十話、深夜の攻防。
お休みと言ったものの、あたしの胃袋が極限状態で泣き喚いていた。
とても眠れたものじゃない。そもそもあたし、寝すぎだし。
寝台から這い出して、部屋を後にしたあたしは、己の勘を頼りに厨房を探した。
大体一階のどこかだよ。通例では、だけど。
廊下を照らすのも釣鐘草のランプ。その下を潜って、あたしは衝撃の真実を目の当たりにした。
ランプじゃなくて釣鐘草そのもの!?
それが暗闇で発光し、あたしを照らしている。
植物が発光する技術があるのは知ってたけど、まさか実用化されているとは。何て最先端な。
あたしは感心しながら一階の廊下を歩き回った。
あたしがいるのは王族の居住区域らしい。
公私をきっちり分けた造りになっているみたいで、お互いを行き来するには一度外へと出る必要がある。
外に出たら果物とか生ってないかな。
明日の朝まで持ちそうなものだと……リンゴかバナナ?
うわぁ、ヨーグルト食べたくなってきたじゃん。
あたしは玄関ホールではなく、花姫がこっそり出入りに使う通用口から外へと抜け出そうとした、その時だ。
「こんな夜更けに、蜂のお嬢さんはどちらへ行かれるつもりですか?」
あたしは驚き、ばっと振り返った。
そこには髭を一撫でしている宰相の悠然とした姿。
あたしを陥れようとしたくせに、よくものこのこと顔が出せたな!
とは言えず、あたしは身震いをして後退りした。
だって恐い。蜂と交わるとか平気で言えちゃうこの髭が、恐しい。
「震えているようですね。私の部屋で温まっていきますか?」
絶対嫌ぁー!
暖炉の前でぬくぬく、みたいな意味じゃないんでしょ!
「飽きない表情をして、この私を誘う」
誘ってない!!
もう嫌だぁ、この髭。
「あたしは……、セ、セリカさんと逢い引きを」
「あの守り役が、そんな情熱的なことをするとは。……嘘が下手な使い魔ですね」
仰る通りで。
セリカさんはどちらかといえば、夜這いを掛けられる方かな。肉食女子たちに。
植物の妖精の場合、肉食じゃ変かな?……多肉食女子?
ああ、もう。どうでもいいこと考えてたよ。
目の前の髭だよ、問題は。
「ひ……宰相、様はどちらに?」
髭宰相は目を細めて笑みを深くした。
「花姫様の御部屋にでも、と」
止めたげて。枕が涙で水浸しになっちゃうから。
しかし髭宰相の言葉はいかにも嘘で、あたしは猜疑を強めた。
ここは余計なことをせず、逃げるのが得策だな。
「では、これで」
ぺこりと会釈をして通り過ぎかけた瞬間、髭宰相が背後からあたしを捕らえた。
ひぃぃぃ……!食われるーー!!
髭宰相は片腕を腹部に巻き付け、あたしの肩甲骨辺りを探る。
「羽は……上手く仕舞われている」
セクハラじゃなくて正体を疑ってる!?
あたしは迷った。この変態髭を撃退することは果たして可能か。
あたしは猪と闘った女だ。それが瓜坊だったことは、この際忘れよう!女は度胸だ!いける!あたし!
「素晴らしい。見た目だけでなく肌触りも良い。時の狭間に堕ちても無傷で帰ってくる運の強さといい、ことごとくこの私を夢中にさせる」
させてないから!全く!これっぽっちも!
花姫はどうした、花姫は!
あんなに熱心な視線を注いでたじゃないか。
髭宰相はあたしの二の腕を揉みながら、節足がどうのこうの言っている。
そろそろ我慢の限界だ。
あたしは決意し、拳を握り締めると同時に、ガシャンと何かが落ちる音が、場の空気を切り裂いた。
音のした方へと目を向けると、血色の悪い顔で茫然と立ち尽くすセリカさんと、廊下に散らばるお盆と食器。
セリカさんは、妻の浮気現場を目撃してしまった夫みたいな顔で、あたしを見つめている。
いや、これには訳が……。じゃなくて。
「た、助けて……」
手を伸ばすとセリカさんは、はっとして、恋人が暴漢に襲われている彼氏の表情で、あたしを髭宰相から救いだした。
「逢い引きは事実でしたか」
そうだ!これから蜂だけに、蜜時間なんだから邪魔するな!
