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神化論  作者: ユズリ
推定楽園
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奇跡を謳う者 7

 ユーリは口元だけを大きく歪め、男にそう言って笑いかける。

 だが全く笑っていないユーリの灰色の瞳は、今の彼が優しさなど微塵も無い冷酷な尋問官だということを物語っていた。


 ユーリは自分の望む答えを口にしようとしない男に対し、乾いた笑みを浮かべたまま躊躇い無く右手を動かす。ユーリの右手に握られた銀の短剣の刃が、男の左耳の付け根をわずかに傷つけた。


「あ゛ぁあ゛……っ」


 血の気を失った男の唇から、苦痛の叫びが掠れた声となり発せられる。そして削ぎ取られかけた男の左耳から、短剣の刃を伝って血が滴った。


 大きく両目を見開き「やめろ」と何度も懇願する男を、ユーリはどこか狂ったように愉しそうな眼差しで見つめる。


「ほら、耳を取られたくなかったらさっさと答えろよ。俺の質問はわかってんだろ?」


「と、とうぎじょ、には……キマイ、ラを放った……」


「キマイラ? なんだよ、それ」


「バ、バケモノだ。ロ、ウディ、奴が造った、異形の、バケモノ……巨大な体に、獣のような俊敏さ……ど、うもうな闘争本能で、奴は何でも、喰らう……あれは、悪魔の……」


「……」


 先程こっそりと盗み聞いたこの男たちの会話から察するに、そのキマイラという怪物の相手をする"女"というのは、おそらくアーリィの事を指しているのだろう。


「チッ……大丈夫かよ、アーリィちゃん」


 男の途切れ途切れの言葉から推理すると、どうやら彼らも恐れる何かとんでもない魔物を、アーリィは一人で相手にしなくてはならなくなったようだ。なるべく早く事を済ませ、早急にアーリィの元へ駆け付けた方がいいなと、ユーリは若干の焦りを覚えた。

 その時、首を絞めるユーリの左手を必死で引き剥がそうともがいていた男が、「約束だ、手を退かせ」と小さな声でユーリに訴える。


「あ、そうだったな」


 男の言葉にユーリは、驚くほど素直な返事を返した。そうして彼はまず、男の耳元に突き付けていた短剣を除け、次に男の首を絞めていた手を退かそうとする。

 男の首を拘束する手の力が緩み、その瞬間反撃の機会を窺っていた男は、拘束が解かれるに事に思わず唇を歪めた。

 だがユーリは、そんな男の考えを嘲るような笑みを彼に見せる。

 そしてユーリは男を解放すると同時に、短剣を握る右手を振り上げて、男が反撃をする間もなくその銀の刃を、男の眉間へと叩き付けるように振り下ろした。


「っ……!」


 男の頭蓋骨を易々と突き破り、無情な刃は男の額へと突き立てられる。

 自分に一体何が起きたのか理解する事なく、男は両目を大きく見開いたまま口から血泡を吐き、その場に崩れ落ちた。


「……」


 足元に崩れた男の死体を、ユーリは無感情な眼差しで見下ろす。


 ユーリの足元は血まみれだった。

 先に殺した兵士の流した血と、そしてたった今絶命した男の額から零れる鮮血。


 そうだ、いつだって自分の足元は血まみれだった。

 いつの日も、正確には"あの日"から、自分の歩む道はいつも赤い色に染め抜かれていた。


「……ハハ」


 一体何が可笑しいのか、ユーリにもそれはわからない。

 しかし不意に込み上げてきた笑いに、彼は短い笑い声を発する。


 一度他人の血の色に染まってしまった両手は、決して綺麗になることは無い。

 他人を殺す事に快感を覚えてしまった体は、もう元に戻る事は無い。


「……クソッ!」


 今度は激しい怒りと苛立ちが、意味もわからず沸き上がってくる。

 ユーリはいい知れない激しい衝動に身を任せるように、乱暴な手つきで男の眉間に突き刺さった短剣を力任せに引き抜いた。

 まだ生暖かい男の血が飛び散り、ユーリの頬を無音で汚した。


 一度この快楽を手に入れてしまった時から、自分は永遠の"咎人"となった。

 この先どうあがいても、どんなに罪滅ぼしの行為をしたとしても、もう汚れたこの魂は綺麗にはならない。

 自分の思う正しさの為にこの銀の刃を振るう時が来たとしても、それでも自分は正義にはなれない。

 死ぬまで永劫、自分は罪を背負った者なのだ。


「……こんな俺が何かを救いてぇって思う事は、やっぱりおかしいよな」


 消え入りそうな声で、ユーリは痛みの宿る声で呟く。


 でも、おかしいとはわかっていても、自分に救いたいと望む気持ちがある事は事実だ。

 なにか矛盾しているかもしれないが、しかしこんな人間でもまだそういう気持ちは失われていない。血で汚れたこの両手でも、この手で救いたいものがある。

 自分は完全なる正義にはなれないが、この気持ちが有る限り完全な悪にもなっていない。いや、そもそも完全な悪などという定義こそがよくわからないが、だがこれだけは言えると思う。


