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幽霊と血溜まりラブレター

作者: tanisi
掲載日:2015/05/24

 ―◇―◆―◇―◆―〔一章〕―◇―◆―◇―◆―


 文哉は公園の中央で立っていた。

 村の中心部にこそ位置しているが、ブランコとベンチ、それに街灯が一つぽつんとあるだけの寂しい公園だ。四方を柳の木に囲まれていて、あまりよい雰囲気では無い。

 この時間になると遊びに来る人間などおらず、暗闇の中に垂れ下がった柳の枝だけが寂しく風に吹かれていた。

 遅い。寒い。暗い。それに怖い。

 携帯を開く。真っ白な光の中のデジタルが現在の時間を示している。

 七時五分。

 待ち合わせは七時のはずだが、秋菜が一向に現れない。

 そろそろこの村では雪の降り始める時期だ。この時期に高校のブレザーだけでは無理があったか。そんなことを考えていると――。

 不意に。本当に、なんの予兆も気配もなく。

 振り乱された赤髪。その隙間から覗く大きな黒眼。

 秋菜が血の気の抜けたような顔で、携帯と文哉の狭い隙間に横から顔を出した。


「ばあ」

 数瞬遅れて――。

 文哉の悲鳴はやまびこになって周囲に反響した。


「あはははははは!」

 秋菜が勝ち誇った表情で高らかに笑った。

 飛び上がった心臓は、そのまま文哉の胸中で跳ねている。


「秋菜……遅いぞ」

 文哉は平静を装ってみせたが、強がっているのがバレバレなのだろう。秋菜は文哉の言葉を聞いてまた笑い始めた。

「くく、文哉がびびってんの面白いんだもん」

 待たされた恨みもあって、見下すように秋菜を睨む。

 秋菜の服装は紺のブリーツスカートにエンジ色のパーカー。首元には白いシャツの襟が覗いていた。

 向こうも笑うのをやめて上目で睨み返してきた。世に言う逆ギレだ。

 文哉は不機嫌を隠さずに携帯のフリップを閉じてポケットにしまった。

「おれがいなきゃ何もできないくせに」

「あたしがいなきゃビビってるだけのくせに」

 秋菜がわざらしい溜息を一つ吐く。

「で、今日はどこなの?」

「高校の体育館だ」

 この村で高校というと一つしかない。

 山古賀高校。村民のほとんどが通っている、廃校みたいにぼろい学校だ。日頃お世話になっている身としてはあまり悪く言えないが。



 十分ほど歩いて高校についた。

 秋菜の少し先を歩きながら、真っ暗な校庭を突っ切って体育館に向かう。

 途中、小さな水色の霊体が浮いていた。良く見ると可愛らしい目があり、ちょろりと尻尾が生えている。文哉はそれをかわすでもなく素通りしたが、ちらりと後ろを見ると秋菜がそれにぶつかってあたふたしていた。

 くく、秋菜だって人をどうこう言えるもんか。

「ふみ……」

 背後から小さく文哉を呼び掛けた声がしぼんで消えた。

 文哉がそのまま歩いているということで大方察したのだろう。たいしたもんじゃないってことを。


 体育館のかまぼこを思わせるシルエットがずんぐりと大きくなってきた。

 近づくに連れて文哉の足取りは重くなる。

 どうも嫌な予感しかしない。文哉の霊感なんてもんは霊視オンリーなので気配なぞさっぱりだが、嫌な予感だけは外れたことがない。

「ほら、行くよ」

 秋菜は文哉を追い抜くと、体育館の扉の前で早く来いと手招きした。

 鍵はかかっていないはずだ。何も特別なことじゃない。村全体に鍵をかける風習が無いんだから。

 文哉は秋菜の前に立つと、ゆっくりと扉を開いて中に入った。

 すぐ横のスイッチを入れる。靴を脱いで靴下であがる。ひんやりと冷気が足を伝い、古くなったでこぼこの床がきしんだ。

 秋菜は当たり前のように腕を組んで、そのまま文哉の後ろをついてきた。尊大な態度もいつものことだ。

 文哉は深呼吸をして前に進み、全体を見渡す。いつも通りの光景だった。アレ以外は。

 広さはバスケットコート一つ分しかなく、当然そのゴールも二つだけ。ステージにはところどころ破けたエンジ色の幕が寂しげに垂れ下がっている。


「で、どんなの?」

 秋菜がぱたぱたと片足をならしながら聞いてきた。

「あ、ああ。人間人間。首の無い人間でフリースローの練習してる。で。うう。ボールが生首で……けっこう、あれな感じ……」

 基本的に、霊は物質に触れることができない。だからといって自分の首で遊ばなくてもと思うが。

 秋菜が不機嫌そうに質問を重ねた。

「で、あたしはどうすりゃいい?」

 焦れているなら都合が良かった。

「ゴール下行って、首がゴールに入って落ちたとこ狙え。そうすりゃ、秋菜でも狙えるから。とりあえず早くしろ早く」

 文哉は左側のゴールを指さしながらへたり込んだ。

「あ、どんなやつなの?」

 秋菜が少しにやにやし始めた。気付けば足を鳴らすもやめている。

 経験上、よろしくない兆候だった。

「うちの制服来てる女子だよ。もう、早くしろって。うおっ。今手に持ってる首がこっち見て笑った……」

「へぇ、女子に微笑まれるなんていいじゃない」

「血みどろの顔で微笑まれても嬉しくないっての」

「あーなんかたくさん疲れちゃったから歩くのめんどい……」

「ちょ、早く行けよ」

 秋菜がにやりと笑いながらこちらを覗きこんでくる。

「早くしてください」

「おけ」

 秋菜がてくてくと左のゴールの真下に移動した。

 文哉がげんなりしながら幽霊を見ると、サークルの中で首の無い幽霊が生首に左手を添えている。手の中の目が真剣にゴールを見つめる。

 秋菜はどうにもつまらなそうに、腕を組んでこちらを見ていた。実際秋菜には何も見えないのでつまらないのだろう。

 幽霊の手から生首が放たれる。いまいち質量を感じさせない「それ」は、ネットを揺らすことなくリングを静かに通過した。

 文哉が「パン!」と大きく手を打つ。

 合図に反応した秋菜は右足を半歩後ろに引くと、大きく真上に蹴りあげる。

 タイミングはバッチリ。しかし、放物線を描いたソレは幽体である。つまりはボードにもリングにも当たらないので、リングを通過した後にその真下に落ちて来るなんてことはありえなかった。

