エンドレス・ナイトメア
どもども、こんにちはです。メインのほうをほったらかして何を書いてるんでしょうか、僕は。ごめんなさいです。では、どうか、読んでやってください。
――逃げないと……。
――逃げないと奴に……ッ!
桐原賢二は半壊した国道を走っていた。緑色の野戦服に身を包み、肩からはアサルトライフルを下げている。腰には気休め用のサバイバルナイフ。左脇腹に酷い刺し傷があり、出血が激しい。十一月の冷気が賢二の体温を奪う。
部隊は壊滅的にやられ、生存者は見る限り自分ひとり。無線を落としてしまったため、救援も見込めない。走る脚がおぼつき始め、息が上がる。
彼が走る国道はもはや道路として機能を果たしておらず、脇からは雑草が生え放題になり、皹割れていた。やがて、ビルが見え始める。もちろん半壊しているが。
窓ガラスは映る限り割れていて、中には途中から崩壊しボロボロに崩れているのもあった。
賢二はちらりと後ろを振り返る。なにも見えない。振り切れたのか……? このまま逃げ切るか、ここでやり過ごすかしばし考える。
しかし遠雷にも似た咆哮が轟き、決断を下した。
――やり過ごそう。手負いで逃げ切れる相手ではない。
手短にあるビルでは見つかる可能性がある。なるべく奥へ隠れなければ。国道から外れると瓦礫の間を縫って手頃な場所を探す。……見つかった。
三階以上あるところだと奴らの気紛れで壊される可能性がある。最悪二階までだ。
ちょうど三階から先が崩されたビル。元々は高層だったのだろう。しかしいまは低くなってしまっている。賢二は小窓のついた部屋に入ると、そっと覗き込む。顔は出しすぎてはいけない。
少し時間が経つと、大地を砕き歩く音がしてきた。来た。それも近くまで。
まず最初に視覚したのは、腕だった。ぬめぬめと粘膜に守られ虚ろに光る。色は腐敗しきったようで黒ずんだ肌色。五指は残っており、不規則に動く。色は違えどそれは明らかに人の腕だった。
続いて視界にとうとう全貌が露になる。ぶよぶよに膨れた腹部、肥大しすぎて自重を支えきれずぐだんと垂れている。眼は頭から突き出ており、触覚のようにぐりんぐりんと当たりを見渡す。
見つかると錯覚し、思わず顔を引っ込めた。
心臓が短く拍動する。
早く過ぎ去ってくれ、と願いながら賢二はこうなった元凶を思い出していた。
二〇四八年、世界は滅びた。
大西洋に隕石が落下したのだ。衝突が起こした衝撃は辺りの海水を一気に蒸発させ、大津波を呼び、港町を半壊させた。しかし被害はそれだけに留まらず、地球に人類が栄華を築いて恐らく初めての大災害が訪れることとなった。隕石後から、謎の生命体――宗教的な意味で悪を司るモノから名をとり――『ディム』が出現したのだ。
奇怪な風貌は人々の恐怖心を煽り、体液は強度の酸性で触れるものすべてを溶かす。昆虫の進化系統のような外殻に、海にすむ軟体動物のような触手。あるいは、海鼠ように身体が固定化しておらずぐじゅぐじゅの液体。あるいは、蟷螂のような鋭利な鉤爪に蜂のような複眼。
まったくの未知の生物に地球は呑まれた。
国連が派遣した特殊部隊は作戦開始わずか二分で壊滅した。その他各国の部隊も決定的なダメージを与えることができないまま壊滅。
世界中にレッドコード発令。避難を余儀なくされた市民にはどうしようもない不安があった。
最終的に決められた戦術は核弾頭投下である。
紅蓮の炎が空を大地を海を燃やす。放射線が放出され汚染する。核弾頭は……大西洋に大きな爪痕を残した。
しかし、悲劇は終わっていなかったのだ。
核熱による攻撃は非常に有効だった。無数にも思われた個体数を一気に消し去った。しかし喜んだのも束の間、惨劇が地球を襲った。燃焼仕切らなかったディムが各大陸へ侵攻すると、自らの体を犠牲にして感染爆発を起こした。未知のウィルスがばらまかれ、バイオハザード警報が出された。
そして人はディムとなった。ウィルスに感染するとDNAが逆転写され細胞が生まれ変わる。死滅と再生を繰り返して新たな細胞へと変換され、怪物へと姿を変えるのだ。
だが、こんな悪夢的な状況になっても人類は結束しなかった。いつか元通りの生活ができるようになる、と国を操る上層部はディム排除後のことを考え、他国より有利になるための作戦を練った。
日本がとった作戦は、領海内にまで侵入したディムの完全排除であった。そのため、中学生からの男子は例外なく召集され作戦参加を強いられた。
しかしそれは難しくいまや領土の七割を蹂躙されている始末だった。
――怖い。
高校一年生の桐原賢二は隠れていた。
華の高校生だー! と浮かれていた自分がバカみたいだ。
自分は瓦礫に身を潜め、昔は人間だった怪物をやり過ごそうとしている。
奇怪な怪物――ディムは飛び出た触覚のような目玉をぐりんぐりんと回す。探している。自分を。