髭宰相はあたしとセリカさんに睨み付けられても動じず、だが、とりあえずこの場は去ることを決めたようだ。
「機会があれば、是非私の部屋に」
行きませんよ。絶対。
髭宰相は、微笑を張り付け踵を返し、廊下を優雅な足取りで歩いていった。
ほっとしたあたしに待ち受けていたのは、セリカさんの説教だった。
「勝手に彷徨いてはいけないと、あれほど念を押しましたのに、何故花姫様のような振る舞いをなさるのですか」
「あの、小腹が……ですね。減りまして……」
「そう思って、いつ起きられても言いようにと、夜食を運んでいたところに、宰相様と……」
思い出したのか、セリカさんが涙ぐむ。
「あたしの意思じゃなく。ひ、宰相に急に襲われて」
セリカさんが涙目であたしを睨む。
「だからあれほど言ったではありませんか。貴女はご自分の魅力をわかっておられません」
それはあれですよね。使い魔なのに、上手く人形に化けているって類いの話ですよね。
「花姫様が霞んで見える程です」
それは眼科に行って下さい。
植物の妖精に病気とかあるのかな?
でも、植物自体は結構病気になるよね。
うどんこ病とかすす病とか……。
「不審な……不思議な表情で何を考えておられるのですか」
「セリカさんのこと」
頬を染め、セリカさんがちょっと嬉しそうに口元をほころばせた。
しかし今は指導中、と努力して唇を引き結ぶ。
「また夜食を作り直しです。紅茶も、折角美味しく淹れられたのですが……」
しゅんとへたれた尻尾が見えた。本格的にまずいな、あたし。
眼科に行くべきはあたしの方だ。
セリカさんが残念そうに散らばった食器を片付け、あたしもいそいそと手伝った。
あたしのためにしてくれたことだから、ありがたく受け取らないと。
「セリカさん。さっき大嫌いなんて言って、ごめんね。それと、ありがとう。ちゃんとあたしのことを考えてくれて」
お盆の上に、食器と焼き菓子を乗せ、あたしはにこりと笑い掛けた。
するとセリカさんは瞳を揺らして口ごもり、赤くなってからきゅっと目を瞑った。
な、何……その反応。恐いんだけど。何か、取り返しのつかない事態になりそうな予感が……。
セリカさんが意を決したように、あたしを見つめて言った。
「考えさせて欲しいと言ったのは、私たちは種族も住む世界も違うからです。ですが、芽生様のことはこの先もずっと、大切にしていきたいという結論に至りました」
至っちゃだめなやつだよ!
だけど、あまりにも真剣で健気な告白に、あたしの心は波打つように揺れている。
戸惑うあたしに、セリカさんは少しだけ顔に陰を落として、緩く首を振った。
「いいのです。いつかあちらへと帰られるのでしょうから、その日までで」
恋人との別れを予期した憂い顔が、切ない。
昨日今日会ったばかりのあたしに、何で……?
「セリカさん……?」
あたしが呼び掛けると、セリカさんは柔らかく苦笑した。
そしてお盆を両手で持ち、立ち上がる。
「空腹なのでしょう?お部屋へと運びますので、もうしばらくお待ち下さい」
頷こうとしたあたしは、髭宰相のセクハラの後遺症か、体が冷えてふるりと震えた。
「寒いですか?でしたら体が温まる、熱い紅茶をお淹れします」
部屋で温まるっていうのは、こういうことだよ。髭宰相。
セリカさんの方がよほど紳士だと思う。
あたしは試しに、ちょっと際どい台詞を口にした。
「部屋で、待ってるね」
「ええ、そうして下さい。芽生様まで花姫様の真似をされては困りますので」
呆れたようにため息をつかれた。
うん。セリカさんらしい。それでこそ紳士。
「セリカさん」
「何でしょうか?」
「名前、呼び捨てでいいよ?」
セリカさんは瞬いてから、赤く色付く目元を伏せて、小さくあたしを呼んだ。
「では、……芽生、さん」
「はい。セリカさん」
あたしもさん付けだし、今はそれでもいいかな。
髭宰相、神出鬼没です。
多肉植物と肉食女子を掛けて、多肉食女子です。