 秋菜が紺色のスカートを翻して盛大にこけた。

 ころころと円を描くように転がる生首に、バランスを崩した秋菜の手が優しく触れた。

「ひゃっ!」

 珍妙な声を出して秋菜が飛びのく。

「秋菜……何やってんのさ」

「うっさい! 合図のタイミングが悪いせいでしょ!」

 そういうことにしとこう。また作戦にケチをつけられるのもめんどうだし。

「あー、もう! まだそこに転がってるから早くやっつけろって!」

 今度は文哉の方が焦れながら秋菜の方を指さした。

 秋菜はがむしゃらに足を振りまわす。

「そこって!」「下だよ」

「どこ!」「後ろだよ」

「なのよ!」「右だよ!」

 あ。それよりあっちか……。

 やがて、反動で振りまわしていた秋菜の左手に辺り、秋菜の手がスローでその中を突き抜けた。幽体が一瞬青白い光を放ち、その場に霧散する。

 下に転がっていた生首に一瞬驚きの表情が浮かんだ。そしてにたりと笑うと、それも時間を置かずに消えていった。

「あれ、やった?」

 足元を蹴りまわしていた秋菜が手ごたえのあった左手を宙に停めたまま小首を傾げる。

「おお、やった」

「でも何でこの位置?」

 まずいか。

「ああ、胴体の方が転がってる首取りに来てたから、それに当たった」

 文哉は内心焦りながらも、さも当たり前のように言った。

「ねえ、初めからそっち狙った方がよかったんじゃないの?」

 気付かれた。

 文哉はさっと身を返すと、素早く電気を消して靴を履く。

「置いてくなッ!」



「はあ、なんであんたみたいなバカに作戦任せてるのかわかんない」

 真っ暗な校庭を校門の方に戻りながら、秋菜が前を歩く文哉に言った。

「簡単。相方がもっとバカだから」

「……なんだと?」

「おれは状況を説明したんだから、秋菜だって十分気づけたことじゃん。おれだけ責められてもねぇ」

 秋菜を振り返りながらジト目で睨んでみた。間違ったことは言っていない。多分。

 秋菜は視線を下に落としながら、地を這うような低い声で呟く。

「はあぁぁ……あたしにも霊視ができたら、文哉みたいなのと仕事しないでいいんだけどなぁ」

 文哉も新月の夜に負けないほど暗い声で秋菜に返す。

「はあぁぁ……おれに除霊する力があれば、秋菜みたいなのと会わないですむんだけどなぁ」

 大げさな溜息が二つ重なった。

「だいたいなんで霊視できるくせに幽霊にびびってんのよ。女女しいやつ」

「ほほほ。秋菜さんこそ、ぶっとばして除霊なんて、野蛮なお力ですこと。よく似合ってますけれど」

 二人の足が止まる。

「ネクラ」

「チビ」

 その後、暗闇の校庭で小一時間ほど罵りあってから、二人は逆方向を向いてそれぞれの帰路についた。


―◇―◆―◇―◆―〔二章〕―◇―◆―◇―◆―


 文哉の通っている廃校寸前の校舎に、昼休みを告げるチャイムが鳴り響く。

 真っ先に携帯を開き、村の役所のホームページにアクセスした。

 文哉の住んでいるこの村はまさにド田舎であり、山に囲まれた盆地に古い家と田んぼが並んでいる。

 村民の数は千人にも満たない小さな村で、役所のホームページといっても全くお堅いものではなかった。田中さんの家ででっかい芋が掘れただの、山田さんの家でヤギが生まれただの、近所の噂話にもならないようなネタが満載だ。

 そして「怪情報」と書かれたアイコンをクリックする。

 ここで情報を仕入れ人知れず秋菜と共に除霊する。それが文哉のやり方だった。ちなみに、情報があっても困っている人がいないようなら放っておくことにしている。なぜだかこの村は昔からそんな話が多い地域なので全て相手にしていたら身が持たないのだ。

 新しいものはなかった。

 安心したような、少し物足りないような気持ちになる。

 もちろん何事もなく平和なのはいいことだ。だが、文哉は除霊すること自体は嫌いではなかった。


 携帯をしまうと、代わりに弁当を取り出して開く。

 周りではあちこちでクラスメートが輪を作る。

 一学年に一クラス。一クラスに二十人。村の外の高校に通う為に村を出た級友なら何人かいたが、その逆はいない。なので誰もが幼いころからの顔なじみではあるが、秋菜の手前、文哉はある程度の距離を置くことを心がけていた。


 ふと窓際を見ると秋菜がいた。ぼんやりと手すりに持たれるような格好で窓の外を見ている。秋菜はだいたいいつもあんな感じだ。なにかをぼんやり見ているのが好きらしい。

 外には山と畑に農家ばっかり。大きい建物もなければ、大きい車も通らない。そんな面白い景色でも無いだろうに。

 それにしても、今日はよく晴れていた。

 陽光が秋菜の赤毛に当たって散っている。目を細める横顔は猫のような表情をしていた。

 ――不覚にも見とれてしまっている自分に気づき、文哉は慌てて目をそらした。

 周りで男子がはしゃぐ声がする。当然それは自分とも秋菜とも関係の無い話題だ。

 昔と違い、秋菜の容姿に惹かれて話しかける男子はいなくなった。

 六年前に秋菜に降りかかった事故は、確実に秋菜と他の人間の間に目には見えない溝を残している。

 物憂げな想いを抱いていると、秋菜がちらりとこちらを見てきた。

「今日は?」秋菜の目が問いかける。

 除霊のことだ。

 文哉がゆっくり首を振ると、表情をわずかにも変えずにこくりと頷き、また窓の外を見た。退屈そうなやつだ。

 ……平和なのはいいことだよな。



 学校が終わり、自転車に乗って家に帰る。

 冬になり干上がった田んぼを横目に見ながら、冷たい風に首を縮めた。

 家までは自転車で十分とかからない。しかし、その間にもいくつかの霊体を目撃した。

 どれも顔をしかめるような存在はないが。木陰でネズミの霊が走り回っていたり、屋根の上に猫の霊がふよふよと浮かんでいたり、タヌキの霊は木のぼり、日向ぼっこといった具合だ。

