奇跡を謳う者 10
エレスティンは少し埃っぽくなった黒衣のドレスを手で払いながら、ロウディーの問い掛けに対して口を開いた。
「私はヴァイゼスの代表であるジューザス様の部下の一人。あの方に忠義を尽くす者です」
「フン……」
エレスティンは決然とした態度で、そうロウディーに告げる。
ロウディーは不愉快そうに小さく鼻を鳴らした。
「ジューザスなどという小僧に忠義を尽くすか……愚かな、非人道的だとぬかして、こんなにも素晴らしい実験を頭ごなしに否定する腰抜けに尽くすとはな」
「ジューザス様への侮辱は許しませんよ!」
ロウディーの皮肉の言葉に、エレスティンは思わず怒りを滲ませた声を発する。そうして彼女は、鋭い眼差しでロウディーを睨み付けた。
忠誠と、それだけでは無い別の感情をジューザスに対して抱く彼女は、憤怒を宿した深緑の瞳を老人に向けながら唇を動かす。
「さぁ博士、いい加減資料を返していただきます」
「ぬぅ……!」
エレスティンの静かな忠告の言葉に、ロウディーは義眼の瞳を細めて身構える。
「資料は渡さん、決して!」
「……ならばこちらも初めに申し上げた通り、実力行使でいかせていただきます」
柔らかく髪を掻き上げ、エレスティンは一歩を踏み出す。
そして両手に嵌めた黒革のグローブを嵌め直し、彼女は「博士、よろしいですか?」と言ってロウディーを見据えた。
今日は地下の『宴』の為に、魔物も兵士も多くをそちらに投入してしまっている。
その為いつもより警備兵士の配置は少なく、そしてその警備兵はどうやら全員、先に彼女の手によって倒されてしまったらしい。つまり先程魔物が倒されてしまった今、ロウディーはなにも手がなく一人だった。
「……小娘が!」
自らで戦う術など持たない老人は、ただ忌ま忌ましげにエレスティンを睨み付けることしか出来ない。
それでも決して資料を返そうとしないロウディーの態度に、エレスティンは大きな溜息をひとつ吐き出した。
そうして彼女は美しく気高い、そして冷酷な"使者"の顔付きでロウディーを見つめる。
「私はそんなに他者に優しくはない。いいえ、気にくわない者に優しくなれるほど、私は器用な女ではない。だから博士、私はあなたを殺します。そして資料を手に入れるわ。資料を手に入れて帰ることが、私に与えられた任務だから」
「くっ……」
凛としたエレスティンの眼差しは、彼女の絶対の決意を窺わせる。
エレスティンはまた一歩と、身構えるロウディーに近づいた。
「クッ……わしに近づくな!」
「黙りなさい。私に命令出来るのはただひとり、ジューザス様だけよ」
そう告げる彼女の瞳が、残酷な色を宿す。
強気な口調とは裏腹に、ロウディーは迫るエレスティンに対して恐怖に小さく震えた。
薄闇の中、ロウディーの義眼が金属の色を反射させて光る。
それを冷めた瞳で見据えたまま、エレスティンは小さく首を横に振った。
「ごめんなさい。あなたも咎人だけれども、でも私も咎人なの。私の手はもう汚れているから、だから一番効率のいい方法であなたに汚れた"罰"を与えるわ」
「っ……」
「……さよなら、博士」
短い別れの言葉を呟き、エレスティンは裁きの拳を握りしめた。
◇◆◇◆◇◆
どうやってあの闘技場から逃げて来たのか、はっきり言ってよく覚えてはいない。
ただ必死で、死なせたくなくて、だから彼は無我夢中だった。
ユーリは血まみれのアーリィを抱えて、向かってくる兵士の間を抜けてひたすら走った。
「はぁ……頼むから死ぬなよ……頼むから……っ!」
「……」
抱き抱えたその体はおそろしく軽くて、そして氷のように冷たい。アーリィの体を抱えて走るユーリの両手は、赤く冷たい血液に染まりきっていた。
