き捨てた。
セリカさん正座反省事件が後を引いている。
だから、止めて欲しかったのに……。
だけど、あたしを貶める前に花姫を何とかしてあげなよ。その内、岩で頭打つから。
彼女たちは嫌そうに顔をしかめながら、淑やかにお湯へと浸かった。
そして粗捜しのため、岩にしがみついたままだったあたしの裸をじろじろ見つめてくる。
は、恥ずかしいから止めてよ!
あたしは肩まで身を沈め、不躾な視線を振り切った。
「…………」
「…………」
いや、ないんかいっ!お粗末な粗捜しだな!
ちょっと待ってたあたしが馬鹿だったよ!
あたしはぶくぶくと空気を吐き、ついでに不満も湯へとたれ流した。
ガードレール飛び越えも湯船にダイブも危険ですよ。うさぎ様的に言うと、真似するでないぞ、です。