 霊と一言で言っても、その姿は多種多様だった。

 スプラッタ映画で主演をはれそうなヤツもいるし、可愛くてなごんでしまうようなヤツもいる。姿だけじゃない。浮かんでいるヤツもいれば歩きまわっているヤツもいる。

 アスファルト。あぜ道。砂利道。田んぼの脇を縫うように走ると、敷地ばかりが広い文哉の家が見えてきた。


「ただいまー」

 玄関の引き戸を開けて声を掛けるが返事はない。

 あ、両親は今日から温泉旅行に行っていたんだっけ。すっかり忘れていた。

 リビングを通り抜けて、奥座敷に位置する自室へ向かう。

 あー、と疲れた声を出しながら襖を開けて右手にあるベッドにバッグを投げた。着替えようかとブレザーのボタンの手をかけたところで、その存在に気がつく。


 悲鳴をあげる。部屋から飛びでる。襖を閉める。携帯を開き、村のホームページを開く。

 この間約三秒。

『助けてください! 助けてくだ机の上からこっちを見て睨まれて。やばかったで黒髪着物で血痕びっちりのおとなの女せ』

 錯乱しながらそこまで文章を作って、意味がないことに気がつき削除した。

 その日、文哉は自室に戻ること無く、リビングで孤独な長い夜を過ごしたのだった。



「なんなの? 今日一日ずっとじろじろ見てたでしょ。あたしの顔に何か憑いてる?」

 夕焼けが鋭く差し込む教室の中。

 クラスメート達があらかた出て行った後、文哉はずかずかと秋菜に詰め寄られた。自分から頼むのも癪で、先延ばしにしていたところだ。正直助かった。

「あの……ちょっとお願いが……」

「って、あんたの方がよっぽどなんか憑いてそうな顔してんね」

 秋菜がすぐ近くの机の上に座る。椅子ではない。

「また、ちょっとある場所で幽霊が出てて困っててさ」

「何よ、改まって。いつものことじゃん。ああ! そう、やっとあたしの存在の偉大さに気付いたってこと?」

 秋菜が得意げに長い赤毛をさらりと払う。口元で八重歯がキラリと光った。

「……やっぱりいい」

 いやな予感がした。

「え。ちょっと、何! 言いかけといてなんかずるい!」

「いや、ほんといい」

 今日も昨日と同じように自室にいるとは限らないし。

「言ってよ! 気になっちゃうじゃん!」

 大きな瞳をいっぱいに開いて詰め寄って来る。少しどぎまぎしながらも冷静を装って素直に答えた。

「――幽霊が出るのが、おれの部屋なんだ」

 少しの沈黙があった。目を細めた秋菜が、しみじみと深い息を吐く。

「このどすけべ」

「どすけべ……? どういう思考してたらそうなんだよ!」

 文哉はがたんと立ち上がり椅子を跳ね飛ばす。

「ふ、それをあたしの口から言わせようだなんて……きちく!」

「あのなッ! 秋菜なんか連れこんだってどうにもならんわ!」

 思わず怒鳴ってしまった。秋菜の目が怯んだ様な色を帯びる。良く見れば、じわりと涙を溜めていた。

「え……冗談、なのに……。ひどいよ……!」

「わ、わるい……」

 まずい。ちょっと言い過ぎた。

「うう……変態がいぢめる」

 もっと言えばよかった。

 その後、秋菜にずいぶん嫌そうな顔をされたがなんとか約束を取り付けた。



 帰宅して自室に入るなり、文哉は肩を落とした。

『そこに居てほしくない者』が、予想通りにそこに居たからだ。

 はあ、なんか気にいられちゃったのかなあ。せめて少し片付けをしたいのだが……。

 ぎろり。

 血のこびりついた髪を振り乱してこちらを見て来る。負けちゃダメだ。おれの部屋だ。しかもこの後秋菜が来るんだ。文哉は悲鳴を押し殺して、前に進もうとするが結局諦めた。怖すぎる。

 まあいいか。秋菜だって子供のままじゃないんだろうし、部屋のものを漁ってあれこれとからかってきたりしないだろう。しない……はずだ。



 隣の部屋には幽霊がいる。

 リビングで一人テレビを見ているが、文哉はどうにも落ち着かなかった。天気予報に意識を集中する。

 丁寧な挨拶で画面が暗転すると、CMになり、やがて仰々しい音楽と共にバラエティが始まった。待ちに待った、約束の七時だ。


 しかし、玄関のチャイムは鳴らず、秋菜は来なかった。また遅刻か。あるいはおれの家忘れたんだろうか。子供の頃は何度かうちで遊んでたんだが。くそ、あいつが携帯持ってれば便利なのに。

 そこまで考えて、文哉はある可能性に思いあたり、慌てて家を飛び出した。

 二人の間には暗黙の了解があった。除霊の時は夜の七時に中央の公園で。

 自転車で五分。昨日と同じ公園に着くと、秋菜がきょろきょろと周りを見回しながら立っていた。その傍にはソフトボールぐらいの人魂が白い尾を引いて秋菜の周りを飛んでいる。