アーリィは固く目を閉じ、そして蒼白な顔色でぐったりとしている。いや、顔色なんてものは彼の流す血の赤で、ぱっと見た所ではよくわからない。けれども血の間から僅かに彼の肌色を覗くことができ、そこから窺える肌はとても生きた人間のものとは思えない白さだ。
唯一小さく開かれた唇から、微かな呼吸音が聞こえてくる。それを聞いて、まだアーリィは生きていると確認し、それだけを希望にユーリは走った。
このまま死なせるわけには、絶対にいかない。
「はっ……ここまで来りゃいいか……」
どれくらい走ったかはよくわからなかったが、とりあえず兵士の追いかけてくる様子はない。
それを確認し、不意にユーリは足を止めた。
彼が足を止めた場所は、長く入り組んだ地下通路の一角、その途中のやや幅広い通路。ユーリはその通路の真ん中に、アーリィの体を寝かせるように一旦降ろす。
そうしてとりあえず手当てをしなくてはと、ユーリはおもむろに自分の上着の裾を引き裂き始めた。
そして彼は引き裂いた布で、アーリィの体に痛ましく刻まれた裂傷部分からの血を止めようと、その布を当てて傷口付近を縛っていく。
しばらくそうやって止血を施し、ある程度その作業を終えた彼は、一旦顔を上げて額に浮かぶ汗を拭う。
「……くそっ……『ありがとう』なんて言葉、アーリィちゃんが言うなよ……なんか、怖いじゃねぇかよ」
意識を失う寸前、彼が呟いた一言がユーリの脳裏を過ぎる。普段は辛辣な一言しか口にしない彼が、何故か瞳を閉じる寸前不意に口にした優しい一言。それは何故か、最後の別れの言葉のように感じられて、とても怖かった。
「はぁ……お願いだから、もう一回目を開けてくれよ……」
「……」
静かに目を閉じるアーリィに、ユーリは祈るように呟く。
こんなことならばもっと早くに助けに行けばよかったと、アーリィの顔の血を指先で何度も拭いながら、ユーリは深い後悔に強く唇を噛み締めた。しかし、後悔ばかりしていても仕方ない。直ぐに彼は顔を上げ、他に何かアーリィに対して出来ることは無いか考えた。
「とにかく傷をちゃんと塞がなくちゃ……」
アーリィの体は外傷が特に酷かった。
勿論魔力の消費も激しく、その二つの要因で彼の体はひどく衰弱しているのだろう。
しかし魔力については、魔法のことに詳しくないユーリにはさっぱりわからない。それならば傷の方をなんとかしなくてはと、ユーリは汗を拭いながら考えた。
普通肉体に負った怪我は、薬や包帯などを使って治療するのが一般的だ。
しかしマヤやアーリィと共に旅をするようになってから、怪我は二人の魔法で治してもらうようになった。その為、以前は旅の必需品だった傷薬の類いは不要となり、彼はそれらを一切買わなくなった。
さらに皮肉なことに、アーリィはその回復を最も得意とする魔術師だ。しかし、回復魔法は自分を治療出来ない。だから自分の怪我は自分の魔法では治せない。しかしそれ以前に魔力を使い果たして意識を失った今の状態では、どちらにしろ魔法など絶対に使えないだろうが。
なんで自分はこんな時に治療薬を持っていないんだと、ユーリは自身を心中で激しく責める。苛立だしげに小さく舌打ちを鳴らし、他になにかないかと彼は必死で考えた。
(なんか……なんかねぇのか……ええと、傷を……)
やがてユーリは、ハッとしたように両目を大きく見開く。
「そうだ、薬……魔法薬!」
"そのこと"を思い出したユーリは慌てた様子で、突然アーリィの上着のポケットを漁りだす。
「確か前に、マヤとアーリィちゃんが話してたっけ……」
それは、つい先日の事。以前戦闘で大怪我を負ったことのあったアーリィは、その事でマヤに多大な心配をかけた。
その時は偶然出会った魔族の男・クロウディアによってアーリィは助けられ、無事事無きを得た。
しかし今後もまた同じように大怪我を負った場合、側にマヤがいなくて彼を助けられない時の対処として、彼は回復の効果がある魔法薬をいくつか生成して持ち歩くことにしたとマヤに話していたのだ。