目の前の獲物が急に消えたのだ。隠れたと察するはずだ。なのにどうして手探りで探さないのか。たかが人間一匹。そこまでして探す必要ないのか。
――怖い。
見ているだけで吐き気が催し、喉の奥に苦い味がする。息が詰まりそうになり、思わずむせた。
と、恐怖が実態となった。
冷たい手で心臓を撫でられている感じ。
ゆっくり、本当にゆっくり小窓から外を窺う。
目と目玉が合った。
遠近なんてそれほどわからないのに、確かに合った。視線が絡まりあい、脚がすくんだ。
見つかった。怪物は身動きせずこちらをじっと見据える。確実にバレている。そう確信できる。
脳裏に電光が瞬いた。記憶が甦る。
賢二の所属した部隊は主に高校生がメインだった。そのため気が合う仲間が多く、ちょっとしたピクニック気分も感じていた。
だが、実際のディムを目の当たりにすると、腰が抜けた。そこを怪物は容赦するまでもなく踏み潰し、喰った。ほんの数分前まで話していた人たちが死んだ。隊列の組み方や銃の扱い方が頭からぶっ飛び立ち尽くすことしかできなかった。
嫌だ。
賢二はじりじりと窓から離れる。
息を吸いながら、脚に地からをこめる。乳酸が溜まっており、脇腹の傷も酷い。しかしここで逃げなければ、傷どころじゃすまない。殺される。
吐き出すと同時に走り出す。
その瞬間を見計らったようにディムを侵攻を始めた。
「ハァ、ハァ、ハァ」
アドレナリンが分泌され、痛みが少し和らぐ。だがあまり長くは走っていられない。早く撒かないとダメだッ!
瓦礫を飛び越えるようにして走る。後ろからは破壊音が轟きながら地響きが鳴り届く。
やがて、体力の限界が訪れた。
ばしゃんと情けなく地面に倒れる。ガラスの破片が頬に刺さり血が滲む。空は快晴だった。雲ひとつない。死ぬにはいいかもしれない。
地響きが強くなる。奴が来た。殺しに来た。
しかし賢二とてただで殺されまいとは思っていた。
――最後にこいつをぶちまけてやるッ!
彼の肩にはアサルトライフルが下げてある。こいつを残弾ひとつ残らず撃ち放つ。
滴る血が地面に毒々しい花を咲かせた。
奴はもう近くまで来ていた。
「グルォオオオオオオオオォ」
怪物が雄叫びを上げる。追い詰めたということか。
酷い腐敗臭。鼻が曲がりそうだ。
肥大した身体をぶるぶる震わせ歓喜を示す。
黒ずんだ腕が賢二を捉えた。下半身を持ち、口へと運ぶ。
――ここだッ!
安全装置は外してある。照準など必要ない。零距離だ。フルオートモードにもしてある。後はトリガーを引くだけ。 臭い息を吐く口へ銃口を向け、最後に死ねと念ずる。
指を引いた。
銃口炎が瞬き、銀色の空薬莢が何発も排出。くるくると宙を舞い、地に落ちる。軽い反動が肩から伝わり、一発一発ごとに銃身が跳ね上がる。リズミカルに撃ち跳ねる振動を賢二は味わっていた。
撃ち出される弾丸は寸法狂わず全弾命中した。
口の中をずたぼろに撃ち抜き、穴だらけにする。ディムは通常外からの攻撃をあまり受け付けない。固いのだ。皮膚が。しかし内部なら話しは別だ。柔らかし肉塊は弾丸や刃を楽々通す。だから対ディムでは、どうにかして口を開かせることが第一優先である。
動かなくなった怪物は、弾の勢いもあり後ろに倒れた。
賢二はライフルをかけ直す。
空はさっきと変わらぬ澄んだ色をしていた。
硝煙の臭いがつんと鼻にきた。
怪物を見て、しばし黙祷。元は人間なのだ。だかこれは所詮真似事。前同じ作戦に参加した戦友がしていたことだ。しかし真似でも良い。祈ることは悪いことではない。
この悪夢に終わりはあるのだろうか。常に死と隣り合わせに生きるこの時代。死ぬという行為に対して感覚が麻痺してくる。さっきも死ぬかもしれないのに、頭は冷静だった。生前のことを思い返すこともなく安全装置を外し、来る敵に備えていた。何度も作戦に参加しているからではないだろう。ときどき賢二は怖くなる。死ぬことに何も思わなくなったら、いったいそのときはどっちが怪物なのだろうか。
無理矢理思考を中断し、この場の空気をもう一度吸った。殺した感覚を忘れないために。
――あるいはそれは警鐘だったのかもしれない。
突如嫌な予感が胸を貫き、咄嗟に地面に伏せる。
その刹那、ヒュオンと風が切れる音がして、何かが空気を裂いた。
ゴロゴロと転がり、低めの塀に身を隠す。先程の音は何かと確認するとあまりの驚きに戦慄した。
爪だ。日との爪。肥大化していて、もはや鉈かと見間違うぐらい大きい。ディムだ。ここら奴らの地帯。何体いてもおかしくない。
賢二はマガジン――弾丸を収納しているカートリッジのこと――を変え、リロードを済ますと少しだけ頭を出すと敵を観察する。
今度の奴は腕が異様にでかかった。頭部は非常に小さく、下半身は人型を保っていない。タコのように触手が地を掴み身体を支えている。
――ん?
