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神化論  作者: ユズリ
推定楽園
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奇跡を謳う者 8

「……wiNdquic」


 キマイラが低い咆哮の声をあげて近付いてくる。同時に、鮮血に染まったアーリィの唇が小さく動く。

 彼の虚ろな瞳は、しかししっかりとキマイラを見据えていた。


 キマイラが大きく口を開けて迫る。

 生臭いキマイラの吐息が死の吐息となって、座り込むアーリィへ降り懸かる。

 しかし、まだキマイラとアーリィとの距離は僅かにあった。


「KENSPPEedge.……発動」


 その僅かな時間にアーリィの唇が動き、掠れた声で一つの呪文を完成させる。


 アーリィが魔法という力を使えるようになったのは、昔マヤからその力の意味や方法を教わったからだ。

 マナの薄れた現代でも魔法が使える不思議な素質のあった彼は、マヤから古き奇跡の力・"魔法"の呪文や発動方法などを教わった。

 マヤの持っていた本などを読んで、独学で学んだ事も多々あった。何故か始めマヤは、攻撃魔法をあまり教えてくれなかった。だから、そういうものは本で学んだものが多い。


 そして、やがて彼は自分で魔術を作るということも覚えた。彼はもっと強くなりたくて、だから必死だった。


 自分は弱い。武器の扱いも下手だし、筋力もあまりない。俊敏さも無いし、まるでマヤの足手まといだった。

 それがとても悔しくて、「大丈夫だよ、あなたはアタシが守るから」と笑う大切な人の笑顔が何故か苦しくて……だから、アーリィは力を欲した。魔法という強力な力を欲し、自分も強くなろうと魔法を学び覚えたのだ。もう、彼女の足手まといは嫌だった。


 自分には、魔法しか力がない。だけど、逆に言えば魔法がある。

 自分にはこれが武器で、そして誰かを守る力なのだ。



 キマイラが大口を開け、象牙色の牙を口元からいくつも覗かせて、獲物を食いちぎろうと突進してくる。

 もうアーリィとキマイラの距離は、ほんの一、二メートルにまで迫っていた。

 そして、ついにキマイラの殺意の牙が、アーリィをただの肉塊に変えようと襲い掛かる。


「……」


 壁にもたれて小さく笑うアーリィにキマイラの巨体が覆いかぶさり、血に塗れた彼の姿は見えなくなった。




 ◇◆◇◆◇◆




「……見つけたぜ」


「な、何者だお前はっ!」


 薄闇の中、どこか危うい狂気の色に光る灰色の瞳。

 それに見つめられ、その瞳の中の明確な殺意を感じ取った男は、反射的に腰の剣を抜いて彼と対峙する。


「……お前さっき牢に来て、闘技場へ中の人間を連れてった兵士だよな?」


「は……?」


 ユーリは手の平で一本の短剣を弄びながら、向かい合う一人の兵士へそう問い掛ける。一方男は、彼が一瞬何を問い掛けているのかわからず、不審そうな視線を向けつつも間抜けな声で返事をした。