「俺はまだ、人の心を失ってはいねぇよな?」


 呟いた言葉は、切望する悲しみが宿る呟きとなった。


「……っと、それよりも早く鍵を手に入れて牢を開けなくちゃいけねぇ」


 ハッとしたようにユーリは顔を上げ、そして一応先程殺した兵士たちの懐を探り鍵を探す。

 しかし男らは鍵らしきものを持っておらず、ユーリは苦い表情で舌打ちをした。

 やはりさっきアーリィを闘技場へと連れていった兵士を探して、彼から鍵を奪うことが1番手っ取り早く鍵を手に入れられる方法のようだ。

 ユーリは汚れた短剣の血を兵士の服で拭い、それを再び腰の鞘に戻して駆け出した。


「早く……あいつらを助けてやんねぇと……」



 ――"ヴァイゼス"という地獄の檻に入れられて以来、この世界には神も希望も救いも……光さえ無いと思い続けていた。


 その日から生きるのが億劫で、安楽の死さえ望めない自分の未来を怨んだりもした。

 このまま一生、自由を得られないままで自分の人生は終わると、そう信じていた。


 でも、今の自分は"自由"だ。

 絶望しか無いと思っていたのに、完全に諦めていたのに、しかし自分は自由を得られたのだ。


『私だって生きたいよ! ううん、みんな生きたいって思ってる! でも私たちは逃げられない……逃げ出す力も知恵も無いの! どうしようも出来ないんだものっ!』


「……」


 牢の中で泣き崩れる少女の姿が、脳裏を過ぎる。

 薬漬けにされて、いつ化け物に変えられるのかという恐怖に怯える日々はユーリにも覚えがある。だが、だからといって彼女たちに、いつかの自分を重ねて見た訳では無い。

 でも、自由を渇望する彼女らの気持ちは何よりもよくわかった。だからこそ自分はこんなにも必死なんだと、ユーリは暗い通路を駆けながら思う。


 絶対に彼女らを助けたいと、ユーリは思った。




 ◇◆◇◆◇◆




『いい、アーリィ。今からアタシがあなたに与える命令は、他のどんな命令よりも優先される大切なものよ。あなたはまず、絶対にこの命令を守らなくてはいけないの』


 そう言って自分を見つめるマスターの瞳は、何故だがとても悲しそうだったのをよく覚えている。


『アーリィ、あなたは絶対に生きなさい。何があっても、何を犠牲にしてでも絶対に生きて。……お願いだから、死なないで』




 ◇◆◇◆◇◆




「……あっ……はぁっ……」


 呼吸が出来ない。

 アーリィは唇の端から鮮血を零しながら、苦痛に小さく喘ぐ。

 筋肉が隆起したキマイラの右前脚が、アーリィの細い首を掴み上げて、キマイラは彼を窒息寸前に追い込んでいた。アーリィは薄れる意識の中で、拘束を解く為に抵抗しようとする。


 キマイラに拘束されたアーリィの体は血まみれで、顔や彼の着る白い上着が痛ましい程に血の赤に染まっていた。体の至る所にキマイラの鋭い爪によって負ったであろう裂傷が無数にあり、そんな状態でもアーリィは血まみれの腕を上げて、首に纏わり付くキマイラの腕を引きはがそうともがく。


 周囲では相変わらず観客共が、「殺せ」だの「もっと抵抗しろ」だのと好き勝手叫んでいる。

 それを今にも落ちそうな意識で聞きながら、アーリィは小さく息を吸い込んで唇を動かした。


「はっ……wINd.」


 風の最短呪文を唱える。

 鮮血を零しながらも、喘ぐように紡いだその呪文は、小さいが強力な風を生む。

 自分を掴むキマイラの右手を狙って発生させた風は、アーリィの思惑通りキマイラの腕を切り裂き傷を付けた。

 傷を受けたキマイラの腕は、その拘束が僅かに緩む。その一瞬の隙を狙って、アーリィは渾身の力でキマイラの腕を蹴り付けて、その拘束から逃れる事に成功した。


「あっ! ……っぅ……」


 だが散々嬲られ続けられ傷付いた体はひどく衰弱しており、キマイラの腕からは逃れられるも、アーリィは受け身を取ることも出来ずに石畳の上へと落下した。


「はっ……はぁ……っ」


『……ヴゥ……ッ』


 震える足で、アーリィはゆっくり立ち上がる。すぐ側では、キマイラの不吉な唸り声。

 早くこの場を離れてあの化け物から距離を取らないと、またあいつに捕まって嬲り殺されてしまうかもしれない。そう思いアーリィは、新しい鮮血が流れ落ちる足をしっかり石畳につけ、何処かへ駆けようとした。