 人魂が秋菜の後頭部を小突く。秋菜の振り返りざまの回し蹴りが空を切った。スカートが薄闇の中で翻る。

 回り込んだ人魂が、今度は大胆にも秋菜の貧相な胸にすり寄っていった。

「ぎゃうッ」

 可愛らしくない悲鳴を短く上げて、秋菜が後ろに飛びのく。

 そのまま怒りに目を血走らせて、両の拳でひたすら突きまくっている。赤い長髪が暗闇の中で踊った。ちなみに人魂はとっくに秋菜の短いリーチから逃れている。

 ふ。

 その様子を見て、文哉の口元に笑みが漏れる。

 瞬間、秋菜の血走った目が初めて文哉を捉えた。

「どこ?」

 有無を言わさない迫力がある。

「二時の方向。三メートル弱です」

 すぐに青白い光が上がり、秋菜が小さくガッツポーズする。

「文哉……遅い」

「おれの家知ってるだろ。真っ直ぐ来るかと思って待ってたんだ」

「あのね。これはあくまで除霊。仕事であんたんち行くんだから。いつもの場所で待ち合わせんのは当然でしょ。遊びに行くわけじゃないんだから」

 うむ。実に可愛くない。

「はいはい」と生返事をして、一緒に文哉の家に向かった。



「あ、親いないから適当に上がって」

 文哉が玄関の引き戸を開けると、秋菜が「信じられない!」という表情でこちらを見てきた。

「きちく!」

「うるさい貧乳!」

 投げやりに言い放って奥に進んだ。

 恐る恐る、部屋の襖を開ける。一筋の冷たい汗が文哉の頬を伝った。

『そこにいてほしくなかった者』が、本当にそこにいなかったからだ。

「何年振りだっけね。お。昔と違ってけっこう片付いてんじゃん。で、どの辺?」

 秋菜の静かな声色が妙に恐ろしく感じられる。

 文哉は無言でベッドのある部屋の隅を指さした。

 掛け布団を踏まないように畳んで、秋菜がベッドの上に立つ。

 そのまま先ほどと同じように拳を打ちまくる。ひゅんひゅんといつも以上の技の冴えを見せる。ギシギシと気まずい音が足元のベッドから鳴った。

「あれ。いないよ」

「……いないな」

 沈黙。

 めええ。めええ。

 周囲の雑音が妙にはっきり聞こえていた。

 ご近所の山田さんちの子ヤギは今日も元気だ。高い鳴き声は子供の泣く声にもよく似ている。

 めええ。めええ。らめええ。らめええ!

 子ヤギ、元気すぎんぞ。

 秋菜が自身の身体を弱弱しくかき抱いた。ゆっくりと文哉に背を向ける。

「だ、騙された……」

「いや、待て待て待て待て!」

「あたしの初めて……」

「取らねぇよ!?」

 こいつ、どこまで冗談なのかわからない。

「帰っていいの?」

 けろりとした顔で聞いてきた。

「え!? ああ、そりゃ。いないんじゃどうしようもないし……。もちろん本気で変なことしようとしたわけじゃないし。な」

「じゃ、おじゃましましたー」

 滑るような速さで部屋から出て行った。

 はあ。全く、どうしてこうなるのか。

 秋菜の背中を見送り、ため息交じりに部屋を見回す。見慣れた光景に生首が一つ。

 ヤツが壁の中から首だけ出してケタケタ笑っていた。

「あきなああぁッ!! カンバーーック!!」

 叫びながら玄関まで駆け寄ると、秋菜がちょうど外に出ようとしていたところだった。

「何よ恥ずかしい声出して。ご近所さんに聞かれたら速攻で警察にチクられるよ」

「おれのご近所の評判はそこまで悪くないと思う……てか出たの。とにかくお願い。怖い」

 やれやれ。と言った表情で部屋に戻る秋菜。

 その後ろから恐る恐る自室を覗いた文哉が見たものは――。

 静まり返った、普段通りの自室だった。

「悪霊や……正真正銘の悪霊や」

「その悪霊はどこ?」

「……」

「……帰っていい?」

「……やだ」



 ちくたくちくたく……。

 時計の音だけが静かに響く。

「あの、秋菜さん……?」

「誰が正座崩していいって言ったっけ?」

「……ごめんなさい」

 時計の針はすでに夜の九時を回っている。一時間も正座しっぱなしの文哉の足は、じんじんと痛んでいた。肝心の幽霊はいまだに現れず、文哉は部屋を片付けなかったことを死ぬほど後悔していた。

 秋菜が苛立ちながら部屋を歩き回る。

 正座している文哉の膝の先には、真っ赤な便箋が置かれていた。

 秋菜がそれを忌々しげに睨みつける。実に悲しいことだ。愛はどこにいったんだろうか。

「捨てたって言ったよね?」

「はい」

 こんなに怒ることだろうか。まあ、嘘をついたのは悪かったけどさ。

「あたし、百回ぐらい確認したよね」

「はい」

 そりゃもう、当時はしつこかったです。

「どういうこと?」

「百回ぐらい嘘つきました」とか言ったら秋菜はもっと怒るんだろう。

 このまま謝り続けてもあまりよろしくない。ここは男らしく、言いたいことを言わせてもらおう。

「秋菜……。すまない。それは捨てられなかった! 秋菜には、ただの黒歴史かもしれないけどな! おれにとっちゃ世界でたった一通の大事なラブレターなんだッ!」

 沈黙。

 めええ。めええ。きめええ。

 黙れ子ヤギ。絶対声帯イカれてるだろ。

「どういう意味?」

 細めた瞳から冷ややかな視線を浴びせられた。ちょっとは照れたりできないの。なんなのこいつ。

「言った通りだよ……おれはラブレターなんてもらったことねえから! オレ宛てのラブレターなんてそれ一通しかねえから。だから――」

 目をぎゅっと閉じて、一息に言った。

「だから、誰かからもう一通ラブレターをもらうまでは、その手紙は大事にさせてくれ! おれにモテキが到来してキャッキャウフフなことになったら、それは山田さんちのヤギの餌にしてかまわねえからぁ!」

 めええ。めええ。うめええ!