 レイビィたちが閉じ込められている牢からわりと近い場所の通路にて、幸運にも先程アーリィを連れていった兵士の姿を見つけたユーリ。

 さらに幸運なことに、兵士は一人で休憩をとっていたらしく、周囲には誰もいない。

 あまり時間が無いユーリは、短剣を宙に振り上げては上手く柄をキャッチするという動作を繰り返しながら、腰を低くして剣を向ける兵士の男にこう告げた。


「なぁ、牢の鍵くんねぇ?」


「な、なにっ!?」


 いきなり直球で鍵を要求するユーリ。

 一見ふざけたような彼の態度と声だったが、しかし彼から発せられるあからさまな殺気を肌で感じていた男は、警戒は決して解かずに「ふざけるなっ!」と要求を拒んだ。

 男のその反応に対し、ユーリはどこか芝居がかった様子で首を横に振り、そしてこちらを敵意の瞳で凝視する男に改めて向き直った。


「鍵、くれぇねのか?」


「当たり前だ! 大体貴様、何者……」


 男の警戒と憤怒の声は、不自然にも途中で途切れる。

 代わりに男は唇から大量の血を吐き出し、濁った呻き声をあげてその場に崩れ落ちた。

 彼のすぐ側ではいつの間にか、男の首を刈っ斬ったユーリの姿。彼は頭から男の血を浴びながら、薄い笑いを口元に浮かべて立っていた。


「死神……なんてな」


 途切れた男の問い掛けにそんな言葉を返しながら、ユーリは短剣にべっとりと付いた男の血を振り払う。

 そしてユーリは屈み込むと、素早く男の懐を探った。


「鍵、鍵っと……お、あった!」


 大きな金属の輪に、いくつも括り付けられた金色の鍵。

 一体どれがあの牢の鍵なのだろうと一瞬首を傾げたユーリだったが、しかし直ぐに立ち上がって手当たり次第試す事を決める。


「早くあいつらを解放して、アーリィちゃんの所に行ってやんねぇと……」


 先程聞いたキマイラの話が、やはりユーリにはとても気掛かりだった。


 早急にレイビィたちを解放し、そして彼女らをどこか兵士たちに見つからないような所に誘導してアーリィを助けに行かないと。


「とりあえず、牢に戻るか。……アーリィちゃんの事は心配だけど」


 あの兵士たちの話を盗み聞いた時から、ひどく胸騒ぎがしていた。キマイラという化け物相手に、果たしてアーリィが無事でいられるのだろうかと、いい知れない不安が押し寄せる。

 しかし心配のあまり今ここで全てを投げ出して、アーリィの元に駆け付けて彼を助けたとしても、そんなことをしたらおそらくアーリィは自分を怒るだろう。

 なんだかんだで彼は優しいのだ。困っている人を放っておけない部分が、彼にはある。本人は無意識で無自覚のようだが。

 それを知っているユーリは、だからこそレイビィたちを助けることを優先した。


「……よしっ!」


 鍵を握りしめ、彼は来た道を戻るように静かに駆ける。

 駆ける彼の胸の内で、不安の胸騒ぎが止むことはなかった。




 ◇◆◇◆◇◆




 キマイラが、アーリィへと襲い掛かる。

 鋭い牙を向け、既に重傷の彼を食いちぎろうと残酷に迫る。

 その光景を見ていた観客や兵士たちは、全員一目で"終わった"と確信した。

 あの少女は喰われた、と。そう、誰もが思った。


 一瞬だけ、完全に静まり返る場内。

 誰もが息をのみ、キマイラがアーリィへ襲い掛かる瞬間を見つめていた。だが、しかし。



「……お、おい、あれっ!」


 観客の一人が何かに気が付き、大声を上げて指を差す。

 それに気付いた者は他にも何人かいたようで、場内は再び興奮のざわめきに包まれた。

 そして、今や会場内の誰もが気付いて視線を向ける先、そこにはキマイラに喰われたと思われたアーリィの姿があった。


「はっ……はぁ……くぅっ……」


 なんと彼はいつの間にかキマイラの頭の上に立ち、そして荒い呼吸を繰り返しながら、虚ろな瞳を足元のキマイラに向けていた。相変わらずその体中は血まみれで痛々しい。


 一体いつ、あの者はキマイラの頭上になど移動したのか……観客たちは揃って首を傾げ、その不自然さにざわめく。誰もが驚愕する中、アーリィは俯いていた顔をそっと持ち上げた。