 何処に駆けるかなんてのは何処でもいい。このフィールド内だったら何処でも。とりあえずコイツから離れて魔法の準備をしなくてはどうしようも無いと、アーリィは血に塗れた蒼白の顔を上げた。


 アーリィの対戦相手として先程闘技場に放たれた魔物・キマイラは、初めに進行役の男が解説した通りとんでもない化け物だった。

 アーリィが思うに、図体はでかいわ、そのくせに素早いわ、さらに知性を完全に奪われていないのか、攻撃がただ単に腕を振り回すだけではない。アーリィを徐々に嬲り殺すかのように、何度も何度も彼の体を切り裂き傷を付ける。それも器用に急所を外し、そして圧倒的な力でアーリィの体力を確実に減らす。

 アーリィに魔法の詠唱をさせる暇も与えず、キマイラは彼を攻撃し続ける。


 ほとんど一方的にやられっぱなしのアーリィは、マヤが見たら悲鳴をあげて「誰がやったの!」と言って怒り狂いそうな程の悲惨な状態となっていた。


 口の中は血の味しかしない。さっきから何度血を吐き出しているだろうと、アーリィは顔を顰める。

 顔もほとんど血に塗れていて、時折目の中にまで血が入ってきて視界が歪む。

 そして、体はもっと酷い状態だった。至る所に裂傷、そして何度か壁に叩き付けられた時、多分いくつか骨が折れた気がする。というか今のアーリィは体中全てが痛くて、正確な怪我の状況が把握できないくらいだった。

 今こうして自分が立ち上がっている事自体、傷だらけのアーリィには不思議だった。


「……くっ!」


 キマイラが動く。アーリィ目掛けて、前脚の弾丸を放つ。

 咄嗟にアーリィは右側方へと転がり、さらに追撃してくるキマイラの攻撃をギリギリだが避け続けた。

 キマイラは力も尋常ではないようで、奴が石畳を打つ度に、そこに大きなヒビがいつくも入る。その気になれば、おそらく石畳を破壊する事も容易だろう。

 だがそうならないのは、きっとキマイラがアーリィを一撃で殺さないように、力の加減をしているせいだと窺えた。

 キマイラの攻撃をふらふらな状態で避けつつ、アーリィは内心で「イヤな奴」と毒づく。これも"元・人間"だったようだが、そうとう性格の悪かった人間だったとしか思えない。そんな事を考えながらも、しかし実はアーリィの負った怪我は決して軽いものてはない。そのため立ち上がった彼の視界が、一瞬大きく揺らぐ。血を流し過ぎて、頭に血が回らなくなっているようだ。

 さすがに危険だと思い、アーリィは倒れそうになる体に鞭を打ち、両足に力を込めた。


 このままでは、とても魔法を放つ準備の時間なんて稼げない。それどころか、そろそろ本当に体に限界がきているということがアーリィ自身にもわかった。


「はぁ、はぁ……あぁぁっ!」


 不意に視界がぶれる。そして、体が宙に浮く感覚。もう痛みは感じない。

 キマイラの腕が横薙ぎに振るわれて、それによってアーリィの体は横へと吹っ飛ばされたのだ。

 キマイラの疾風の一撃はたとえ万全の状態の体でも、アーリィには避けられるか五分五分といったところだ。こんなボロボロの体では、視線で腕の動きを追う事もままならない。

 おもいきり吹っ飛ばされたアーリィの体は宙を舞い、フィールドを囲む壁の一部にぶつかって止まった。


「がはっ! いあっ……うぅ……」


 キマイラの強力な一撃は、そろそろ決着を付けようということなのだろうか。

 キマイラは金の瞳をこちらへと向け、壁に崩れ落ちるアーリィを静かに見据える。


 一瞬意識を飛ばしかけたアーリィだったが、ここで負けるわけにはいかない彼は、ほとんど気合いで目を開ける。そして、こちらを見つめる金の瞳と視線を合わせた。


 そうだ、負けられない。

 負けとはすなわち、"死"なのだから。


『絶対に生きて。……お願いだから、死なないで』


 大切な人から与えられた、あの言葉の為にも自分は死ねない。

 それに死んでしまったら、あの少女らを助ける事も出来なくなる。


 死んでしまったら、なにも……


「……」


 いや、違う。


 アーリィは息を止める。

 そうだ、違うと、彼は大きく両目を見開く。


 彼は大切な事を思い出していた。

 それは、自分は"死なない"ということ。


「死なない……」


 いくらこの肉体を傷付けられても、死なない。

 そんなことでは、死ねない。


 そう、"わたし"は死なないのだ。



 でも、その代わり……

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