 うん、速攻で獣医さんとこに連れて行くべきだ。

「フフフ……フフ。あんたにモテキなんか一生来るもんか。今すぐ。私の目の前で、破って捨てなさい」

「うう……いやだ」

「破れ。捨てろ」

 こめかみに血管を浮かべた秋菜の背後にどす黒いオーラが見えた気がした。

 仕方なく、びりびりと音を立てて青春を破り捨てた。

 ゴミ箱に捨てることができたのが不幸中の幸いだ。

 危なかった。ヤギに食われたら終わりだが、あれならセロテープで復元できる。

 その様子を見てもまだ、秋菜の周辺の空気は怒気をはらんだままだった。

 どうしようもなく溜息をつきながら横に顔を向けると。

 血みどろの女性とゼロ距離で目があった。

「うああああああああきななっ!」

 こちらの目線と態度で察したのだろう。かつてない速度の右ストレートが文哉の目の前をかすめた。女性の霊が輪郭を歪めて青白く散る。

「はい。終わりね。バイバイ」

「……どうも」


―◇―◆―◇―◆―〔三章〕―◇―◆―◇―◆―


 薄暗くなった校庭から運動部の声が響く。

 生徒があらかた出払ったところで、窓のところからぼんやりと外を見ていた秋菜に声をかけた。

「秋菜さん、ちょっとお願いが」

「なに? 罵って欲しいの?」

「んな趣味ねぇよ」

「じゃ、やだ」

「また除霊を」

「なんだ。村の人の為なら――」

「実はまたおれの部屋に――」

「ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい」

 早い。

「お願いします」

「やだ。嘘つきはキライだもん」


 例の日――。

 子ヤギの声帯を心配したり、秋菜に説教を食らったりした日から一週間が過ぎた。

 平穏を取り戻した自室はといえば、昨日の夜にはまた違う霊がやってきていた。

 しかも今回は老婆と青年。二人同時だ。

 これまでの経験から、文哉は幽霊には幽霊が見えないことを知っていた。

 要は幽霊とは本来、誰からも認識されない存在なのだ。

 二人同時に来たが、知り合いというわけでもないのだろう。

 あまり考えたくないが、偶然と考えるともう心霊スポットとして全国紙に載せても恥ずかしくないレベルだと思う。

 秋菜が頼りにならない今、どうしようか――。



 古めかしい鳥居をくぐると、たくさんの大きな木に囲まれた本堂が見えた。

「あのー」

 境内で落ち葉を掃いている住職に声を掛ける。

「おや……こんにちは」

「こ、こんにちは」

 優しそうな人で安心した。

 文哉の住む村から電車で七個目の駅。片道八百円の距離を移動してきたので、追い返されたらどうしようかと思っていた。バイトもしていない文哉の小遣いの額はそれほど多くない。

 パソコンで調べただけだが、心霊相談に関してはかなり頼りになる――らしい。

 ネットの情報などあまり当てにならないが、秋菜がすねているので、藁にもすがる思いで足を運んできたわけだった。

「実は、心霊関係のことで相談が」

「おや、これはこれは……。どうぞ、こちらへ」

 住職についていくと、寺の裏手にある茶室のような場所に通された。

 畳の部屋にはお線香の匂いが仄かに漂っている。

 自分一人の為にここまでされると少し申し訳ないような気分になった。正座で向かい合うと、なんだか緊張してしまう。


 にっこりとほほ笑んで、

「さて、心霊関係のことで相談と……」

「はい、実は――」

「バカじゃないですか」

「……は?」

「幽霊が……いたんですか?」

 半笑いで確認してきやがった。

 なんだ。このクソじじい。

 瞬間的に、文哉は腹が煮えたぎるような怒りを覚えた。

 今すぐ三途の川を渡らせて霊の存在を確認させたいところだ。鈍器くれ鈍器。

「帰ります」と言い素早く立ち上がる。

「……待ちなさい」

「いや帰ります」

 足を出口に進める。

「失礼。からかいに来たのか試しただけです」

 なに?

 文哉の足が止まった。

「最近はこの寺もなんだか有名になってしまったようで……。心霊相談と言いながらからかいに来る輩がいるので……」

「はあ」

「先日も、祖父が亡くなったというので若者の話を親身に聞いていたのですがね。話が佳境に入ったところで『祖父はまだ死んでいない。それがわからないのはインチキだ』と、こう言い出すんです。私からすれば、そんなこと超能力者じゃあるまいし、わかりませんよ。とまあ、こんなことがあったばかりなので……。それで、どうしたのです?」

 ふむ。インチキかどうかはまだわからない。だが、往復千六百円を思い出し、信じてみようかという気分になった。

 文哉は座り直すと、簡単に説明した。

 昔から自分に霊視の力があること。自室に最近よく幽霊が出ること。

 そこまで話して、除霊や秋菜のことまで話そうか迷っていると、住職が話しだした。

「へえ。山古賀村ですか。あそこはその手のお話が多いですからねえ。最近はあまり頼まれなくなりましたが、数年前まではよくお祓いを頼まれたものですよ」

 どうやら文哉達は無意識に仕事を代行していたらしい。

「とりあえず、当面の部屋の件ならばお札でも貼っておけば大丈夫でしょう。シンプルですが、効果的ですよ」

「本当ですか!」

 めんどうくさい話にならないで良かったと、文哉は胸を撫で下ろす。

「ですが、問題はあなたの力の方ですね」

「はあ」

「そもそも、霊的な力を持つものがどうして霊を呼び寄せるか、わかります?」

「寂しいから?」と、よく言われているが。

「どうして寂しいのか、わかります?」

 少し自信はなかったが、経験上の自分の意見を言うことにした。

「認識されない存在だから……?」

「その通り、とは私も幽霊ではないのでなかなか断言できませんが、私もそう考えています。何かしらの未練があってこの世に残る。しかし、誰も自分には気づいてくれない。恐らくそれは、同じ幽霊同士でもそうなんでしょう。もし違うのならば、もっと明るい幽霊がいてもおかしくないでしょうし。友達同士の幽霊なんていたら、きっと楽しいことでしょうしね」

