一話、ある日森の中でうさぎ様に出逢った。
「どうしましょう……、召喚術を間違えてしまうだなんて……。わたくし何てことを……あぁ、やめてくださいませっ!その方は――――!」
「姫様!どうなさいま――――っ、これは、一体」
「術式の綴りを誤ってしまいました……」
「なっ……!」
「召還位置もずれて『かわたれの森』に……」
「もうすぐ『たそがれの森』に変わる頃ではありませんか!」
「ごめんなさい……」
しょんぼりとした謝罪が、あたしの夢の中でこだました。
♢
気づくと目の前に、巨大なうさぎがいた。
白くてふわふわした、あのうさぎだ。鼻をひくひくとさせ、前足を上げて首を傾げている。
長いピンク色の耳が片方、こてんと垂れた。
そんな可愛いらしいはずのうさぎが、なぜかあたしを怪訝そうに見下ろしている。
あたしの目線の高さは、うさぎの顎よりも低い。
あたしの頭がちょうど、うさぎの前足置きになりそうな位置にある。
いや、そんなことされたら、あたしの首が折れるけど。
それは嫌だなぁ、と思いながら、仰いだ。
その瞬間、前足置きとか吹っ飛んだ。
うさぎが口をもごもごとさせて、あたしを凝視していではないか。
「う、うさぎは草食でしょ?あたし、人間だから、食べても美味しくないんじゃないかなぁ……って、こわっ!顔近っ!近すぎます!うさぎさん!?」
うさぎの影が、あたしを覆い隠すように落ちてくる。きらりと光る、二本の前歯が覗いた。
何これ、人生最期がうさぎのごはん!?
神様よ、あたしが何をした。
だって、うさぎ肉とか食べたことないもの。
怨むならフランス辺りの、うさぎを食べる文化をまず……って、頭にもふって何か当たったぁ――――!
「ひぃぃ……。食われるぅ――……うん?」
きつーく閉じていたまぶたを薄く開くと、真っ白で柔らかな毛並みが眼前に広がっていた。
うさぎのむくむくとした前胸だ。
ちょっと……、抱きつきたい衝動に駆られた。
これはそんじょそこらのぬいぐるみとは訳が違うむくむく度だ。
この状況に、既視感がある。
そう、あれに似ている。あの日本を代表する素晴らしいアニメ映画のワンシーン。
駒に乗ったあの生き物に飛びつく女の子。
あんな感じで飛び込みたい。全身にむくむくを感じたい。
実際のあたしはそんなに若くないし、どう見てもこれはうさぎだけど。
うさぎはあたしの妄想など全く知らず、顔を下げて、鼻先を頭から肩へとずらした。
それからうさぎの鼻先はお腹へと移動し、爪先までを執拗に往復した。
つまりうさぎは、あたしの全身を余すとこなく、くんくん匂いを嗅いでいた。
く、臭くなんかないって。うさぎのくせに、眉とか顰めないで。
あ、ごめんなさい!うさぎのくせにとか、バカにしたわけじゃ……。
「何者だ。花族の者の匂いはせぬが。使い魔の類いか、娘」
は、はい?何言ってるの?二重の意味で、何言っちゃってるの!?
何でうさぎが喋れるの、と、何を言いたいの、だ。
えらく渋い声で、びっくりなんですけど。
見た目はこんなに愛らしいのに。
これではうさぎさんどころか、うさぎ様だ。うさぎ様。
うさぎ、もというさぎ様が早く答えろと、すべふわな頭であたしを小突く。
触り心地は抜群に気持ちいいけど、何分巨大過ぎて力がやたらと強い。強すぎます、うさぎ様。お腹にかなりのダメージが。
うぅ、消化されつつあるお昼のパンが――――。
って……あれ?お昼って何?これ、夢じゃないの?もしかしてあたし、講義中に爆睡してるとか?
いやー恥ずかしいっ!寝言とか言っちゃってたりする?うさぎ様に襲われて、叫んでたりする?
両手で頬を包み恥じらっているあたしに、うさぎ様がひげを揺らしながら尊大に言った。
「娘。言葉も通じぬのか。憐れな。下級な使い魔が、何故この森に居る。早く主の元へと帰るが良い。じきに夜が訪れる。獣の時間ぞ」
「な、何?獣……?」
「花族の使い魔ならば、あの花門を通って行けば良い。弾かれることはなかろう」
うさぎ様は大木の根本にある洞を、鼻先で示した。
ぱっくりと開いたその洞は、幹が意図的に避けたみたいに泰然と存在していた。
奥は黒々としていて、不気味な雰囲気を醸し出している。
花門と言ってたけど、人食い樹木の口だと言われた方がしっくりとくる。
あそこに入れってことですか。
あたしはうさぎ様を仰ぎ、首を振る。だって、恐い。真っ暗闇だもの。
「恐れることなど何がある。獣族は使い魔を持たぬ。花族の使い魔と知れれば、あらぬ誤解を受けよう」
使い魔って何なの?あたし、人間だよ?至って普通の女子大生なのに……。
うさぎ様は戸惑うあたしから一瞬目を外して、西の空を一瞥した。
ここはおそらく森で、枝が折り重なる木々の根本にあたしたちは立っている。葉の隙間から透かし見える空は、さっきまでの青々としたものに、朱が混じり始めていた。
うさぎ様が、さっき言ってた。
もうすぐ夜が来るって。
それってかなり、恐ろしいことだと思う。
どっちに行けば家に着くのかもわからないのに、真っ暗になってしまったら、あたしは……。
夢なのに、あたしは怖じ気づいてる。
こんなリアルな夢、見たことないもの。
夢ってもっと、漠然としたものじゃなかった?こんなに、色とか形とかはっきりしてた?
上空で蠢く葉っぱの葉脈の色とか、湿った木々が纏う苔の極小の葉の形だとか。普段は気に止めない細部が、現実よりも際立っている。
夕日の、目の眩みそうな鮮やかなオレンジがあたしの胸を騒がせる。感傷に浸るみたいに、沈みかけた太陽を見つめた。
「娘。宵の気配に心を寄せると。珍妙な。ならば、かわたれ時にまた来るが良い。娘には、いつ何時でも花門が通じるように開けておこう」
妙に嬉しそうにそんなことを言いながら、うさぎ様があたしの背中にぴょん、と回った。
あれ、何か、ものすごく嫌な予感が……。
嫌な汗が、背筋を伝う。
次の瞬間、うさぎ様の渾身の頭突きが背中に直撃した。あたしの体は見事洞の中心へと突っ込んで、真っ逆さまに落ちていった。
うさぎ様、ナイスショットです!なんて、あたし言わないから!
うさぎ様はもふもふではなくむくむくです。