 顔を上げた彼の深紅の瞳の中に、奇妙に混ざる淡い緑の色。

 そして彼の体を僅かに包む、薄い霧のような淡い緑の光。


『ヴァア゛ア゛ッ!』


 アーリィを喰いそこなったキマイラは、悔しそうに獰猛な唸り声をあげる。そして頭上に彼がいることに気が付き、キマイラは大きく頭を振ってアーリィを振り落とそうとした。

 しかし、それよりも先にアーリィが動く。

 血に濡れた唇で薄く笑みを作りながら、彼は先程とは比べものにならない勢いの速度で、まるで消えるようにキマイラの頭の上から駆け降りた。


 キマイラに喰われそうになった寸前、彼が唱えて発動させた魔法――それは、風のマナを使った彼の創作魔法の一つ。

 風のマナである"フラ"の力を体内に取り込んで留め、そしてその力で身体のスピードを飛躍的に向上させる一種の憑依魔法だった。


 この魔法は昔、まだアーリィが マヤと二人旅をしていた頃に彼があみだした魔法で、これを戦闘中に唱えれば自分の体を常人離れした速度で動かすことが出来る。

 しかしその利便性とは反対に、この魔法がもたらす強靭的なスピードは、アーリィの体には負担がとても大きい。この魔法はかつて一度だけ使ったことがあったが、その時は数分程動いただけで、その後彼はしばらく立つことさえ出来なくなってしまった。


 おそらく今回は、この魔法を使って動ける時間は前回よりも短いだろう。体は相変わらずそこら中が痛くて、意識はいつ飛んでもおかしくない。こんな状態の現状なら、2分くらい動ければいいほうだとアーリィは計算した。


「……は……はぁ……」


 キマイラから一旦距離をとり、彼は蒼白な顔を対峙する魔物に向けて考えた。


「……あの魔術を、使うか……」


 それは賭だった。今の自分に、果たして"あれ"が使えるのだろうか。だいぶ体が衰弱していることが、自分でも明確にわかる。

 しかし、それ以外にあの化け物を倒す術など思い付かない。それに早急に決着をつけなくては、憑依魔法の効果も短時間で切れてしまう。


「……」


 会場を震わすような重低音の咆哮をあげ、再びキマイラはアーリィを喰い殺そうと迫る。

 その魔法を使う事を決意したアーリィは、少し息を吸い込むだけで痛む体に鞭打って、大きく息を吸い込んだ。


 そして、彼は紡ぐ。その言霊を。


『デュオマジカル・ディベロプメント発動準備,呪式イスナーン,Select"MISLA"and"FLA"……コード暗唱』


 自身の持つ異形の瞳と同じ色、鮮血色に塗れた唇が、小さな声でその魔術発動の為の特殊なスペルを唱える。

 意識をマナと同調させる為に、深い深層世界に落ちていく。同時に迫るキマイラの右腕の斬撃と打撃を、アーリィは虚ろな精神状態ながら、憑依魔法による驚異的な反応速度で回避した。

 呪文は続く。


『I expect it.

 Two power in this hand.

 Power mixes and becomes bigger power.

 One of the people that I watch the world.

 Apostle of great God, "ARLIY".』


 追尾するキマイラの攻撃。頭を激しく振るい、獰猛な叫びを発しながら牙を向け迫る。

 それを鮮血と緑の淡い光の粒を散らしながら、アーリィは次々回避する。

 もう彼はほとんどそのスピードだけに頼り、回避していると言っても過言ではなかった。その証拠に、キマイラの攻撃をしっかり避けつつも、無駄な動作も多い。攻撃を見て避けているのではなく、気配と感覚で避けている部分が多いからだろう。

 だがそれでもキマイラの数段先をいく速度で、アーリィは攻撃をかわしながら唇を動かし続けた。


 長い詠唱は、まだ続く。


『cooperation,confirmation,I use your power for a right thing,式暗唱』


 あの巨体でどうしたらそこまで俊敏に動けるのか問いたくなるような動作で、キマイラは何故かアーリィに背を向ける。そうしたかと思えば、なんとキマイラは後脚を器用に繰り出し、アーリィ目掛けて連続した蹴りを放つ。

 その蹴りは素早いだけじゃなく、威力も今までの打撃とは桁違いだった。キマイラが蹴りつけた場所の石畳は完全に破砕され、土煙が濛々と立ち上る。どうやら力を加減することも、もう既に止めたようだ。

 視界を阻む土煙と足元の振動に少々行動を制限されるも、怯む事なくアーリィはおもいっきり膝をたわめて、そして彼は体に宿したフラの力を借りて大きく跳躍した。


 フラの憑依魔法は素早さ向上だけでなく、多少ならば筋力や反射神経も向上させてくれる。

 アーリィは大きく跳躍しながらキマイラの頭上を跳び越え、先程とは反対側の位置のフィールド端に足をつけた。

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