 よく喋る人だ。だが否定されなかったことは少し嬉しい。

「だから、気づいてくれる人に近づいていくと……」

「ええ。とにかく、払った方がいいでしょう。まれに危ない霊もいますし。得なことなんて何もないですからね」

「払う?」

「ええ、力を」

「できるんですか?」

「できます」


―◇―◆―◇―◆―〔四章〕―◇―◆―◇―◆―


 八年前――。


「えー、今日は転入生が来るんだが……。ちょっと遅れているみたいでな。とりあえず授業の方進めていくぞー」

 山古賀小学校。三年二組の担任はそう言うといつも通りに算数の授業を開始した。

「はーい」

 元気な返事の中には、幼い文哉の声も交じっている。

 みんなで声を合わせて九九を復唱していく。すでにほとんどの生徒が覚えているので、みんなの声は元気が良かった。その合間に、その声は聞こえてきた。

「やだ! 入りたくない! おなか痛い! 風邪ひいた! しんじゃう! ほけんしつー!」

 健康的に仮病を訴える赤毛の少女。

 母親と思われる女性と教頭先生に強引に教室に放りこまれると、ぴしゃんと勢いよく扉が閉まった。

 三年二組の一同が言葉を失っている中で、担任が恐る恐る声をかける。

「あー、三枝秋菜ちゃん?」

「ぐすん……あたしがもし『よめいさんかげつ』だったらどうしてくれるんだ。あたしは『ぎむきょういく』に殺された……」

「……自己紹介しようか」

「始めまして三枝秋菜です。最近の悩みはセクハラです。終わります。拍手」

 ぱち……ぱち、ぱち。

 図々しい転入生に控えめな拍手が送られる。

 おかしなやつが来た。誰もがそう思っただろう。それは文哉も同感だったが、それよりも気になることがあった。

 幽霊だ。

 教室に放りこまれてからずっと、秋菜の後ろには小さな男の子の幽霊がついていっていた。つきまとわれてるんだろう。それ自体はそこまで珍しいことじゃなかったが。

 しかし、あれ――。

 触れている。

 近くの人間にぶつかっても普通にすり抜ける癖に、彼女にだけは明らかに接触している。

 彼女は彼女で、その度に驚くような表情で周りを見回していた。


 文哉はこの頃からすでに自分の力のことを周囲にあれこれと言うようなことはしなかった。それはどうせ信じてもらえないからということもあったが、単純に目立つのが嫌いだったのだ。

 村には珍しい転入生だったが、彼女の行動はさらに珍しかった。唐突に近くのクラスメートに怒りだしたりすることがたびたびあったのだ。常にきょろきょろと血走った眼で周囲を牽制する様子もどこか近寄り難いものを感じさせる。

 文哉にその原因はわかっていたが、秋菜のように活発な女子は文哉の苦手なタイプだったので放っておいた。


 結果――。

 秋菜は一週間もしないうちに見事に孤立していた。

 彼女の気の強さが功を奏してか、それがいじめに発展することがなかったが。

 孤立した秋菜の眼光は、獲物を探す飢狼のごとく日に日に鋭さを増していった。



「あんた今あたしのお尻触ったでしょ!」

 秋菜の転入から三カ月ほどが経ったある日。教室から出ようとした文哉に向かって秋菜が怒鳴った。

 帰りの会が終わっていたものの教室にはまだ半数ほどの生徒が残っている。

 文哉の目には例の子供の霊が映っていた。ちょろちょろと秋菜の周りを動き回っている。

「いや、おれは――」

 文哉が適当に言い逃れをしようとした時。隣で別の怒声が響いた。

「いい加減にしろよ! 勘違い女!」

 仲の良いクラスメートがかばってくれたのだ。

「自意識過剰!」「バカ女!」

 その声にまだ教室に残っていた男子の声が重なった。女子でさえ、秋菜の味方をする人はいなかった。

 文哉は冤罪が晴れたことに安堵しながらも、一人で瞳を震わせる秋菜を見て、初めて罪悪感のようなものを覚えた。

 秋菜は無言でランドセルを背負うと、罵声の中をすたすたと帰って行った。

「な、誰も信じねえから気にすんなよ」

 かばってくれたクラスメートが文哉の肩を叩いた。

「ああ、ありがとな」

 文哉はぼんやりと違うことを考えながら返事をした。


 小学校の帰り道。文哉の家に向かう途中に、柳の木が四本生えた公園がある。

 後味の悪さを引きずりながら公園の横に差しかかると、女子が一人でベンチに座っているのが見えた。赤い長髪が赤いランドセルを覆い隠している。後姿だけでわかる。秋菜だ。いつもの霊体もくっついていた。少し躊躇したが、思い切って足を向ける。

「だ、大丈夫?」

 文哉は人に話しかけることが少なかった。まして、女子となればなおさら。

 細身の肩がぴくんと反応した。横目で素早く文哉を確認する。一瞬、瞳が少し濡れているようにも見えた。秋菜が小さく頷く。気まずい沈黙が流れる。

 自分はここにいていいんだろうか――。

 どきどきと、鼓動が妙にうるさかった。

 目の前でにやにや笑う青白い小さな子供。くそ、こいつのせいで――。

「ねえ、手を貸して」

 秋菜はきょとんと文哉を見た。文哉は秋菜の小さな手を掴むと、その横に座っている霊体の頭に押し付ける。説明するよりこの方が早いと思ったのだ。

「きゃっ」

 秋菜がその空間を見つめて驚いた。

 文哉の手の中で、秋菜の小さな手が震える。

「何……これ」

 動揺している秋菜を落ち着かせようと、文哉は努めてゆっくり声を出した。

「幽霊……だと思う」

「見えるの?」

 はっとした表情で見つめてきた。

「キミみたいに触れないけどね」

「あー……」

 納得したように、秋菜はおよそ子供らしくない深い重い溜息を吐いた。そして、糸が切れたように、子供らしくわあわあと泣きだした。

 もっと早く教えてあげれば良かった。

 人目を憚らずに響いた泣き声が、秋菜の胸に突っかかっていた悩みの重さを文哉に伝えていた。

 思い返せば、文哉が秋菜の手を握ったのはこれが最初で最後だったように思う。



 それからの二年間――。

 秋菜はずいぶんと周囲になじむことができた。文哉にとっても楽しい日々だった。

 秋菜の力が除霊に使えるとわかってから、幽霊も怖くなくなった。

 月日が流れ、高学年になるころには文哉の周囲でそれなりに色恋沙汰の話も出るようになる。今にして思えばごっこ遊びのようなものだが、当時の周りの同級生たちは真剣だったように思う。秋菜の整った容姿は周囲の男子を真剣にさせたし、当の秋菜はもっと真剣だった。当時は全くその手の話に関心がなかった、文哉に。


 ある冬の日、帰りの会が終わり、文哉が机の中身をランドセルに入れようと教科書をまとめて引っこ抜いた時。はらりと足元に可愛らしい便箋が落ちた。真っ赤なハートのシールで封がしてある。