目を凝らす。…………触手ではない。そしてそれが何かわかったとき、賢二は地面にけつをつけていた。冷や汗がどんどん垂れる。背筋が寒くなったのは冬間近の風のせいか。
無数の脚だった。ムカデの如く生えた脚はじゃらじゃらと地を掻く。生理的に無理な光景だ。思わず嘔吐。朝食べたものが吐き出され、濁った黄色のゲル状に飛び散る。自分で出したゲロの臭いに頭がくらくらした。
気が滅入りそうだ。涅槃境が見えるのは気のせいだ。まだ死んでないはず。
もう一度、新手のディムを見据える。
奴は上体を後ろに仰け反らせていた。
何をしているのだろうか、と思う狭間、本能で危険を感じとる。塀から脱出し、前転で恐怖から逃げる。
転瞬、塀が溶けていた。コンクリにはべとべとと粘着性の強そうな液体がついていた。しゅーと音をたててボロボロに崩れていく。恐らく酸性。危険だ。
賢二は立ち上がると走り始める。次の隠れ場を探さなければ。しかし今度は都合良く見つからない。毎度毎度神様が護ってくれるわけではないのだ。
五十メートルぐらい走ると探すのを諦めた。
ディムに向き直る。奇怪な怪物はさっきの場所から一歩も動かずこちらを見ていた。気味が悪い。肩に銃器を構える。トリガーに指を置き、放つ。
楽器から音符が弾かれるように、テンポ良く弾丸が撃たれる。肩が振動を伝え、脚を踏ん張る。相変わらず、脇腹から違絶えず滴っていた。朱い血が草花を紅く染める。
ぶしゅ、という不快な音をたてて肉が穿たれる。
不意に肥大した腕の先端がキラリと光った。何だ、と注目するが即座に回避へと移行。零コンマ秒の後、凄まじい速度で爪が飛来。賢二の髪を数本奪った。
どうやら爪を撃ち出すのに時間はそれほどかからないらしい。光を反射するものを見つけたら、すぐさま逃げないと命はない。
次のマガジンを装填しながら賢二は走り、思考する。口を開かせるにはどうするか。答えはでている。餌を与えれば良いのだ。だがその答えにたどり着く過程が難しい。餌さとは囮となる人間だ。ここには桐原賢二しかいない。
リロードが完了した。弾丸は全装備されている。残るマガジンは後二つ。どうにかできそうだ。
しかしここで賢二に変化が訪れる。左足から力が抜けていく感覚がすると、がくんと膝をついてしまう。まずいと思い地面に突っ伏せると、直後爪が膝立ち姿勢のとき、頭の部分だった場所を通過していった。寒気がする。恐怖による死のイメージは熱度で表すと低いらしい。その寒さかと思ったが、もっと適切な理由にたどり着く。
自分の脇腹を見やる。最初のディムに刺された傷だ。薬指でぶすりと刺された。中々深く、血が今だに止まっていない。
血を、失いすぎた。
体温が急激に奪われていく。その気温も関係しているだろう。寒い。吐いた息が白くなる幻想が見える。まだそんな季節ではない。腕が、脚が、身体が微動する。震えが止まらない。くそっ。
移動を開始したのかじゃらじゃらと地を掻く音が聞こえる。死神がやって来ている。微動は大きくなり、激しくなる。怖い。寒い。嫌だ。
仰向けになる。何にも遮られていない日光が賢二の目を射る。綺麗だ、と思う。生と死の狭間。生きながら死に、死にながら生きている。
地を掻く音が近づいてきた。反撃する気力はない。
手には前弾装填されたアサルトライフル。トリガーに指はかけたままだ。兵士の最期だ。
兵士とは戦いに生き、戦いに死んでいく。それが兵士。
ずりずりと蛇のように這い、近づく音源から逃げる。効果はないだろう。射程圏内に入るとすぐさま穿たれるはずだ。狙われるのは恐らく頭。即死だ。嗚呼、くそっ……もう少し、もう少しでいいから……力を…………。
力無く腕を上に翳す。掌を広げ、何かを掴もうとする。
影が頭上を覆った。
奴が、来た。
幾千と生えた脚が見える。異常に太った腕が見える。終わりだ。
しかし賢二の腕にはライフルが握られたままだ。
戦意は、まだ灯ってる。
――喰われて…………たまっかよぉおおおおおおッ!