「えっと……上着のポケットだよな、多分」
勝手に上着のポケットを漁るのは悪いと思ったが、しかし今はそんなことをいちいち気にしてはいられない。白からすっかり血の赤に色を変えたアーリィの上着へ手を伸ばし、ユーリは真剣な眼差しで魔法薬を捜す。
やがてそれはわりと直ぐに見つかり、ユーリは思わず「よっしゃ!」と声をあげた。
「……一つは割れて、残りは二つか……」
アーリィの上着ポケットから出てきた小さな小瓶の魔法薬は、全部で三つ。
しかし一つは先の激闘で瓶が砕け、中身が漏れ出てしまっていた。
とりあえずユーリは残った二つの魔法薬の蓋を外し、中身である透き通る緑の液体を、アーリィの体の大きな傷口部分へ振り掛けるように使った。
「……これ、もしかして飲み薬とかじゃねぇよな?」
おもいっきり薬を全部ぶちまけた後、ユーリはふと心配になり小さく呟く。
魔法薬には詳しくない。それに魔法薬は材料の調達が現代では非常に難しく、魔法薬を調合することが出来るマヤとアーリィも滅多に作る事がない。だから使用方法なんて尚更、ユーリにはわからなかった。
「使い方、これで合ってればいいけど……」
使ってしまったものはもうどうしよいもないため、ユーリは祈りながら小さく呟いた。
今回の回復薬はおそらくアーリィが、希少なはずの材料をなんとかかき集めて、それで三つだけ作ることに成功したのだろう。それを全て、しかも一気に使ってしまったのだが、しかしユーリは反省も後悔もしていなかった。アーリィを助ける為に使ったのだから、アーリィもきっとこの事は納得してくれる筈だ。
とりあえず今やれるだけの事は全てやった。
後は早く外に出る道を探して、レイビィたちを連れて地上に出て、そしてマヤに頼んでアーリィの怪我を診てもらえばいい。
きっとマヤはこんなにも傷だらけになったアーリィを見たら、「あなたがついていながら!」というような事を言って、自分を強く責めるだろう。
そして一、二発自分をぶん殴り、もしかしたら剣で刺そうとしてくるかもしれない。
その時はさすがにローズが止めてくれるだろうが、しかしそれで彼女が許してくれるのなら、彼女の怒りを甘んじて受けようとユーリは思った。
やがて彼は、今だに意識を失っているアーリィを今度は背に背負い、ゆっくりと立ち上がる。
背負ったアーリィの体は相変わらず氷のように冷たい。だが、元々奇妙なほど彼は体温が低い。
耳元では小さいが規則的な呼吸音があるので、体は冷え切っていても息をしているということはまだ生きている。
「後は、地上へと出る道を探すだけだな」
なるべく早く見つけないと、あの兵士たちが追って来てしまう。
隠れてもらっているレイビィたちも心配だし、なにより一番心配なのはやはりアーリィだ。
アーリィが命懸けで兵士たちの目を引き付けてくれたお陰で、大人数だったレイビィたち奴隷を牢から無事に逃す事が出来た。
だから自分もアーリィの命がけの努力を無駄にしないためにも、最後まで諦めずに事を成し遂げなくてはならない。
絶対にレイビィたちを助けると改めてユーリは胸に誓い、やがて彼は地下通路を再び駆け出す。
一体何処へ向かえば地上へと出る道があるのかさっぱり見当がつかないユーリだったが、しかしここでただじっとしているよりは、走って出口を見つける努力をするほうが断然いい。
耳元で微かな呼吸をするアーリィに「生きろよ」と告げて、ユーリは埃っぽい灰色の石床をおもいきり蹴りつけた。
「……それに、優しい言葉で永遠に別れるってのはもう嫌なんだよ」
どこか淋しく、そして深い悲しみを宿した言葉を呟き、ユーリは長く続く薄闇の中へと消えて行った。
【奇跡を謳う者・了】