 残念ながら、当時の文哉にはそれがなんなのか、全くピンとこなかった。致命的なほど。

「おい文哉、なんか落ちたぞ」

 後ろの席の男子に声をかけられる。

「おれのじゃないぞ」

「でもおまえの机から落ちたぞ。あ、これもしかしてラブレターじゃねえのー?」

「ばッ! なわけねえだろ!」

「え、なになに」「文哉に?」「マジでー」

 ざわざわ。がやがや。ざわざわ。がやがや。おいやめろ。

 気がつくと、エンジ色のパーカーを着た赤髪の少女が周囲の人間をふっ飛ばしながら文哉に近づいてきた。秋菜だ。

 みんなの注目の的になっている便箋をひったくると、そのまま教室を飛び出した。

 乱暴に扉を閉める大きな音が教室中に響いた頃、やっと文哉は状況を把握することができた。


 ランドセルも持たず、文哉はすぐに駆けだした。

 階段を一息に駆け下りて、下駄箱で靴をつっかけて、秋菜の赤色に目立つ背中を追いかけた。

 道に出て、一つ目の交差点で文哉は止まった。


 赤い歩行者信号。

 フロントに赤の散ったトラック。

 ひび割れたアスファルトに放射状に広がる赤い髪。

 一際真っ赤な血が、鋭角に散らばる髪の隙間を埋めていく。

 立ち尽くす文哉の前で、落ちていた便箋に血だまりが届いた。

 呆然としながら、文哉はそれを拾った。

 便箋の角から、ぽたぽたと秋菜の血が垂れていた。


 もう六年も前のことだ――。


―◇―◆―◇―◆―〔五章〕―◇―◆―◇―◆―


 結局詳しい話は聞かずに「考えさせてください」とだけ言って寺を後にした。

 電車から降り、自転車で自宅へ帰る途中だった。すでにとっぷりと日が暮れているので、寂しい田舎道では自転車の小さなライトだけが頼りだ。

 小道の脇に見える、いつもの公園の外灯。丸く切り取られた光の隅に、ベンチが少しだけ掛っている。

 秋菜がぼんやりと座っていた。

 子供の頃を思い出させるような、少し寂しげな背中だった。

「秋菜こんな真っ暗なとこで何してんだ」

「見ての通り。ぼんやり……」

「おまえが協力してくれないから、わざわざ遠くまで行ってきたぜ」

「ふうん……」

 そう言ったまま、秋菜は空に目を細めて黙り込んだ。少しは機嫌が直ったんだろうか。

 文哉も秋菜の横に腰掛けて、同じように遠くの空を見た。

 月に照らされた雲がまだらに流れている。周囲は静かなものだけど、上空は風が強いのかな。

「いつからだっけ?」

 文哉はすでにわかっていることを尋ねた。話をする為に。

「何が?」

 秋菜が聞き返す。顔を真っ直ぐ夜空に向けたままで。

「二人で村の除霊を始めたの」

「四年前ぐらいでしょ」

 秋菜が淡々と答える。いつも通りのくっきりと済んだ声色だった。

「毎週のようにやってたから――けっこうやったな」

「ま、実質全部あたしだけどね」

 やっと秋菜が少し笑った。少しだけ意地悪したくなる。

「ほんとになぁ……」

 乗ってやらない。

「どうしたの?」と秋菜が不安げにこちらを見やった。

「寺の住職がさ――」

 秋菜は文哉の話をただ黙って聞いていた。

 なんとなく、文哉は秋菜の様子がいつもと違うと感じていた。

 話しながら思う。

 こいつとこんなに落ち着いて話すのはいつ以来だろう、と。

 もしかしたら、それは先に秋菜の方が気づいてくれていたからかもしれない。こっちの様子が違うことに。

「――ってさ。力があると危ないって脅してくるんだよ。ま、大丈夫だよな。秋菜がいれば。どんな悪霊でも」

 軽く笑って秋菜の方を見たが、目が合うことはなかった。

「だめだよ……だって、きっと本当に危ないんだよ」

「でも、霊視できなくなるんだぞ。そしたら、もう――」

「文哉、いつも言ってたじゃん。幽霊怖いって。普通の方が良かったって」

「そりゃそうだけど」

「だったらそんな力無い方がいいじゃん」

「なんで」

「……」

「秋菜は……平気なんだ」

「あたしは……バカの心配してやってるだけよ」

 人の気も知らないで、妙にはっきりと言いやがった。

 秋菜の明瞭な声が、少しだけ恨めしかった。


―◇―◆―◇―◆―〔六章〕―◇―◆―◇―◆―


 広い本堂に線香の匂いが立ちこめる。

 奥に大きめの仏像。手前には笑顔の住職が袈裟を着て立っていた。

「では、さくっと終わらせちゃいましょうか」

 気軽にそんなことを言ってくる。悪気はないのだろうが、散々悩んだこちらとしては複雑な気分だ。

 背後を振り向くと、明るい日差しの下でころころと動物霊が一匹走り回っていた。

 可愛いな。

 悪いことばかりじゃあなかった。

「あの、どうすればいいんですか?」

「なに、難しいことはしません。一種の思念が取りついているような状態ですから。こちらのいつもの除霊法でなんとかします」

 そういうと、数珠をじゃらじゃらと構え、そのまま読経を始めてしまった。

「あの!」

 文哉はたまらず声を上げた。

「ん?」

 住職も驚いたように読経をやめる。

「もう、霊的なものは見えなくなるんですよね……」

「ええ、もちろんその為にしているのですが」

 不思議な顔をされた。それはそうか。こちらからお願いしてるのだから。

「何か、一時的に力を復活させたりそういうことはできないですか?」

「できませんし、できたとしてもやめた方がいいでしょう。あなたの身に危険を感じているからやっているんですよ」

 呆れられてしまった。


 こちらが黙ると、また読経が始まる。

 文哉ももう口を挟むことはしなかった。

 ただ、なんとなくこの力で経験したことをぼんやりと思い出していた。

 子供の頃は本当に心細い思いをすることが多かった。怖さと悲しさ以外の感情を自分の力に感じなかった。

 初めてこの力があってよかったと思ったのはいつだったか。

 はっきりと覚えている。秋菜と話した時だ。同じような不安を抱えた少女の力になれた時だ。

 それからはあまり力のことで悩まなかったかもしれない。

 だいたい、いつも傍に秋菜がいたのだ。

 ケンカばかりしていたが、本当に頼りになるやつだった。

 そういえば、あの時の返事まだ書いてないな。

 今まで世話になった礼に――。


 ズゴシ!