銃口を上げ目標を照準。
怪物の小さい頭部がカタカタ揺れた。嘲笑うかのように。爪が光る。
トリガーを絞る。銃口炎が瞬き、白光が迸る。
――が、どんなときにも悪魔は存在して。
吐き出されるはずの空薬莢が、上手く排出されず抜け道を塞ぎ、弾が詰まる。ジャムるという現象だ。いくら引き金を引いても新しい弾丸は放たれない。
刹那、飛ばされた爪がアサルトライフルの銃口から突き刺さり半分まで叩き割るとやっと停止。少し間が空くと、銃身は思い出したように真っ二つに縦に割れた。
武器が、壊された。
万事休す。本当の終わりだ。希望はない。未来もない。
桐原賢二という名のひとりの兵士は命の灯火をまもなく消す。
兵士であり戦士であった少年。
戦いに生き、戦いの中で散っていく。
数多の兵士の中のたかがひとり。
されどひとり。
彼が死んだと聞かされて悲しむ人たちがどれだけいるだろうか。
彼が死んだことに興味を持つ人がどれだけいるだろうか。
恐らく数人。人口の中では数パーセントにも含まれない数。
しかしかけがえのない人物。
空はどこまでも澄み切っていた。
ディムの肥大した腕が賢二を捉えた。全方位からの圧力に身を捩る。圧迫される最中、彼の右腕はあるものに触れた。まだだ、まだ武器はある。俺はやれるッ。
上手く体を捻らせて右腕を自由にする。後は待つだけ。奴が自分を喰らおうとする瞬間を待つ。
それは恐ろしく早く訪れた。
感傷に、追憶に、後悔をする間もなく、しゅうあくな口が彼を飲み込まんとする。
その深淵にも似た虚構に賢二は見た。
口の奥深く、喉の突き当たりの部分、そこに浮き出たものは、人であったという名残。
人間の心臓。
そこが弱点なのだと、賢二は天啓を受けたかのようにわかった。
電撃に酷似した刺激が五感をくすぐる。
賢二の身体が怪物の口に収められ、咀嚼しやすいように砕かれると獰猛な歯が下ろされ――――
右腕の先、手に握られた一振りの輝き。
今作戦開始の際に支給されたサバイバルナイフ。
近距離の攻撃は絶望的な自殺行為だ。
だから、護身用と言われたその一物は、もはや自決のための用具。あるいは気休め。どちらかというと気休めだ。
賢二の右手に握られたナイフは、深々と怪物の喉おく深くに浮き出ている人の心臓を貫いていた。
苦悶の絶叫が耳の奥まで反響する。頭が激しく揺らされているような感覚を味わい、思わず吐いてしまう。ぐわんぐわんと今際の声が響き、賢二はディムの口から吐き出された。
次に目を開けたとき、目の前は緑色の血で染まり尽くされていた。目を附せ、黙祷。安らかに眠れ。
どさりと地面に座り込む。脇腹の傷口からはまだ血が出ていた。出欠多量による死期も近いかもしれない。だがいまは、そんなことはどうだっていい。この僅かな安らぎを堪能したい。
桐原賢二は静かに両の目を閉じた。冬になる直前の風が、前髪を撫でた。雑草は風に揺らされ靡く。
いつか、この悪夢には終わりが来るだろう。
ずっとずっと先の「いつか」に。
健二が座り込んだ頭上に一機のヘリコプターが飛んできた。外装に塗られているのは赤に白の十字架。救護班が駆けつけたのだ。
桐原賢二はその音を聞いてもまだ目を開けなかった。
いつの間にか彼の脇腹から、血が流れていなかった。
中途半端に終わってしまってすいません。肝臓いただけれなら嬉しいです。お願いします!