 しみじみと思い出に浸っていた文哉の右肩に衝撃が走った。目を閉じていて気付かなかったが、いつの間にか住職が背後に周っていた。どうも平手で思いっきり張られたらしい。

「あの……」

 ズゴシ!

 いてえ!

「何してんですか!?」

「え、気を込めて体を強く叩く除霊法はけっこう一般的ですよ」

 あ、そう言われてみると。聞いたことがあるようなないような。

 ズゴシ!

 ああ、そう考えると秋菜の除霊法もそこまで変じゃ……。

 ズゴシ! ズゴシ!

 やっぱいてえ!

 

 

 霊が完全に見えなくなってから三日が過ぎた。まだ背中がじんじんする。

 文哉は一通の手紙を持つと、家を出た。

 紺色に染まった空を見ながら目的地目指して自転車をこぐ。

 途中、山田さんの家のトラックが向こうからやってきた。

 この辺はどこも狭い道ばかりなので、軽トラと自転車がすれ違うだけでめんどくさい。

 田んぼの淵まで自転車を寄せると、人好きのする笑顔で会釈をされた。荷台にはヤギが数匹こちらを見下ろしている。声帯のおかしな子ヤギはどいつだろうか。

 めええ。めええ。てめええ。

 こいつだ。運転席の山田さんにばれないように、軽く小石を投げてやった。


 柳の木に囲まれた公園が薄闇の中に見えてきた。

 いなくて当然――。

 実は手紙を持って夕暮れに公園に来るのは今日で三日目である。

 ベンチに座っている赤い髪が見えた時、嬉しさと一緒に少しの緊張を覚えた。

 八年前と同じように、少しどきどきしながら歩み寄る。

「あ、文哉」

 足音に気付いた秋菜がこっちを振り向いた。

「おう。なんか寂しそうだな」

「普通よ。一人で明るくしてたら変じゃない」

「確かに」

 なんとも場の空気に馴染みにくい。

 秋菜は気分屋の上にマイペース過ぎるのだ。だから友達いないんだ。

「あのさ――」

「座れば」

 意を決して切り出したのに、上から言葉を被せられてしまった。

 ああ、と小さく返事をして腰を下ろす。

 冬になり水をなくした田んぼはどこか寂しい。

「秋菜」

「何?」

「これ、返事」

「なんの?」

「…………」

 秋菜は不思議そうに文哉の差し出した手紙を見つめていた。

「八年前の――」

「はあ!? なによあんた今さら――え、ちょ、バカじゃないの!?」

 飛びのいてぶんぶん頭を振り始めた。

 なぜか秋菜も恥ずかしそうだが、こちらも十分恥ずかしい。

「あ、だよな。やっぱいらないよな」

「まて! とりあえず読んでやるわよ」

 恐ろしく機敏な動きで手元から手紙をひったくられた。

 寄り目がちになりながら、開いた手紙をむさぼるように読み始める。

 沈黙。

 どうにも居心地が悪い。

 黙って読んでいた秋菜だったが、しばらくするとくしゃっと握りつぶし、スカートのポケットにねじりこんだ。

 げ、ひでー。

「……バカにしてる?」

「してねえよ! 人がありのまま、正直な気持ちを……」

 秋菜はいきなり公園の出口に向かって駆け出した。反動でポケットから手紙がこぼれ落ちる。

 ぽつんと取り残される文哉。

 一体何をあんなに怒っているのか。溜息を吐きながら、落ちた手紙を拾って読み返してみる。

『こんにちは』


 うん、ちゃんと礼儀正しく挨拶も書いてあるじゃないか。


『六年前の返事を書くよ。あの頃はうとかったけれど、今にして思えばおれも秋菜のことが好きだったんじゃないかと思う。素直に書くと、あの頃の秋菜は本当に素直でおとなしくで女の子らしくて、今とは別人のように可愛かったから。

 まあ、それも秋菜と初めて話をしてから、あの事故に会うまでの二年ぐらいだったけど』


 ちゃんと好きだったと書いてあるじゃないか。素直に喜んでいただきたい。


『でも、あの事故でなにかが変わってしまった。長期の入院から戻ってきたおまえはまるで転入してきたばかりのようにわがままに戻ってしまった。まあ、気持ちはわかるけど。きっとラブレターがばれたのが恥ずかしくて周囲の友人に素直になれなかったんだろう。性格の悪さは生まれつきだとしても、おれにも責任の一端があるようで、ボッチのおまえを見てるのは辛かった』


 うん、おれ優しい。


『中学になってから幽霊退治に誘ったのは、何もうちの近所に幽霊がしょっちゅう出るのが怖すぎたからってだけじゃないんだ。九割ぐらいはその理由だけど』


 うん、おれ正直。


『まあ、おれ自身楽しかった部分もあったから、力がなくなってしまったのは本当に残念だ。今後はあまり一緒に行動できなくなるんだなあと思うと、少し寂しい』


 う……。


『仕事仲間としての関係は終わってしまったが、今後は普通に友達として仲良くできればと思っている。普通に遊びに行ったりしたい。そんでもし昔みたいに素直になったら――』


 恥ずかしくなったので、ここで読むのやめた。

 顔を上げると、眉間にしわを寄せた秋菜が立っている。いつの間に戻ってきたのやら。

 ぜえぜえと肩で息をしていた。ぎゅっと唇を結んで「返せ!」と叫ぶとまた手紙をひったくって走っていった。

 ひゅうと冷たい風が吹いたので、文哉も帰ることにした。

 まあ、なるようになるだろう。


 振り向けば、柳の枝が今日も風で揺れていた。

 今までと同じように――。


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― 新着の感想 ―
[一言] こんばんは。今回も2つ連投です、すみません汗 この短期間に4つもあげてるので、返信は無理をせずお願いします。 小説の残りのページ数が少なくなってくると、一気に読み切りたくなりませんか? いま…
2015/09/28 00:22 退会済み
管理
[良い点]  「幽霊が見えるだけの主人公」「幽霊は見えないけど除霊できるヒロイン」というキャラの設定・組み合わせが面白い。 [気になる点]  序盤(体育館のシーン)、秋菜の能力が明らかにならないまま話…
2015/05/27 11:55 退会済み
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